心より深い場所 (3)

ひんやりとした鍾乳洞の奥深くへ進み、亜門はチョロチョロと流れる地下水脈の前で立ち止まった。
「…………」
意識を集中する。強く強く。
すると、グンっと鍾乳洞内部の気温が下がり、ちらほらと雪の結晶が舞い降りてきた。
水の流れが止まる。水の表面に薄い氷が張りだす。
あたりの気温は、かなり低くなってきているというのに亜門の額からは汗の滴がしたたり落ちていた。
もっと冷えろ。全ての水が凍り付く程に。
亜門の目の前で、ふいにぐんっと音を立てて、巨大な氷が頭をもたげた。そしてそれはそのままメキメキと音を立てて、氷山を形作る。
気温はすでに零下を指しているだろう。
白いはずの雪の結晶が黒く歪み出す。
にやりと不敵な笑みを浮かべて、ようやく亜門は一息ついたように緊張を解いた。
「…………!?」
その瞬間、背後に人の気配を感じた。
「……チッ!」
集中しすぎていて周りの気配を探るのを怠っていた。いや、それ以前にこの鍾乳洞だけは安全圏なのだと、心のどこかで思っていたのだ。
この場所を知っているのは自分と、あとは朱雀だけ。
亜門は、鍾乳洞の奥深くから暗黒聖衣の箱を引きずり出してきた時でさえ、朱雀以外の誰にもこの場所を教えたりはしなかった。
此処だけは誰にも踏み込ませない聖域。
そう信じていたかった。
なのに。
「誰だ!!」
振り返りざま、亜門は氷の結晶を背後に動いた人物に向かって投げつけた。
突然の攻撃も相手の予想の範疇だったのか、背後の影は少しも動揺をみせることなく岩陰の隙間から、その姿を現した。
「…………!? お前、まさか……」
亜門が目を見張る。
筋肉の浮き上がった見事な体格に印象的な鋭い目。そして、何よりも目を引いたのは、額の中央に走る大きな傷痕。
「一輝……? お前が、そうか……」
次の攻撃を繰り出すことも忘れて、亜門はそうつぶやき、まじまじと目の前に立つ男の精悍な顔を見上げた。
一輝は無言のまま、そんな亜門を見返している。
ふいに亜門の全身から陽炎のような気がほとばしった。
「答えろ! お前が一輝か!?」
「…………」
一輝は何も答えない。
亜門はしびれを切らせたように、ザザッと数歩一輝に近づき、戦闘態勢を取った。そして、そのとたん、その場で亜門の動きが止まる。
「……!?」
信じられないといった表情が亜門の顔に浮かぶ。
「そうか、お前……」
ようやく一輝が口を開いた。
「あいつが言ってた亜門というのが、お前か」
「…………!?」
何故この男が自分の名前を知っているのだろう。亜門の頭に浮かんだ疑問にはすぐに答えが浮かんだ。
疾風だ。あいつが話したんだ。間違いない。あのクソ餓鬼。
「どうりでオレの名前を知っているわけだ。お前もあいつも、あの長髪の双子も、皆、暗黒の仲間というわけだな」
「……だったら、なんだ」
「あの死に損ないのアンドロメダはまだ生きているのか?」
「…………」
微妙に亜門の表情が歪んだ。
「何故、そんなことを知りたがる」
言いながら、亜門はじっと穴の開くほど一輝の顔を凝視した。
一輝は亜門から視線を反らすこともせず、じっとその場に立っている。その表情は、早く質問に答えろとでも言いたげだ。
「貴様……何故、そこまで朱雀のことを心配してるんだ」
「…………?」
いきなりそう言い放った亜門に、一輝が眉をひそめた。
「自分であれだけ痛めつけておいて、何で心配なんかするんだ。何でそんな開けっぴろげなんだ。おかしいじゃないか」
「…………」
「何故、あいつに生き延びて欲しいなんて、そんなこと思ってるんだ……?」
一輝は眉をひそめたまま、探るように亜門を見ている。
亜門は大きく深呼吸をして、突然くるりと一輝に背を向けた。
「おい……」
一輝の呼びかけを完全に無視して、亜門はたった今、後ろに作ったできたての氷柱を拳で砕き、適当な大きさにすると、そばにあった麻袋に詰め込みだした。
一輝は黙々と作業をする亜門に声をかけるのを諦めたのか、少し離れた場所で腕を組み、壁にもたれかかる。
鍾乳洞内には、氷をうち砕く音だけが響いていた。
亜門はもう一輝の存在そのものを忘れたかのように、後ろにいる一輝には一切の注意を払わず、作業に没頭していた。
ただ、時々一瞬手を止めて、何か言いたげに顔を上げかけ、結局何も言わずに再び作業に戻る。
やがて、亜門は麻袋に詰め終わった大量の氷を肩に背負い、ようやく一輝に顔を向けた。
「自分が倒した相手のことが気になるなら、自分の目で見ればいい」
酷く不機嫌そうに亜門は言った。
「……その氷は?」
「熱を下げなきゃ、明日まで保たないらしいから……ただの気休めだ」
一輝はそのまま鍾乳洞の外に向かって歩きだした亜門を追う形で、後に続いた。
眩しい日差しが目に突き刺さる。
亜門はちらりと一輝を振り返り、再び歩きだした。
そして、そのまま亜門は一度も後ろを振り返りもせず、蒼龍達が待つ洞窟へと帰っていった。

