鼓動−第2章:烈火−(1)

その日、山二つ越えた近隣の村へと様子見に行った帰り道、烈火は夜光と共にひとつの小さな集落を通った。
「これは……酷いな……」
恐らく夜盗の集団にでも襲われたのだろうその集落は、若々しい新芽の芽吹く季節だというのに、周りに広がる広大な緑の風景の中、一カ所だけやけに黒く沈んで見えた。
「これでは、助かった者はいないのではないか?」
金品を奪った後、火を付けたのか、真っ黒に煤けた木の欠片を一つ放り投げ、夜光が言った。
見るも無惨に壊された家屋。焼け残った柱だけが、いやに禍々しく地面に突き刺さっている。
逃げ遅れた鶏や馬の焼死体が倒れた家畜小屋の下敷きになって僅かに見え隠れしている。
あまりの惨状に、夜光の端正な横顔に不快の影が走った。
烈火も険しい顔であたりの気配を探っていたが、その多少幼さの残る細い手足が、怒りの為、小刻みに震えていた。
「何か……聞こえないか? コウ」
「……?」
突然、一点を見つめて烈火が言った。
「あっちだ! 誰かが呼んでる!!」
村の中心。一番火の回りが早かったのか、真っ黒に焼けこげたその場所に向かって、烈火は何かに引っ張られるように駆けだした。
「烈火! 無駄だ! もう、誰もいない」
「いや、いる! 聞こえるんだ!」
夜光の制止の声を無視して烈火は走り続けた。
焼けこげた柱や人の残骸を器用に飛び越え走る烈火の背中を追って、夜光も仕方なく走りだす。
一歩進む度に濃くなっていく死臭に、おもわず夜光は顔をしかめた。
「烈火……?」
ようやく烈火は、真っ黒に煤けたひとつの家の跡地で立ち止まった。
ほとんど原型をとどめない程崩れきった家屋の下敷きになって、1人の娘が倒れているのが見えた。
触れるまでもなく、もう既に息がない事はひとめで解った。
虚空を見つめたままの娘の瞳を見て、烈火が低く息を吐く。
「この人か? お前を呼んだのは」
「解らない……」
そう言って、烈火は娘のそばにしゃがみ込み、そっと開いたままの瞼を閉じさせた。
彼女の瞳に最期に映ったのは、迫り来る炎だろうか。それとも……
「…………」
何もしてやれない。
此処へ来るのが遅すぎたのだ。
この娘は、恐怖に目を見開いたまま、誰に助けられることもなく、命を落としたのだ。
きつく唇を噛む烈火の肩を叩き、夜光がそっと言った。
「行こう、烈火」
「……ああ……」
小さく頷き、烈火は夜光に促されるまま立ち上がった。
すぐそばで、また焼けこげた柱が崩れ落ち、煤けた灰がぱっとあたりに飛んだ。
「…………」
もう一度娘を見下ろし、背を向けた烈火が、次の瞬間、はっとして立ち止まった。
「……コウ……」
「…………?」
「……何か……」
「どうした?」
「……誰か……居る……」
「……!?」
くるりと振り向き、烈火は娘のそばの崩れた瓦礫や柱の残骸をかき分けた。
「烈火?」
「手伝ってくれ! コウ!」
太い柱を持ち上げながら烈火が言った。
慌てて夜光は烈火の元へ駆け寄り、柱に手を添えた。
2人で倒れた柱を脇にどかせると、細かい木屑や灰がパラパラと降り注ぐ。
煤で手を真っ黒にしながら、更に瓦礫の山をかき分けると、その時、中から小さな幼子が這い出してきた。
「……!?」
やっと歩ける程の、まだほんの小さな小さな子供。
娘に抱きかかえられていた為なのか、ほとんど煙も吸っておらず、倒れた柱の隙間に運良く小さな空間が出来ていたのだろうか。生きていたことは奇跡だった。
「…………」
驚きに目を見開いて、烈火はそっとそっと幼子の方へ腕を伸ばした。
「……?」
不思議そうな瞳で、幼子が烈火を見上げる。
烈火が小さく息を呑んだ。
澄んだ湖のような緑の瞳。
烈火は、まるで吸い込まれるように、その小さな瞳を見つめ返した。
烈火の心の中に、何か懐かしいような不思議な感情がわき起こる。
触れることすらためらわれるような、儚い想い。
「……」
烈火がひとつ瞬きをすると、幼子の視線がすっと烈火から逸れ、脇に倒れている娘の方へ注がれた。
「……?」
「……!!」
夜光がはっとして口を閉じる。
幼子の視線はじっと動かない娘を見つめていた。
「…………」
「……お……かあ…さ……」
「……!!!」
まだ、うまくまわらない舌で幼子が母親を呼んだ。
「……か……あ……」
おもわず腕を伸ばし、烈火は幼子を抱き上げた。
「…………!?」
烈火に抱きかかえられたまま、むずがるように嫌々をして、幼子は母親の方へ必死にその小さな腕を伸ばす。
ふいに烈火の瞳から涙が溢れ落ちた。
「…………」
もう、いないのだ。
手を伸ばしても、この幼子の手を握り返してくれる母親は、もう何処にもいないのだ。
日が落ち、あたりが闇に包まれるまで、烈火はずっと声を殺して泣き続けた。

