記憶の中で・・・(4)

雨が降っていた。あなたがいなくなってからずっと。
血で汚れた体を雨が洗い流してくれた。
でも、胸の中にぽっかりあいてしまった空洞は、もう埋めることはできない。
今では、もうあなたの笑顔を思い出すことができない。
あなたは本当にいたんだろうか。
僕は此処にいるんだろうか。

雨。
悲しみはいつも雨の中。
何故、戦いが繰り返されるのですか。何故、我々は出逢うのですか。
こんな想いをするのなら、あなたに出逢わなければよかったと、そう思うことが出来たら、どんなにか楽でしょうか。
だが、もう手遅れです。
僕の心は、もう、あなたのことでいっぱいなのです。
死してなお、僕の心に、あなたの想いは残るのです。

烈火。永遠の人。

 

――――――「遼!」
雨の中、ようやく伸が遼を見つけた時、遼は家の近くの林の中にずぶぬれでうずくまっていた。
体が火のついたように熱いことから、もう随分前からずっとこうしていたことがわかる。
「遼…………」
名前を呼んでみるが、反応はない。
遼の頬を伝う雨が、まるで涙のように見え、伸は思わず苦しげに瞳を閉じた。
「…………」
『まるで罪滅ぼしをしているみたいに見える。前世の』
さっきの当麻の言葉が、胸にこたえた。
これは罪なのだろうか。
じぶんは遼に対して負い目を感じているのだろうか。
だとしたら、何故。
何故、自分は遼に対してこんな気持ちになるのだろう。
『……な……ぎ……』
「……!?」
ハッとなって伸は顔を上げた。
「誰?」
『水……凪……』
頭の中に響く声。
何度も聞いた呼びかけ。
これは。
この声は。
「……烈火……?」
そうつぶやいたとたん、不意に伸の服の中にいれてあった信の珠が白く光った。
「うわ!」
あまりの眩しさに目がくらむ。次いで頭が割れるような痛みにおそわれ、伸は何かに引きずり込まれるような感覚の中、ついに意識を手放した。

 

――――――烈火が、初めて水凪を見たのは弥生の季節。
盗賊に襲われた小さな村で奇跡的に生き残っていた幼子。それが水凪だった。
両親も知り合いも全て殺され、村に生き残っていたのは、ようやく歩けるようになったばかりの幼子一人。
烈火はその幼子に水凪と名前を付け、自分達の住む集落へ連れ戻った。
それから、ずっと、烈火は水凪の親代わりであり、兄であり、友だった。
水凪は常に烈火の後をついてまわった。
置いていかれないように、足手まといにならぬように。烈火以外に頼る者がいなかった水凪にとって、烈火は世界の全てだった。
烈火の為なら、何をするのも惜しいと思わなかった。
例え自分の命でさえも、烈火のためになら投げ出せると思っていた。
そして、いつか自分の手で烈火を護れるように。
戦い続ける烈火を、自分の手で護れるように。
それだけが水凪の願いだった。

 

「烈火――!!」
水凪が声にならない叫びをあげたのは、ちょうど太陽が真上に昇った頃。
立っていてさえ汗が出てくるような暑さの中、烈火の鎧が真っ赤に染まった時だった。
「…………!!」
普段なら、軽くかわせたであろうその攻撃をよけきれなかったのは、その少し前、水凪を助ける為に右肩を怪我したせいと、そして、今まさに炎の中で家の下敷きになろうとしていた赤ん坊を庇った為だった。
「烈火!!」
火の粉が舞う中、恐れもせず水凪は烈火の元へ走り寄り、まだ、烈火の胸にささった剣を放そうとしない男の懐に飛び込み、その腕をたたき落とした。
「……!!」
悲鳴をあげる間もなく、その男の首は胴体から切り離される。
真っ赤な血が吹き出し、炎の赤と相まって妙に不思議な光景の中、返り血を浴びて、水凪は鬼神のように立っていた。
「みず……な…ぎ……」
烈火の声に弾かれたように水凪が振り向くと、烈火はあふれ出る血の海の中、微かに微笑んでいた。
「……烈火! 烈火!!」
烈火の周りにはどんどん血溜まりが広がっていっている。誰が見ても助かる可能性など見いだせない状態だ。
つかんでいた剣を取り落とし、水凪は急いで烈火の元へ駆け寄った。
「烈火! しっかりして!!」
「強くなったな……水凪」
烈火は確かに笑っていた。
「烈火……?」
「お前はもう充分強くなった。オレが居なくても大丈夫だな」
そう言って水凪に微笑みかけたまま、烈火は血に染まった腕の中に、さっきの赤ん坊を抱き上げた。
「水凪……この子を……」
「…………」
「まだ、生きてる……だから……」
最後まで言葉を続けることが出来ず、烈火は激しく咳き込んだ。口に添えた手の指の隙間から、血が滴り落ちてくる。
「烈火!」
降りかかる火の粉から烈火の身体を守りながら、水凪は必死で烈火の体を抱え上げようとした。
「無駄だよ、水凪……」
烈火の言うとおり、鎧の重さも相まって、水凪の力では少しも動かすことが出来ない。
自分の非力が情けなく、水凪の目から大粒の涙が溢れ出した。
「さ……行くんだ、水凪」
「あなたも一緒でないと嫌だ!」
「わかってるはずだ、水凪」
「…………」
「みんなの所へ行くんだ」
「……嫌だ!」
ポロポロ涙を流しながら、水凪はきっぱりと言い切った。
「水凪……」
「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!!……あなたと一緒でないと嫌だ。一緒に行くんだ!!」
「水凪……いい子だから」
有無を言わせぬ烈火の声に、それでも少しの抵抗を試みる。
「嫌だ……」
「行くんだ」
「……嫌」
「みず…………」
「絶対、絶対、嫌だ!!」
とうとう、水凪は烈火の首にしがみつき、声をあげて泣き出した。
それに触発されたのか、赤ん坊が烈火と水凪の間で、ひきつったような泣き声をあげる。
「……あ」
「わかったろう、水凪…………行くんだ」
「…………」
「生きるんだ、お前は。生きて、この子を護らなくちゃ」
まだ、あふれ続ける水凪の涙を烈火は手でそっと拭い、優しく言った。
「護ってくれるな」
「…………」
「……水凪」
微かに水凪が頷いた。とたんに再び目から涙がこぼれ落ちる。
烈火がようやく安心したように笑った
「それでこそ、オレの好きな水凪だ」
水凪が赤ん坊を腕に抱き、そっと立ち上がった。
「烈火…………」
最後にもう一度、名前を呼んでみる。
烈火はそれに答えるように笑った。とても、とても、とても優しく。
烈火の笑顔は涙でかすんでよく見えなかった。
外へ出ると、炎はもう消えかけており、いつの間にか雨が降っていた。
ああ、そのせいで炎がひろがってこなかったんだなと、ぼんやりした頭で水凪は思った。
腕の中の赤ん坊は、何事もなかったかのように、すやすやと寝息を立てて寝ている。
その握りしめた手の中に、ひとつの珠が光っていた事を、その時水凪は気付くことが出来なかった。

