リトルバード−第2章:夢の国−(1)

「……ん……」
朝の眩しい光が目に飛び込んできて、伸は顔をしかめながらゆっくりと目を開けた。
「……あれ?」
開いた目に映った光景が、いつもの自分の部屋でないことに気付き、伸がとまどったように顔をあげると、すぐそばで宇宙色の瞳が、自分を覗き込んでいた。
「…………?」
「よっ、おはよう」
伸の肩を抱きかかえたままの姿勢で、当麻がにっこりと微笑みかける。
「な……なんで? 当麻?……あれ?」
状況を把握出来ずに目を白黒させている伸を、可笑しそうに見て当麻が言った。
「覚えてないのか? 昨夜、お前、オレに寄りかかったまま眠っちまったんだぞ」
「…………!!」
やっと思い出したのか、伸が真っ赤になって当麻を見上げた。
「……ご、ごめんっ」
伸の肩にまわしていた腕を抜き取り、当麻がコリコリと首を鳴らした。
「あ……あの……もしかして、ずっと、この姿勢のまま起きてたの?」
「まあな」
少ししびれた腕をさすりながら、当たり前のように当麻が答える。
「じゃあ……当麻、一睡もしてないって事……?」
「そういう事になるかな」
「そんな……起こしてくれればよかったのに」
「いや、気持ち良さそうに眠ってたもので」
「…………」
伸が驚いた目をして当麻の顔を覗き込んだ。
少し開いた伸の唇にふと視線が止まり、当麻は慌てて顔をそむける。
「何やってるんだよ。僕の事なんて気にしないで、寝なきゃ駄目じゃないか」
あんな状態で眠れるほど、オレは鋼鉄製の神経じゃないぞ。
心の中で、当麻が叫んだ。
「……当麻。今からでも寝てきなよ」
心配気に伸が言った。
当麻は少し考え込むように腕を組み、ちらりと伸を見ると、そのまま伸の膝の上に倒れ込んだ。
「ちょ……当麻?」
「じゃ、ちょっとだけ膝貸してくれよ。この方が眠れる」
「…………」
伸の膝の上で気持ちよさそうにひとつあくびをすると、当麻はそのまま目を閉じた。
「……と……当麻?」
あっという間に微かな寝息をたてだした当麻を見下ろして、伸は小さくため息をついた。
夕べ、そう言えば夜中に当麻が来た事はなんとなく覚えている。
何か話をしていたような気もするが、何の話をしてたのかは思い出せない。
寄りかかった当麻の肩はとてもとても居心地が良くて、きっと寝ぼけてたのだろうが、不覚にもそのまま眠ってしまうなんて自分らしくない失態だった。
まさか、自分の身体を抱えたまま、当麻が一晩中起きていたなんて。
「ごめんね、当麻」
膝の上で眠っている当麻の少し長めの前髪を伸はそっと指に絡ませた。

 

