鼓動−第1章:追憶−(5)

「何バカなこと言ってるんだ!? 羽柴!! お前、正気か?」
電話口で正人が声を荒げた。
「もちろん、これ以上ないくらい正気だ」
逆に冷たいとも取れるほど、冷静な口調で当麻が言った。
「伸に聞いたぞ。お前、あさって日本を発つんだってな。このまま、何も告げずに行くつもりか?」
「……当たり前だろう。何を言えっていうんだ。オレに」
「逢いたくないのか?」
「誰に?」
「水凪に」
ぐっと受話器を握る手に力がこもった。
「このまま、お前が日本を離れたら、もう誰も何もしてやれなくなる。お前はそれで良いのか?」
「…………」
「帰ってこないつもりなんだろう、どうせ」
「…………!」
受話器の向こうで小さく正人が息を呑む音が聞こえた。
「あんたの考えそうな事くらい解る。あんまりオレをみくびるな」
「…………」
ギッと正人は唇を噛んだ。

確かに、当麻の言うとおりだったのだ。
烈火の意識は、現れたり消えたりしながら、この1年間、ずっと正人と共にあった。
イギリスのまったく違う空気の中にいても、想いは消えず、ずっと心の中に黒い塊として残っていた。
このままでは、君が保たない。
ある時、そうつぶやいたのは、烈火の意識だったのだろうか。
今世でまで引きずる想いを断ち切るために決心したのは、烈火の意志か、正人の考えか。
今度、日本を発ったら、二度と戻ってこないつもりだった。
たとえ戻ってきても伸には逢わないつもりだった。
これ以上、この想いを抱えたまま、生きていく自信がなかったから。

烈火は、深い眠りにつくと言った。
もう二度と目覚めない、深い眠り。
死よりも深い。暗闇の底へ。
二度と自分が転生しないことを知っていたから。
これが、一番良い方法だと信じて。
やっとの思いで決心し、伸へ電話をいれた。
“行って来るよ”
勘のいい伸に気付かれないよう、精一杯の明るい声でそう告げた。
なのに……

「お前にだって解るだろう。いや、お前だからこそ解るはずだ。水凪が烈火を呼んでるんだ」

呼んでる。
解ってる。
あの、電話からずっと、ずっと。
どうしてこれ程、自分は弱いのだろうと、何度も自分を罵った。
なのに。
胸の鼓動が大きくなる。
止まらない想いが溢れだす。
どんなに抑えても抑えきれないその想いは、ただひとつの方向を目指し、今も溢れ続けている。

「……いったい、何を考えてるんだ。羽柴」
押し殺した声で、正人が訊いた。
「何を……? 決まっている。お前と同じ事だ」
「…………」
当麻の言葉に、正人が絶句した。
窓の外で微かに気の早い蝉の鳴き声が聞こえてくる。
もう二度と巡ってこないと思っていた夏。
正人は、汗ばんだ右手から左に受話器を持ち替えた。
「……それで、伸は自分の為に笑えるようになるのか……?」
長い沈黙の後、ぽつりと正人が言った。
「その為に、必要なんだ」
当麻が答えた。

 

―――――― チンっと受話器を置いた当麻の元へ、遼が思い詰めた表情をして現れた。
「……遼……」
「…………」
無言で遼は右手を差し出し、当麻の手の中に小さな珠を握らせた。
柔らかな光を放つ仁の珠。
烈火の心そのままに、その光は哀しい色をしていた。
「ありがとう、遼」
大事そうに仁の珠を握りしめ、当麻が言った。
「感謝するよ。」
低くつぶやき、当麻は2階への階段を上がりだす。
「……当麻!!」
突然、せっぱ詰まった声で、遼が当麻を呼び止めた。
「…………」
「……烈火は……烈火は、伸をつれて行きたがってるのか?」
「…………」
当麻がゆっくりと振り向いた。
「当麻、教えてくれ。烈火は……」
「昔、あの人はオレにそう言った」
「…………」
「だが、それは遙か昔の事だ」
「…………」
遙か昔。
遠い日の出来事。
そのまま当麻は遼に背を向け、再び階段を上がりだした。

「信じてやれよ、遼」
キッチンから顔をだして、秀が言った。
「本当は、記憶がある分、当麻が一番不安なんだよ」
「秀」
「あいつはずっと見てきたんだから。烈火の事も。水凪の事も。オレ達が忘れてしまったすべての出来事を、あいつは忘れることが出来ないんだから」
「……そう……だよな……そう……なんだよな」
言いながら遼は、壁に背を預けてずるずると床にしゃがみ込んだ。
「オレ、何で烈火の生まれ変わりじゃなかったんだろう」
悔しそうに、遼は自分の髪を掻きむしる。
「オレなんかより、きっと烈火が転生した方が良かったんだ。オレなんか、いつもみんなに迷惑かけてばっかで、全然役にたたなくて……絶対、烈火が転生してたほうが良かったんだ」
「遼……」
いつの間にか、征士も秀の隣で、俯いたまま悔しそうにそう言い続ける遼を見下ろしていた。
「烈火がちゃんと転生してたら、きっと伸だって当麻だって、もっと楽になれたんだ。なんで、烈火じゃなくて、オレなんかがこんな所にいるんだろう」
「遼」
静かな声で制止をかけ、征士が遼の前にしゃがみ込んだ。
「遼、確かに烈火は我々の立派なリーダーだった。強くて、信頼できて、優しくて。夜光にとって、奴はかけがえのない友だった」
「…………」
「だが、私はお前に出逢えて良かったと思ってる。烈火とは違う、お前という人間に出逢い、共に戦えた事を誇りに思っている」
「……烈火とは違う?」
「ああ。きっと伸もそう思っているはずだ」

