鼓動−第1章:追憶−(4)

炎の中の彼の人。
託された赤ん坊を腕に抱きあげたまま、水凪はじっと立ちすくんでいた。
目の前で烈火の命の炎が消えていくのを、何もできないまま、じっと見つめていた。
あの時から、水凪の瞳は何も映そうとしなかった。
立ち止まったまま、水凪は二度と自分の為に歩こうとしなかったのだ。
何も見ない。何も聞かない。何も想わない。
水凪は心を殺した。必要ないものだったから。
そう、水凪には、必要なかったのだ。何もかも。
烈火への想い以外は何も。自分自身でさえも。

「伸、大丈夫か?」
当麻が軽く頬を叩くと、伸がうっすらと目を開けた。
「……当麻……?」
「…………」
伸の首に腕をまわし、ベッドに寝かせると、当麻はそっと伸の髪に触れた。
「当麻……水凪を……助けて……」
消え入るような声で伸が言った。
「あの子はずっと暗闇でうずくまったままなんだ。立ち上がることも、歩くこともせず、暗闇の中で烈火のことを想ってる」

烈火。
懐かしい彼の人。
守りたくて、守りたくて、守りきれなかった、彼の人。
手を伸ばしても届かない。もう二度と逢えない、彼の人。

「お前は……?」
そっと当麻が言った。
「お前はどうなんだ? お前にとっても、まだ烈火だけが心の支えなのか?」
伸がふっと笑った。
「ほら、やっぱり解ってない。僕のこと」
「…………」
「当麻はずるい。いつもそうやって、実は僕の事、信じてないだろ」
「…………」
「僕はね、君の声が聴きたかったんだ。1年前、君が僕を捜して家に来たあの瞬間から。ううん、もっとずっと前から」
「…………」
「僕は、君の声が聴きたかった。君がどんなふうに話すのか。どんなふうに笑うのか。ずっと、ずっと、僕は君のことを思い出したかったんだ」
「…………」
「あの時、僕を動かしたのは、他の誰でもない、君だよ、当麻」
「……伸……」

萩の海で、哀しそうに自分を見上げた伸の瞳。
覚えていないはずなのに、同じ目をして、同じ言葉を言ってくれた。
抱きしめた腕のぬくもりも、少しも変わらなくて。

正人と烈火の力で過去が変えられた。
伸と出逢わない過去など、考えたくなかった。
伸のそばに居られなくなるなど、伸が自分の事を知らないなど。
それだけは、我慢できなかった。
思い出すことが伸にとって本当に幸せだったのかなんて、今も解らない。
ずっと、不安で。
不安でしかたなかった。
正人の想いが真剣であればあるほど、あの時の烈火と重なっていく。
死してなお、水凪のことを想っていた烈火と。

「何処へも行くなって言ったよね。ずっと、そばに居るって……そう言ったよね。僕をつかまえていてくれるんだよね」
「…………」

そばに居る。そう誓っていたはずなのに。
お前さえそばに居てくれるなら、と。ずっと、そう願っていたのに。
何も出来なくても、ずっとそばにいると。
お前をおいていったりしないと。
そばにいて、お前だけを見ているからと。

「ごめんね、当麻。痛かったろう。手加減しなかったから」
伸が申し訳なさそうに手をのばし、そっと当麻の左の頬に触れた。
「ごめんね」
「……伸……」
頬に触れた伸の手は温かかった。
「許してくれる……?」
「……許すも何も、オレが悪かったんだから」
ふわりと伸が笑った。
この笑顔を守るためなら、どんな事でもする。
この愛しい人が倖せに生きることが出来るなら。
誰よりも、誰よりも、倖せに生きることが出来るなら。
「伸、烈火に逢いたいか?」
「…………」
伸は無言で当麻を見つめ返した。
「このままじゃ、水凪はずっと烈火を探し続ける。烈火もだ。……あいつは何も告げずに出発するつもりだろうが、そんなこと出来るわけない。心が呼んでるんだ。どんなに頭で理解してたって、心がお互いを呼んでいるんだ。このままじゃいけないって」
「…………」
「烈火に逢いたいか?」
微かに伸が頷いた。

 

――――――「当麻! 伸の具合は? 今、秀に伸が倒れたって訊いて……それで……」
伸の部屋をでたとたん、待ちかまえていたように遼が当麻のもとへ駆け寄って来た。
「オレ、さっき伸に酷い事言っちまって……」
必死な遼。
水凪が守ろうとした小さな命。
「会ってこいよ、遼。伸も今は落ち着いてるから、話も出来るよ」
「大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫。きっと、伸もお前が来るのを待ってるよ」
背中を押して遼を部屋の前に立たせ、当麻はそのまま階段を降りていった。
「…………」
当麻の足音を背中で聞きながら、遼はそっとドアノブをまわす。
うすく開けたドアの隙間から伺うように顔をだすと、すぐに伸が気付いて顔をあげた。
「遼……!」
少し顔色は悪かったが、いつも通りの伸の笑顔に多少ほっとして、遼は静かにドアを閉じ、伸のベッドの脇に駆け寄った。
「大丈夫なのか? 伸」
遠慮がちに遼が訊くと、伸は遼を安心させるように頷きながら柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。ごめんね、心配かけて」
「伸……あの……さ…さっきは、ごめんな」
「遼」
遼の言葉を遮って伸がベッドの上に身体を起こした。
「君に聞いて欲しい話があるんだ」
「…………」
「今すぐには無理かもしれないけど、いつか、そのうち君に聞いて欲しい話がある」
「…………」
「大切な人の話。君に仁の珠を受け継がせた、大切な人の話を聞いて欲しい」
「それって……烈火の事?」
遼が訊くと、伸はそっと頷いた。

