記憶の中で・・・(3)

「僕、もっと強くなります!」
あどけない顔をして、少年が言う。
「頼もしいな。どれくらい強くなる予定なんだい」
剣の手入れをしながら、青年が答える。
「あなたを護れるほど」
「あはっ、そりゃあいい。期待してるよ」
「信じてないでしょ。本当なんだから」
「信じてるよ」
「嘘」
「信じてる」
「……本当?」
「信じてるよ」
「……うんっ!」
あの頃、一番楽しかったあの頃。笑って、笑って、戦いなんて遠くの世界の話で。
いつも、あなたといられたあの頃。
空が碧く、鳥が鳴いて、小川には魚がいて。

あの頃、一番あなたのことを知らなかったような気がする。

 

――――――目が覚めて、初めて伸は自分が泣いていたことに気がついた。
急いで飛び起き、隣のベッドを見ると、秀は相変わらずすやすやと、気持ちよさそうな寝息をたてている。
伸はそっとベッドから降りて、秀を起こさないよう気を遣いながら、カーテンを開けた。
長い夜がやっと明けだした頃らしく、窓から日の光が微かに届いてきている。
でも、いつもより暗く感じるのは、山の上に広がっている分厚い雲の所為だろうか。
伸は僅かに目を細めて、手をかざした。
ほんの少し心が重い。
夕べ、当麻が秀と征士に小突かれながら、必死な顔をして伸に謝ってきた。とりあえず『気にしてないよ』と、許しはしたが、ずっと明け方近くまで眠れなかった。気にしていないなんて大嘘だ。
そして、ようやく明け方うとうと出来たと思ったとたんに夢を見る。
起きると同時に淡雪の様に消えてしまったかすかな夢。とても大事な夢だった気がするのに、どうしても思い出せない。ただ、湿り気を帯びた枕と、頬に残る涙の残骸が、それがとても哀しい夢だったことを伸に教えていた。
着替えをすまし、階下へ下りる。
台所に火を入れ、朝食の支度を始める。
やはり、窓の外では雨雲が今にも涙雨を降らせそうに、重くのしかかっていた。
「いつも早いな、伸は」
後ろから声をかけられ、伸が振り向いてみると、今起きたばかりなのだろう、まだパジャマ姿の遼がタオルを持って立っていた。
「おはよう、遼」
にこりと笑った伸の顔を見た遼の表情が、不安気に曇る。
遼の表情の変化に伸が戸惑う間もなく、遼は小走りに伸のそばへ寄ってくると、まじまじと伸の目を覗き込んだ。
相手の目を真正面から見るのは遼の癖なのだと、頭で理解していながら、未だに伸はその行為に慣れることが出来ずにいる。
「な……何、遼」
「伸……伸、お前、もしかして泣いてたんじゃないのか」
「……!」
言われて伸は自分の目が赤く充血していたことに気付いた。
しまったと思っても、もう遅い。いつも完璧主義の伸らしくない失敗だった。
「……あ……これは、さっきゴミが目に入って…………その……目をこすったから……」
我ながらとってつけたような言い訳だなあと、自覚しながらも、しどろもどろに伸は答えた。
どうも、遼に対して嘘をつくのは、それがどんな些細なことでも小さな良心の呵責を覚える。これが、当麻相手なら、平気で嘘でもでたらめでも言えるのに。
伸は必死で遼を安心させるための笑顔を作った。
「ホントに何でもないんだな」
「何でもないない」
背中を押して、遼を洗面所へ追いやると、伸は微かにため息をついた。
本当は全然何でも無くないのだ。
「胃炎になったら、治療費は当麻に請求してやろう」
誰にともなく、伸はそうつぶやいた。

 

