リトルバード −第2章:夢の国−(3)

「ディズニーランド? 今から?」
伸が洗い物の手を止めて、呆れた顔で聞き返した。
「そ、すぐ出れば昼前には着けるだろ」
「そりゃ、そうだろうけど……」
「こんないい天気の休日に、家に居るって手はないよな。ロビンも賛成してくれたし、みんなでこうパーっと」
「パーっと、ね」
伸が思案顔でキッチンに集まってきたみんなの顔をぐるりと見回した。
「オレ、行きたいな。伸も行くだろ?」
キッチンの椅子に腰掛けて遼が言った。
「僕は別に構わないけど」
「なら、行こうぜ。オレも気晴らししたいし。行ったことないんだよ、ディズニーランド」
「そりゃ、僕もないけど」
「私もないぞ。この際だから、良い機会かもしれん」
意外にも征士まで乗り気なのに驚いて、伸は先程から発言のない当麻をちらりと見て言った。
「じゃ、全員賛成なのかな? 当麻、君は?」
当麻は何故か伸と視線を合わせないようにして、短く異議なしと手をあげた。
「1人で留守番する気はない。オレも行くよ。初ディズニーランド」
「なんだ、お前ら、みんな行った事ないのか? これだから田舎者は」
ガハハと大口を開けて笑いながら、秀が言った。
「知ってるか? 東京ディズニーランドって千葉にあるんだぜ」
「それくらい知ってる」
伸が冷たく言い放った。
「……では、10分後に玄関集合」
伸の号令のもと、各自出かける支度の為に、部屋へと向かって行く中、伸は最後にキッチンを出た当麻の背中に声をかけた。
「当麻、大丈夫なの?」
「……何が?」
ちらりとだけ伸を見て、当麻が聞き返す。
「だって、君、ほとんど寝てないじゃないか」
「…………」
心配気に言う伸を振り返り、当麻がにっこりと笑った。
「いいか、伸。人間に大事なのは、どれだけの時間眠ったかじゃない。どれだけ気持ちよく眠れたかって事だ」
「…………?」
「お前の膝枕は気持ちよかったぞ。あれだけ気分良く眠れたんだから、たとえそれが1時間しかなくても、オレにとっては8時間睡眠をとったのと同じ効果があるんだ」
「……あのね」
心底呆れた顔で伸は当麻を見上げた。
「と、いうことだから、心配すんな」
そう言って、当麻はやけに急いで2階へと駆け上がって行った。
「まったく、いつもいつも、馬鹿なことばかり言って、人を煙に巻こうとして……」
心の中でつぶやきながら、伸も自分の支度の為、2階へとあがった。
「…………」
心がざわめく。
そばに居る。ただそれだけで。
部屋に入ると、当麻はつばの長い帽子を目深にかぶり、深くため息をついた。

 

――――――「わあー!! すごいすごい!!」
まるで、一生分のすごいを使い切るのではなかという程、ロビンは目をキラキラさせて園内を走り回っていた。
休日の午後。親子連れやカップルでごった返した東京ディズニーランド。
初めて見る夢の国は、ロビンを充分満足させた。
「じゃ、まずスターツアーズに行って、あとシンデレラ城ミステリーツアーとホーッテッドマンション。イッツアスモールワールド!!」
パンフレットを覗き込んで、ロビンと秀が声をそろえてアトラクション名を挙げる。
人混みをかき分けるようにして歩き出したロビンと秀を先頭に、みんなは園内で繰り広げられるきらびやかな世界に、目を丸くした。
「なんか、別の世界に入り込んだ気分」
「ホント……」
「あ、あっちにいるのミッキーマウスだ!」
なんだかんだ言っても、彼らも普通の高校生。
園内を歩きまわるミッキーマウスやドナルドダックの姿に、いちいち嬌声をあげる。
おとぎの国に迷い込んだのかと思う、幻想的なアトラクションの数々。細部まで造り込んだ見事な建物。
遼は持参したカメラを抱え、高くそびえ立ったシンデレラ城を写真に撮った。
「遼、凄いカメラ持ってるんだね」
ロビンが感心して、遼の手元のカメラを覗き込んだ。
「これ、一眼レフっていうんでしょ」
「そうだよ。オレの父さんが使ってた奴なんだ」
「へー」
嬉しそうにカメラの前でポーズを取るロビンをフィルムに収め、遼が楽しそうに笑った。
「遼、機嫌なおったみたいだね」
楽しそうな遼とロビンを見ながら、伸がすっと当麻に近づいてきて話しかけた。
「ちゃんと仲直りしたんだ」
「別に喧嘩なんかしてないぞ、オレ達は」
「じゃ、何してたのさ」
「……お前の取り合い」
「えっ?」
当麻の最後の台詞は伸には聞こえなかったようで、伸が一瞬聞き返そうかと、当麻を見上げると、当麻は伸から視線をそらし、僅かに離れて歩き出した。
「…………」
遼は向こうでロビンにせがまれ、今度はドナルドダックの写真を撮っている。
手入れの行き届いた黒光りする遼のカメラ。
いつか、家に暗室とか作って、自分で現像まで出来るようになれたらいいな。
この間、そう、話してくれた。
遼の部屋にたまっていく沢山の写真達。遼の宝物。遼の夢。
瞳を輝かせて未来のことを語る遼は、本当に楽しそうで、見ているだけで幸せな気分になってくる。
「お前、ホント遼が楽しそうだと倖せな顔すんのな」
いつの間にか足を止め、じっと伸を見ていた当麻がぽつりと言った。
「当たり前じゃない。あの子が哀しんでるところなんて見たくないからね。僕は」
「へいへい、おっしゃるとおりです」
小さく肩をすくめ、再び当麻は歩き出した。
倖せそうな伸の笑顔は、今日の太陽より輝いて見える。
当麻はなるべく気付かれないように、歩調をゆるめ、伸のそばから離れて歩いた。
まったく。
オレとしたことが、これじゃ、まるで恋に狂った小娘のようだ。
眩しそうに帽子のつばを押さえ、当麻は微かに苦笑した。

