記憶の中で・・・(2)

 

夢の中の赤い鎧、烈火の鎧。
一番見て欲しくない光景。
解ってる……征士に言われなくても充分承知している。
でも、どうしようもない。
不安になるんだ。
お前が、オレの手の届かない所で、泣くんじゃないかと。
不安で不安でたまらなくなる。
……烈火。
あんたのことを思いだしちまう。
伸……水凪は、きっともうすぐあんたのことを思い出す。
どんなに代わりに夢を見ても、オレの手は届かない。伸の夢をオレは追いきれない。
あいつはもうすぐ思い出す。

烈火。あんたのことを……

 

――――――「烈火が見えたのか」
「ああ」
「だからお前は、それから毎晩、伸の夢に同調しているのか」
「…………」
「当麻!」
「夢を……代わりに見たいと思った。伸があのことを思い出さないでいられるのなら、どんな事でもしたいと思った。どんな事でも。それが叶わないのならせめて伸が思い出した時、一番近くに居てやりたかった。オレは……」
「当麻。貴様には自分のしていることが解っているのか」
「……充分解っている。オレは冷静だ」
「貴様の行動の何処が冷静だと言うんだ。それが智将のするべきことだとでも思っているのか」
「思ってねえよ。解ってるよそんなこと。でも、じゃあ、どうしたら良いんだよ! このまま、無防備に伸があのことを思い出したらどうする気だ。相手はあの烈火なんだぞ!」
「思い出したからと言って、ああなるとは限らんだろう」
「ならないとも限らない」
立ち上がり、真っ正面から征士を睨み付けた当麻の顔は、少し青ざめて見えた。
「だいたい、何で今更、あの人が出てくるんだ。伸はオレと違って記憶バンクでも何でもない。思い出す必要なんかないじゃないか。それなのに……今更のこのこ出てきて、あの人は伸を……水凪をどうしようっていうんだ」
「此処に居ない者をなじるのは少々酷というものだぞ」
静かに征士が言った。
とたんに当麻の表情が険しくなる。
「酷だと? 何を言ってる。勝手に戦線を離脱したのはあっちじゃないか……一人だけはずれて、オレ達を置いていって……あの時、オレ達がどんな思いをしたか、一番知っていたのはあの人だろう!」
「当麻……」
「……それとも何か?……夜光、あんたは知っているのか。オレ達に言わなかったことも、あんたになら言うだろう。あんたは何か聞いているのか。あの人の言葉を。あの人が此処にいない理由を」
「…………」
「教えてくれよ。何故、あの人はいない。何故、独りで逝ってしまった。知っているなら答えろ! オレを納得させろよ!」
「当麻、勘違いするな。私は夜光ではない」
ゆっくりと、かみしめるように征士が言った。
当麻は、酷く苦しげに顔を歪ませ、そのまま床へと座り込んだ。
「……分かってる。オレだってそんなこと分かってる……けど、納得出来ない」
「…………」
「居ないなら、もうオレ達の前から消えてくれよ……どうせオレは覚えてるんだから、忘れる事なんてないんだから。だから……オレだけでいいじゃないか。オレ一人で充分じゃないか。これ以上伸をを惑わすな。悲しませるな。あいつに思い出させる必要がどこにある!……あの人はあいつをつれていく気なのか……あいつを縛りつけたいのか……冗談じゃない!……冗談じゃないよ」
「…………」
その時、ちょうど洗濯物を取り込み終えた伸が、ドアを開けて中をのぞき込んできた。
どうやら2人の声が廊下まで響いていたようだ。
「何を騒いでるんだよ、2人とも」
