記憶の中で・・・(1)

もう、あなたの姿が見られないのなら、こんな目なんかいらない。
もう、あなたの声が聞けないのなら、こんな耳なんかいらない。
もう、あなたの想いを感じられないのなら、こんな心なんかいらない。
もう、僕自身なんか、何もいらない……

何も、何も、いらない。

教えて下さい、僕のいったい何が足りなかったのか。
強くなるための、どの努力が足りなかったのか。
教えて下さい、何故、今、あなたはいないのか。
教えて下さい…………
何故、あなたがいないのに僕は生きねばならないのか。
僕にとって、もう生きる意味など何処にもないというのに……
あなたがいたから生きてきた。あなたに追いつくために強くなった。
あなたを護れるように、足手まといにならないように。
共に走るために、強くなった……

それなのに。

 

―――――――「相変わらずベッドから落ちるのが好きな男だな、貴様は」
頭上からのとてもとても冷たい声に当麻が渋々目を開けると、やはりそこにはいつもと同じ、毎朝、見慣れた顔がのぞき込んでいた。
切れ長の目。スラリとした長身。とても日本人とは思えないその姿の主は、あいもかわらず何の表情の変化も見せない。
落ちた時打ったのであろう、少し痛む左腕をさすりながら、やっと当麻はごそごそとシーツの山から抜け出すと、自分を見下ろす同室の仲間である征士を、恨みがましい目で見上げた。
「あのさ、少しは落ちる前に助けてやろうって気にならんのか、征士」
「お前の目を早く覚まさせたいのなら、黙って見ているのが一番だと言われたのだが」
「誰に……?」
「伸に」
「…………」
おもわず、また床とお友達になりかけた当麻は、一瞬後、気を取り直すと、立ち上がってベッド脇に引っかけてあったシャツとズボンを手に取った。
やはり朝は苦手だ。
当麻は、どうも朝の眩しい光というのが苦手だった。
征士に言わせると、夜きちんと規則正しく眠らないから体内時計が狂って朝が起きられないのだと言うが、はっきり言って睡眠時間など大阪にいた頃はもっと極端に少なかったはずだ。今更そんなことが理由で起きられないわけはない。
みんなには低血圧である所為だと言っておいたが、そんなことが理由なのではない。
誰に言われずとも解っている。
自分が朝が苦手な理由。
いや、眠りと現実の境目が大嫌いな理由。
悪夢にうなされる理由。
「そうだ、当麻。伸が10分以内に下りてこなければ食事は抜きでいいな、と伝えてくれ……と」
「なんでそれを早く言わん!!」
征士の言葉が終わらぬうちに、さっきまで半分寝ぼけていたはずの当麻が、まるで加速装置でもつけたような勢いで部屋を飛び出して行った。
「…………」
相変わらず食事のこととなると、当麻は常人では考えられないスピードがでるらしい。
やはり奴はただ者ではないなあ等と思いながら、征士は大きくため息を洩らす。
部屋には、まだ床の上でくしゃくしゃになっているシーツの山と、さっき脱ぎ捨てた当麻のパジャマが、まるで征士にたたんでくれとでも言うように微笑みかけていた。

 