 

――――――「あー!!」
突然、園内の時計を見上げてロビンが大声をあげた。
「どうした? ロビン」
「もうすぐミッキーマウスのショーが始まっちゃう」
「えっ? もう、そんな時間か?」
慌てて手元のパンフレットを覗き込んだ秀と遼の手をロビンが強い力で引っ張った。
「早く行って、いい場所取らなきゃ、写真撮れないよ、遼」
追い立てられるように駆けだしたみんなの後ろ姿に、当麻が声をかけた。
「オレ、此処で見てるわ」
「えっ?」
「どうして? 当麻」
心配気に舞い戻ってきたロビンの頭を軽く撫で、当麻はにこりと笑いかけた。
「別に、ここからでも何とか見えそうだし、ちょっと人混みの中、入ってくの疲れたから」
「…………」
ロビンは少し残念そうな顔をしたが、当麻が行っておいでと、背中を押すと、おとなしく頷いた。
「じゃ、ちょっと行って来るね、当麻」
「ああ、この辺りに居るから、後で拾いに来てくれ」
「あまり、うろつきまわるなよ、当麻。迷子になったら困る」
征士が去り際に声をかけた。
「オレは幼稚園児か」
「似たようなものだろ」
当麻の反撃などものともせず、征士が涼しげに笑った。
「じゃ、当麻。あとでな」
秀の言葉を合図に去っていく5人の後ろ姿を見送って、当麻は道端のベンチにどかっと腰を降ろした。
「ふーっ」
帽子のつばの隙間から見える太陽が眩しくてしかたない。
いや、きっと眩しいのは徹夜明けの太陽の所為ばかりじゃない。
おもわず目を合わせられない程、眩しく見える。
風に揺れる栗色の髪も、木の葉と同じ色をした澄んだ瞳も何もかも。
「……やっぱ、あんな事しなきゃよかったかな」
「あんな事って、何?」
「うわっ!!!」
いきなり頭上から聞こえた声に、当麻はびっくりしてベンチから転げ落ちた。
「し……伸!?」
恐る恐る目をあげると、伸が両手に紙コップを持って不思議そうに見下ろしていた。
「お前、遼達と一緒に行ったんじゃなかったのか?」
「うん、そうなんだけど、途中で引き返したんだ。僕も人混み苦手だからね。はい、オレンジでいい?」
そう言って、伸は当麻の目の前にストローのささった紙コップを差し出した。
「あ、サンキュー」
オレンジジュースを受け取って、ベンチに座り直した当麻の横にすとんと伸が腰を降ろす。
風に揺れる伸の髪が目の端に映り、当麻はおもわずぎゅっと目をつぶってオレンジジュースを飲んだ。
「やっぱり、ディズニーランドって普通の遊園地と違うね」
おとぎの国の住人の様な衣装を着たキャストの人達が歩いているのを見て、伸が言った。
「ここは、夢の国だからな」
「ホント」
「……」
当麻がそっと伸の横顔を窺う。
すぐそばに伸の体温を感じるだけで、どうしてこんなに心がざわめくのだろう。
「そうそう、当麻。夢といえば、僕ね、夕べ妙な夢を見たんだけど……」
「…………!!!」
当麻が飲んでいたジュースを吹き出した。
「ちょっ……何やってんだよ、当麻!!」
あわてて、伸がハンカチを取り出す。
「あーもう。ホント馬鹿なんだから、濡れちゃったじゃない。汚いな」
ぶつぶつ文句を言いながら、伸がジュースで濡れた当麻の腕をとった。
「い……いいよ! 自分でやるから!」
慌てて掴まれていた腕を引き剥がし、当麻は潰れてしまった紙コップをそばのくずかごに放り投げると、伸が渡してくれたハンカチで、濡れた腕を拭いた。
「…………」
なんとなくぎこちない様子の当麻に不審な眼差しを送っていた伸の耳に、その時、遠くファンファーレの音が聞こえてきた。
「…………あ、始まった」
わあっという人々の歓声があがり、ミッキーマウスが飛びだしてくる。
「すごいね。」
ベンチから伸び上がるようにして、シンデレラ城の前で繰り広げられるショーを見ながら伸が言った。
「遼、うまく写真撮ってるかな?」
「大丈夫だろう。あいつの写真の腕はなかなかのものだ」
「…………?」
伸がきょとんとして振り向いた。
「あいつの写真は良いよ。本当に」
「当麻?」
「遼は、今の遼にしか撮れない写真を見事に撮ってる」
「…………」
遼の目に映る、色々な景色。
形にならない淡い想い。
まったく、あいつは柳とは別人のはずなのに、何で。
あんな桜の中の伸を写し取れるんだろう。
「何? 当麻。遼にライバル心でも燃やしてるの?」
「……え?」
驚いて当麻が顔をあげると、伸が可笑しそうにくすくすと笑っていた。
「君、今すごい悔しそうな顔してたよ。気付いてないの?」
「…………」
伸が笑うと、柔らかな髪が揺れる。
「……別に、オレは遼と争うつもりなんて毛頭ないよ。第一そんな事したってオレの負けは目に見えてる」
「…………?」
「大体、オレと遼が対決したら、お前、迷うことなく遼の味方につくだろ」
「…………!!」
伸の顔から笑いが消えた。
「当麻……何言ってんだよ」
「別に。本当の事だろ」
「…………」
ポケットに手を突っ込んで、当麻がすっと立ち上がった。
「当麻!」
「さて、ここで問題です」
「…………」
「全然違う場所で、オレと遼が同時に窮地に立たされたとします。2人共、お前の助けを必要としています。さあ、お前はどちらを先に助けに走りますか?」
「…………」
くるりと振り向き、当麻はひどく傷ついた顔で笑った。
「……正直に言えよ、伸」
「…………」
「遼の所に行くだろ、お前は」
「…………」
何をやっているのだろう、オレは。
言葉をなくして自分を見上げる伸を見て、当麻は思った。
遼を引き合いにだして、自分の暴走を止めたいのか?
あいつにオレを止めて欲しいと思っているのか?
「……悪かった。伸、ごめんな。変な事言って」
「……当麻」
「別に責めてるわけでも何でもないんだ。オレ達にとって遼が特別だって事くらい……」
「そうじゃない!」
激しい口調で、伸は当麻の言葉をさえぎった。
「僕は……」
「……伸?」
「僕は……確かに君の言うとおり、遼を先に助けに走るかもしれない。でも、それは、君より遼の方が大事だからとか、そういうんじゃなくて」
「…………」
「……僕は……信じてるから」
「…………?」
「言ったよね、当麻。君は、絶対僕より先に逝ったりしないって」
「…………」
「僕をおいていったりしないって……」
「……伸……」
「僕は、それを信じてるから。だから」
「……」
「……だから」
「……伸……お前……」
「…………」
何をやっても、どんなことを言っても無駄なのだ。
この感情を抑えることは出来ない。
決して、誰にも、止めることは出来ない。
当麻はじっと伸の澄んだ瞳を見つめ続けた。
風が鳴る。
手をのばせばすぐ触れられる距離に、伸がいる。
誰よりも愛しい、伸がいる。
「…………」
当麻は押さえきれない衝動に駆られて、そっと手を伸ばし、伸の頬に触れた。
「どうしよう……」
「…………?」
「オレ、今、すごくお前を抱きしめてキスしたいんだけど」
「…………!!!!」
伸が真っ赤になって、当麻の手を払いのけた。
「何考えてるんだよ!! この……バカ当麻っっ!!!」