烈火。
黒曜石の瞳をした、忘れ得ぬ親友。
共に戦った事が昨日の事のように思い出されるのに。
あれは、もう、遠い遠い遙か昔の出来事なのだ。

 

――――――コンコンと軽いノックの音と共に、当麻が伸の部屋に顔をだした。
「当麻」
ベッドの上に身体を起こし、伸が当麻を見上げる。
「具合、どうだ?」
「もう平気。そろそろ起きようかと思ってたとこなんだ」
「伸……」
「何?」
「……手を……」
「……?」
微かに震える手で、当麻は伸の掌の上に仁の珠を落とした。
「……!?」
手の中に光る珠の中にぼんやりと仁の文字が浮かぶのを見て、伸は驚いて顔をあげた。
「当麻……これ……」
「さっき、正人と連絡をとった」
伸が小さく息を呑む。
「もう一度、烈火に逢えるぞ。伸」
そう言った当麻の表情は、やけに苦し気だった。
少しずつ、珠の光が強くなる。
ふと、仁の珠へ視線を落とした伸の顔が、珠の光の為かぼんやりと淡く光った。
柔らかな栗色の髪。細い肩が今にも消えてしまうんじゃないかと思う程、儚げに見える。
「…………」
突然、何かに突き上げられるような衝動が当麻の心に沸き上がった。

水凪を……
烈火の言葉が当麻の耳に残る。

苦しげに目を細め、次の瞬間当麻の腕が伸の身体を抱きしめていた。
「……当麻……?」
微かに海の匂いのする伸の髪に顔を埋め、当麻は伸を抱きしめる腕に力を込める。
当麻の腕から、言いようのない不安が感じられ、伸はそっと手をのばし、当麻の少し硬い髪を撫でた。
「……伸……」
ほとんど聞き取れないほどの声で当麻がささやく。
「……伸……」
繰り返す波のリフレインのように、当麻の声は、伸の耳に心地よく響いていた。

やがて、仁の珠に共鳴して、伸の懐にあった信の珠が柔らかな光を放ちだした。
まるで、引き合うようにお互いの珠が光を強めていく。
当麻は、名残惜しそうに伸の身体を離し、立ち上がった。
珠の共鳴は益々強まり、光の強さは目に痛いほどになっていく。
「烈火だ」
ぽつりと伸がつぶやいた。
遙か昔の、烈火が歩んできた奇跡が光の中に存在している。
烈火の想いが、見えてくる。
光の強さが部屋の中全体を包み込むほどになった瞬間、伸の耳に波の音が聞こえてきた。

 

――――――ザザーン……。
波が、砂浜の上の自分の足跡をさらっていくのを、正人はじっと見つめていた。
ドクン……!
胸の鼓動が大きくなる。
「解ってる。解ってるよ、烈火」
低く正人がつぶやいた。

正人の足下で、波が弾けた。
繰り返し、繰り返し、規則正しい音と共に弾ける波は、すべて違う水飛沫に変わる。
耳の奥に波の音が聞こえた。
今聞こえている波の音と、遙か昔に聴いた波の音。
伸と共に、それこそ何十回、何百回と聴いた波の音。
転げ回って遊んだ砂浜。すべって怪我をした岩場。作りかけのまま流されてしまった砂の城。

正人は大きく深呼吸をして目を閉じた。
「烈火。聞こえるか?」
自分の中に呼びかける。
「烈火。解るだろう。水凪が呼んでる。あんたを呼んでるよ」
つぶやきながら、正人はゆっくりと天を仰いだ。
「ほら、水凪が呼んでる」
胸の奥でずっと燃えさかっていた炎。烈火の炎。
心が呼ぶ。鼓動が重なる。
「いいんだよ、烈火。ずっとあんたはそれを望んでいたんだ」
守りたかった小さな命。澄んだ緑の瞳。
もう、手を触れることすらないと思っていた大切な愛しい命。
初めて出逢ったあの瞬間から。
愛おしいと思ったあの瞬間から。
永遠の想いは、遙か彼方に。

ザバーンっと、正人の足下で波が大きく跳ねた。
そして、心は過去へ。
遙かなる過去へと。

第1章:FIN.      

2000.3 脱稿 ・ 2001.3.17 改訂    

 

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