 

――――――烈火に拾われた幼子は、そのまま烈火達の隠里へと移り住んだ。
烈火のもとで、読み書きを覚え、歩き、走ることをことを覚えた。
水凪、と名付けられたその子は、烈火を兄や父の様に慕い、常に後をついて回っていた。
そして、初めて逢ったその時と変わらぬ澄んだ瞳のまま、水凪はすくすくと伸びやかに育っていった。
優しい緑の瞳。
そばに居るだけで何だか安らかな気持ちになる。そんな不思議な空気が水凪の回りには漂っていた。
「よく懐いてるな、お前に」
時折、夜光がからかうようにそう言った。
「あれでは、まるで卵から孵ったヒナが最初に見たものを親だと信じてついてまわっている様なものだ」
「ははっ、この年でオレは子持ちになったって事か?」
烈火の明るい笑い声が、谷間にこだまする。
「コウ、お前はオレがあの子を救ったと思っているんだろうが、本当は逆なんだよ。オレの方があの子に救われているんだ」
「そういうものなのか?」
「ああ、そういうものなんだよ」
穏やかな日差しの中、烈火は本当に愛しげに水凪を見つめていた。
柔らかな微笑み。淡い栗色の髪。
烈火にとって水凪は特別な存在だった。
「……なんだろう、不思議な感じがするんだ」
「……?」
まるで、夢を見ているような口調で烈火が言った。
「あの子といると、自分がどんどん穏やかになっていく気がする。暖かくて、優しくて、母親の胎内でゆっくり呼吸をしているような、そんな気分になってくる」
烈火は幼い時、母親を亡くしたため自分の母の顔を知らない。
だから、よけいに求めていたのだろうか。自分にのみ向けられる愛情というものを。
「オレは初めて運命に感謝したいと思った。あの子と出逢わせてくれた運命に」
「烈火……」
「あの日、オレ達があの集落を通らなかったらあの子に出逢う事もなかった。ほんの小さな偶然の積み重ねがオレ達を出逢わせてくれたのだとしたら、オレはその運命に心から感謝している」
「…………」

呼ぶのだ。
逢いたいと。
心がお互いを呼び合ったから、あの時、烈火は水凪に出逢ったのだ。
偶然などではない。きっと。
出逢うことが必然だったのだ。
夜光には聞こえなかった声を、烈火は確かに聞いたのだから。

「……コウ、オレはもっと強くなる」
ぽつりと烈火が言った。
「……強く?」
「ああ」
「……水凪を護るために……か?」
烈火が頷いた。
「護るべきものがあるというのは良いことだ。その為に強くなりたいと思える」
「…………」
本当に、水凪の何がそこまで烈火を引きつけるのだろう。
夜光はそっと烈火の様子を窺った。

烈火の想いは、静かに水凪へと向けられている。
初めて出逢ったあの瞬間から、ずっと変わらずに。

2人が出逢って、何度目かの若葉の季節が過ぎ去っていった。

 

