リトルバード −第3章:黄金の日々−(2)

「結局こうなるんだから……」
翌日の朝、家に戻るというロビンの為に、いつのまにか始まったお別れ会でひとしきり大騒ぎをしたあげく、すっかり疲れて眠ってしまったロビンの身体に伸はそっと毛布を掛けてやった。
倖せな寝顔のロビン。
隣で秀も寄り添うように眠ってしまっている。
ほんの2日間の、小さな小鳥と過ごした夢のような日々が終わろうとしていた。
ロビンの中で、この2日間は、忘れがたい思い出になってくれただろうか。
「…………」
肩からずり落ちそうな毛布を、もう一度きちんとかけ直して、伸はそっと立ち上がった。
ふと見ると、少し離れたソファの上で、遼も静かに寝息をたてている。
キッチンから秀が持ち出してきた、飲み慣れないワインを開けた所為で、顔が少し赤い。
『オレ……伸が好きだな……すごく、すごく好きだな』
遼の想いが心の中に染み渡る。
「ごめんね、遼」
何も答えてあげなくて。
伸はそっと遼のくせのある艶やかな黒髪を撫で、その身体に毛布を掛けた。
大切な、大切な、遼。
君を哀しませる者は、絶対に許さない。そう思っていたのに。
「……だったら、僕はまず自分を罰しないといけないらしい」
伸は小さくため息をついて、まだ大騒ぎの名残を残している部屋の中を見回した。
「あれ?」
さっきまで部屋の隅でグラスを抱えていた当麻の姿が見えない事に気付き、伸はすっと居間を出た。
パタンと扉を閉じ、廊下に出ると、伸は迷うことなく2階へとあがり、突き当たりのベランダへ抜ける硝子扉を開ける。
「やっぱり、此処にいたんだ」
「……伸?」
1人ベランダで涼んでいた当麻のそばへ伸はつかつかと歩み寄り、手すりに寄りかかった。
「すごい星だね。手が届きそうってこういうこと言うんだ」
眩しそうに手をかざして、伸は星空を見上げた。
「……そうだな。でも、お前ん家のほうが、星は綺麗なんじゃないのか?」
「そうでもないよ。そりゃ、東京の中心よりは家の方が全然綺麗だけど、此処は山が近い分、海辺に比べて少しだけ宇宙に近い所に居る気分になる」
「…………」
「夏になったら、もっとすごいだろうね。天の川も綺麗に見えるだろうし。ほら、もうすぐさそり座が昇ってくる頃じゃない?さそり座ってどっちの方角だっけ?」
そう言って身を乗りだしかけた伸が、バランスを崩してよろけた。
「……おい!」
とっさに伸ばした当麻の腕の中に、伸の身体がふわりと倒れ込む。
「……ごめん……」
「危なっかしいな。酔ってんのか? お前」
「かもしれない。ちょっと、ふらふらするんだ」
「秀につき合って飲むからだぞ。ワインなんか」
呆れて言った当麻の腕の中で、伸が微かに笑った。
柔らかな、柔らかな伸の笑顔。
伸の身体に触れた手の先から、温かな体温が伝わってくるのを感じ、当麻は知らず支える腕に力を込めた。
「……終わるんだね」
当麻の腕に支えられたまま、ぽつりと伸が言った。
「……何が?」
「小さな小鳥と過ごした楽しい黄金の日々ってやつ」
「……そうだな」
「いいゴールデンウィークだったよね、今年は。雨も一滴も降らなかったし」
「そういえばそうだな。」
当麻が頷くと、伸がふわりと笑った。
「きっと、雨が降らなかったのは、お前の心が倖せだったからだな」
当麻がじっと伸を見つめて言った。
「……そうかな?……うん、そうかもしれない。楽しかったもの。今年の休みは。初めての事がたくさんあったし」
「初めての事?」
「だって、考えてもみてよ。ナスティ以外の女の子が家に来たのも初めてだったし、ディズニーランドなんか行ったのも初めてだったし。しかもみんなでだよ」
「そうだな」
「それに、もうひとつ」
「…………?」
伸がすっと当麻から身体を離した。
「……伸?」
「…………」
伸は、少しうつむき加減の角度から、目だけ当麻の顔を見上げている。
ふわりと伸の髪が揺れると、後ろで木の葉が風に鳴ってざわめいた。
「……どういう意味だ……伸」
「……解らない?」
伸の瞳が微かに揺れる。
「…………」
「…………」
