鼓動−第2章:烈火−(4)

「烈火、あんた、水凪に剣を教えるのが嫌なのか?」
「……えっ?」
足場の悪い岩場をカモシカのように軽々と駆け登り、天城は烈火の元へやって来てそう訊いた。
烈火よりひとまわり小さなこの少年の頭の中には、あらゆる記憶や知識が渦を巻いている。
少しきつい宇宙色の瞳で、天城は烈火を見上げた。
「何故、そう思う?」
「時々、あんたが辛そうな目をすると、水凪が言っていた」
「…………」
烈火はふと天城から視線をそらせた。
幼い水凪。
小さな手に不釣り合いな剣を持ち、水凪は必死で強くなろうとしていた。
「それに……」
多少口ごもりながら、天城が言う。
「コウが……心配している」
「……コウが?」
コクリと天城が頷いた。
「最近のあんたは変だ。以前のあんたなら、コウや水凪に心配をかける前に、自分で何とかしてた」
「…………」
それすら出来ない程、烈火は追いつめられているのだろうか。
天城が探るような視線を烈火へ向ける。
烈火は天城の視線を避けるように、ひとつ息をついて立ち上がった。
「なあ、天城」
「…………」
「以前、お前はオレの事を昔と変わらないと言った。あれは、どういう意味だ?」
「…………」
「昔、鋼玉はオレに言った。オレはきっと今よりもっと強くなるだろう……と」
天城がすっと視線を地面へと落とした。
「コウは、オレが強くなったと言った」
「…………」
「天城、お前は? オレはやはり以前と変わらないのか?」
「オレが言ってるのは、あの人達が言ってる事と根本的に違う事だ」
烈火の問いかけを遮るように天城はそう言った。
「強くなったかどうかという事なら、確かにあんたは強いよ。今までの烈火の戦士の中で一番の力を持ってるかもしれない。だけど、あんたは脆い。危なっかしくて見てられない。そういう意味なら、昔の方が強かった」
「…………」

強かった。
柳の木のようなしなやかで強い意志を持った、以前の烈火の戦士。
“オレが貴女を護る。命かけて護る。だから、一度でいい、オレだけに微笑みかけて欲しい”
桜と共に散っていった、遠い昔の遙かなる思い出。

烈火の中に、あの頃の記憶が一切蘇ってこないのは、それがあまりにも大切な思い出だったからなのか。
触れることすらためらわれる程の想いの所為か。

「……天城」
静かに烈火が口を開いた。
「答えなくて良いから、ひとつ質問をしていいか?」
「……?」
「……強くなることは、いけない事だと思うか?」
「……そ……れは……」
はっとして顔をあげた天城の口に指を立て、烈火がふっと笑った。
「答えなくて良いと言ったろ」
「烈火」
烈火はするりと天城の横をすり抜け、地面へと飛んだ。
かなり高いところからの跳躍だったのに、何の音もせず衝撃も感じない。体重さえ感じさせない身軽さで烈火は動く。
「何処へ行くんだ? 烈火」
「水凪の所へ行ってくる。剣の稽古に」
「…………」
岩場の天城を振り仰ぎ、烈火が笑顔で答えた。とたんに天城の心に暗雲が立ちこめる。
「……烈火!!!」
思いがけないほどの大きな声で呼び止められ、烈火が驚いて足を止めた。
「烈火! ……いつか、遙か先の未来で、必ず人は剣を持たなくても生きていける時代が来る。人の命のことを考えなくても、平和に暮らしていける時代が来る!」
「……お前は、時々予言者のような事を言うな、天城」
「これは予言じゃない。オレの記憶の中から弾き出した未来の形だ」
「…………」
「烈火、必ず……遙か先の未来で」
「……いつか、オレもそういう時を生きてみたいよ」
眩しそうに目を細め、烈火は踵を返して走り去っていった。

強くて、弱い烈火。
烈火の笑顔を見るたび、天城の頭の中に得体の知れない警鐘が響き渡った。

 

