鼓動−第2章:烈火−(5)

ヒュンっと鋼玉の額を小刀がかすめて飛んだ。
つーっと血の滴が瞼を伝い右頬に流れ落ちる。
じろりと睨み付けた視線の先にうつる細い身体に、ついつい反撃の手が鈍っていくのを感じながら、鋼玉は小さく舌打ちをした。
「ちっ……」
流れ落ちる血が目にはいってこないよう乱暴に拭い、鋼玉が己の豪剣を構え直すと、対峙した相手も攻撃の隙を窺う為か、じりっと横に身体をずらした。
鋼玉より頭二つほども低い身長。痩せぎすの細いからだ。
こんな少年兵まで駆り出しているのか、今回の戦は。
痺れるほどきつく刀の柄を握りしめて鋼玉は低くうめいた。
「…………」
相手がなかなか攻撃を仕掛けて来ないことに不審気な眼差しを向け、少年兵はじっと鋼玉を見つめている。
その時、再び盛り上がって来た血が、筋を描いて鋼玉の右目に流れ込んだ。
「…………!!」
一瞬しまったと目をそらした瞬間、少年兵が鋼玉に躍りかかって来た。
「……やばい……!!」
とっさに目を庇いながら、横っ飛びに跳躍した鋼玉のそばを、突然、一陣の風が吹き抜ける。
「……!?」
あたりの温度が一気に上昇し、鋼玉の目の端に赤い鎧姿の青年が映った。
「烈火!?」
驚いて鋼玉が目を見張る。
瞬きする間もなく、烈火の剣が風を切って唸りをあげた。
長い黒髪をなびかせながら、細いしなやかな身体が、目にも止まらぬ速さで剣を繰り出す。
「……!!」
突然の烈火の出現に、少年兵は崩れた体制を慌てて立て直し、目の前の赤い鎧を見上げた。
一分の隙もない烈火の鋭い眼差しをみて、少年兵の顔が恐怖に引きつっていく。
「……あ……」
そのまま、一目散に逃げ出した少年兵の背中を追おうと、走り出しかけた烈火の腕を鋼玉がとっさに掴んだ。
「深追いはするな、烈火!」
「…………!」
小さくなっていく少年兵の姿が完全に見えなくなって、鋼玉はようやく烈火を掴んでいた手を離した。
烈火は無言のままそんな鋼玉を振り返る。

やがて、流れる血を拭いながら、鋼玉が背中に担いだ鞘に己の豪剣を収めた。
烈火も、そんな鋼玉をちらりと見て、慣れた手つきで剣をひと振りし、鞘に収める。
「悪かったな、烈火。助かったよ」
「…………」
ふと、少年兵が逃げていった方向を横目で見たあと、烈火が鋼玉に向き直った。
「血が……」
「……ん」
「血が出ている」
「ああ、こんなのすぐ止まるよ」
軽く鋼玉の額の傷に触れ、烈火が小さくため息をついた。
「油断したのは、相手が少年だったからか? 鋼玉」
「……悪い」
「オレに謝る事じゃないよ。そんなことは」
「向こうは片づいたのか?」
「ああ。もう大丈夫だ」
そう答える烈火の表情はいつになく固く見えた。

大人も子供も関係なく、徴兵が始まっている。
何の為に戦っているのか解らないまま、沢山の命が消えていく。
今日、一つの村を救っても、明日は別の村で火の手があがる。
先程逃がした少年兵も、いつまた敵として烈火達の前に現れるかわからない。
繰り返される戦いの日々。
「鋼玉、今度不利になりそうな時は、オレが代わりにやる」
「…………」
「お前が手を下せないなら、オレを呼べ」
「烈火」
鋼玉が鋭い声をあげた。
「…………」
「お前は、何の為に戦っている」
「……!?」
烈火の手がピクリと反応した。
「お前は、誰かの代わりに戦っているのか?」
烈火の視線が、心の動揺を隠そうとして不自然に宙を泳いだ。
「オレは……別に……」
「烈火。無理ばかりしていては、そのうち保たなくなるぞ」
「オレは、無理などしていない」
「では、何故それほど肩肘を張って生きているんだ? お前は」
「……!?」
すっと音もなく歩み寄り、鋼玉はいきなりその太い腕で、烈火の頭を抱え込んだ。
「鋼玉……?」
「疲れた時に、疲れたと言っても、誰も責めたりはしないぞ、烈火」
「…………」
「もっと、楽になれ。烈火」
鋼玉の力強い腕の中で、烈火はそっと目を閉じた。
暖かな鼓動が聞こえる。
「烈火。大丈夫だから。誰もお前を責めたりしないから」
「…………」
「だから、もっと楽になれ。楽になれ、烈火」
そう繰り返しながら、鋼玉の手が烈火の額にかざされた。
とたんに、烈火の身体からすっと力が抜けていく。
そのまま、腕の中に倒れ込んできた烈火の身体を抱え上げ、鋼玉は天を睨み付けた。
風が吹き、やっとあたりの温度が低くなった。

 

