心より深い場所 (7)![]()
「本当に貴方は不思議な方だ。いつの間にか此処にいる皆が貴方の存在を認めている」
穏やかな笑みを浮かべてそう言った蒼龍に対し、一輝は多少居心地悪そうに肩をすくめた。
「そうでもないぜ。お前の弟龍はまだオレに口をきいてない」
「でも、貴方のことを見ているでしょう?」
「あれは見てるんじゃなくて睨んでるんだと思うが……」
この洞窟に来るたび感じる鋭い視線の先には、必ず珠龍の睨みつけるような眼があった。
蒼龍は可笑しそうに笑いながら一輝に入れたての茶を差しだす。
「見るのも睨むのもギョクにとっては同じことです。気に入っていなければ、あいつは視線も合わそうとしませんから」
「相変わらず歪みまくった奴らだな。お前等は」
呆れたように言い放ちながらも、一輝は差し出された茶を遠慮無く受け取り、躊躇もせずに飲み干した。そんな一輝の仕草に、今度は蒼龍が呆れたようにため息をつく。
「……なんだ?」
「いえ、相変わらず警戒心の皆無な方だと思って」
クスリと笑って蒼龍は一輝の手から空になった器を受け取った。
「いちおう我々は暗黒なんですよ」
「だから?」
今度は一輝が可笑しそうに笑いを洩らした。
「お前等にとって憎むべき相手は、世の中全てだろう。今更暗黒だからとか青銅だからとか、そういったことを一番くだらないと思っているのはお前自身だろうが」
「確かに、そうかも知れない」
コトリと脇に空になった器を置き、蒼龍は言った。
「暗黒だから邪悪だとか、青銅だから正義だとか、そんなことを本気で信じている者は、闇を見たことがない一部の恵まれた人間だけです」
「…………」
「私は神を信じない。あれは信じるに値しないものだと思っています。だから同時に女神側に組みする気もない。私は、私が信じるに値すると感じたもののみに忠誠を誓います」
「そうだな。そういう考えが一番解りやすい」
「解りやすいのではなくて、それが人間の本質なんですよ。でも、そのことを知らない人間が世の中には大勢いる。だから混乱するんでしょうね」
この島の奴等は、そんなことを当たり前のようにさらっと言ってしまう。
やはり、不思議な奴等が集まってきているのだなと、一輝は思った。
そして、同時に、自分もどちらかというと、この男達の側にあるべき人間なのかも知れない。
人を憎むことでしか得られない聖衣を纏ったその瞬間から、自分は暗黒達と同じ道を進みだしているかも知れない。
自分の考えに苦々しげな笑みを浮かべる。
あちら側とこちら側。女神と闇。
「なあ……」
ぽつりと一輝がつぶやくような声で聞いた。
「あいつ。あのアンドロメダは誰を殺したんだ?」
「…………」
蒼龍が意外そうに顔をあげる。
「朱雀が話したんですか?」
「殺したことがあるってだけな」
「……だったら、本人に直接聞けばいいでしょう。私が貴方に話さなければいけない義理はない。それに、私は、あの子のことを誰かに話していい権利も持ちあわせてはいない」
静かに蒼龍はそう言った。ただ、そのあと一言だけまるで独り言のように続ける。
「でも、あの子が殺した相手は、きっと貴方と同じですよ」
同じ。
同じとは、どういう意味だろう。
それは、同じ立場にあったということだろうか。
それとも、人間というくくりで見れば同じということだろうか。
分かったような、分からないような曖昧な笑みを、ふと一輝は浮かべた。
――――――「……オレは前にも言ったと思うけど、事故でみんな死んじゃったんだ。兄者達は、父親が生きてるんじゃなかったかな? 亜門はよく知らないけど、両親とも死んだとは聞いてない。どっかで生きてるんじゃなかったっけ?」
「アンドロメダは?」
「朱雀は、分からない。あいつ、物心ついた時から独りだったらしいし、ずっと売春宿に居たって言ってたからさ」
売春宿。聞き慣れないその響きに一輝は思わず絶句した。
「お……おい……売春宿ってことは……それ……」
「何、人のことこそこそ嗅ぎ廻ってんだよ」
突然目の前に立ちふさがり、朱雀は不機嫌そうな顔で一輝と疾風を睨みつけた。
一輝は如何にも心外そうに、朱雀を見返して言い返す。
「別に嗅ぎ廻ってなどいない。オレはこいつのおしゃべりにつき合ってやってるだけだ。第一、オレがお前に興味を持つ理由などないだろうが」
「へえ〜、じゃあ、興味あるのは売春宿ってとこなのか?」
からかい口調で、朱雀はさっと一輝の首に腕をまわす。
「何なら、色々教えてあげましょうか? 一輝様」
「いらん」
うるさそうにその腕を払いのけ、一輝はコツンと朱雀の額を小突いた。
「わざわざくだらない記憶を呼び覚ます必要などない。忘れろとは言わんが、無理に思い出すこともないだろう」
「…………!?」
伸ばしかけた腕を引っ込め、朱雀は目を見開いてじっと一輝を見上げた。
一輝はそんな朱雀を可笑しそうに見下ろす。
「そうだな……いつか」
ぽつりと一輝が言った。
「いつか、すべての出来事が笑い話になる時期がきたら、お前に教えて欲しいことがある」
どんな傷口があったのか。
誰を殺さなくてはいけなかったのか。
どうして殺さなくてはいけなかったのか。
手を血に染めたとき、何を思ったのか。
「そんな時期……永遠に来ねえよ……」
「では、永遠に聞かずにいよう」
ふっと笑って一輝はそのまま立ち去っていった。
気が向いたときにふらりと現れ、気が向いたときにいつの間にか立ち去る。
そんな一輝の行動は、少しだけ苛つく。
そして、いつの間にか、一輝が来ることを待っている自分に気づき、イライラする。
でも。
「……オレ、一輝様好きだな。あの人にだったら、ついて行ってもいいって思う」
素直にそう言い切る疾風を見下ろし、朱雀は肯定も否定もせず、ただゆっくりと瞬きをした。
――――――赤道直下の地獄の島、デスクイーン島に、居場所を無くした少年達が集う。
親を亡くした子供。親に捨てられた子供。親に殺されかけた子供。
お前なんかいらないと、言われ続けた子供。
この手で人を殺めた子供。
だとしたら、暗黒の邪悪とは、悪とは、寂しいという意味なのではないだろうか。
何かにすがりたいと、虚しく空気に向かって両手を差しだしている、そういう事なのではないだろうか。
この手を血に染めてまで欲しかったものは。
それは、望んではいけないものだったのだろうか。
願ってはいけないものだったのだろうか。
人を殺す理由。
そんなものに正義も悪も関係ない。
あるのは、ただひとつ。
ただひとつ。欲すべきもの。
それを欲望というなら、それを邪悪なるものと呼ぶなら。
もういい。甘んじてその言葉を受け止めよう。
久し振りに戻った師匠の住んでいた小屋で、一輝は日本から送られてきた一通の通知を見つけた。
ざっと目を通し、一輝は紙をくしゃりと握り潰す。
なんだか、何もかもを壊してやりたくてしかたなかった。FIN.
2005.10.01 脱稿