透明な鏡−第2章:砕けた硝子−(7)

「今回は色々と騒がせて、迷惑かけて申し訳なかった。ごめんなさい!!」
深々と頭を垂れた当麻の頭を遠慮なく殴りつけ、秀は鞄を手に取った。
「じゃ、そろそろ時間だ。行こうぜ、みんな」
「ごめんね。今日は朝食抜きで」
「仕方ないよ。伸の所為じゃない」
言いながら遼も肩に鞄をかける。
「朝食はともかく、徹夜明けというのはさすがに応えるな」
「だから、申し訳ないって言ってるだろ」
征士の嫌味に情けなさそうに答え、当麻も渋々鞄を手に取った。
時間はちょうど7時50分。このままでは5人そろって学校へ遅刻してしまう羽目になる。
秀を先頭にダッシュでバス停へと向かい、いつもより2本ほど遅いバスに飛び乗ると、5人はようやくほっと息をついていつもの最後尾の座席へと腰を降ろした。
「駄目だ。オレ、ちょっと寝る。着いたら起こしてくれよな」
僅か20分程の時間だというのに、さっそく秀は窓際に背をもたせかけて寝息をたてだした。
「すげえ、もう寝てる」
「秀って、今日単語のテストがあるって言ってなかったっけ?」
呆れて目を丸くした遼の隣から伸が心配気に征士にささやきかける。
「赤点を取って居残り決定になったら、当麻を同席させてやろう。もちろんつき合うな。当麻」
「そりゃつき合うだろ?」
征士の言葉に頷きながら遼が当麻を見ると、当麻は苦虫を噛み潰した様な顔をして頷いた。
「はいはい。もう何でも言うとおりにしますから、そう苛めるなよ。お前等」
くすりと笑う伸を見て、当麻が慌てて顔を窓の外へと向けた。
僅かに頬が熱くなる。
「……………」
窓の外を流れる景色すらいっさい目に入らないほど、当麻は自分の心臓が高鳴っていくのを感じて思わずぎゅと目をつぶった。
手に入れたとは思ってない。でも、ほんの少しだけ距離は縮まったと考えても罰は当たらないだろう。
少なくとも、こうやってそばに居てくれるのだから。
すべて許して、こうやって笑ってくれるのだから。
この誰よりも大切な愛しい人は。

 

――――――「ほら、秀起きろ」
バスが学校前の停留所へ滑り込み、軽くブレーキの軋む音がすると同時に、征士が秀の肩を揺さぶった。
「秀!」
「…………」
「行くぞ!!」
わらわらと立ち上がって出口へ向かう他の学生の集団に紛れて遼達も立ち上がる。
「秀!」
一際大きく征士が声を上げると、ようやく秀が薄く目を開いた。
それを確認して、遼と当麻、伸は先にバスの出口へと向かう。
征士もほっと息をついて呆れたように秀を見下ろした。
「ほら、行くぞ、秀」
「……………」
薄ぼんやりとした目のまま身体を起こし、秀がふっと眩しそうに征士を見あげた。
「…………?」
「…おはよ。相変わらず綺麗だな。お前」
あくまでのんびりモードの秀に心底呆れて征士はため息をつくと出口のタラップに足をかけた。
「何を寝ぼけている。行くぞ」
「ああ」
さっと鞄を肩にかけ、征士を追い越すようにバスを飛び降りて、秀が嬉しそうに振り返った。
「やっぱ朝の日差しの中で見るお前の笑顔は最高だな」
「何を言ってる」
「美形は得だよな。笑顔ひとつで人を元気に出来る」
「あのなあ、秀」
「良い夢を見たんだ」
頭を抱えそうになっている征士の言葉を遮って秀が言った。
「夢?」
バスに揺られていたのは、ほんの20分程のはずだ。本当にその間に夢などを見たのだろうか。
半信半疑の顔で秀を見る征士に向かって、秀は小さく肩をすくめながら、イタズラっ子のように目をくりくりとさせた。
「さっき、起こされた時、夢の続きを見てるのかと思って本気でビックリした」
「どんな夢をみたというのだ」
「お前の夢だよ」
眩しそうに目を細めて秀が笑った。
「初めて逢った時の次の日の朝の紅の最高の笑顔。綺麗な綺麗な笑顔」
「………!」
「眩しすぎて、どうしようかって思ってドギマギしたこと、今でも覚えてる」
「…………」
「ずっとずっと忘れない。オレの宝物なんだ」
禅そっくりの明るい笑顔で秀はそう言うと、照れたようにくるっと征士に背を向けて走り出した。
「秀!!」
「ほら、行こうぜ!! 早くしないと授業開始のチャイムが鳴っちまう」
「秀!!」
先を行く遼の横をすり抜け、秀は校門に向かって更にスピードをあげた。
征士は一瞬躊躇した後、とっさに前を行く遼を呼び止めた。
「遼!」
「………?」
突然呼び止められた遼は、秀を追って駆け出そうとした足を止めて征士を振り返った。
征士は少し戸惑ったような顔をして、駆け去っていく秀の背中を見つめている。
「どうした? 征士」
遼が征士の元へ駆け寄ると、征士は自分が遼を呼び止めた事をようやく思いだしたように慌てて遼に顔を向けた。
「遼…」
「………?」
何故か征士は再び視線をあげて、もうかなり小さくなっている秀の背中を見つめながら、ふっと笑みを浮かべた。
「なあ、遼」
「………?」
「恋をすることは倖せなことか?」
「……えっ?」
意外な征士の言葉に一瞬目を丸くした遼は、征士の視線を追って駆け去っていく秀と、その向こうをやはり同じように並んで歩いている伸と当麻の姿を振り返り、大きく頷いた。
「ああ。倖せなことだと思うぜ」
「…………」
「どんなに苦しくても、辛くても、それでも倖せだよ。誰かを好きになるってことは」
「……そうか…」
小さく征士が頷いた。
「なあ、征士」
ようやく肩を並べて歩きだしながら、今度は遼が征士に向かって言った。
「オレさ…長距離ランナーを目指そうと思う」
「…………?」
思わず遼を見つめ、征士が目を瞬いた。
「短距離だったら一瞬で勝負がついちまうけど、長距離だったら、いつか追いついて、そして追い抜けるかもしれない。今はまだ当麻に敵わないけど、でも、いつかオレ、当麻に追いついて、追い抜きたい。そして、もう一度伸に言うんだ。好きだって」
「……………」
「絶対言うんだ」
太陽のような笑顔で、遼はそう断言した。
きっとその日がくるのはそう遠い未来ではない。
何故か、征士はそう確信した。

第2章(最終章):FIN.      

2001.7 脱稿 ・ 2003.5.24 改訂    

 

前へ  第2章後記へ