 

――――――「何? どしたの? お前ら」
ショーが終わり、意気揚々と戻ってきた秀が、背中を向けたまま口をきこうとしない伸の様子に呆れた顔で訊ねた。
「伸、当麻と喧嘩したの?」
ロビンが心配そうに伸の顔を覗き込む。
「あ、違うよ、ロビン。別に喧嘩なんかしてないよ。ちょっと、ね」
慌てて言い訳する伸を見て、遼が血相を変えて伸の肩を掴んだ。
「伸!! 当麻に何かされたのか?」
「……!?」
「……何か……って」
伸の顔が僅かに赤く染まった。
「ちょっと……ちょっと待て、遼! 誤解だ。オレは別に、伸に何もしてないぞ、さっきは……」
「さっきは?」
征士がすかさず揚げ足をとる。
「……当麻……」
遼の表情が険しくなった。
「……い……行こうか、遼!!!」
伸がガシッと遼の腕を掴んだ。
「ロビン、次は何処行く予定だっけ?」
「あ……ジャングルクルーズ」
「よし、遼、ジャングルクルーズだよ。アドベンチャーランドへ行かなきゃ」
伸は遼の腕を掴んだまま、引きずるように歩き出した。
「…………」
無言で当麻に鋭い一瞥を投げかけ、遼はそのまま伸やロビンと人混みの中に紛れ込んでいく。
「ふーっ」
がっくりと肩を落とした当麻の頭を、征士が無言で小突いた。

 

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