リトルバード−第1章:駒鳥−(2)

午後一杯をかけて、当麻と伸は、遼の撮った写真を手に、近くの警察を訪ね歩いたが、結局何処の警察にも行方不明などの捜索願いの情報はなく、手がかりは何も得られなかった。
「どういう事なのかな? あの子はいったい何者なんだろう……」
歩き疲れた足を公園のベンチで休め、空を見上げながら伸がつぶやいた。
「何の目的で、オレ達の家に来たのかな?」
買ってきた缶コーヒーを手渡しながら、当麻が伸の隣に腰を降ろす。
「目的って……あの子は偶然、秀が連れてきたんだろ?」
「お前、本当にそうだと思ってるのか?」
「…………え?」
おもわずプルトップに手をかけたまま、伸が当麻を見た。
「どういう事?」
「なあ、伸。あの子、本当に何も覚えていないんだと思うか?」
「…………」
伸が怪訝そうに眉をひそめた。
「あれは、どう見ても記憶喪失の者の態度じゃない」
「……何? それじゃあ、あの子が嘘ついてるって言うの?」
「……まあ、嘘って言っちまえば、そうだが……あの子、征士の顔を見たとたん、態度が急に変わったろう」
「そうだっけ?」
「間違いなく、征士を見て、あの子の目の色が変わったんだ」
「…………」
「捜索願も出ていないし、これで確信が持てた。恐らく、家へ来たのはあの子の計画的な行動だ。あの子は偶然を装って、家に来たんだ」
「…………当麻」
「ん?」
「……君、最初から、分かってたの? それ」
伸が責めるような目で当麻を見た。
最初からそう思っていたのなら、わざわざこんな所まで出かけて来て、警察周りをする必要なんかなかったはずだ。
いくらでも、もっと効率のいい方法があったはずなのに、らしくない。
いったい、どういうつもりなんだろう。
伸の不満気な顔を見て、多少焦りながら、当麻が頭を掻いた。
「そりゃ、考えてたことは事実だが、確信はないんだし……一応パソコンでアクセスして調べはしたが、もしかしてっていう事もあるし……だから……」
「…………」
「いいじゃねえか。たまにはお前と2人で出かける口実が欲しかったんだよ!」
「…………バカか君は……」
おもわず口を滑らし、そっぽを向いてしまった当麻を見て、伸が呆れたようにため息をついた。
「まったく、どうりでやけにいい加減だとは思ってたけど……」
当麻の隣で、ぶつぶつ文句を言いながら、伸は缶コーヒーをコクリと飲んだ。
そうなのだ。
写真を見せながら状況を説明する当麻の様子は、ほんの少し真剣味に欠けていた。
本気であの子の事、心配していないのだろうかと、伸は不審な眼差しで、そんな当麻の様子を窺っていたのだ。
あの子の態度に初めから疑問を持っていたのなら、それも納得できる。
伸の口には少しばかり甘すぎるコーヒーを口の中で転がしながら、ふと、伸は空を見上げた。
雲一つない澄み切った青空に、一筋の飛行機雲が細い線を描いている。
傾きかけた太陽が柔らかく公園の木々を照らしていた。
「…………」
深く息を吸い込むと、風の中に緑の匂いが広がる。
思いがけない事で、ゴールデンウィークの一日をふいにしてしまった事は事実だが、こんな事がなければ、今日は特に何処へも出かけず、家で家事労働に追われていた事を思い、伸は清々しいまでの青空を見上げ、もう一度、すーっと美味しい空気を胸一杯に吸い込んだ。
考えてみれば、別に自分が当麻と2人で出かけなければいけない理由は何もなかったはずだ。
本来なら、連れてきた張本人の秀あたりが出かけるのが当たり前だったはずなのに、当麻がまるで当然のごとくに伸を指名し、それに何の疑問も持たず、ついてきてしまったのは何故だろう。
ちらりと横目で当麻を見ると、当麻は相変わらず、視線をそらしたままそっぽを向いていた。
「…………」
何故か笑いがこみ上げてきて、堪えきれなくなり、伸は突然くすくすと肩を震わせて笑いだした。
「……伸?」
「久しぶりの君との外出は楽しかったよ」
そう言って伸は笑い続けた。
こんな風に、何でもない休日を2人で過ごすのも悪くはない。
立ち寄った喫茶店も、しゃれた煉瓦敷きの街並みも、緑豊かな公園も、今思うと、まるで恋人同士のデートコースにでもなりそうな所ばかりじゃないか。
とりあえず、家にはまだ、正体不明の心配事が残ってはいたが、きっとなんとかなるだろうと、伸はくすりと微笑んだ。
くるくるとよく動く、黒目がちな大きな瞳。小鳥のような小さな子供の愛らしい顔を思い出し、伸は当麻の肩口にコトンと頭を乗せた。
「きっと、あの子の事は心配しなくても大丈夫だよね」
「……そうだな」
事情はどうあれ、しばらくはあの子の好きなように、気付かないふりをしてあげてもいいかもしれない。
何となく、一目であの子供を気に入ってしまった伸は、暗黙の了解の元、当麻と2人でそう囁きあった。