 

――――――ずっと逢いたかった赤い鎧。
萩の街に居た頃から。迦雄須に出逢う前から。
何故なのかわからなかったが、伸は自分の中に赤い鎧への想いが日毎に膨れあがっていくのを感じていた。
だから、初めて遼を見た時、心臓が止まるほど驚いた。
そして、同時に伸の中に違和感が走った。
逢いたくて。逢いたくて。逢いたくて。
護りたくて。護りたくて。護りたくて。
純粋な慕う気持ちと同じだけの違和感。どうしようもない戸惑い。
その意味が、今、やっとわかった。
「……オレ、不思議だったんだ。征士や当麻は当たり前のように前世のことを口にしているのに、オレにはそんな記憶が一切なくて……どうして烈火であるオレが、全然覚えていないのか」
「…………」
「オレは、烈火の転生した姿じゃなかったんだ。オレは、烈火じゃなくて……烈火が助けたあの赤ん坊の……」
「黙って……遼」
暖かな部屋の中で、遼をベッドに寝かしつけながら、優しく伸が言った。
開け放した窓から、雨上がり後のしめった風が入ってくる。
手をそっと遼の額にのせると、遼がくすくす笑った。
「冷たくて気持ちいいな、伸の手は」
「それは、遼が熱だしてるからだよ」
遼がまた、くすくすと笑った。伸もつられて微笑む。
なんだか泣きそうになって、伸は慌てて大きく息を吸い込んだ。
「ずっとね……ずっと、考えていた。何故、君なのか考えていた。いつも、いつも考えていた。何故、君でなければならないのか。ずっと考えていたんだよ。僕は」
「……伸?」
「でも、やっと解った。僕は君を護るために此処にいるんだ」
「…………」
「僕達は君に出逢うために集まった。僕達は君を護るために戦った。君は、烈火が護ろうとした純粋な想いそのものだ。赤ん坊の、無垢な心のままに生きてる」
「伸……オレは……」
「僕達は生まれる前に出逢っていたんだよ。それだけで充分じゃないか」
「生まれる……前に……?」
優しく伸が笑った。空には虹がかかっていた。
しばらく後、遼が静かに寝息を立て始めたのを確認すると、伸は音を立てないように、そっと部屋を出た。

 

――――――廊下に出ると、当麻が少々バツの悪そうな顔で心配気に壁にもたれて立っていた。
隣には征士と秀も居る。
「遼の様子は?」
征士の問いに、伸は安心させるように頷いて答えた。
「ん、大丈夫。今眠ったとこ。熱もすぐ治まりそうだよ」
「良かった」
嬉しそうに秀が笑った。
「じゃあ、遼が目を覚ましたとき飲めるようにスープでも作っておいてやるか。行くぞ、征士」
「ああ」
秀に促され、征士はちらりと当麻を見た後、下へと降りて行った。
当麻は所在なげに前髪を掻き上げ、伸を伺うように見る。
「あ……あのさ……伸」
「大丈夫だよ。僕は」
「…………」
ふっと笑みを浮かべて伸は当麻を見上げた。
「きっと君にはたくさん心配かけたんだろうね。ごめんね、当麻」
「伸……」
「僕は大丈夫。あれは過去の事なんだから。確かに僕は水凪だけど、今は毛利伸だ」
「…………」
「僕は毛利伸だ」
「…………」
「だから……大丈……」
言いかけた伸の言葉を遮るように、当麻が突然伸を抱きしめた。
「……!?」
一瞬、身体を硬直させた伸は、慌てて当麻から身体を引き剥がそうとする。
「と……当麻?」
「伸、もう一度聞いていいか」
ギクリと伸の動きが止まる。
「お前は烈火のこと、どう思っている」
「…………」
「水凪としてではなく、毛利伸として、どう思っている」
「…………」
何も答えない伸の目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……伸?」
「ノーコメント」
一言だけそう言うと、今度こそ伸は当麻から身体を引き剥がし、階下へと降りて行った。
これから、何もかもが始まるのだ。
そう、当麻は思った。
外側での戦いではなく、心の内側の戦い。
負ってしまった傷口の、癒されぬ心。
届かない想い。

烈火、あなたは僕のすべてだった。

FIN.    

1990.3 脱稿 ・ 1999.11.3 改訂 ・ 2004.8.28 再改訂

 

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