鼓動−第3章:未来−(2)

ゆっくりと瞳を開けた伸を見て、遼の顔が嬉しそうにほころんだ。
「遼……?」
微かな声で伸は遼の名を呼び、そっとその手をのばす。
「……伸……」
「……ただいま、遼」
そう言って伸は手の中に握りしめていた仁の珠を遼の手に握らせた。

大切な守るべき真っ白な生命。
愛しい烈火の意志を受け継いだ、ただ1人の人間なのだ。遼は。

「伸……」
「ごめんね、遼。たくさん心配かけて。もう大丈夫だよ。もう、何処へも行かないから」
「……うん」
小さく頷き、遼は伸が目覚めた事を征士達に告げる為、階下へと降りていった。
遼の足音が聞こえなくなって、ようやく伸は先程からじっと壁際にもたれてこちらを見つめている当麻へと視線を向けた。
「……何も言ってくれないのかい? 君は」
「…………」
「僕、ちゃんと戻って来たよ」
「伸……」
「君の声が聞こえたから。君の所へ戻ってきたんだ」
「…………」
伸の元へ歩み寄り、当麻はその宇宙色の瞳で、そっと伸を見つめた。
「当麻」
「……なんだ?」
「烈火から伝言」
「…………」
当麻の瞳が僅かに揺らいだ。
「辛い思いをさせて済まなかったって。本当に済まないことをしたって」
「…………」
「ごめんね、当麻」
「…………」
「もう、大丈夫だから」
伸がふわりと微笑んだ。

「当麻、ひとつお願いがあるんだけど、いいかな」
伺うように視線をあげて、伸が言った。
「…………?」
「明後日、僕と一緒に大阪へ行って欲しいんだ」
「……えっ?」
当麻が驚いて目を見張る。
「大阪?」
「正人のね、見送りに行きたいんだ。関西国際空港まで」
「あ……ああ。それで……」
「一緒に来てくれるかな?」
「オレが?」
「そう、君が」
「…………」
「僕のそばにいて、僕を捕まえていて欲しい」
「……伸……?」
「僕の心が、もう二度と何処へも行かないように、君に捕まえていて欲しいんだ」
「…………」
「駄目……かな……?」
答える代わりに当麻はそっと伸の身体を抱きしめた。
懐かしい海の匂いがした。

 

――――――その日、関西国際空港のロビーはものすごい人だかりだった。
足早に行き交う人々の波を避け、伸は当麻と共に、イギリスへと旅立つ正人を見送った。
「元気でね」
かたく握手を交わし、伸は正人へ別れを告げる。
「わざわざ来なくても良かったのに……こんな所まで」
所在なさげに頭を掻きながら正人が言った。
「だって、今逢わなかったら、次いつ逢えるか解らないんだし。ちゃんと見送りたかったんだ」
「伸……」
少し淋しそうな伸の顔を見て、正人がふっと笑った。
「大丈夫。今生の別れじゃないんだし、いつだって連絡とれるよ。手紙も書くし、電話だって出来る。ちょっと国際電話は高くつくけど、必ず連絡するから……な」
「うん」
「お前からの電話なんか取り次がねえよ」
横から口を出した当麻を伸はじろりと睨み付けた。
「当麻、そう言うことするんなら、金輪際君のために食事は作らないからね」
「じょ……冗談だってば、伸」
当麻が情けない顔で許しを請うと、正人が声を立てて笑い出した。
「じゃ、羽柴の邪魔が入らないようにメール送るよ」
「あ、それがいいかも」
慌てる当麻を無視して、2人はにっこりと笑いあった。

たとえ、どんなに遠く離れていても、お互いの存在を感じることが出来る。
いつだって逢える。
この空が続く限り。生きているのだから。

ふと、伸が懐かしそうに目を細めて正人の耳元に口を寄せた。
「烈火、聞こえる?」
「……!」
「また、逢えるよね、烈火。遙か先の未来で」
正人の目が驚きに見開かれた。
「何度転生を繰り返しても、僕はあなたを忘れない。どれだけ時を隔てても、どれだけ世界が変わっても、僕はあなたを見つける自信がある。あなたの事だけは解る気がする」
「……伸……」
「だから、いつか、きっと逢えるよね。あなたに会う為に僕は何度だって転生する。どんな運命も変えてみせるから」

だから、もう一度逢おう。
あなたがすべてのしがらみから抜け出して、真っ白な新しい生命として、再びこの世に生まれることを信じているから。
ずっとずっと信じているから。
「伸……」
正人の瞳を見つめ返し、伸がふわりと笑った。