――――――「……はっ!!」
流れるように剣が舞う。
最初はおぼつかなかった足取りもずいぶんしっかりと動くようになった。
まるで水の流れのように流動的な動きで、水凪は剣を返す。
キーンという金属音と共に小さな火花が散った剣を手に、水凪がさっと後ろへ飛び去った。
足下をなぎ払うような低い弾道を描いた烈火の剣を、軽くかわし岩の上へとジャンプする。
すぐに体制を整えて、構え直す水凪を見て、烈火が剣を握る力を緩めた。
「……良い動きだ。随分と強くなったな、水凪」
烈火の言葉に水凪の瞳がぱっと輝いた。

いつもいつも自分の後ろを走っていた水凪。
おいて行かれないように必死ですがりついてきた小さな手。
“烈火、僕に剣を教えてください”
目をキラキラさせてそう言ってきた水凪は、あの時、疑いの心ひとつない期待を込めた眼差しで烈火を見上げた。
その時、烈火の心に湧いた小さな黒い塊の事など知る由もなく。
「…………」
小さくため息をつき、烈火はすっと水凪から視線をそらせた。

何故だろう。心が重くなる。
水凪が剣を振るうたび、言いようのない違和感を感じる。
いや、違う、これは違和感ではない、嫌悪感だ。
この子にこんな事をさせている自分への嫌悪感だ。
この小さな少年を戦場へ駆り立てて、自分はいったいどうしようというのだ。

剣を振るうには小さすぎる手。
心の中まで見透かされるのではないかと思う程の澄んだ瞳。
戦いの中で、この澄んだ瞳はいつまで、このままでいられるのだろう。
濁って、曇って、いつか、取り返しのつかない事になるのではないのだろうか。

「烈火? 何か辛いことあった?」
水凪が剣を収め、烈火の元に駆け寄って瞳の中を覗き込んだ。
「…………」
「烈火?」
水凪の瞳は何処までも澄んだ、優しい木の葉の色だった。
「水凪、強くなりたいか?」
烈火の問いに水凪は何を今更言っているのだろうと、キョトンとした顔で頷いた。
「うん」
「……どうして、強くなりたいんだ?」
重ねて問う烈火を見て、水凪は少し照れたような顔をして立ち上がった。
「あなたを守る為」
「…………」
「笑わないでよ。本気なんだ。僕の手はまだ小さくて、全然弱くて、あなたを守る事なんて出来ないけど、でも、そのうち僕、強くなってあなたを守りたいんだ」
「…………」
「あなたに降りかかるすべての哀しみから、あなたを守りたいんだ」
水凪は大事そうに自分の剣を抱きしめた。
「僕ね、強くなるんだ。もっともっと。もう、誰も傷つけずにすむくらい、強くなるんだ」
「…………」
誰も、傷つけずにすむくらい。
烈火の頭上を二羽の鳥が微かな鳴き声をあげて飛んでいった。
ちいさな点になっていく二羽の鳥を見送って、烈火はふっと哀しげに笑った。
「……お前に剣を教えるのは、オレではないほうが良かったのかもしれないな」
ぽつりと烈火が言った言葉に水凪は驚いて目を見張った。
「烈火? どうして? どうしてそんな事言うの?」
「…………」
「僕、何かいけない事言った?烈火?」
着物の裾を掴み、水凪は必死で烈火に問いかけた。
「僕が言ったことが、何か烈火の気にさわったんなら謝るから……烈火?」
「お前は悪くないよ、水凪。お前は良い子だ」
「…………」
「良い子だ、水凪」
澄んだ瞳。純粋な心。
自分が教えられる剣は、きっと誰も傷つけずにすむ剣ではない。

“強くなれ、烈火”
あの時の不気味な声が蘇る。
“強くなれ、烈火。そして、己の強さゆえ傷つけ”
地を這うような声と、心に突き刺さってきた言葉。

今頃になって、ようやく理解した。
ずっと昔、鋼玉が言った言葉の意味を。
身体ではないところについていく傷。
強くなれば強くなるほど、その傷口は大きくなっていく。
ぽっかりと口を開けたその傷口から、どろどろとしたどす黒い血が、今も溢れ続けている。
そして、手足が重くなる。
だんだん身動きがとれなくなっていく。

 

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