――――――柔らかな布の感触に烈火はようやく目を覚ました。
ぼんやりと目を開けると、水凪の瞳が自分を覗き込んでいるのが見える。
「……水……凪……?」
「烈火! 気分はどう?」
ほっとしたように水凪の表情が明るくなった。
「オレは……?」
いつの間に此処へ戻ってきたのだろう。
見慣れた自分の寝床を見て、烈火は不思議そうに水凪を見上げた。
「鋼玉がね、烈火はとても疲れているみたいだから、しばらく寝かせてやれって」
「…………」
そうだ。あの時、鋼玉の腕の中で、不意に自分は意識を失ったのだ。
“楽になれ、烈火”
呪文のようにそう繰り返された鋼玉の声がまだ耳の奥に残っている。
「烈火……?」
不安気に覗き込んでくる水凪をみて、烈火は安心させるように微かに微笑みかけた。
「ありがとう。もう大丈夫だから」
「ホントに?」
「ああ」
「良かった……」
水凪がふわりと笑うと、あたりに海の香りが広がる。
優しくて、穏やかで、暖かくて。
ずっと昔から知っていたような、懐かしいこの感覚。
「ずっと付いててくれたのか? 水凪」
「……うん」
澄んだ瞳で水凪は烈火を見つめた。
「水凪……」
烈火の手がすっと伸び、水凪の柔らかな髪に触れた。
「…………?」
「ずっと」
「……ずっと?」
「…………」
ずっと、このままでいられたら。
烈火は次の言葉を飲み込んだまま、じっと水凪を見つめ続けた。
「烈火?」
水凪が不思議そうに首をかしげる。
「……夢を……見たんだ」
やがて、ぽつりと烈火が言った。
「……夢……?」
「争いのない平和な地で、お前と2人、暮らす夢だ」
「…………」
「倖せな、倖せな笑顔のお前をずっと見ていられる。そんな夢。この上もなく穏やかな、優しい夢」

いつまでも、ずっとずっと、永遠に見続けていたい。
遙かな想い。遠い夢。

心から願っていたのに。
いつか、そんな日が来ることを。
本当に。
何よりも、願っていたのに。

 

――――――「危ない!!!」
その瞬間。
心より、身体が先に反応した。
目の端に映った赤ん坊の瞳を見て、烈火の脳裏に浮かんだのは、初めて水凪を見つけた小さな集落の事。
焼けこげた家の下から這い出してきた幼い水凪。
小さな、小さな、護るべき生命。
誰にも汚されることのない生命。
傷ついた胸を押さえ、烈火は、まだ産着にくるまったままのやっと目を開いたばかりの赤ん坊を抱きかかえた。
やっと生まれた小さな生命。
この生命は、何処かで自分が奪ってしまった一つの命の代わりに生まれてきたのだろうか。
あの鮭の産卵のように。
ずっと生命は続いていくんだ。
そう言った水凪の言葉のように。

烈火はじっと自分を見上げる赤ん坊の黒い大きな瞳を見つめた。
この子を。
この小さな生命を助けることが出来たら、自分は少しは救われるだろうか。
少しは楽になれるのだろうか。

烈火の懐の中の仁の珠が微かな光を放ちだした。
長い長い輪廻の歴史。
これ以上ないくらい汚れてしまった自分の手。
この真っ白な生命は、きっと自分と違い、未来を見つめてくれるだろう。
ずっと、ずっと、過去に捕らわれたまま身動き出来ない自分と違って。

「烈火ー!!」
自分の名を呼ぶ悲痛な叫び声を聞き、烈火はようやく顔をあげた。
荒れ狂う炎の中で、水凪が1人の敵兵の腕をたたき落とす。
「…………」
まだ、声変わりもしていない幼い水凪は、その小さな手で、必死に戦っている。
水凪。
お前にだけは戦わせたくなかった。剣を持たせたくなかった。
何故だろう。ずっとそう思っていた。
お前だけは護るから。必ず護るから。命かけて護るから。
“あんた、変わんないな。そういうところ”
突然、天城の言葉が頭の中に響き、烈火ははっとして目を見張った。
炎の中の水凪。
柔らかな髪。優しい海の匂い。澄んだ緑の瞳。
懐かしい、緑の瞳。
「……そうか……そういうことか、天城」
ぽつりと烈火がつぶやいた。

やっと解った。
何故、水凪の瞳がこんなにも懐かしかったのか。
澄んだ瞳を曇らせたくないと思ったのか。

ああ、そうだ。
自分は少しも変わっていない。
護りたいと。
貴女だけは護りたいと。
手にはいることなど永遠にないと解っていながら、それでも貴女の笑顔を護りたいと。
ずっと、ずっと、狂おしいほど想い続けて。
「…………い……」
烈火が薄れゆく意識の中で、微かに愛しい女性の名を呼んだ。

愛していました。貴女を。気が遠くなる程。
愛していました。貴女を。想いは永遠に届かなかったけれど。

愛しい、懐かしい、斎の巫女。

真っ赤な炎が烈火の心と身体を包み込んでいった。

第1章:FIN.      

2000.4 脱稿 ・ 2001.4.21 改訂    

 

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