何度転生しても。
どれ程変わっても。きっと解る。
お互いの事だけは、きっと解る。

戦うための転生じゃなく。
巡り逢うための転生を続ける。
そしていつか。
幸せな。
幸せな笑顔を、あなたと交わせるように。

正人の中で、黒曜石の瞳が微かに揺れた。

「烈火、オレもひとつあんたに言いたい事がある」
当麻の言葉に、正人が顔をあげた。
「強くなることは決していけない事ではない。ただ、一言で強いと言ってもいろんな意味がある。あんたの望んだ強さは、戦う為の強さじゃなく、護る為の強さだった」
「…………」
「なら、決して強くなることはいけない事などではない」
「羽柴……」
「オレはずっとあんたの強さに憧れていたんだ。本当だぞ」
そう言って、当麻は懐かしそうに笑った。
「いつか、また逢おう」
ゆっくりと烈火がそう言った。

いつか、再び。
その時こそ、この想いが。貴女へのこの想いが、届きますように。

 

――――――キーンと耳をつんざくような音と共に、正人を乗せた飛行機が飛び立った。
すーっと白い飛行機雲が後を追いかけるように続いていく。
眩しそうに両手をかざし、伸はフェンス越しに空を見上げて言った。
「もっと、いろんな事を烈火と話せたらよかったな、あの頃。」
「……伸……?」
「ずっとそばにいたのに、何をしてあげればいいのか、あの頃全然わかんなくって。烈火が辛そうにしていても、どうしてあげればいいのかわかんなくって。僕の手はあの人を支えきれなくて。それが悔しくて仕方なかった」
「それでも、お前は充分烈火の救いになっていたよ」
「……そう……なのかな……?」
「そうなんだよ」
「……変なの」
「何が」
「君が言うと、本当にそうなんだって思えてくる」
「…………」
「戦いの意味も、烈火の悩みも、あの頃僕は漠然としか解ってなかったんだけど、今は少し解る気がする」
「…………」
「あの人が遼に珠を受け継がせた意味もね……少し、解る」

遼は純粋だった。
彼は迷わずに自分の振るう剣が正義だと信じてくれる。
ただ、純粋に平和のために剣を振るう事が出来る。
そして、そんな遼だからこそ、自分達は命を懸けて守りたいと思ったのだ。
みんなが心を一つにして、遼を守りたいと思ったのだ。
それは、烈火が望んだ想いだ。
誰かを護りたいという、切ない想いだ。
烈火が望み、憧れた。ただ一つの。

「オレも……だ」
「…………?」
「オレもやっと少しあの人が解った気がする」
「当麻・……?」
「記憶バンクだなんだって言っても、自分以外の人間を全部理解することなんて出来やしない。なまじ記憶がある分、解ってたつもりになってただけなんだって、気付かされたよ」
「…………」
空を見上げる当麻の横顔を伸がじっと見つめた。
「オレ、一年前、正人に言われたんだ。記憶バンクは記憶することが使命だけど、オレが記憶しているのはただの事件であって、想いじゃないって。オレには烈火が何を考えていたのかなんて解らないだろうって」
「正人が……?」
「ああ。でも、本当だったんだよ。オレも烈火のこと、解ってなかったんだ。きっと」
「……わかんなくって良いんじゃない?」
当麻が思わず伸を見ると、伸は変わらぬ澄んだ瞳で当麻を見上げていた。
「わかんないから相手のことを解ってあげたいって想いが生まれるんだ。わかんないから、相手に解って欲しいって気持ちになるんだ。そうなる前に、相手のこと全部解っちゃったら、こんなつまんない事ないよ」
「…………」
「当麻だって僕の事解ってなかった。僕だって君の事全部なんて解らない。でも、だからこそ、君の事をもっと知りたいって思える」
「…………」
当麻は言葉をなくして伸の緑の瞳を見つめた。
本当に、こういう時に特に思う。
もう、これ以上ないくらい伸の事を想っていたつもりだったのに、さっきより更に伸を好きになっている自分がいる。
ほんの一瞬前より更に伸を愛しいと思っている自分がいる。

当麻は思わず腕をのばし、伸の身体を抱き寄せた。
「ちょっ……当麻! いきなり何するんだよ」
「いいだろ、少しくらい」
「よくない! 離せよ。人が見る」
「やだね。絶対離さない」
「当麻ー!!」
鼻先に触れた伸の髪からは海の匂いがする。
伸の抵抗などお構いなしに、当麻は伸を抱きしめる腕に力を込めた。
「当麻、いい加減にしろよ!!」
暴れる伸を押さえ込み、当麻はその耳元にそっと唇を寄せ、ささやいた。
「ずっと、そばに居るからな」
「…………一生言ってろ、バカ」
当麻の言葉に呆れたようにつぶやきながら、ふと、伸は嬉しそうに笑った。

第3章:FIN.      

2000.4 脱稿 ・ 2001.5.5 改訂    

 

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