――――――「今、何か言った? 遼」
ふと、名前を呼ばれたような気がして、伸はキッチンから洗面所に向かって声をかけた。
「いいや」
口に歯ブラシをつっこんだまま、遼が首を振る。
確かに、あの状態で呼ぶわけはないなと思い、伸はキッチンに戻って鍋の中に味噌汁の具を入れ始めた。
「お、美味そうな匂い」
味噌汁の香りにつられて起きてきた秀がキッチンに顔を出す。同時に、征士らしい足音が階段を下りてくるのも聞こえてきた。
いつも通りの朝の風景。
火を止め、みんなが降りてきたのを幸いと、テーブルの用意を命じると、伸は征士が言うには起きるには起きたらしい当麻を連れおろしに2階へ向かった。
「…………」
再び、声が聞こえた気がした。
2階へ向かうと、何故か声のイメージが強くなる。
何かの想いを感じる。
なんだろう。
そう思って、伸は僅かに首をかしげ、ゆっくりと当麻達の部屋のドアを開けた。
「当麻、起きたんなら、みんなと一緒に朝食食べちゃってよ」
予告なしにドアを開けた伸の目に映ったのは、気持ちよさそうに寝息をたてている当麻の姿だった。
「……って、おい」
大きく大きくため息をついた伸は、次の瞬間、当麻がくるまっていたシーツを力一杯引き剥がした。
「うわ!!」
見事に床で三回転半ころげ回ってくれた当麻は、枕を抱えたまま派手に呻き声をあげて、伸を見上げた。
「し……伸?」
「お、は、よ、う」
嫌みたっぷりの伸の挨拶に、当麻の顔から血の気が引く。
昨日の事もあって、お互い神経がピリピリしているのが手にとるように分かるのがまた緊張感を増幅させる。
それでも、なんとか一見冷静なふりを装うと、当麻は立ち上がって抱えていた枕を自分のベッドの上にポンと投げた。
「目が覚めたんなら、さっそく行動開始してくれない? でないと当麻の分の朝食、秀に預けることになるよ」
「……わかったよ。すぐ行く」
「じゃ」
言いながらくるりと背中を向けかけた伸の動きが一瞬止まった。
まただ。
また、誰かに呼ばれたような気がした。
「…………」
「何?」
服を着替えていた当麻が、いつまでも出ていかない伸に気付き、顔をあげた。
「まだ、何かあるのか?」
「……あの……当麻、ひとつつかぬ事を質問してもいいかな」
「…………?」
「君さ……君、さっき、僕のこと呼んだ?」
「へ?」
「あ……あの……だから」
「………………」
「あ……やっぱり、いい。気のせいみたいだから。何でもない、忘れて」
多少焦りながら出て行こうとした伸の腕を、その時とっさに当麻が掴んだ。
「……当…麻?」
伸が驚いて振り返る。
「名前、なんて?」
「……えっ?」
「なんて呼ばれた?」
「…………」
当麻に掴まれた腕が痛む。これはかなりの力で掴んでいるようだ。
痛さに顔をしかめて伸は当麻を睨みつけた。
「君、僕に触れて欲しくないんじゃ無かったの」
「なんて呼ばれた?」
伸の言葉が聞こえないのか、当麻は同じ質問を繰り返す。
「当麻……痛い」
「なんて呼ばれた」
「………………」
「……水凪か?」
「……!!」
当麻の言葉に弾かれたように顔をあげ、伸は掴まれていた腕を思い切り引き剥がした。
「み……水凪……?」
「そうだ」
とたんにあやふやだった夢の断片が繋がっていった。
今朝の夢。
いや、今朝だけじゃない。
ここのところずっと見ていた夢。
赤い。赤い鎧の夢。
懐かしい彼の人の。
「じゃあ……あれは、あの夢は……あの……」
赤い鎧。癖のある漆黒の髪。黒曜石の瞳。
彼の人。
護りたくて。
「知ってる……? あれは、誰。あの人は誰」
護りたくて。護りたくて。
「あれは、烈火だ」
護りきれなかった彼の人。
「烈火? だって……あれは、あれは遼じゃなかった。絶対、遼じゃない」
寂しげに自分を見下ろす黒曜石の瞳。
決して遼のものではあり得ない瞳。
「……遼じゃない」
「そうだ。あれは遼じゃない。あれは烈火。オレ達の本当のリーダーだ」
「本当のって……それ……じゃあ、遼は……」
「遼はオレ達の仲間ではなかった」
「……!!」
ガタッと、その時まるで伸の言葉を遮るように、外の廊下で微かな物音が聞こえ、2人はハッと口をつぐむと急いでドアを開けた。
「遼!」
「……あ……あの、2人が遅いから……オレ……呼びに……その……」
当麻も伸も、この場を取り繕うことが、どう頑張っても出来ないであろう事を、その時直感していた。

 

