リトルバード−第1章:駒鳥−(4)

食後のコーヒーを5人分と、ロビンの為のココアをお盆に乗せ、片づけを終えた伸が居間に来ると、何故かさっきまでロビンに将棋を教えていたはずの征士が、当麻を相手に差し向かいで真剣勝負をしていた。
見ると、ロビンは遼とタッグを組んで、秀を相手に軍人将棋をしている。
「何やってんだか」
呆れたようにつぶやき、伸はそれぞれにコーヒーを手渡し、当麻と征士の間の将棋盤を覗き込んだ。
「で、どっちが優勢なの?」
「今の所、五分五分」
顎に手を当てて考え込んだ表情のまま、当麻が答えた。
実際、将棋に関して、当麻と良い勝負に持ち込めるのは征士くらいのものだ。
「ふーん」
興味深げに盤上の駒を眺め、最後のコーヒーを当麻に手渡すと、そのまま伸は当麻の隣に腰を降ろした。
「…………」
なんとなく気になって、遼が背中越しに伸の様子を窺うと、伸は面白そうに2人の対戦を眺めている。
「……あの……し……」
「伸」
遼が口を開きかけたと同時に、征士が伸に声をかけた。
「何? 征士」
「すまんが、当麻のそばから離れてくれないか?」
「はあ!?」
と言って怪訝そうな顔をしたのは、伸ではなく、隣の当麻の方だった。
「おい、征士。なんだよ、それ」
「伸が隣にいると、当麻の集中力が高まって私に不利になる」
「あ、そうなの。分かった」
そう言ってやけにあっさり立ち上がった伸の服の裾を、おもわず当麻がつかむ。
「おいおい、伸。そんな全面的に征士の言うこと信じるのか?」
「別に、そうじゃないけど。でも、もし本当なら、わざわざ僕が君に加担するのって、何か嫌じゃない」
「…………」
「そうだよ、伸。当麻なんかほっといて、こっち来いよ。オレに協力してくれ」
秀が笑いながら手招きすると、伸はにっこり笑って頷き、掴まれていた服の裾を当麻から引き剥がすと、秀達の所へ行ってしまった。
「…………」
苦虫を噛みつぶしたような顔で、当麻は征士の涼しげな顔を睨み付けた。
当麻の様子など眼中にないと言った調子で、伸は今度は秀の隣に座り込む。
「なんか、当麻、怒ってるけど、いいの?」
ロビンが気を使って訊いてきたが、伸は平気な顔で、大丈夫だからと頷き、盤上を覗き込んだ。
「何? 秀。かなり形勢不利じゃない」
「だから来てくれって頼んだんだよ」
思いのほかロビンの頭の回転は速く、あっという間にルールを覚えると、遼のアドバイスもあってか、先程から何度も秀をうち負かしていたのだ。
「まったく。秀も身体ばかりじゃなく、もう少し頭を使うこと覚えたら?」
伸が呆れた顔でそう言うと、ロビンが弾けるように笑った。
ロビンの澄んだ笑い声が響くと、ぱっと辺りに花が咲いたように明るくなる。
「じゃ、ちょっと本気だして対戦させてもらうよ、ロビン」
「OK」
腕まくりをして、盤上に駒を並べるロビンを、伸は楽しそうに見つめた。

 

――――――結局、集中力を完全に絶たれ、見事に惨敗した当麻は、拗ねた態度で書斎に引きこもってしまい、伸の協力のおかげで逆転勝利を得た秀は、満足気に微笑むと、遼の隣で眠ってしまったロビンのあどけない顔を覗き込んだ。
「疲れたのかな? 眠っちまってる」
「お前が散々引っ張り回したからだろ、秀」
遼がそう言って笑った。
たった1日で、ロビンはすっかりこの家の空気に溶け込んでいる。
「此処じゃ風邪ひいちまうな。ベッドで寝かせなきゃ」
「じゃ、僕の所使っていいよ」
そっと、起こさないようにロビンの小さな身体を抱え上げた秀に、伸が言った。
「良いのか? 伸」
「平気、平気。今日はソファかなんかで眠るよ」
「悪いな。オレん所でもいいんだけど、汗くさいからな、オレのベッド」
さっと立ち上がって、ドアを開けてくれた遼に、目でお礼を言うと、秀はそのまま2階へとあがって行った。
「秀ってば、随分ロビンのこと気に入ったみたいだね」
伸が散らばった駒を片づけながら言った。
「なんか、ちょうど妹の鈴恵と同じくらいなんだってさ、ロビン」
「ああ、だからか」
かいがいしく世話を焼いてやっていた秀の姿を思い出し、くすくすと伸が笑った。
「…………」
柔らかな伸の笑顔を見て、ふと盤を片づける遼の手が止まる。
「…………」
「……何? 遼」
遼の視線に気付き、伸が不思議そうな顔をすると、遼は慌てて目をそらし、急いで棚の中に将棋盤をしまい、扉を閉じた。
「お、おやすみ。伸」
「……おやすみ」
そのまま、パタパタと出ていった遼の後ろ姿を、釈然としない面もちのまま伸は見送った。
「なんか、変だよね。今日の遼」
「そうか? 昼間は普通だったぞ」
「…………」
征士の答えに伸が大げさにため息をついた。
「じゃ、何? 僕の前でだけ変なの?」
「さあ。だとしたら」
「だとしたら?」
征士が可笑しそうに伸を見て言った。
「遼はお前の事が好きなんだろう」
「…………!!」
征士のあまりの発言に伸は真っ赤になって征士を見た。
「と、いうのは私の勝手な憶測だ。気にしないでくれ」
「…………」
伸がじろりと征士を睨む。
「征士。もしかして面白がってる? 君」
「そう見えるか?」
「……君がそんなに陰険な奴だとは思わなかったよ」
肩をすくめながら、征士が目の端で笑った。

