漂流者 (3)

「おい、名無し」
じっと、何をするでもなく水平線の彼方を見つめていた少年のもとへ珠龍が近づいてきた。
あれから数日。
相変わらず言葉ひとつ発せられないままだったが、少年はようやく精神的にも落ち着いてきたのか、朱雀達が取ってきた果物を口にするようになり、1人で洞窟の外へも出ていけるようになっていた。
ただ、それでも少年は、時間が許す限りひたすら海岸で海を眺め、日々を過ごしていた。
「お前、本当に口がきけないのか?」
「…………」
少年は困ったような視線を珠龍へと向ける。
「本当はしゃべれるのに、わざとしゃべれないふりをしてるんじゃないだろうな」
「…………」
やはり少年は何も答えられずうつむいた。
「…大体、そんな簡単にしゃべれなくなるなんて事あんのか?」
「………」
何も答えない少年に半ば諦めたように肩をすくめ、珠龍はおもむろに、少年の手の中に、持っていた懐中時計を握らせた。
「これ、さっき見つけた」
「………?」
海水に洗われ、錆びてしまった懐中時計。だが、かなり新しい物のようだ。
「内蓋にある写真見てみろよ」
珠龍に言われ、少年は素直にパカンっと懐中時計の蓋を開けた。
「…それ、お前だろ」
「…………」
「解らねえか? もう」
「…………」
懐中時計の蓋にはめ込まれた写真。
優しげに微笑む婦人と、穏やかな顔の紳士。真ん中には幸せそうに笑っている幼い少年がいる。
「……やっぱ、解らねえか」
諦めたように珠龍がつぶやいた。
と、その時、珠龍の後ろから懐中時計を覗き込んで、亜門がからかうように言った。
「わざわざ探してきてやったのか?それ」
「…………!!」
驚いて珠龍が亜門をふり返る。
「お前にしちゃやけに優しいじゃないか」
「お前には関係ないだろ。それに、これはオレが見つけたんじゃない。朱雀が偶然見つけたって言ってオレに投げて寄越したんだ」
「朱雀が…?」
意外そうに亜門がすっと目を細めた。
「朱雀が見つけたんなら、何で奴は自分で渡そうとしないんだ」
「さあな。本人が言うには、写真見てムカついたからお前から渡してやれって」
「相変わらずだな、あいつも……」
呆れたように亜門が肩をすくめた時、じっと懐中時計を見つめていた少年が、くいっと珠龍の服の袖を引っ張った。
「…………」
これは、自分の母なのか? と、少年は目で珠龍に訴えかけている。
珠龍が困ったように亜門を見ると、亜門は少年のそばにしゃがみ込み、手元の懐中時計の写真を見下ろした。
「へえ…なかなか美人じゃねえか。お前の母さん」
「…………」
「こんな母さんがいたってだけでお前の過去が倖せだったんだってわかるな」
「…………」
「知ってるか? 名無し。朱雀はな、自分の両親の事一切憶えてないんだ。物心ついた時からあいつに親はいなかったんだ」
少年の瞳が僅かに見開かれる。
「お前はどっちが倖せだと思う? 最初から何も持っていないのと、ある瞬間で持っていたものを全部失うのと」
「……………」
「いつか……ゆっくり思いだせよ。名無し。哀しくない思い出ならな」
「…………」
少年がゆっくりと頷いた。

 

