リトルバード−第3章:黄金の日々−(1)

ロビン。
本名、早瀬馨。
当麻が最初に感じたとおり、ロビンは記憶などなくしてはいなかった。
親には、友達の所に泊まりに行くのだと嘘をついて、今回の小旅行の計画を立てたのだと、ロビンは自分を取り囲む5人の少年達に向かって静かに話しだした。

そもそものきっかけは2年前、ロビンが小学校4年生の夏に起きた、ある出来事だった。

 

――――――その日、ロビンは兄に連れられ、全国少年剣道大会を観にやってきた。
ロビンの兄は、学校で剣道を習っており、その影響でロビンも多少は剣道の知識を持ってはいたが、別に自分で竹刀を握ってみようとか、まして剣道を習ってみようか等とは思ってもいなかった。
どちらかというと体の弱かったロビンは、腰まであるさらさらの髪と、柔らかなフレアースカートが似合う、おとなしい少女だった。
この日も、兄が出場するのだからと、ついては来たものの、あまりの汗くささと、蒸し暑い会場に辟易していたのだった。
ところが、たいして興味もなさそうに、目の前で繰り広げられる数々の試合を観ていたロビンの目が、突然、ある一点を見つめて動かなくなった。
「お兄ちゃん、あれ、誰?」
そこには、遠くにいても一際目を引く、明るい髪の少年がいた。
整った綺麗な顔に、すらりとした体格。
明らかに他の少年達とは違う雰囲気を醸し出しているその少年の、隙のない身のこなしと技の切れ。足さばきの見事さは、ロビンの目を釘付けにして離さなかった。
面が決まり、主審の旗がさっと上がる。
「面あり一本! それまで!」
凛とした声が会場に響き、相手に一礼して、さがっていく堂々とした後ろ姿。
面を取った時、こぼれ落ちる艶やかな髪は、光の加減で黄金色に見える。
「……うわぁ……」
知らず知らずのうちに、ロビンの目はひたすら、その少年の姿を追いかけていた。
やがて、無事大会が終了し、例の少年は団体戦の先鋒を務め、ベスト4まで残り、個人戦では、まだ中学2年生だというのに並み居る3年生の強豪達を押しのけ、準優勝を果たした。
表彰式がおわり、選手達がそれぞれの地へと帰っていきだした時、ロビンはその少年の姿を探して、会場中を走り回っていた。
逢ってどうなるものでもなかったが、その少年が、帰る前にどうしても、一目逢いたかった。
なんとかして逢いたかった。
ようやく、その少年が会場のそばの広場の隅に1人座っているのを見つけ、ロビンは走り寄って、声をかけた。
「あの……」
「…………?」
「……伊達……征士……さんですか?」
「……そうですが」
征士は突然目の前に現れた少女に戸惑ったような視線を投げた。
「……あの」
「……何か、用でしょうか?」
「…………」
あれほど逢いたいと思っていたのに、実際、本人を目の前にすると、こうも言葉が出てこないものだとは思わず、ロビンは焦って、なんとかこの場を取り繕う為、必死に笑いかけた。
「あの……試合、観てたんだけど……その……準優勝、おめでとうございます」
「…………」
征士は、なんとも言えない顔で、そう言ったロビンの大きな目を見つめ返した。
「あの……」
「準優勝の何がめでたいんだ? 少なくとも1人は確実に自分より上の者がいるという事ではないか」
「…………」
「私は悔しくて仕方ないんだ」
心底悔しそうに唇を噛む征士を見て、ロビンはしばし言葉を失ったのだ。

 

――――――「征士らしー」
秀が吹き出して、大笑いした。
「あ……あの時は本当に悔しかったのだ」
「分かる分かる。征ちゃんてば、案外プライド高いもんね」
「当麻!!」
当麻の冷やかしにおもわず征士が拳を振り上げる。
「まあまあ、それで? どうしたの?」
間に入って、なんとか征士を宥めながら、伸がロビンに先を促した。
遼は興味深そうに、ロビンの話に聞き入っている。
「ホント、あの時は何て言ったらいいかわかんなくって、とっさにあんな事言ったの、すごい後悔したんだよ」
そう言ってロビンがわざと口をとがらせると、征士は少しバツの悪そうな顔をして横を向いた。
「こいつ、女の子相手だと、気の利いた言葉、でてこないからなあ」
秀が隣の征士をからかうような口調で言った。
「でも、髪の毛長かったんだ、ロビン。その頃」
伸が訊ねると、征士が懐かしそうに少し目を細めた。
「ああ、とても綺麗な長い髪をしていた」
腰まで伸びたさらさらの長い髪。あどけない微笑み。
日溜まりのような笑顔の少女は、不愛想な征士の言い方に一瞬だけ怯えたような顔をした。

 