話の内容までは聞き取れなかったのか、伸はいつもと変わらぬ表情で軽く当麻を睨みつけた。
「寝過ぎで体力有り余ってるなら、部屋に籠もってないで外へ行ったら? きっと遼達もいるよ」
伸が入ってきたことで、一瞬表情を硬くしていた征士は、伸の態度にほっと安心したように表情を和らげ、床に座り込んでいた当麻の腕を掴んで引き上げた。
「ちょうど良かった、伸。当麻を頼む」
「えっ? 頼むって……ちょっ……征士……どういう……」
伸の言葉が終わらないうちに、征士はそのまま当麻を抱え上げ、伸の腕の中に倒れ込ませた。
とっさに当麻を抱きかかえる形になった伸は、勢い余って当麻と共に床へ崩れ落ちる。
「…………?」
その時になって初めて、伸は当麻の様子が尋常で無いことに気付いた。
「当麻……どうしたの?」
うつむき、小刻みに震えている当麻を見て、思わず伸は当麻を支える腕に力を込める。
「当麻…………?」
当麻の頭を抱え込むように、伸は自分の胸に当麻を引き寄せた。
そんな伸の様子を横目で確認して、征士はさっさと部屋を出ていってしまった。
「当麻……?」
意味がわからないまま、それでも伸は当麻の頭を抱え込み、その蒼い髪をそっと手で梳いてあげた。
「当麻……どうしたんだい? 当麻?」
「………………」
やがて、当麻の体の震えが少しずつ治まってきたと思えたその瞬間、伸の頭の中にあるイメージが弾けた。
「え……!?
伸の頭の中にひろがる赤いイメージ。
それは、炎の中の赤い鎧と、寂しげな瞳をした独りの青年。
「うわ……!!」
次の瞬間、伸は当麻に腕をふりほどかれ、思いっ切り壁に叩きつけられていた。
「痛っ……」
あまりの突然の出来事に、一瞬何が起こったのか分からず、伸は呆然として当麻を見上げた。
「出て行け……」
当麻が言った。
「……え?」
何を言われたのか理解できず、伸はさっきぶつけた腕をさすりながら当麻を凝視する。
「出て行け! オレに触るな!」
「何……当麻」
「オレに触れるな!!」
あまりの迫力に気圧され、絶句した伸は、次いですくっと立ち上がった。腕がずきずきと痛み出す。
痛くて痛くて。
あまりの痛さに、伸はぎゅっと唇を噛みしめた。
「……分かったよ。出ていけばいいんだろ」
低くつぶやき、伸は乱暴にドアを開け、外の廊下の壁にもたれていた征士に無言できつい眼差しを送ると、そのままベランダへと出ていった。
かなり派手な音を立てベランダへ通じる硝子扉が閉じられたのを確認して、征士は部屋へと戻っていった。
部屋の中では、当麻が床に座り込み、頭を抱えている。
「……何故、伸を呼んだ」
つぶやくように当麻が言った。
「なんで、あいつを呼んだんだよ」
「別に呼んだ訳ではない。ちょうど伸が通りかかったのだ」
そう言って、征士は当麻の前に膝をついた。
目線の高さを同じにして、当麻の顔を覗き込む。
「伸が来たおかげで落ち着いただろう。それに、お前は伸を必要としていた」
「…………」
風が部屋の中を通り過ぎ、広げたままの本のページをひとつめくる。
当麻がやりきれないといったふうにため息をついた。
「それ程……」
征士が言った。
「お前は、それ程、伸を護りたいのか」
ようやく当麻が顔を上げた。
「本当に、お前はどうしようもない男だな」
「……コウ……オレ……オレ、どうすればいい?」
「…………」
「どうすれば……オレは……あいつを……」
「…………」
ほんの少し、当麻を見つめる征士の表情が和らいだ。

 