 

―――――――夕方、伸と当麻が、ようやく家に帰り着いた時、奥の庭から、なにやら楽しそうな声が聞こえてきた。
「何やってんだ? あいつら」
呆れた顔で覗き込むと、何処から出してきたのか、グローブ片手にキャッチボールに夢中になっている秀と遼の姿が見えた。しかも、例の子供も一緒に参加しているようだ。
朝の様子からは考えられないほど、元気にはしゃぎ回っている明るいその子の笑顔を見て、伸は納得したように当麻を見た。
「君が言ってたとおり、全然元気だね。あの子」
「だろ」
当然のごとく、当麻が頷く。
不安のかけらもないような元気な笑顔。記憶がないなどとは、どうやっても考えられない。
「おかえり! 伸、当麻! どうだった?」
いち早く、2人の姿を見つけ、遼が息を切らせて駆け寄ってきた。
「収穫なし。捜索願いなんて何処にも出てなかったよ」
少しも残念そうでない言い方で、当麻が両手をあげると、秀の後ろで心配そうに様子を窺っていた幼い顔に、僅かに安堵の表情が浮かんだ。
「そっか、残念だったな、ロビン。ま、しばらくは此処に居ろって事だよ」
秀が分かっているのかいないのか、ポンとその小さな肩を叩く。
「ロビン?」
伸が不思議そうに聞き返すと、遼が照れたように笑って答えた。
「ああ、名無しのままじゃ可哀相だからって、オレ達で名前を考えたんだ」
「ロビンって、駒鳥?」
「さすが、伸。よく知ってるな」
感心して秀が言う。
「それくらい分かるよ。でも、何で外国名なの?」
「へたに日本名つけるよりいいかなって思ってさ。一番しっくりきたんだ。この名前が」
「いい名前だろ、ロビンって」
得意気に秀が胸を張った。
確かに、伸も何度かその子を見て、小鳥のようだと感じた事があった。案外、的を射たいい名前かもしれない。
伸と当麻は顔を見合わせて頷きあうと、ロビンに向かってにっこりと笑いかけた。
「じゃ、よろしく。ロビン」
ロビンの表情が嬉しそうにほころぶ。
「ずっと、秀達と遊んでたのかい?」
伸が問いかけると、ロビンが元気に頷いた。
「うん! すごく楽しかったよ。2人共、スポーツ何でも得意なんだもん。びっくりしちゃった」
「ほう」
当麻が感心したように、つぶやいた。
「秀はね、太極拳から、棒術から、カンフーや柔道まで、格闘技なら何でも出来ちゃうし、遼はリフティング見せてくれたんだけど、すごいんだよ。ずっとボール落とさないで続けられるの」
「ロビンもやってみたのか?」
「うん。でも、10回も続かないんだもん。敵わないよ」
「ロビンだって、随分運動神経よかったじゃないか。オレ、感心したよ」
「ホントホント。ちゃんと身体が出来てるよ。何かやってたろう、絶対」
「へへっ」
すっかりうち解けて、楽しそうに笑いあう3人を、伸は微笑まし気に見つめた。
全身から元気を発散させている、ロビンのしなやかな身体。敏捷そうな仕草。
短パンからのぞく細い足も、なかなか速そうに見える。
「一日中、そうやってはしゃぎまわってたわけだ。どうりで身体中、泥だらけじゃない。ロビン、シャワーでも浴びといで」
「……えっ……でも……」
少しとまどった表情で、ロビンが伸を見上げた。
「何、遠慮してるの。子供が遠慮なんかするもんじゃないよ。ほら、行っておいで。綺麗になったら、とびきり美味しい夕食が待ってるから」
「ホント!?」
ロビンの表情がぱっと明るくなった。
「伸が作るの? 夕食」
「うん、そうだよ。何か食べたいものがあるならリクエスト聞くけど、何かある?」
「伸の作った食事なら、何でもすごく美味しそうだね」
ロビンが鈴を転がしたような笑い声をあげた。
「おー。伸の飯は絶品だぞ」
横から口を出した当麻の脇腹を小突き、伸は照れたように笑った。
「口に合うかどうか分からないけど、できるだけ美味しいの作るから期待しててよ。さ、早くシャワー浴びといで」
「……なんか、伸ってお母さんみたいだね」
「…………!!」
伸がびっくりして目を丸くするのを可笑しそうに見て、ロビンはパタパタと元気に駆け出して行った。
「うまいこと言うな。お母さんか」
秀が大げさに頷きながらつぶやいた。
「……あのね、秀。それ誉めてるの?」
「なんで? いいじゃん。お母さん。な、遼もそう思うだろ」
「ああ、オレも伸みたいなお母さん、欲しいと思うよ」
「遼!!」
にっこり笑って、そう言う遼に、伸が困った顔をすると、隣で当麻がにやりと笑って言い切った。
「オレはそうは思わないな」
「……なんで?」
バカ正直に秀が聞き返す。
「当たり前じゃないか。伸はお母さんっていうより、オレの嫁さんに欲しい……でっっ!?」
当麻が最後まで言い終わらないうちに、伸の鉄拳が当麻のみぞおちに炸裂した。
「バカなこと言ってると殴るよ、当麻」
「お前な、そういう事は殴る前に言えよ」
当麻がお腹を押さえて情けない声をあげた。
「そうだ、遼。あとでロビンにバスタオル持っていってあげて。あと、着替えどうしようか」
まだ、ぶつぶつ言い続けている当麻を無視して、伸は明るく遼に声をかけた。
「着替えか……オレのTシャツじゃ大きすぎるだろうし……そうだ、純の服がどっかに残ってないか探してみるよ」
「ありがと」
元気に走り去っていく遼の背中を見送って、伸はようやく当麻に向き直った。
「……で、何? 当麻。僕に言いたい事でもあるの?」
「…………何もないです」
むすっとして当麻が答えると、伸が可笑しそうに喉の奥で笑った。