――――――「まったく。君は何時間眠れば気が済むんだい」
「そう言いながら、オレの起きる時間にあわせて味噌汁暖めてくれるんだよね、伸ちゃんは」
「反省する気がないね。当麻」
軽く当麻の頭を小突きながら、伸はさっき暖めなおした味噌汁をお椀に注いで当麻の前に差し出した。
嬉しそうにそれを受け取ると、早速、当麻はがっつくように食べだす。
自称グルメだとか言いながら、当麻は伸の作った料理にだけは、一度も文句を言ったことがなく、秀に言わせると、当麻のグルメは毒かそうでないかを見分ける程度のグルメなのだそうだ。
そういうものを果たしてグルメと呼んでいいものかどうか、はなはだ疑問が残るが、とりあえず文句も言わず食べてくれる相手というものは、食事の作り手側としてはそう悪い気がするものではないのは事実。
呆れた顔をしながらも、伸は美味しい美味しいと言って食事を続ける当麻をなんとなしにじいっと見つめていた。
「おかわり!」
「いったい何処に食べた物が入っていくのか、不思議でならないよ」
三度目のおかわりのご飯をよそってやりながら、伸は大袈裟に肩をすくめた。
確かに一目で大食漢と分かる体型の秀と違い、当麻は驚くほど細い。もしかしたらこの家の中で一番痩せ形と言われる体型ではないだろうか。当麻に言わせると、栄養がすべて頭へいくので太らないのだそうだが、そんなことを信じているのは、この家の中で遼くらいのものだろう。
「どうでもいいけど、明日からはちゃんとみんなと一緒に朝食取ってよね。あとから洗い物が増えるのは面倒だからさ」
「努力はするが、なかなか難しいんだよな、これが」
努力などしているとは思えないが。
小さくつぶやきながら伸は空いたお皿をまとめ、流し台に運ぶとスポンジに洗剤をつけて洗い出した。
キッチン内に洗剤の香りがぱあっと広がる。
「……ねえ、夕べは何時に寝た? 当麻」
洗い物をしながら伸が背中越しにそう訊くと、当麻は食べ続ける手を止めることなく、僅かに首をかしげた。
「何で?」
「夜遅いから起きられないんだよ。分かってる?」
「分かってる分かってる」
まったく。伸も征士と同じ事を言う。似たもの同士って奴だろうか。この2人。
当麻はそのまま伸が用意した朝食という名の残り物を次々に平らげながら、ぼそりとつぶやいた。
「そんなガミガミ言わなくても、オレ、夕べはちゃんと12時にはベッドへ入ったぞ」
「ベッドへ入った時間を訊いているんじゃないよ、当麻」
「………………」
「すくなくとも、3時までは起きてたよね」
洗っても洗っても増え続ける食器の山に、洗うことを一時諦めて、伸は当麻の正面のイスに腰掛けた。
「何だ、それ。その3時の根拠は何処にあるんだ」
「下へ水飲みに降りて行っただろう」
「あれは、ふと目が覚めて……」
当麻の言葉に伸の眉がぴくりと跳ね上がった。
「ほう、君の口から“ふと目が覚めて”なんて言葉を聞くとは驚きだなあ」
とたんに伸の口調がきつくなる。当麻はしまったと一瞬顔を強ばらせた。
そうなのだ。この家の中で一番怒らせて始末が悪いのは伸なのだ。それも秀と当麻にとっては特に。
なんせ、今、彼らの全食生活を握っているのは、他でもない伸なのである。
これ以上、機嫌を損ねない方がいいと判断した当麻は、4度目のおかわりをついでもらいながら言った。
「多分、4時半頃には寝たと思う」
「……4時?」
「ああ」
「どうしてまた、そんな時間まで眠れないんだい?」
「……わからん」
なんとも言えない顔をして伸は残りのおかずを一つの皿に盛りつけ直すと、空になった皿を流し台に置き、再び洗い物と格闘を始める。
「ただ……」
洗い物をする伸の背中を見つめながら、当麻がポツリとつぶやいた。
「ただ……何?」
「夢を見る」
伸の動きが止まった。
「……夢?」
「ああ……夢……だ」
「…………」
シンとした部屋の中に、流しっぱなしの水のザーという音だけがやけに大きく響いていた。

 