――――――「伸、こんな所で何してるんだ」
秀の声に、ベランダでずっとうずくまっていた伸は、ようやく顔をあげた。
さっきまで真上にあったはずの太陽は、もうすっかり傾き、地面には長い影がのびている。
また随分長い間ここにいたんだなと、ぼんやり思いながら、伸は曖昧な笑みを秀に向けた。
「ちょっと考え事。何でもないよ」
「考え事ねえ。当麻との喧嘩が原因か?」
少々あきれながら言った秀の言葉に、伸がぴくりと反応した。
「……何で、当麻?」
「いや、さっきさ、当麻がオレに、代わりに伸に謝っておいてくれって。自分は伸の顔を見る勇気がないからって、言ってたからさ」
「そう……なんだ」
そっけなく答え、伸はため息をついた。
「まったく、なに痴話喧嘩してんだよ、お前等」
「誰が痴話喧嘩だ、誰が」
「じゃあ、何だよ」
けらけら笑いながら、秀は伸の隣に、どかっと腰を降ろした。
「はたから見てっと、お前等のは痴話喧嘩以外のなにものでもないぞ。原因は何なんだよ」
「原因も何も、当麻は僕を嫌ってるんだ。たいした理由なんてない」
「……へ?」
驚きに目をまん丸に見開いて、秀はまじまじと俯いている伸を見つめた。
「当麻がお前を嫌ってる? それは穏やかじゃないな。どういうことだよ。あいつがお前を嫌うなんてあり得ないだろ」
「あり得るよ」
「なんで?」
「だって……当麻が言ったんだ」
伸の声はほとんど消え入りそうだった。
「何を……?」
「…………」
「何を言ったんだよ。当麻は」
「…………」
「伸……?」
「オレに触れるなって」
「はぁ?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、秀は立ち上がった。
「何だそれ。どういうことだよ」
「知らないよ。そう言ったんだから」
拗ねた目をして伸はそう言い、膝を抱え込む。太陽はすでに半分程、地面に顔を隠していた。
「……ま、元気出せよ。あいつの事だ。何か理由があったんだろ」
ポリポリと頭を掻きながら秀はわざと軽い口調でそう言った。だが、伸は膝を抱える腕を崩そうとしないまま、更にうつむいてしまう。
「どんな理由だよ。僕が嫌いなら、そう言えばいいんだ。だいたい君を使って様子探らせるなんて、失礼にも程がある。顔も見たくないほど僕のことが嫌いならはっきり正面切って言えばいいんだ。そのほうがよっぽどすっきりするのに」
「…………おいおい」
確かに当麻は自信家で、言いたいことはずけずけ言うところがあるが、他人が本気で傷つくようなことは決して言わない。
秀はそっと伺うように伸を見つめた。
「……当麻はさ、きっと不安なんだ」
「不安って、何が」
しばらく後に言った秀の言葉に、伸はそっと顔をあげた。
「不安なんだよ。お前を傷つけるんじゃないかと。」
「…………?」
思いもかけない秀の言葉に、伸はまじまじと夕焼けに赤く染まった秀の顔を見上げた。
「オレ、思うんだけどさ、当麻はお前に触れるなって言ったんだろ」
「うん……」
「じゃあ多分、これはオレの勘なんだけど。当麻に触れるとお前が傷つくんだ」
「どういうこと……?」
「うーん。オレもよくわかんないんだけど。そうだなー、例えばさ、当麻に触れた時、何か見えなかった?」
「…………えっ?」
「間違ってたら悪いんだけど、当麻はお前に触れてほしくなかっただけなんだ。お前のことが嫌いとかそんなんじゃなくて、きっと」
「…………」
「当麻ってさ、頭いい分いろんなこと知りすぎて、考えすぎるんだよ。そして、何もかも自分が答えを出さなきゃいけないと思いこんでる。だから、時たま、あいつの身体の中に、あいつの想いが収まりきれなくなって、飛び出してきちまうんだ」
「身体の中から……?」
「……きっと見せたくなかっただけなんだ。お前には」
「…………」
そういえば、あの時、何かが見えたような気がしたとたん、当麻は自分を引き剥がした。
では、何を。
当麻は何を見せたくないのだろうか。
ゆっくりと立ち上がり、伸は空を見上げた。
頭上で気の早い一番星が輝きだしていた。  

 

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