「……まさか」
「…………」
「まさか……お前……夕べの……起きてたのか……?」
「…………」
長い長い沈黙の後、伸が大きく息を吐いた。
「……やっぱり、あれ、夢じゃなかったんだ」
「……っっっ!!!!!」
「変態」
「おまっ……伸、カマかけたな!!」
「ひっかかるほうが悪い」
「……ぐっ……」
すかさず切り返されて、当麻が言葉を詰まらせた。
「……ひ……卑怯だぞ、伸!!」
「どっちがだよ! 人が寝てるのを良いことに……何やって……!」
言いかけた伸が、自分の言葉に赤面する。
おもわずおさえた唇を見て、当麻の脳裏に夕べの柔らかな甘い感触がよみがえった。
「……ご……ごめん。本当にごめん。悪かったよ」
とっさに謝る当麻を見て、伸がすっと視線を落とし、うつむいた。
「…………」
「……あの……伸……?」
ちらりと当麻の顔を睨み付けて、伸がぽつりと言った。
「謝るんだ」
「…………?」
「分かった」
そう言って、背を向けた伸の腕を当麻が強い力で掴んだ。
「……何? 当麻」
伸が不審気に当麻を見上げる。
「前言撤回する」
「…………え?」
「オレ、謝らない。絶対」
「…………」
「絶対、謝ったりしない」
「…………」
「オレ、本気だから……だから……」
「当麻……」
伸が掴まれた腕のあまりの痛さに、顔をしかめて当麻を見上げた。
「……手……離して……痛いよ」
「…………」
「当麻」
「オレは……お前が……」
伸がすっと視線をそらせた。
「どこがいいの? 僕なんかの。僕は君が思ってるほど良い奴なんかじゃないよ、きっと」
ぽつりと伸が言う。
「オレは、別にお前が良い奴だから、好きなんじゃない」
「…………」
伸の眉が苦しげに寄せられた。
「……伸……こっちを……向いてくれないか……?」
「…………」
「別にオレのこと好きになってくれなんて言わないから。お前がオレのこと何とも思ってなくても構わないから。嫌いでも構わないから……」
「……当麻……?」
伸が僅かに視線をあげた。
「無理にオレのこと考えなくていいから……ただ、オレがお前のことを想ってる事だけ、それだけ覚えててほしいんだ……」
「…………」
「……それとも、お前の目に映るのは、今も烈火だけなのか?」
「…………!!!」
伸がはっとして当麻を見た。
「……何を……言ってるの……当麻……」
伸が大きく目を見開いた。
と、その時、やけに派手な音をたてて2人の後ろで硝子扉が開いた。
「何をやっているのだ、こんな所で」
「せ……征士!」
一瞬ゆるんだ当麻の手をすかさず引き剥がし、伸が慌てて征士の方を振り向いた。
「星見ながら、涼んでたんだ。征士も来る?」
「星?」
「ほら、すごいんだよ。満天の星空」
伸の見上げた先には、降るような星空が広がっている。
「そうだ、征士、遼達、まだ寝てる?」
「ああ、もう蹴飛ばしても起きない程、熟睡していた」
「じゃあ、僕、洗い物だけ済ましてくるよ」
そう言うと、伸は征士の脇をすり抜け、逃げるように家の中へと駆けて行ってしまった。
伸が去った後、征士がパタンと扉を閉じて振り返ると、当麻が手すりにもたれたまま、ずるずると地面に座り込んで、じろりと征士を見上げた。
「どうした。当麻」
「何がどうしただ。お前、今のわざとだろ」
「何の事だ?」
飄々と征士が答えると、当麻はがっくりと肩を落として大きくため息をついた。
「……ったく……しらばっくれやがって……」
「邪魔をしてしまったのなら、謝るが」
「…………」
「あのまま私が来なかったら、お前はどうするつもりだったのだ?」
「……どうって……」
大きく見開かれた伸の瞳。
自分は、知らず、伸を追いつめていたのだろうか。
「……分かった。さっきの言葉は取り消す。来てくれて感謝してるよ」
ふてくされたようにそう言った当麻を見て、征士が声をたてて笑った。
「笑うなよ」
「今のお前の顔、他の皆が見たら、どう言うだろうな」
「うるせえ。あんたにそんな事言われる筋合いはねえよ」
征士の後ろに微かに見える、長い髪の青年に向かって当麻が言った。