 

――――――「昼過ぎからずっと外で遊んでたの? あの3人。」
隣で食器を並べる手伝いをしてくれている征士に、伸が問いかけた。
「ああ、秀はさすがに小さな子供の扱いが上手い。すぐうち解けて遊びだしたぞ」
「ふーん。で、征士は参加しなかったの?」
「……私は……その……」
「征士って子供苦手だったっけ? でも、妹さんとかいるよね」
「いや、別に苦手ではないのだが……ちょっと……」
「…………」
そういえば征士を見てロビンの目の色が変わったと当麻が言っていたっけ。
ふと、思い出し、伸は征士の端正な横顔をじっと見つめた。
「征士」
「……なんだ?」
「君、ロビンに逢った事、あるの?」
「…………?」
驚いた目をして、征士が伸を見た。
「何故、そう思う?」
「いや、なんとなく……」
ついつい言葉を濁した伸に対し、征士が考え込むように目を伏せた。
「実は……私も少し気になっていたのだが……」
征士が口を開きかけた時、突然、バスルームの方から甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「きゃーーー!!」
「!?」
「ロビン?」
伸と征士は目を合わせ、慌ててバスルームへと向かった。
「どうしたの!?」
伸が脱衣所のドアを開けようとしたとたん、ロビンがバスタオルで身体をくるんだまま、勢いよく飛びだしてきた。
「ロビン!?」
驚いて目を丸くした伸をはじき飛ばし、ロビンはそのまま廊下を走り去っていく。
追いかけようとして立ち上がった伸は、脱衣所の中で、遼が真っ赤な顔をして口をパクパクさせているのに気付いた。
「遼? 何、どうしたの?」
「……あの子……ロビン……女の子だ……」
「……えっ!?」
おもわず振り向き、伸は大声で征士に向かって叫んだ。
「征士! ロビンを捕まえて!……その子、女の子だ!」
「…………!!!」
手を差し出した形のまま、征士の動きが硬直する。
その隙をついて、ロビンは征士の脇をすり抜け、居間へと走り込んでいった。
「もう、役立たず!」
舌打ちをしながら、伸はロビンを追って居間へと飛び込んだ。
「……ロビン……?」
ロビンを探してぐるっと居間の中を見回した伸の目に、部屋の隅できつく身体をくるんだまま震えているロビンの姿が見えた。
「…………」
「何? どうしたんだよ」
騒ぎを聞きつけ、秀が2階から降りてくる。
「え? 女の子?」
遼に事情を聞いた秀は、別に意外でも何でもなさそうに、そうつぶやくと、つかつかと居間へ入ってきて、伸の側を通り、ロビンの元へと歩み寄った。
「悪かったな、ロビン。突然でびっくりしたんだろ」
「…………」
「遼兄ちゃん、タイミング悪いから。ごめんな」
「…………」
ロビンがそっと顔を上げて秀を見た。
「いつまでもそんな格好してたら風邪ひくぞ。ちゃんと服着なきゃ。な♪」
「…………」
「ほら、2階へ行こうぜ」
「…………うん」
コクリと頷き、ようやくロビンは秀の差し出した手をそっと取った。
にっと笑うと、秀はそのままロビンを引っぱって歩きだす。
大人しく2階へ上がっていく2人を見送りながら、伸が感心してつぶやいた。
「さすが、大勢兄弟持ってる兄貴は違うね」
「オレ、悪いことしちゃった……」
すまなさそうにうつむいた遼に気付き、伸は安心させるようにそばへ行くと、ポンと遼の肩を叩いた。
「大丈夫だよ。行って謝って来たら? すぐ許してくれるよ、きっと」
「そう……かな?」
多少不安そうな顔をしながらも、遼は意を決して秀達の後を追って2階へとあがって行った。
「それにしても、女の子だったとはね。気付かなかったよ。征士は気付いてた?」
「……いや……その……」
伸の問いに征士が言葉を濁す。
「でも、さすがに秀は気付いてたみたいだね」
「秀は昼間もずっとあの子と一緒にいたからな。第一、奴には妹がいるから、そういうのが分かるのかもしれん」
ぽつりとそう言った征士に冷たい視線を投げ、伸が言った。
「征士。くどいようだけど、君も、妹さんいるんだよね」
「…………」
決まり悪そうに征士が視線を逸らした。

 

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