心より深い場所 (2)

「どうなんだ。朱雀の具合は」
苛立ちを隠すことすらしない態度で、亜門が蒼龍に詰め寄った。
蒼龍は何種類かの薬草をすり潰しながら小さく肩をすくめる。
「私は正規の医者ではない。朱雀の身体の中がどうなっているかなど見えるわけない……が」
「……が?」
「あの男の拳は朱雀の身体の表面だけじゃなく、内蔵にかなりの打撃を与えたようだ。幸い、折れた骨が内蔵を突き破るまでには至っていないようなので、それだけは運が良かったと言うべきか」
「運がよければ、ここまでやられちゃいねえだろう。気休めはよしてくれ」
ペッと地面に唾を吐き、亜門は毒づいた。
「……なあ、蒼龍」
「…………」
「朱雀……死ぬのか?」
「今の状態では何とも言えないな」
蒼龍は冷たく言い放った。
だが、へたに期待を持たせないのは蒼龍なりの優しさだろうか。
今の朱雀の様子はまさに瀕死の重傷といっていい状態なのだ。
珠龍でさえ、たったの一撃で肋骨にひびが入っていた。朱雀の場合、今、息がある事自体、奇跡なのかも知れない。
「まずいな」
蒼龍が低くつぶやく。
「熱が下がらない。このままでは体力を消耗して明日まで保たないかもしれない」
亜門が岩壁を力一杯殴りつけた。
血の滲むほど、唇を噛みしめる。
どうにも出来ない。何の力もない。
こんな薄汚れた洞窟の中で、朱雀の一生は終わるのだろうか。
「くそったれ……」
誰にも向けられない怒りに身を震わせ、亜門は洞窟から外へと出ていった。
外はうだるような暑さが続いている。この暑さは、朱雀の状態の悪さに拍車をかけている原因のひとつだろう。忌々しそうに亜門は照りつける太陽を睨みつけた。
本当に暑い。風一つ無い。ムシムシした淀んだ空気。吐き気がする。気分が悪い。
本当に気分が悪い。
「……亜門?」
外に出てきた亜門に気付き、疾風が青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「朱雀の様子は……?」
「知りたかったら勝手に見て来いよ」
「…………」
疾風は俯いて拳を握りしめた。
恐くて、不安で、中に入っていけないでるのは一目瞭然だ。
「……ったく。情けねえなあ。名無し」
「……だって……」
本当に気分が悪い。
亜門は何かを振り払うように大きく頭を振った。
「そんな顔しても何も教えてやれることはないぞ。オレにも分からないんだから」
えっという顔で疾風が顔を上げた。
「声……聞こえないの?」
「…………」
「……そうなんだ……」
酷く落胆した様子で疾風は肩を落とす。
「亜門の名前さえ呼ばないんじゃ、どうしようもないじゃないか……」
何も聞こえない。
そうなのだ。先程から続いている気分の悪さの原因は、声が聞こえないこと。
今なら、どんな微かな声でも聞き取れる自信があるのに。
一瞬走り抜けるだけでも、捕まえて離さないでいる自信があるのに。
何も聞こえない。何もできない。
朱雀の声が聞こえない。
これでは何のための能力だ。必要なとき役にたたない能力など、溝川に捨ててやる。
情けなくて笑いが込み上げてくる程だ。
「……亜門」
遠慮がちに疾風が亜門の服を引っぱった。
「朱雀をやった奴って、フェニックスの聖闘士だって本当?」
「らしいな。オレは直接対面してないが、蒼龍達がそう言っていた。珠龍をやったのもそいつだ」
「…………」
疾風が何か考え込むように唇を噛んだ。
「どうした」
「ううん。何でもない」
「…………」
「何でも……ないよ」
「…………!?」
一瞬ピクリと亜門の表情に緊張が走った。慌てて亜門から手を離し、疾風がザッと後ろへ後ずさる。
「……あ……」
極度の緊張の為か、疾風の頬につーっと汗が一滴流れた。
「名無し……お前……」
くるりと踵を返し、疾風は逃げるように駆け出した。
「お……おい!」
亜門が止める間もなく、疾風の姿が岩陰の向こうに消えていく。
タタタっという足音さえももう聞こえない。
「……一輝?」
小さく亜門がつぶやいた。
今、ほんの一瞬亜門の頭の中に弾けた男の顔と名前。
恐らく、これは疾風の意識が流れ込んできたものだろう。
意志の強そうな真っ直ぐな瞳をした男の顔。誰だ。この男は。
何者だ。
嫌な予感に襲われ、亜門はごくりと唾を飲み込んだ。

 

――――――亜門の元から駆け去り、疾風は山をひとつ越えた丘にやってきた。
洞窟の前と違って、ここはいつも風が吹き抜けている場所だ。
「…………?」
以前来たときはなかったはずのものに気付き、疾風はふと立ち止まった。
「何だ……十字架?」
砂埃の舞うあまりいい環境とはいえないこんな場所に突き立てられた十字架。
ゆっくりと近づき、疾風はじっとその十字架を見つめた。
「えっと……エ…エスメ……」
「エスメラルダだ」
「…………!?」
後ろから聞こえた声に驚いて疾風が振り返った。
「あ……一輝……さ…ま…」
やはり。
想像していたとおりの人物の出現に疾風は戸惑ったように視線を伏せる。
やはり、そうなのだろうか。
そういうことなのだろうか。
「どうした」
「……え……あの……」
「…………」
思わず後ろへ下がったとたん、疾風の肘にコツンと十字架の角が当たった。
作られたばかりの十字架。刻まれた名前を見るに、恐らくこれがこの地面の下に埋まっている人間の名前なのだろう。
「これ……墓……?」
「ああ」
「一輝様が作ったの?」
「ああ」
「誰が殺したの?」
「…………」
「この人、貴方が殺したの?」
「そうだな。オレが殺した」
淡々と、一輝はそう答えた。
「彼女の命と引き替えにオレはフェニックスの聖衣を手に入れた。オレがいなければ彼女は死なずにすんだ」
フェニックスの聖衣。
疾風はぎゅっときつく目をつぶった。
フェニックスの聖衣。
やっぱりそうなのだ。
本当に、本当に、そうだったのだ。
どうしよう。
本当にそうだったのだ。
「どうかしたのか? お前、顔が真っ青だぞ」
「青銅聖闘士だったんだ。ちっとも知らなかった」
疾風はすっと顔を上げて、真っ正面から一輝を見据えた。
「知ってたら、もっと早く知ってたら……」
「知ってたら……?」
「オレがあんたを殺したのに」
一輝が驚きに目を見開いた。
「ちゃんと殺してやったのに……」
「どういうことだ。それは」
「朱雀が死んだら、きっと亜門が貴方を殺しに来る。オレ、教えちゃったから。亜門はもう、貴方の顔を知ってるから、だから、きっと殺しに来る」
真っ直ぐに、一輝は疾風の視線を受け止めた。
「オレ達暗黒聖闘士なんだ」
疾風はそう言った。
「…………」
「貴方が殺そうとした朱雀と同じ、暗黒聖闘士なんだよ」
一輝は何も言わず、ゆっくりとひとつ瞬きをした。

 

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