 

――――――「ふーっ」
ひとつため息をつき、当麻は読んでいた歴史書をパタンと閉じた。
壁の時計を見ると、すでに針は2時をまわっている。
「……そろそろ寝るか」
誰に言うでもなくつぶやくと、当麻は重い腰をあげ書斎を出た。
いくら5月とはいえ、夜はさすがに冷え込んでいる。やけに自分の足音だけが響くシンとした廊下を通り、当麻は何気なく居間を覗き込んだ。
「……あれ?」
奥のソファで誰かが眠っている。
「……?」
そっと足音を忍ばせて近づくと、ソファの上で柔らかな栗色の髪が揺れるのが見えた。
「……伸?」
微かな寝息をたてて、伸がソファの上で毛布にくるまって眠っている。
静かに伸のそばに腰を降ろし、当麻はその寝顔を覗き込んだ。
しばらくの間、じっと伸の寝顔を見ていた当麻は、そっと手をのばし、かすかに柔らかな栗色の髪に触れた。
とたんに伸が僅かに身じろぎをする。
「…………」
「……あれ? ……当麻?」
まだ、半分寝ぼけた様子のまま、伸が当麻を見上げた。
「悪い……起こすつもりはなかったんだ」
「ん……今、何時?」
目をこすりながら、伸が身を起こす。
「もう、2時をまわってる。どうしてこんな所で寝てるんだ? お前」
「ああ、そうか。さっき当麻いなかったんだっけ。ロビンにベッド貸してあげたんだよ」
そう言うと、小さくあくびをして、伸は当麻の肩にもたれかかった。
柔らかな伸の髪が当麻の首筋に触れる。
「…………」
「ねえ、当麻」
「……ん?」
当麻の肩に体重を預けたまま、伸が訊いた。
「夕食前、書斎で遼と何話してたの?」
「…………」
当麻が一瞬言葉につまった。
「遼が僕に何か隠してるの、君、知ってるんだろ」
「…………」
「何、話してたの?」
「……別に、何も……たいした事は話してないよ」
「……ケチ」
ふうと息を吐き、伸が目を閉じた。
当麻は少しバツの悪そうな顔をする。
話してた事。
遼の撮った伸の写真。
舞い散る桜の花びらの中の伸の姿。
あんな一瞬を捉えるなんて、遼の奴。
ずっと伸の事、見てなきゃ、あんな写真撮れるわけない。
きっと伸は遼が自分の写真を撮っていたって怒ったりなどしないだろう。
それどころか、少し照れたように笑って言うんだ。
『まったく、何撮ってんだよ、遼。恥ずかしいじゃない』
その笑顔はきっとこのうえもなく幸せそうで。
「…………」
だから、絶対、言ってやらない。
つくづくガキだなぁと、当麻は自分の考えに呆れたようにため息をついた。
「……!?」
肩にかかる重みが急に増え、当麻が伸の顔を覗き込むと、伸は当麻にもたれたまま、再び微かな寝息を立てていた。
「……どうりで追求が止まったわけだ」
くしゃりと前髪を掻き上げ、当麻は苦笑した。
今はこんなふうに、伸は安心して自分の肩にもたれて眠ってくれる。
当麻はそっと、今度は起こさないように細心の注意を払いながら、伸の肩を抱きかかえるように引き寄せた。

 

――――――それから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。
当麻の肩にもたれたまま、伸は規則正しい寝息をたてている。
静かな部屋に、時計の針がゆっくり時を刻む音がカチカチと響いていた。
首筋に触れる柔らかな髪。微かにもれる息づかい。心臓の音。
伸の肩にまわした自分の手が汗ばんでくるのが解り、当麻は情けなさそうに口の端で笑った。
「ちょっと……これは……やばいんでないか……?」
空いている手で髪を掻きむしり、当麻は心の中でつぶやいた。
肩にかかる伸の頭の心地良い重さ。柔らかな栗色の髪からは、海の匂いがする。
当麻はそっと、伸の細い顎のラインを指でなぞった。
きめ細かな白い肌。伏せられた長い睫毛。そして、うすく開いた唇。
桜の花びらのような淡いピンクの唇からは、微かな吐息がもれている。
当麻はしばらくの間、その宇宙色の瞳で、じっと伸の寝顔を見つめていた。
「…………」
当麻の指がそっと伸の唇に触れる。
伸の起きる気配はない。
「……頼むから……起きないでくれよ……伸……」
心の中で祈りながら、ゆっくりと当麻は伸のうすく開いた唇に、自分の唇を近づけていった。
「…………」
せめて、このひとときだけは。
柔らかな伸の唇に触れた瞬間、当麻が静かに目を閉じた。

第1章:FIN.      

2000.6 脱稿 ・ 2000.8.12 改訂    

 

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