心より深い場所 (6)

この手で人を殺める。
それだけで、きっと人は光のもとにはいられなくなる。
暗黒に身を落とし、女神から見放されて。
見放されて。
くすりと一輝は笑みを浮かべた。
見放されるとはどういうことだ。自分は、いや、自分達は女神にすがりついてなどいない。
すがりついていない者に対して、見放すも何もあったものじゃない。
むしろ自分がすがりついているのは。
がんじがらめに縛られているのは。
「お前は誰を殺したんだ? アンドロメダ」
「…………」
一輝の問いに朱雀は奇妙な笑顔で答える。
「……誰でもない。ただの人間だ。肉の塊。血なんてどす黒く汚れてドロドロでちっとも綺麗じゃない。最低最悪の……」
言いながら更に奇妙に朱雀の顔が歪む。
「そうか」
何故か笑って一輝はそう言った。
くしゃりと歪んでいた朱雀の表情がふっと緩む。
なんで、この男はこんな表情をするのだろう。
同情でも哀れみでも嫌悪でもない。
『そんな人間がいてもいいんじゃないか』
亜門に言ったというその一言。
もしかしたら、その時も、同じ表情をしていたのだろうか。
不思議な男だ。
そう思った。
亜門が黙ってこの男を洞窟へ連れてきたことも、兄者が一輝の訪問を許したのも、疾風が一輝を慕っているのも、何だか、よく分からなかったけど、それでも理解できるような気がした。
「変な人だな……あんた」
「お前もな」
くすりと朱雀が笑った。
「オレ……あん時、三途の川を渡りそうになった時、何でだろう……少し安心したんだ。何でだろうな」
「……お前を殺してやれればよかった」
「…………」
「そうしたら、お前もオレも解放されたのかも知れない」
「解放……? 何から」
「アンドロメダの鎖からだ」
朱雀がゆっくりと大きく瞬きをした。
一輝はそんな朱雀の髪をぎゅっと掴み、ほんの一瞬笑顔を浮かべてすっと背を向けた。
「……お……おい」
「…………」
「なあ……!! 待てよ!!」
去っていこうとする一輝に向かって朱雀が大声を上げた。
「ちょっと待てよ! 一輝!!」
「…………」
一輝が振り返り、じろりと朱雀を睨みつけた。
「あ……いや……一輝様……」
疾風が何故か様付けで呼ぶ所為で、おもわずそう言ってしまい、朱雀はかなり居心地悪そうに舌打ちした。
一輝はというと、朱雀の呼びかけに呆れたような視線を投げる。
「お前なあ……様付けで呼ぶなら、それなりに敬え」
「……別に敬ってるから呼んでるわけじゃない」
「まったく……」
「なあ……」
朱雀はふと真面目な表情で一輝を見つめた。
「……ん?」
「あんたにとってのアンドロメダってなんだよ。何者なんだよ」
「聞いてどうする」
「どうって……別に……」
「別に理由がないなら聞く必要もないだろう」
「いや……そうなんだけどさ……」
朱雀にしては珍しく、言葉が濁る。
「…………」
「……弟だ」
「……えっ?」
朱雀が驚いて目を見張った。
「弟……?」
「今、オレの弟はアンドロメダ島にいる。お前の持つものと同じデザインの聖衣を得るために」
弟がいたんだ。そうなんだ。
なんだか複雑な表情で、朱雀はじっと一輝の顔を見上げた。
「気が弱くて、優しくて、大人しくて、どう考えても聖闘士になどなりたがらないような奴だった。人と争うことが苦手で、いつもいつも人の後ろで控えめに立っているような奴だった」
「じゃあ、今頃……」
死んでるんじゃないのだろうか。
ふと朱雀の心に疑問が湧く。世界各地にある聖闘士の修行の場は何処も大変厳しい場所だったはずだ。
「あいつは戻ってくる。必ず。オレがそう言っちまったから。そういう奴だ」
「…………」
一輝は何故か苦しそうに朱雀を見つめていた。
「…………」
「そういうことだ」
一輝はそれ以上何も話そうとせず、朱雀に背を向けた。
なんだかやりきれなくて、よく分からない感情が朱雀の中に沸き上がる。
きつくきつく唇を噛んで、朱雀はイラついたように、地面を蹴り上げた。

 

――――――「なあ、亜門。お前、ひとつ間違っていたぞ」
その夜、朱雀は亜門にぽつりと洩らした。
「何が?」
何の事かと亜門が眉をひそめる。
「あの人は人を殺したことがある。だから、あの人が殺せないのは人間じゃない。ましてオレ自身でもない。」
「…………」
「あの人が殺せないのはアンドロメダだ」
「え……?」
「アンドロメダなんだよ」
「…………」
「あの人が見てたのはオレじゃない。アンドロメダだ。オレがアンドロメダだったから、だから、殺せなかった。きっと、それだけなんだ」
そう言って朱雀は膝を抱えて俯いた。
俯いてしまっているので、表情は見えない。心も見えない。
まるで、堅い殻に閉じこもってしまったみたいに見えた。
でも、その姿はなんだか泣いているように亜門には見えて仕方なかった。

 

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