――――――パタパタとものも言わずについてくる少年をふり返りもせず、朱雀はすっと歩調を早めた。
蒼龍に頼まれて、日課である山頂の小さな泉へ向かう朱雀を見つけ、少年は誰に命じられるでもなく桶を抱えて後をついてきたのだ。
「わざわざついてこなくても、お前の手伝いなんかいらねんだよ」
呆れたように朱雀がそう言って追い返そうとしても、少年は黙って朱雀の後を追いかけてくる。
「……………」
「何だよ。オレに何か言いたいことでもあるのか」
「……………」
「言いたいことがあるなら、ちゃんと言えよ」
「……………」
いくら朱雀がそう言っても、少年は何も話せずにいる。
「お前、ほんっとに何にもしゃべれねえんだな」
「……………」
少年は困ったようにうつむいた。
「なあ…しゃべれねえってどんな気持ちなんだ? 辛いのか? 苦しいのか? それとも、楽になったか?」
「……?」
少年がえっとなって朱雀を見上げた。
「オレは言葉を失った事なんてねえけどさ、別に声がでるからって良いと思った事なんかなかった」
「……………」
そうなのか。と、探るように少年は朱雀を見つめた。
「……なあ、お前にとって言葉はいらないものだったのか?」
ぽつりと朱雀はまるで独り言のようにそう訊いた。
「そうだよな。言葉なんかあったって無駄なんだ。大声で助けを呼んだって誰も答えてなんかくれない。それならいっそお前みたいに言葉をなくしたほうが下手な期待をせずにすむだけましだったのかな」
「……………」
「なあ、言葉なんてないほうが、楽か?」
「……………」
朱雀の頭をよぎる思い出したくもない過去の記憶。
ズキズキと痛む身体を抱えてぼんやりと薄汚い天井を見上げる。
さびれたベッドと汚れたシーツ。部屋中に充満する青臭い匂い。
最悪の気分。
あまりの痛みに寝返りさえうてずに朱雀はじっと天井を睨みつけている。
涙はもう枯れ果てて久しい。
助けを呼ぶ声も、かすれてしまってもうでてこない。
どんなに望んでも、自分の声は誰にも届かない。
「………………」
ずっと朱雀の後ろを走っていた少年が、ふいにグイッと朱雀の腕を掴んだ。
「…………!?」
思わず朱雀の足が止まる。
「……………」
違う。そう言いたげな目をして少年は朱雀を見上げた。
「名無し…お前」
「……………」
振り向いた朱雀の目が、はっと鋭く細められた。
「…よけろ、名無し」
「………?」
言うが早いか、朱雀はドンっと少年の肩を突き飛ばし、腰に下げた鞭に手をやった。
「さっさと逃げろ!」
ヒュンっと使い慣れた朱雀の鞭がうなりをあげる。
と、その先端にからめ取られるように、一匹の蛇がドサリと地面へ落下した。
「………!!」
びくりと少年が顔を強ばらせると、地面へ落ちた蛇は、そのまま鋭い牙を向け、少年に向かって突進してきた。
「………!!」
少年が声にならない悲鳴をあげる。
「ちっ!」
舌打ちをして、とっさに少年を庇うように立ちはだかった朱雀の腕に、その時、蛇が鋭い牙をたてた。
「……くっ!!」
苦痛に朱雀の顔が歪む。
「………!!」
力任せに蛇を振り落とし、朱雀はそのまま地面に膝をついた。
蛇は器用に朱雀の身体を避け、するすると茂みの中へ消えていく。
ほんの一瞬の出来事だった。
「…こ…の…!!」
少年が真っ青になって朱雀の元へ駆け寄ると、朱雀は額にじわりと汗をにじませ、きつく唇を噛みしめていた。
「オレとしたことが…ドジ踏んじまった…あいつ…毒持ってやがった」
「…………!?」
朱雀の唇がどんどん土気色になっていく。
握りしめた朱雀の白い腕にはくっきりと牙の跡が残り、そこから血が滲み出ていた。
きつく噛みしめた歯の隙間から、どうしても抑えきれない呻き声がもれる。蛇の毒が回りだしたのか、腕を痙攣させたまま、とうとう朱雀がどさりと地面に倒れ込んだ。
「……………!!!」
少年の口からかすれた悲鳴がもれる。
「……あ…あぁぁぁー!!!!」
少年の甲高い声が、辺りにこだました。

 

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