 

――――――「これはまた、随分と思いがけない客人だな、亜門。どういうことだ」
洞窟に現れた一輝の気配に、蒼龍が驚いて振り返った。
「わざわざ連れてきたのか?」
「別に連れてきた覚えはない。勝手についてきただけだ」
ぶっきらぼうな口調で蒼龍の問いに答えると、亜門は眠っている朱雀の横にどさりと担いでいた麻袋を置いた。
「蒼龍、氷を持ってきた。これで何とかなるか?」
「そうだな。多少は変わるだろう。感謝する」
ほんの少し一輝の方を気にしながらも蒼龍は麻袋を開け、中の氷を確かめた。
「よくこれだけ取って来られたな。例の鍾乳洞からか?」
「まあな……」
「で、あの男もそこで拾ってきたのか?」
「まあな」
亜門は麻袋から適当な大きさの氷の欠片をひとつ取り出し、朱雀の口の中に含ませた。
すうっと朱雀の口の中で氷が溶け、唇の端から流れ落ちる。
「やっぱ飲めねえか……」
仕方がないなあといった態度で、亜門は今度は自分で氷を一欠片口に含み、溶かすと口移しで朱雀に水を与えた。
今度はようやく朱雀の喉が上下し、冷たい水が流れ込んでいった。
「…………」
一連の亜門達の行動をずっと見ていた一輝が、ようやく口を開いた。
「意識がないのはいつからだ」
「…………」
亜門は何も答えず、一輝から朱雀の姿が見えるように身体の位置をすっとずらした。
目を閉じた朱雀は暗闇の中でも分かるほどに青い顔色をしていた。
上下する胸の動きもほとんどなく、一見するとすでに死んでいるようにさえ見える。
「これでも、昨夜はまだ呼吸だけはしっかりしてたんだけどな」
一輝はまるで睨みつけるように、じっと朱雀の顔を見つめながら、そばへより、亜門の隣に腰を降ろすと、すっと朱雀のこめかみに手を当てた。
一瞬、蒼龍が緊張に身体を強ばらせたが、亜門は少しも動じない様子で、じっと伸ばされた一輝の手を見つめている。
「……声が、聞こえないんだ」
ぽつりと亜門が言った。
「……声?」
一輝が不思議そうに聞き返す。
「いつもだったら、声が聞こえる。それは確かに一瞬のことかもしれないけど、それでも聞こえたのに。今回は何も聞こえない。助けを呼ばない。まるで生きることを放棄してしまったみたいで……こんな……らしくない……」
「……お前、人の心が読めるのか?」
「…………」
微かに亜門が頷いた。
「なるほどな。そういうことか」
くすりと一輝が笑った。
「よくもまあ、こんな妙な奴等ばかりが集まったもんだ。半分ずつの双子と名無しとお前と、このアンドロメダか……」
「…………」
「共通点は、「居場所探し」というところか?」
ピクリと蒼龍が反応を返す。
「……戻ってこい。アンドロメダ。そんな処にお前の居場所はないぞ」
そう言って、一輝は朱雀のこめかみに添えた指に力を込めた。

 

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