――――――「どの程度昔のことを思い出した?」
「さあ、僕は君ほど頭良くないから。あまり思い出してるっていう自覚ないんだ」
しばらくの沈黙の後、口を開いた当麻の質問に伸は気のない返事を返すと、朝干しておいた洗濯物の様子を見にキッチンを出ていった。
後を追うように当麻も2階へあがったが、伸は一度も振り返ることなく廊下の突き当たりから、ベランダへと出ていってしまう。
伸の後ろ姿をじっと見送った後、ひとつため息をつき、当麻が部屋へ戻ると、部屋では征士がベッドの脇のサイドテーブルに本を積み上げ、読書にふけっている最中だった。
横を見ると、さっき脱ぎ捨てたパジャマがきちんとたたまれて当麻のベッドの上に置いてある。
「さすが、征ちゃんvv」
素直に感謝の言葉を述べ、当麻は自分のベッドの上に腰掛けると、さっき伸がいれてくれたコーヒーを征士に渡した。
「ほい、コーヒー。お前の分も持ってきてやったぞ」
「それはすまない。感謝する」
征士は読んでいた本を脇に置き、当麻からコーヒーを受け取った。
少し苦めの味がする濃いコーヒーだった。
「そういえば当麻、最近、夜何をしている」
唐突に征士が言った。
「何って……何?」
「…………」
「何の事を言ってるのか見当がつかんが、夜は別に普通にベッドで寝ているが……」
「そうか。ならいいが」
「何が言いたい?」
本当に、伸といい征士といい、どうしてこうストレートに探りをいれてくるのだろう。
何処まで解っていて聞いてきているのか、多少身構えながら当麻はじっと征士を見返した。
征士は当麻の視線の意味を受け止め、ひとつ瞬きをすると真っ正面から当麻を睨みつけるような鋭い視線を向けた。
「ひとつ気になることがある」
「…………」
「この間、お前は明け方に伸達の部屋に行っただろう。何をしていた」
「…………」
当麻が飲みかけのコーヒーをゆっくりサイドテーブルに置くと、風のためか窓ガラスが少しきしんだ音をたてた。
「……最初は二週間ほど前だったか。夜が遅いのはいつものことだったが、あの日はそのいつもの時間より更に遅くお前は部屋に戻ってきた」
「…………」
「それからほぼ毎日。お前は皆が寝静まってから伸達の部屋に行ってるだろう。何をしている」
「……それを聞いてどうする」
「お前の寝不足と体調の悪さを軽減させる方法を考えようと思ってな。同室のよしみとして」
「それはどうも。だが、その心配は不要だ」
「当麻」
「それに、これはオレが勝手にしていることだ」
「…………勝手に? つまり、お前は伸に対し、勝手に『何か』をしているんだな」
征士の指摘に、当麻はバツの悪そうな顔をする。
「征士。揚げ足とるなよ」
「揚げ足ではない。私は何をしているのか聞いているだけだ」
「それを揚げ足取りだって言うんだ。だいたい知ってどうする。あんたに烈火の夢を引き受けさせるわけにはいかないじゃないか」
「……烈火?」
「…………」
今度こそ本気で当麻はしまったという表情をして口をつぐんだ。
「どういう意味だ。当麻。烈火がどうしたんだ」
「………………」
「当麻!」
「………………」
しばらく後、とうとう観念して当麻は重い口を開いた。
「わかったよ。わかりましたよ。話せばいいんだろ。話せば」
「………………」
征士が思った通り、当麻が伸の状態に気付いたのは、二週間前の事だった。
夜、午前3時頃の事である。いつものように書斎でずっと歴史書とパソコンに埋もれていた当麻は、壁時計の時間を確認して、さすがに部屋に戻った方が良いだろうと、パソコンの電源を落とし、音を立てないように2階へあがっていった。
時間は真夜中というのもはばかられるほどの深夜。明け方と言ってもいいほどの時間帯。
皆、寝静まっていて当然のはずなのに、何故か伸と秀の部屋のドアの隙間から、微かな明かりが洩れていた。
不審に思い、当麻がそっとドアを開けると、秀は確かに気持ちよさそうに寝息をたてて寝ていた。
そして、そのまま視線を奥の方へ向けると、伸が胸の上に広げたままの本をのせ、それでも静かに寝息をたてているのが見えた。
「伸が明かりも消さずに寝ちまうなんて珍しい。そう思ってオレは部屋の電気を消そうとスイッチに手をかけた。その時……」
「その時?」
その時、心の何処かで警鐘が鳴った。
そうだ。
普段なら、小さな物音がしただけですぐ目を覚ますはずの伸が、当麻が入ってきたのにも気付かずに眠っているというのはかなり不自然なことではないだろうか。
少なくとも今までこんなことはなかった。
いつもきっちりしているはずの伸が明かりをつけたまま眠ってしまっていることも、こんな時間になるまでそのまま眠り続けていることも、ドアが開いたのにも、当麻が入ってきたのにも気付かないなんて。
あまりにも伸らしくない。
少し寝苦しそうな伸の表情を見て、当麻はそっと伸のベッドの脇に近づき、胸の上にあった本をどけてやろうと、伸にふれた。
「……その時、目の前が真っ赤に染まった」
「………………」
征士は無言で当麻に続きを促す。
「赤のイメージ。それは烈火だった。伸の身体の奥から烈火のイメージが飛び出してきているような印象を受けた」
小さく息を吸い込んで、征士はそう言った当麻を見つめた。
「やばいって思った。そして、どうしようもなく恐くなった。恐くて恐くて、オレは自分の身体が震え出すのを止められなかった」
「……当麻」
「あの人は……烈火は……」
「…………」
烈火。
遙かな過去。自分達のリーダーだった烈火の戦士。
鎧の名称がそのまま本人の名前となったのは、後にも先にも彼一人だろう。
それほどに、彼は『烈火』そのものだった。
他の誰よりも、烈火そのものだった。

 

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