――――――「何をやっているのだ? こんな所で」
征士が居間に顔をだし、伸の膝枕で気持ちよさそうに眠っている当麻を見て、呆れた声をだした。
「しーっ!」
急いで唇に人差し指をたて、伸が状況を説明する。
「…………」
「……だから、しばらく寝かせてやって。征士」
「…………道理で、昨夜、部屋に戻ってこなかったわけだ」
ため息をついて征士が当麻を見下ろした。
「ん……今回は僕も悪かったから」
伸が恐縮して肩をすくめる。
「いや、伸の所為ではない。こいつが勝手にした事だ。気にする事はないと思うぞ」
慌てて言う征士を見て、伸は困ったように顔をあげた。
「…………」
「で、もうしばらくは起きそうにないのか?」
「ん、さっき寝付いたばかりだし」
「そうか。じゃ、伸もしばらくは動けないのだな」
「……うん。ごめんね、征士。悪いけど、朝食の支度、頼んじゃっていいかな?」
伸がすまなさそうに手を合わせた。
「構わないが、味の保証はできないぞ」
「そんなの、当麻が作るより、全然安心できるよ」
そう言って伸が軽い笑い声をたてると、当麻が膝の上で少し身じろぎをした。
「あ……っと」
慌てて口を閉じ、当麻の様子を覗き込むと、当麻は目覚める気配もなく、そのまま眠り続けている。
「じゃあ頼むね、征士」
「ああ。承知した」
囁き声で会話を交わし、2人は当麻を起こさないように声をたてずに笑った。
「あと、ロビンが起きたか様子見に行ってあげて」
「わかった」
頷いて居間を出ようとした征士が、ふと振り向き、当麻を見て言った。
「それにしても倖せそうに眠っているな。何か良い事でもあったのか?」
「……え?」
トントンと2階へあがる征士の足音を聞きながら、伸は当麻の寝顔を見下ろした。
「………………」
思いの外長い睫毛が、前髪から見え隠れしている。
「……夢……だよ……ね」
ふと、自分の唇に手を当てて、伸がつぶやいた。

 

――――――コンコンと一応軽くノックをして部屋にはいると、征士はさっと窓にかかっていたカーテンを開けた。
とたんに朝の眩しい日差しが部屋の中を明るく照らす。
「……んっ」
眩しそうに目をこすりながら、ロビンがごそごそとシーツの中から顔をだした。
「…………?」
窓際で逆光を浴び、征士の髪が金色に輝いている。
「……あれ? ……征士……?」
ロビンの声に征士が振り向いた。
「起きたのか? ロビン」
「……あ!!」
がばっと飛び起き、ロビンは慌てて部屋の中を見回した。
「あれ……? ……此処……」
確か、夕べは居間で遊んでいる最中に眠ってしまったはずなのにと、戸惑った目で顔をあげたロビンに征士は穏やかに微笑みかけた。
「そこは伸のベッドだ。よく眠れたか?」
「伸の? じゃあ、伸は?」
「居間のソファで眠っていた」
「あ……悪いことしちゃった」
「別に気にする事ではない。それに、むしろ当麻には逆に感謝されているようだぞ」
「……え?」
きょとんとしたロビンを見て、征士が可笑しそうに笑った。
「とにかく、目が覚めたのなら下へ行くか? 今朝の朝食は私が作ることになったのだが、何か食べたいものがあれば訊くぞ。伸と違ってたいしたものは出来ないが」
征士の言葉にロビンが不思議そうに小首をかしげた。
「伸はどうしたの?」
「今、伸は取り込み中でな。ちょっと動けないのだ」
「ふーん。じゃあ、代わりに作っても良い?」
「…………え?」
征士が驚いてロビンを見た。
「前にもママがいない時とか、作った事あるから……いいでしょ、征士」
「……ママが?」
おもわず聞き返した征士を見て、ロビンの顔からさっと血の気が引いた。
「……あっ!」
唇を噛み、ロビンは上目遣いに征士を見上げた。
「……あの……」
取り返しのつかない失敗をしてしまった。
そうロビンの瞳は言っていた。
「…………」
「……あの……征士……」
「……では、お手並み拝見しようか。ロビン、何を作ってくれるんだ?」
まるで、何も聞かなかったかのような調子で、征士が言った。
「……征士……」
「早く顔を洗ってキッチンへ行こう。早くしないと皆が起き出してうるさい」
「…………」
「さ、ロビン」
「……うんっ」
大きく大きく頷き、ロビンは勢いよくベッドから降りると、部屋を飛びだし、元気に階段を駆け下りて行った。
「……よく見逃したな」
シーツから顔だけだして秀が言った。
「起きたのか? 秀」
「今、起きたんだ」
よっとかけ声をかけて、ベッドから身体を起こし、秀がシーツをはねのけた。
「ま、そのうちロビンがちゃんと話してくれるだろうし、それを待ちたいよな」
大あくびをしながら頭を掻く秀を見て、征士の顔がふと曇った。
「秀」
「何だ?」
「夢はいつか覚めるものだ。解っているのだろうな」
「…………」
ひとときの楽しい夢。
突然迷い込んだ小さな小鳥は、すぐにいなくなってしまう。
そう、これは永遠に続く夢ではない。
「……いつまで、続くのかな?」
秀がぽつりとつぶやいた。
「…………」
何も答えず部屋を出ていった征士がパタンとドアを閉じる音を聞き、秀はもう一度頭を掻いた。
どんなに長くても、今日か明日。
この休みが終わる時が、夢が終わる時。
小さな駒鳥は親鳥の巣へと帰っていくだろう、きっと。
ベッドに腰掛け、秀は天井を見上げると、大きくため息をついた。