――――――「水凪を見ていると懐かしい気がする? そりゃ、以前に逢ってるからだよ」
烈火の問いに当たり前のように天城が答えた。
「以前……?」
「ああ」
「それは、どういう……」
天城の言葉の意味を掴みきれず、烈火は戸惑ったような視線を向けた。

一年程前、ふらりとこの隠里にやって来た宇宙色の瞳の少年は、自分たちが出逢うことは初めから決まっていたのだと、烈火には理解できない不思議な話をした。
いつの間にか手にしていた小さな珠。
自分の珠に浮かぶ仁の文字。柔らかな光。
これが鎧珠なのだと。自分たちの戦いの歴史とずっと共にある珠なのだと。
天城は少しだけ苦しそうな表情で、過去の戦いの歴史を教えてくれた。
出逢うべき運命の仲間。
自分と、コウと、天城と、鋼玉と、そして水凪。
では、水凪の事が懐かしいのは、これ程に懐かしいと感じるのは、ただ単純に過去からの仲間だったからなのだろうか。
遙か昔、生まれる前に出逢っていたという自分達。
初めて水凪を見た時、不思議な感じがした。
あの、澄んだ緑の瞳を見ていると、心が安らいだ。
それは、あの子の素直な心の所為か、すべてを荒い清める水滸の力の所為か。
「覚えてないんだな、あんた。あの頃のこと全部」
「…………」
囲炉裏に薪をくべる天城の顔が炎に赤く照らされた。
烈火より年下のはずのこの少年は、時々驚くほど大人びた表情をする。
この深い深い宇宙色の瞳は、自分達には見えない何をみているのだろう。
「天城は、全部覚えているのか?」
「ああ」
「…………」
「覚えていることが、オレの使命なんだ」
天城がもう一本薪を取り、囲炉裏にくべる。
天城の中に渦巻くあらゆる記憶。
彼は決して、それを進んで語ろうとはしなかった。
「オレ達の歴史が戦いの歴史なら、天城、この先、オレ達を待っているのは、新たな戦いなのか?」
「…………」
「オレはいい。だが、水凪は? あの子も戦うのか?」
「…………」
「あの子が剣を手にするなど、オレには想像できない」
「……そうだな」
ぽつりと天城がつぶやいた。
「オレは、あの子を護りたい」
「…………」
ゆっくりと天城が顔をあげて、烈火を見つめた。
「……あの子を護るために、その為になら戦える」
パチっと、囲炉裏の中で薪が火の粉を弾けさせた。
烈火の心に共鳴するかのように、炎の勢いがふっと強くなる。
「あんた、変わんないな、そういうところ」
「…………?」
「あんたにとって、水凪は特別な存在なんだ。今でも」
「天城……?」

特別。
あの人だけは特別。
たとえ覚えていなくても。それでも。

たとえ届かなくても。
想いだけは失われず受け継がれていく。

「桜が……」
「……?」
「桜が散るな。もうすぐ」
唐突な天城の言葉に烈火が一瞬きょとんとした表情を見せる。
「桜が……どうかしたのか?」
「いいや。別に」

桜が散る。はらはらと。
届かない想いを乗せて。
心に突き刺さる。忘れられない言葉。
手に残る赤い血の感触。降り続く雨。

ふと、天城が宇宙色の瞳を苦し気に伏せた。
「天城……?」
いつまでも、想いだけは永遠に変わらず。
「どうかしたのか? 天城」
「……なんでもない。悪い。ホント何でもないから」
「…………」
烈火の視線を避けるように立ち上がり、天城は夜の闇の中へ去っていった。

それからの烈火の剣の上達ぶりは留まるところを知らなかった。
もともと、幼い頃からまるで自分の庭のように野山を駆け回っていた所為で、身体の身軽さはかなりのものではあったが、それでも近頃の烈火は、以前に比べ、更に輪をかけて強くなった。
切れのある動きと柔軟な剣さばき。どんな激しい動きにも呼吸一つ乱さない持久力の強さと心肺能力の高さ。
まるで生き急ぐように、烈火は強くなっていった。

強くなることが、烈火の望みだった。

 

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