透明な鏡−第1章:遠い記憶−(2)

「まったく、自分の感情に素直な事が悪いとは言わんが、もう少し周りを見ろ、当麻」
ふてくされたような視線を向ける当麻に、征士が呆れたように言い放った。
「オレは嘘は言ってない」
「誰も嘘だとは言ってない。周りを見ろと言っているだけだ。あまり伸を困らせるな」
当麻がピクリと眉を上げて征士を見た。
「………すいませんねえ………根が自分に正直に出来てるもんで」
「開き直るつもりか、貴様は」
呆れつつ肩をすくませ、征士がふっと笑った。
「まあ、とりあえず喧嘩の原因は判明したのだろうな」
征士の言う喧嘩とは、お好み焼き以前の、当麻が置いてきぼりを食った事に対するものだということは明白である。
先程の騒動の時から流しっぱなしだった水を止め、征士を振り返って当麻がニッと笑った。
「原因っつーか。まあ、な」
「なら、良かった」
「なんだなんだ。オレが一方的に悪いとか何とか言っておきながら、お前も気にしてたんじゃないか」
「気にするも何も、伸の機嫌の悪さが我々にまで影響してきてはかなわん。お前が悪いだろうというのは今でも思っている事だぞ」
さらっと言ってのける征士に嫌そうな顔をして当麻は征士に向き直った。
「最近性格の悪さに拍車がかかってきてないか?征ちゃん」
「私は以前からこんなものだぞ」
「へいへい」
ポリポリと頭を掻いて当麻が大げさに肩をすくめてみせた。
「まあ、伸との喧嘩の原因はただの誤解だったんだよ。ちゃんと話せばよかったんだけどさ。っつっても話す間もなく早とちりしたのは向こうだけどな」
「早とちり? 伸が?」
慎重な伸らしくない。
征士のストレートな疑問の目が当麻に向けられた。
「だってさ、あれは早とちり以外の何物でもないぜ。そりゃ確かに美人だったけど、オレの好みじゃないし、だいたい他人様の物を横取りする趣味はないしなあ………」
「………?」
何の事を言っているのか解らず、征士が首をかしげた。
当麻はそんな征士を見て、ほんの一瞬躊躇したあと、意を決したように真っ直ぐに顔をあげた。
「今日、意外な人に会ったんだよ」
「意外な人……?」
「そう」
「………」
「とびきりの美人。大抵の男なら振り返って見るんじゃないかってくらいのすこぶるつきの美人さん」
「………」
「本当、綺麗だったよ相変わらず。一度見たら忘れられないのもわかる」
「当麻?」
「まさか、あんな所で会うなんて、偶然ってのは怖いなって」
「当麻………! 回りくどい言い方は止めろ。いったい誰に会ったというのだ」
「今日、あんたの……いや、違う。夜光の姫さんに会ったんだ」
「なっ………!?」
傍目にも解るほど、征士の表情が硬くなった。
「ぬか喜びはさせたくなかったから、もうちょっと確信を得てからきちんと話そうと思ってたんだけど、まあ、いいか。十中八九間違いないだろうし」
動揺を必死で押し隠しながら、征士は震える声で当麻に言った。
「馬鹿な。あの方は我々とは違う。そんな形でこの世に転生などするわけがない」
「ああ、確かにオレもそう思った。さっきも言ったように、あの人が姫さん本人かどうかの確信はまだない。だが、他人だというにはあまりにも似すぎている。オレは一度しかまともにあの姫さんを見たことはないが、あの人の顔は嫌と言うほど覚えている。コウが初めて恋をした相手だ。叶わなかった恋の相手だ。見間違えたりなんかしない。あの人は何処かであの姫さんに繋がっている。だから………」
「だから………?」
押し殺した声で征士が訊いた。
「あとでちゃんと話そうと思ってたんだけどさ。なんとか今度逢えるよう時間作ってもらったから、そん時にでも………」
「逢ってどうなる。それでどうにかなるとでも思っているのか!?」
「えっ?」
滅多に声を荒げない征士の大声に、当麻は驚いて言葉を途切らせた。
「何にもならない。そんな事をしたって、私にはどうすることもできない!」
「………」
懐かしい。遙か昔のおぼろげな記憶。
初めて逢った幼い日のあの瞬間から、姫が亡くなるまでの数年間。
二人の時間が重なったのは、本当にほんの僅かな時間だったはずなのに、それでも充分な程、それは夜光にとって忘れられない大切な記憶となった。
大切な夜光の記憶。
「征士………どうしたんだよ、急に………逢いたくないのか? 姫さんだぞ。コウがずっと逢いたがっていた姫さんなんだぞ」
「………」
「征士……?」
「私は……」
「………」
「私はごめんだ。そんなこと!」
「………!?」
吐き捨てるように言って征士はキッチンを出ていった。
「お……おい、征士!」
征士の態度の意味が解らず、当麻は戸惑った表情のまま呆然とその場に立ち尽くした。

 