――――――その日の朝食はいつになく静かだった。
当麻もいつもの大食いをまったく発揮せず、ご飯のおかわりもしないまま、早々に部屋に引きこもってしまった。
伸は、朝食後、全員の分のコーヒーを入れ、居間の中央のテーブルに置くと、秀達に後片付けを命じ、ここにいない当麻のために、コーヒーを持って2階へあがっていった。
「なんか、まだ機嫌悪い? 伸」
秀が探るように征士に聞く。
「私は知らん。当麻にでも聞けばよかろう」
「あっそ、やっぱり……」
しょうがないなという顔をして、秀は自分の分のコーヒーをコクリと飲んだ。
2階へと向かった伸は、ノックもせずにドアを開けると、スタスタと部屋に入り、当麻が座ってる椅子の横のサイドテーブルにドンッと無言でコーヒーを置いた。
かなり乱暴に置いたはずなのに、中身のコーヒーは一滴もこぼれていないのはさすがというか何というか。
「なんだよ、その態度。黙ってることないだろ」
当麻が言った。
「別に話すこと無いから黙っているだけだよ」
とりつくしまのない伸の様子である。
「なに怒ってるんだ」
「別に怒ってない」
「じゃ、イライラしてるだろ」
「イライラもしてない」
「じゃ、拗ねてるんだ」
「拗ねてない。僕は……」
「そんなに遼に聞かれたことがこたえるのか」
伸の言葉を遮り、当麻がぽつりと言った。
一瞬ひきつったように伸の目が見開かれる。
朝から続いた曇り空がとうとう持ちこたえられなくなったのか、その時、雨になって窓ガラスに線を描きだした。
「さっきのことはまずかったと思ってる。だが、オレは嘘は言ってない。それに隠してたってどうこうなるもんじゃない。しかも、烈火が遼とは違う人間だと先に言ったのはそっちだぞ」
「分かってるよ。でも、だからって、あんな……あんな言い方」
「…………」
「あんなふうに、遼に聞かれて……あれは……」
今も目に焼き付いている、さっきの遼の目。あの子にあんな悲しい想いをさせてしまうなんて。
自分たちの不用意な言葉で、どれほど傷つけてしまったのか。
それを思うと、どうしようもない後悔の念に苛まれる。
「遼の事になると必死だな」
軽い嫉妬に似た気持ちを抱え、当麻は言った。
雨の音が一段と大きくなり、部屋の中が一瞬雷のため、白く光る。
「最近どうかしてるよ当麻は。どうしてそんな事言い出すんだよ。気に入らないな」
「お前の遼に対する態度こそ気に入らないぞ」
「どういうこと」
「お前を見てると、まるで罪滅ぼしをしているみたいに見える。前世の」
「……!!」
当麻は目をそらさなかった。瞬きひとつもしなかった。
その宇宙色の瞳は何もかも見通している様で、先に目を伏せたのはやはり伸のほうだった。
「罪……滅ぼし……?」
「ああ」
「何を……言ってんだよ。僕が何の罪を負ってるっていうんだ……僕は別に……」
「じゃあ訊くが、お前、烈火の事をどう思ってるんだ」
「遼の事?」
「違う。烈火の事だ」
「言ってる意味が分からない」
サイドテーブルに置かれたコーヒーを取り、一口飲むと当麻は立ちあがった。
「夢を見たんだろう。赤い、烈火の鎧の夢を。なら、答えられるはずだ。烈火の事をどう思っているんだ」
「なんだよその質問は。もう、いい加減にしてよ」
いまいましそうに伸はため息をついた。
「答えろよ、伸」
「どう思ってるも何も、僕は過去のことなんかほとんど思い出してもいないって昨日も言ったじゃないか」
「じゃあ、お前は気がついていないとでも言うのか。自分がどんな目をして遼を見ているのか」
「当麻……?」
思わず後ろへさがった伸を追いつめるように、当麻は壁際へ詰め寄った。
「いつもいつもだ。どうしてお前はあんな目で遼を見る?」
「当麻……何を言って……」
「いつだってそうだ。お前はそんなにあの人が大事か? 自分を捨てても構わないほどあの人だけが大事なのか? お前はまた同じことを繰り返すのか?」
背中を壁にぴったりつけて、伸は当麻の目を見上げた。
「何……言ってるのか……わからな……」
「いい加減にしたらどうだ。当麻」
いつの間にか、征士が部屋の戸口の所に立っていた。
「征士」
ちょうどいい助け船が来たとばかりに、伸は当麻の腕の下をくぐり抜け、征士の所へ走る。
きつい目をして当麻を一瞬睨み、次いで征士は伸の方に向き直って言った。
「すまんが伸、遼を探してきてくれないか」
「えっ?」
征士の言葉に思わず当麻も顔をあげた。
「遼、いないの?」
みるみる伸の顔が青ざめていく。
「ああ、さっきから姿がみえないんだ。家の中に居ないと言うことは外へ出ていったらしいんだが、傘も差していかなかった様だし、気になって。それと……」
「それと……?」
「姿が見えなくなる前に、遼が私の所に来て言ったんだ。前世のことを思い出しているなら、教えて欲しいと」
「…………」
思わず当麻と伸が顔を見合わせた。
「遼は訊いてきた。自分は私たちの仲間ではなかったのか……と」
「…………!」
次の瞬間、伸は遼を探しに外へ飛び出していった。
「……あの2人は、真実を知るぞ。これは、お前の望んだ結果か? 天城」
かなり不機嫌そうな声で征士はそう言い放った。
外では雨がさらに激しさを増している。
「……雨か……この雨は貴様の所為だな」
「……分かってる」
苦々しげに当麻が頷いた。 

 

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