 

――――――朝の光の中。竹刀を握った2つの影が対峙する。
カツンっと軽く竹刀を合わせ、中段に構えた征士の隙を伺うようにロビンはじっと上目遣いに征士を見上げ、竹刀を握る手に力を込めた。
お互い、微動だにしないのに、空気だけがピンっと張りつめている。
風さえ2人に遠慮して吹こうとしないようだ。
見守る皆の背中につっと汗が流れた。
「はーっ!!」
先に動いたのはロビンの方だった。
鋭いかけ声と同時にロビンの足が地面を蹴る。
「…………!!」
目にもとまらぬ早さで振り下ろされた竹刀を僅かな動きで避け、征士が後ろに一歩退く。
ロビンがたたみかけるように攻撃をかけると、その全ての打ち込みを何とか受け流して、征士の足が僅かに前進を開始した。
「やーっ!!」
一際大きくロビンの竹刀がうなりをあげて振り下ろされたその時、征士の手首が小さな円を描くようにまわり、その瞬間、ロビンの竹刀が巻き上げられるようにはじき飛ばされた。
「…………!?」
すかさず一歩、征士が右足を踏み込み、影が重なる。
「胴あり! 一本! それまで!」
審判役の秀の声が響いた。
「やっぱり敵わない。強いね、征士」
ロビンが面を取って汗に光る笑顔を征士に向けた。
「いや、ロビンもなかなか筋が良い。最初の一撃など、私も一瞬ひやっとしたぞ」
「ふふふっ」
嬉しそうにロビンが笑った。

 

――――――たった2日間のロビンが過ごした場所と時間。
まるでずっと居たような錯覚さえおこさせる、その明るい笑顔。
「じゃ、行くね」
遼にもらったたくさんの写真だけを手に、ロビンはバスに乗り込んだ。
「また、いつでも遊びに来いよ」
窓を開け、バスの座席からこちらを見下ろしているロビンに秀が笑いかけた。
「お前はオレ達の仲間なんだから」
「……仲間?」
「ああ。新しいオレ達の仲間だよ」
「…………」
「此処にお前の居場所があるんだ。いつでも戻ってこいな」
「……うん」
大きくロビンが頷いた。
やがて静かにバスが動き出す。
ロビンは身を乗り出すように、バスの窓から手を振り続けた。
「さよならー! 秀! ……みんな、みんな大好きだよ!!」
「おうっ!」
角を曲がり、バスが完全に見えなくなって、秀はようやく歩き出した。
「……行っちゃったね」
「ああ」
「寂しい? 秀」
「……まあな」
ぽりぽりと頭を掻いてつぶやいた秀が顔をあげると、皆が意味深な笑顔で笑いかけていた。
「…………?」
「やっぱ、寂しいよな。うん」
遼が大きく頷く。
「…………へ?」
「可愛かったもんね、ロビン」
「ホントホント」
大袈裟に頷き合う伸と遼を見て、秀はやっと皆の視線の意味を悟った。
「バ……オレはロリコンじゃねえぞ!!」
「何を言うか。あと数年もすれば彼女はとびきりの美人になるぞ」
征士が不敵な笑顔で言い切った。
「女の子って成長するの早いもんね」
「そうそう。あっという間に大人になるから」
「…………」
大きな瞳。愛らしい表情。小首をかしげる小鳥のような仕草。
ひとつひとつのロビンの表情が秀の思い出の中で輝いていた。
飛び込んできた小鳥は、いつか綺麗な少女になる。その日はきっとすぐ訪れるだろう。
「ま、もう少し胸がでかくなったら、考えてみるか」
小さく秀がつぶやいた。

第3章(最終章):FIN.      

2000.6 脱稿 ・ 2000.9.30 改訂    

 

前へ  後記へ