鼓動−第2章:烈火−(2)

鋭く切り立った崖の向こう、岩場の中腹あたりから、剣の交わる鋭い音が響いてくる。
本来の平青眼の構えより、やや左に寄った烈火独特の構えから繰り出される目にもとまらぬ速さの豪剣をすばやく受け流し、鋼玉はザッと土煙をあげて飛び去った。
鋭い視線を交わす2人の頬につーっと汗の滴が流れ落ちる。
「……はっ!!」
かけ声と共に2人の剣が交差した。
あまりの激しいつばぜり合いにお互いの剣が火花を散らす。
鋼玉より一回りも小さな身体で、烈火は力勝負でさえ鋼玉に一歩もひけをとらなかった。
いや、単純に力だけの勝負であったのなら、鋼玉に分があっただろうが、烈火はそれを補って余りある程の敏捷さと反射神経を持ち合わせていた。
うなりをあげる豪剣を紙一重で避け、高く高く跳躍すると、烈火は上から叩きつけるように剣を振り下ろしながら、身体ごと鋼玉の懐に飛び込んでいった。
一気に間合いを詰めた烈火の剣が一瞬弧を描くようにまわり、その瞬間、鋼玉の手から剣がはじき飛ばされ、そばの地面にザッと突き刺さった。
「…………!!」
地面に突き刺さったまま、まだ衝撃に微かに震えている、通常より一回り大きな自分の豪剣を見て、鋼玉は観念して両手をあげた。
「強くなったな、烈火。さすがのオレももう敵わない」
「…………」
「オレが教えられることは、もう無さそうだ。充分にお前は強くなったよ、烈火」
「鋼玉……」
風がザーッと2人の間を吹き抜ける。
鋼玉は何故か少しだけ心配そうな目をして烈火を見た。
「烈火。誰よりも強くなったら、お前はどうするんだ?」
「……えっ?」
「強くなるという事は、その分、自分にかかる負担も大きくなる。オレはいつかお前のその強さが、お前自身を傷つけてしまうんじゃないかと、時々不安になるよ」
「…………」
鋼玉が地面に刺さった己の豪剣を抜き取った。
「どういうことだ? 鋼玉。傷つかずにすむ為にオレ達は強くなるんじゃないのか?」
「烈火、オレが言ってるのは、お前の身体につく傷のことじゃないよ」
「……? 言ってる意味が解らない。鋼玉」
烈火が眉をひそめて鋼玉を見た。
「そうだな。わからんよな。オレにだってわからん」
「…………」
「きっと、一生解らなけりゃ、人は倖せに生きられるんだ。知らないという不幸の中ででも、きっと気付かずに笑っていられるんだ」
「…………」
「……強くなるよ、烈火。お前はきっと、もっともっと強くなる」
「…………」
「どうした?」
「鋼玉。強くなることはいけない事なのか?」
鋼玉の表情がすっと引き締まった。
「まるで、あなたはオレにこれ以上強くなるなって言ってるみたいだ」
「…………」
「そうなのか? 鋼玉」
「別に……そんな事はないさ」
剣を背中の鞘に納めると、鋼玉は烈火に背を向けた。
烈火の癖のある黒髪が風になびく。
ふっと視線を落とし、烈火は剣を握ったままの自分の手を見つめた。

 

――――――どんよりと分厚い雲が空を覆った日。
その日、烈火は初めて人を殺した。

ドサリ……と首と胴を真っ二つに裂かれた、かつて男であった物体が、烈火の目の前に転がる。
烈火は返り血を全身に浴びて、呆然とその場に立ちつくしていた。
息をすることさえ忘れて、烈火はじっと、もう二度と動かないその男を見つめた。
「…………」
早くこの場を立ち去らなければ。
脳が警告を発するが、身体がどうしても反応しない。
烈火は刀の柄を握りしめたまま、硬直している指を無理矢理引き剥がそうとした。
「……くっ……!」
まるで、自分の手ではないように、握りしめた指は動かない。
「…………!!」
全神経を集中して、なんとか一本ずつ指を引き剥がそうと烈火は悪戦苦闘した。
鉄のように固まっている己の指に、もう片方の指を添え、力一杯引き剥がす。
やっとゆるんだ指の間から、烈火の剣が滑り落ち、地面にガランと乾いた音をたてた。
その拍子に死体の首がごろりと転がり、白目を剥いた恨めしそうな顔が烈火をじっと凝視する。
「……!!」
おもわず一歩後ずさり、烈火はまじまじと、その男の顔を見つめた。
男の死体からはぶすぶすと奇妙な煙のようなものが立ち上がっていた。
刀の傷と、烈火の炎に焼かれ、男は死んだ。
烈火はゴクリと唾を飲み込もうとしたが、口の中がカラカラに乾いていて唾液さえ出てこない。ヒリヒリと痛む喉を押さえ、烈火は低く息を吐いた。
白目をむいた死体。
ぐっとこみ上げてくる吐き気を抑えこみ、烈火はゆっくりと地面に転がった己の剣を取り上げ、鞘に収めた。
空気がピリピリと張りつめている。
他に追っ手がいないか辺りの気配を探り、烈火はトンっと軽く跳躍してそばの大木の枝に飛び乗った。
耳のそばでカサリと鳴った木の葉の音が、男の断末魔の悲鳴を思い出させる。