 

――――――「何で、当麻が此処で寝てるんだよ。ベッド貸したのは伸だろう。自分の部屋で寝ればいいじゃないか」
思いっきり不機嫌な顔をして、眉間にしわを寄せながら、遼が言った。
「ちょっと……これには……事情が……」
曖昧に笑いながら、伸がなんとか言い訳をしようとするが、それが更に遼の機嫌を悪化させた。
「伸が当麻を庇うことないだろ。大体何で膝枕なんかしてんだよ」
「だから、これは……」
「遼」
いつの間に起きたのか、当麻がうすく目を開けて、遼を手招きした。
「……?」
むっとしたままおとなしく近づいた遼の腕をいきなり引き寄せ、当麻が遼の耳元に小さな声で囁いた。
「やきもち妬くな、遼。写真の事ばらすぞ」
「…………!!」
とたんに真っ赤になって遼は飛びずさり、思いっきり当麻の余裕の顔を睨み付けると、そのまま無言で踵を返し、出ていってしまった。
「……当麻。何言ったの? 遼に」
伸がとまどって訊ねる。
「内緒」
伸の膝に頬をこすりつけながら、当麻が答えると、伸はその額をバシっと軽く叩いた。
「痛ってえ、何するんだよ、伸」
「教えてくれないなら、今すぐ膝から降りてもらうよ」
「わかった、わかった。言うから、ちょっと待て」
慌てて顔を上げ、当麻は膝の上から伸を見上げた。
同時に伸が、話を訊こうと当麻の方へ顔を近づける。
「…………」
驚くほど近くに伸の顔があり、当麻は一瞬言葉を失って、伸の緑の瞳をじっと見つめた。
「…………?」
急に黙ってしまった当麻を見て、伸が更に顔を近づける。
「どうしたの? 当麻」
「…………あ」
「…………?」
「……そんなに、知りたいか?」
「……?……うん」
当麻の目が細められる。
「じゃ、教えてやるから、ちょっと耳貸せ」
「……?」
そう言って当麻の腕がすっとのび、伸の首の後ろを抱え込んだ。
「ちょっと……当麻?」
そのまま当麻がゆっくり伸を自分の方へ引き寄せようとした時、いきなり大型クッションが当麻の顔面めがけて投げつけられた。
「…………!!」
当然バランスを崩して、ソファから転げ落ちた当麻が頭を押さえて顔を上げると、遼がものすごい形相で仁王立ちしていた。
「遼……!?」
伸が驚いて声をあげる。
「朝食、出来たぜ。行こう、伸」
床に転がった当麻を無視して、遼は伸の腕を掴み立ち上がらせると、そのまま手を引いて歩き出した。
「あの……」
最後に心配そうに伸は当麻を振り返ったが、遼が手を離さないので、そのまま引きずられるように、居間を出ていってしまった。
「…………」
くしゃりと前髪を掻き上げ、当麻は無言で天井を仰ぎ見る。
昨夜の伸の寝顔を思い出し、当麻は深くため息をついた。
「……本気で、やばいかもしれない」
多少、自嘲気味に当麻がつぶやいた。

 

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