烈火。
前世での烈火の戦士。
遼の記憶の中にあるのは、最期の戦いの炎の中の烈火の姿。

「今ね……自分でも解らないんだ。君を見ていて烈火の事を思い出しているのは、本当に僕自身の心なのかどうか」
「…………?」
「僕の中にね……もう1人の僕がいるんだ」
「…………」
「烈火が逝ってしまってから、心を殺してしまった小さな少年の僕。光一つ射さない真っ暗闇の中で、膝を抱えてうずくまってるんだ」
「それ……」
「うん、前世の僕の姿。当麻と違ってほとんど僕はその頃のこと覚えてないんだけどね」
そう言って、伸はくすりと笑った。
「自分の事なのに、自分じゃない気がする」
「…………」
「だけど、ひとつだけ覚えてることがある。僕にとって……ううん、水凪にとって、烈火は父であり、兄であり、何者にも代え難い存在だった。それだけは覚えてる。きっと永遠に忘れない……ずっとずっと、遙か昔の思い出だけどね」
「…………」
「まるで映画でも見るみたいに鮮明に思い出せるんだ。烈火の最期の笑顔と、僕の腕の中で引きつった泣き声をあげた赤ん坊」
「……赤ん坊……?」
「烈火が僕に託した命。小さくて真っ白な命……僕は、烈火との約束を果たすためだけに生きていた。烈火が託してくれた赤ん坊を守ることだけ考えてた。何があってもこの子だけは守るんだって」
「…………」
「燃えさかる炎の中で、その事だけ考えてた」

腕に抱いた赤ん坊。
この子を守るんだ。
あなたとの約束だから。
いつか、あなたが戻って来た時、よく頑張ったな水凪って、頭をなでてくれるように。
笑顔を見せてくれるように。

絶対に信じたくなかった。
あなたがもういないなんて。
もう、何処にもいないなんて。
あなたがもう二度と転生しないなんて。
だから。
約束を守ろうと。
この子だけは守ろうと。

そう、心に誓って。

「遼、いつか、ちゃんと話すから。僕が平気であの頃の事を思い出せるようになったら、君に一番に聞いて欲しいから」
「……いつか……?」
「そう、いつか」
「……解ったよ、伸」
遼が頷くと、伸の顔が嬉しそうにほころんだ。

 

――――――「本気……なのか? 当麻」
征士がその紫水晶のような瞳を曇らせて当麻を見た。
「本気で言っているのか?」
「ああ」
「…………」
当麻の言葉を理解できないと言った表情で、征士が小さくため息をついた。
「これがベストの方法かどうかなんてオレには解らん。だが、このままじゃいけないって事だけは解る。だから」
「…………」
「今しかないと思う。きっとチャンスは今日限りなんだ」
「…………」
「鎧珠の共鳴と、正人の協力があれば、再び烈火を呼び出せる。この後、正人に連絡をとって協力をあおぐつもりだ」
「…………」
「ここ数日の異常気象は烈火の所為だ。それだけでも、なんとかしなきゃいけないって思うだろ」
まるで、自分自身の不安を誤魔化すかのように、当麻はいつもに比べて饒舌だった。
「いいのか? 当麻」
反対に、そう言った征士は、なんだかとても不安気だった。
「お前は、それでいいのか? ……相手は烈火なんだぞ」
「…………」
当麻の饒舌がぴたりと止まった。

今も、目の奥に焼き付いている。
翻ったカーテンと、黒曜石の瞳。
“水凪を……水凪をつれて行ってもいいだろうか”
そう言って透き通るような視線を向けた、漆黒の髪の青年。
あの時と同じ表情で、烈火は当麻を見つめた。
心だけになってしまった烈火の、狂おしいほどの想い。
何十年、何百年たっても、変わらなかった想い。
桜が散るたび思い出す、届かなかった想い。

「解ってる。でも、それでも、オレはあの2人を逢わせてやりたい。どんな事をしても逢わせてやりたいんだ」
伸。
譲れないただひとつの想い。
その為に。
「オレは、水凪に伝えてやりたい。烈火がどれほど水凪のことを想っていたか。何よりも水凪自身に気付かせてやりたい。烈火は決して水凪をおいていったんじゃないって。解らせてやりたい」
「…………」
「烈火がいなくなって、水凪の時間は止まってしまった。オレ達が何を言っても水凪の心には届かなかった。もう一度、水凪を立ち上がらせる為に。あの小さな少年が笑顔を取り戻せるように。その為に、烈火にもう一度逢わせてやりたいんだ」
「…………」
「でないと、オレはきっと、いつかオレ自身を許せなくなる」
「…………」
ふっと微かに笑い、征士がソファから立ち上がった。
「征士?」
「遼に話してくる。仁の珠がいるのだろう?」
「……征……」
軽く頷き、征士はそのまま居間を出ていった。

烈火。
遙かなる彼の人。
もう一度、あなたの想いを。
届かなかったあなたの想いを。
もう一度。

誰よりも強く、誰よりも弱かった烈火。
あなた程、前世の想いを引き継いで転生した人はいなかった。
だからこそ、あなたは生き続けることが出来なかった。
何度転生しても、忘れない。
自分も。恐らく伸も。
永遠に、あなたのことだけは忘れないだろう。

当麻は1人、静かに瞳を閉じた。

 

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