――――――「ナンパ? 当麻が?」
湯気の立つお好み焼きを切り分けながら秀が目をまん丸に見開いた。
「まっさか。嘘だろ」
「ホントだよ。しかもすっごい綺麗な人。腰まであるストレートヘアの色白美人」
「へえ」
「純和風美人ってああいう人のこというんだろうなっていう見本みたいな人だったよ」
切り分けたお好み焼きを手際よく皿に移しながら伸がため息混じりに言うのを見て、秀がにやりと笑った。
「なるほどね。それで機嫌が悪かったんだ。さっきから」
「なっ………!?」
慌てて伸が大きく首を振った。
「何、君までわけのわからないこと言ってるんだよ。僕は別に当麻が誰に声かけようが知ったこっちゃないよ。ただ、あいつの好みってああいう人だったんだなあって思っただけで………」
「オレ、当麻の好みのタイプくらい知ってるぜ」
にっこり笑ってそう言った秀の言葉にピクリと遼が反応した。
「小学校ん時聞いたんだけどさ、あいつの好みのタイプはなあ………」
勿体ぶった口調で秀がニッと笑った。
「髪の色は明るい栗色。硬い髪より柔らかい猫っ毛の方がいいなあって。ちょっと癖毛なのがモロ好み。瞳は新緑の若草色。森の緑を想わせるのが絶品。声は高めで、ちょっと鼻にかかった甘い声。肌の色も白い方がいいなあって。そんで極めつけが、触れると優しい海の匂いのする人だってさ、伸」
「………!!!」
今度こそ首まで真っ赤に染めて伸が絶句した。
「オレ、それ聞いた時そんな奴いるもんかって言ったんだけどさ。まさかそのまんまの奴にこうやって会えるなんてさ。ビックリしたよ。お前を最初に見た時」
「しゅ………秀………」
「なあ、それってかなり脚色してる?それとも当麻が言ったそのまんまなのか?」
まだ硬直したままの伸の隣で、遼がポソっと秀に聞いた。
「もちろんそのまんま」
「だって、それ秀が聞いたの小学校の時なんだろ。まだ当麻だって伸に出逢ってないのに………」
「逢ったんだとよ、一回。な、伸」
下手なウィンクをしながら秀が伸にそう聞いた。
「う………うん」
「え?そうなのか?」
伸が頷いたので、遼が驚いて目を丸くした。
「うん、何か一度萩に来たらしいよ、当麻。僕はよく覚えてないんだけど………」
「それってわざわざ伸に逢いにきたのか?」
「………って言ってたけど」
「………」
わざわざ。
集結しなければいけない時期はまだ遥か先だというのに。それまで待っていられないほど、当麻は伸に逢いたかったのだろうか。
「………そんなに逢いたかったんだ。まだ一度も出逢ってさえいない奴なのに」
「そりゃ、逢いたいさ。俺だって当麻に話聞いた時すんげえ逢いたかったぜ」
「そっか………」
その時、居間の入り口でカタンと音がして征士が居間に戻ってきた。
「あ、征士!」
「良かった。遅いから呼びに行こうかと思ってたんだ」
「当麻は? 奴もすぐ来るんだろう?」
「………あ、ああ。だと………思う」
「………?」
歯切れの悪い征士の返事に3人はおやっと首をかしげた。
「どうかしたのか? 征士」
「えっ………ああ、何でもない」
「何でもないって………でも………」
「大丈夫、気にしないでくれ。それより伸、当麻を呼びに行ってくれないか。さっきのことは反省しているようなので、言い訳くらい聞いてやってもいいと思うぞ」
「え……あ、うん。わかった」
パタパタとキッチンへ向かう伸の足音を聞きながら、秀がもう一度征士の顔を覗き込んだ。
「なあ、征士………」
「秀、お前は、誰に一番逢いたかった?」
秀の言葉を遮って突然征士がそう訊いてきた。
「え?」
「今、話していただろう。当麻から話を聞いた時、逢いたかったと」
「………」
「お前は、誰に逢いたかった?」
やけに真剣な口調の征士を見て、秀がゆっくり瞬きをした。
「なんだ? お前だよとでも言って欲しいのか?」
「そうではない、私は………!」
慌てて否定する征士を見ながら秀がふっと笑った。
「お前だよ、征士」
焦る征士を手で制して、はっきりと秀はそう断言した。
「オレ、お前に一番逢いたかったよ」
「………」
「ほら、なんたって当麻が言ってたんだよ、征士の前世の夜光はめちゃくちゃ美形だってさ。どんな美形なのか興味あったし」
「それで?」
「うん。予想通り、いや予想以上の美形で大満足だった」
「………」
明るくそう言い放って秀は楽しそうに笑い声をあげた。

 

――――――「………?」
やけに思い詰めた表情でキッチンの椅子に座り込んでいる当麻を見て、伸は思わず声をかけるのを躊躇した。
だが、すでに居間ではお好み焼きの準備が出来ているのだから、声をかけないわけにはいかない。
しばらく考えた後、伸は、考え事をしているのならなるべく思考の妨げにならないようにと多少小さめの声で当麻の名を呼んだ。
「当麻………?」
「………」
伸の気配に気付きながらも、当麻は伸を見ようとしないままポツリとつぶやいた。
「オレはずっと逢いたかった」
「………?」
「子供の頃からずっとずっと逢いたかった。オレの記憶が幻想でないという証拠が欲しかった。好きな相手がちゃんと無事に生きている証が欲しかった。この目でそれを見たいと思ってった。早く見たいと思ってた」
「………当麻………?」
「それは、オレの我が儘なんだろうか」
「………何かあったの?征士と」
「………」
伸の問いに当麻がようやく顔をあげた。
出逢って、恋をして。
長い長い年月を思い焦がれて。
もう一度巡り逢いたいと思うのは、逢わせてやりたいと思うのは、間違っているんだろうか。
「伸………オレは………」
「当麻。僕も君に逢いたかったよ」
「………!」
「ずっとずっと逢いたかったよ」
ふっと微笑んで伸は当麻の腕をとり、椅子から立ち上がらせた。
「ほら、行こう。みんな待ってるよ」
「………」
「行こう」
そう言って伸はそれ以上何も訊かずに当麻の腕をとったまま歩きだした。

 

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