まさか自分がこんな子供に倒される等とは思ってもいなかったであろうその男の驚きに見開かれた目。
目にも止まらぬ速さで繰り出された烈火の剣が男の腕を切り落とす。
そして、真っ赤に染まった傷口の痛みさえ感じる暇もないスピードで、男の首が胴から僅かにずれていった。
唇からもれるヒューという空気の流れ。それが男の最期の悲鳴。
声さえ発することなく、烈火の目の前で男はその命の炎を消した。

時は戦乱の世。
あちらこちらで戦の火の手があがる時代。
邪悪な思いに捕らわれた数限りない人間達が、罪もない人々を巻き込んで戦を始める。
人を人とも思わない城主。まるで道具のように歩兵を召集して戦わせる。
何の感情もなく、相手に向けられる火矢や槍。
自分が救われる為に、人を殺さなければいけない時代なのだ。

「…………」
烈火は血の滲む程きつく唇を噛みしめると、音を立てないようにその場を離れた。
枝から枝へ、何の音もなく飛ぶ烈火の耳に、風の音だけが聞こえてくる。
頬に飛んだ返り血が、乾いた肌を引きつらせていった。
何故か涙はでなかった。

 

――――――「烈火ー!!」
水凪が頬を紅潮させて、烈火の元へ駆け寄ってきた。
山深い小さな盆地にあるこの隠里には、まださほど戦の火も降りかかってこない。
小さな両手いっぱいに自分が育てた野菜を抱え、水凪は嬉しそうに烈火に微笑みかけた。
「随分たくさん収穫したんだな、水凪」
「うん!」
「それを見せたくて、そんなに息を切らせて走ってきたのか?」
「うん、これも見せたかったんだけど、もっとすごい事があったの」
「…………?」
キラキラと瞳を輝かせて、水凪は本当に幸せそうに笑った。
「あのね、烈火。すごいの」
「……何が?」
「僕ね、ホントびっくりしたんだ」
持っていた野菜を脇に置き、水凪が烈火の着物の袖を引っ張った。
「あのね、この間から僕、何度か魚が河を逆に泳いでるの見たんだ。で、何かあるのかなと思って、天城と一緒に上流のほうへ行ってみたんだ。そしたらね、その魚達が、いっぱいいっぱい卵を産んでたの」
「……卵?」
「天城が言ってた。この魚達は、流れに逆らって泳いでまで、自分の生まれた場所へ戻ってくるんだって。そして、流れに逆らうことで、強くなるんだって。強くなって、自分の居場所に帰って来て、更に強い子孫を残そうとしてるんだって。たくさんたくさん強い生命を産んで、次の時代を託してるんだって」
「……命を……」
「うん。ほら、この間、西の方で大きな戦があって、たくさん人が死んでしまったって言ってたでしょ。山や村が焼き討ちにあって大勢死んでしまったって」
「…………」
「さっき産まれたたくさんの生命は、死んでいった人たちの魂の生まれ変わりなんだって。たくさんの命が失われた時は、別の場所で、同じだけ生命が産まれるんだって」

では、自分が殺したあの男も、何処かで別の生命として生まれ変わったのだろうか。

「だからね、命は完全に消えたりしないんだって。必ず何処かで、新しい生命が続いてるんだって」
「…………」
「ねえ、烈火。今度、烈火も見に行こうよ。生命の産まれる瞬間を」
「…………」
「とっても綺麗なんだよ。なんだか、周りの空気まで輝いてるみたいで。水もいつもより澄んでるの。それにね、そんな時は、水がとっても優しいんだよ」
「水が……?」
「うん。そっとそっと卵を包み込んで、水が生命を守ってるの。真っ白な真っ白な生命を守ってるんだよ」
「…………」
「僕、今度は絶対烈火と見に来ようと思ったんだ。あんな綺麗なの自分達だけで見るの勿体ないもん」
「…………」
「たくさんの小さな生命が、きっとこれからの未来を創っていくんだ」
「未来を……」
ふわりと笑う水凪は、愛おしそうに彼方を見つめた。
水凪の視線の先で、きっと今も新しい生命が産まれているのだ。
新しい、真っ白な生命が。
「…………」
烈火の目頭がふっと熱くなった。
「烈火……?」
自分を見つめる水凪の顔がぼんやりと歪み、烈火は自分が涙を流していることに気付いた。
「烈火……!?」
水凪が驚いて、烈火の方へ腕を伸ばす。
「烈火、どうしたの?」
「何でもないよ、水凪」
小さな水凪の手を上からそっと包み込み、烈火は微かに微笑んだ。
とたんに、また、涙が頬を伝う。
「…………」
「お前は良い子だ。本当に良い子だ。水凪」
そういって抱きしめた水凪の小さな身体からは、優しい海の匂いがした。
優しい優しい海の匂いがした。

 

――――――ピシャン……!
水の滴が跳ねる。
底の砂まで見える程の澄んだ水に手を浸して、烈火は思い切り両手をこすりあわせた。
水しぶきと共に底の砂が舞い上がり、一瞬水が濁る。
「…………」
烈火はじっと滴の垂れる両手を見つめ、深くため息をついた。
「……とれないな……」
自分自身のつぶやきが重く心にのしかかる。
どんなに洗っても消えない染みが、少しずつ烈火の心を蝕みはじめていた。

 

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