――――――「あ……すまない。きつい言い方をしてしまった」
「ううん。私もいきなりあんな事言って、ごめんなさい」
「いや、君が謝ることはない。悪いのは私なのだから」
「そんなことない。私が失礼な事言ったから……」
「いや、だからといって、あんな答え方をした私の方が……」
お互いにひとしきり謝りあった2人は、ついにどちらともなく笑い出した。
「なんか、変なの」
「本当だ」
笑うと、さっきまでの緊張はどこかへ飛んでいき、ロビンはやっと、普段の明るい笑顔を征士に向けた。
「あのね。ずっと試合観てたんだ。すごい面白かった。最初は、お兄ちゃんに言われて、嫌々来たから、早く帰りたいなんて思ってたんだけど、途中から時間も忘れてずっと試合観てた。剣道って面白いね。今は来て良かったって思ってる」
「そうか」
「やっぱり、面とか決まったら、気持ちいい?」
「それは……まあ、もちろんそうだが……」
少し照れながら、相づちをうつ征士は、先程までの堂々とした試合ぶりからは想像つかない程、優しげに見える。
「ねえ、征士はどうして剣道やってるの? 誰よりも強くなる為?」
そう言って小首をかしげたロビンの背中から、さらりと長い髪が流れた。
「……私は、別に相手を倒す為だけに剣道をやっているのではない。もちろん誰よりも強くはなりたいが、それよりも、私は己自身を鍛える為に、剣を持ちたいと思う」
「…………」
「竹刀を握っていると、心が澄み渡る感じがする。剣を振るう事で、自分自身を見つめ直す事が出来る」
「……すごいね」
「すごいも何も、これは私だけが特別なのではない。そう思っている剣士は大勢いると思うぞ」
きっぱりと言い切る征士をロビンは感心して見つめた。
「大勢、いるの?」
「ああ」
「剣道をしたら、それが解るようになる?」
「もちろん」
「……私でも?」
「ああ」
「本当に? 本当に私も征士みたいになれる?」
「ああ、必ずなれる」
「…………」
眩しそうに征士の黄金色の髪を見つめて、ロビンがいきなりすっと立ち上がった。
「征士」
「……ん?」
「お願いがあるんだけど」
「……?」
「来年、征士が優勝したら、真っ先に勝負を挑んでいいかな?」
「……来年?」
「そう。今だってこんなに強いんだもん。きっと来年、征士は優勝するでしょ。そしたら、私、日本一の剣士と手合わせしたい」
「…………」
「それまで、私、剣道必死になって稽古するから」
「…………」
「私も征士みたいになりたい。征士が剣道やって、どんなことを感じてるのか知りたい。だから、約束。一年後、どれくらい征士に近づけたか、見てもらいたいの」
「…………」
「いいかな?」
「…………」
「一年後」
「……わかった。一年後だな。約束しよう」
「……本当に?」
「ああ。必ず約束は守る」
「絶対だよ」
「ああ、絶対だ」
「一年間、頑張るから。少しでも征士に近づけるよう、本当に頑張るから」
「ああ、楽しみにしている」
「絶対、約束、忘れないでね」
「ああ」
「じゃあ、指切りげんまん」
指を絡め嬉しそうにそう言って、ロビンは笑った。
「馨、行くぞ」
その時、遠くで兄の呼び声が聞こえ、ロビンがはっとして振り返った。
「今、行くよ。お兄ちゃん」
そう言い返し、ロビンは征士に背を向ける。
「あ……」
「……?」
「そういえば名前を、聞いていなかった」
ロビンがもう一度征士を見る。
「……馨」
「馨?」
「そう、早瀬馨っていうの。忘れないでね」
「…………」
最後ににこりと微笑み、ロビンは兄の元へと走り去って行った。
その後、家に帰り、ロビンは自分の手で長い髪を切った。
一年後の約束の為に。
強くなる為に。
もう一度、征士に逢う為に。
『来年、必ず逢おう』
そう約束したのに。

 

――――――「来なかったんだ。一年後。征士は」
「……うん」
ぽつりと言った遼の言葉にロビンが小さく頷いた。
一年後。
ちょうどその頃、征士はその手に、竹刀ではなく本物の剣、光輪剣を持ち、試合ではなく、本当の戦いをしていた。
命を懸けて、大切な人々を守るために。
「私ね、征士がもう剣道やめちゃったんだと思ったんだ」
「…………」
「試合会場中くまなく探したのに、征士は何処にもいなくて……やっと、征士の学校の人達を見つけて訊いてみたら、征士は転校しちゃったって言ってた。それも、征士の実家の道場はそのままあるのに、何故か征士だけ1人で東京へ出ていったきり戻ってこなくなったんだって」
約束したのに。
来年は優勝だねって。
きっと、逢おうねって。
「だから、どうしても確かめたかった。もし、征士が剣道やめたんだったら、何故なのかその理由が知りたかった」
「…………」
「征士の転校先、その時訊いてたから、本当はすぐに逢いに行こうかとも思ったんだけど……でも、いざ行こうとしたら急に怖くなって……征士が、剣道嫌いになってたんだったらどうしようって思ったら、怖くて」
「…………」
「この家に来たのも、偶然じゃないんだ。でも、あの時から随分時間が経っちゃったし、征士はきっと私の事、覚えてないだろうと思ったから……」
「…………」
「ごめんなさい。嘘ついて。とっさの思いつきで記憶なくしたふりをしただけなのに、みんな、すごく優しくて、私、本当にどうしようかって思ってたの」
「……ロビン」
すまなそうにうなだれるロビンの頭を、伸がそっと優しく撫でた。
「ロビン。すまなかった。約束を守る事が出来なくて」
征士が心底すまなさそうにそう言った。
「ううん。今なら分かる。どうしても来れない理由があったんだよね。征士には」
「…………」
「きっと、何よりも大切な理由があって、仕方なかったんだ。私との約束、わざと忘れた訳じゃないんだよね」
「ロビン……」
「私ね、此処に来て安心した。征士が剣道嫌いになったんじゃないって分かったし。征士が此処を離れない理由も分かったから」
「……うん」
秀が微かに頷いた。
「ホント、此処って良いよね。みんな、みんな優しくって、暖かくって……」
「…………」
「ずっと、ずっと、此処に居たくなるの分かるもん」
「…………」
「ホント、よく分かるもん」
「……ああ、そうだな」
もう一度、秀が頷いた。 

 

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