光の欠片 (9)

「当麻が……話したのか?」
信じられないといった口調で征士は伸に問いかけた。
「うん」
「……話したのは、お前にだけか?」
「だと思う」
「…………」
征士は思案顔のままうつむいた。
「ごめんね。君達だけの秘密だったのに」
「いや、そういうわけではないのだが……」
言いながら征士は慌てて首を振った。
そう、別に隠していたつもりではない。決してそうではなかったのだが。
「話を聞いて本当にビックリした。でも、そう考えたら納得のいくことが沢山あったなあって、今更ながらに思ったよ」
「……それは……私が……お前達とは違うという意味か……?」
「ごめん、そうじゃない。そうじゃないよ、征士」
言いながら伸は慌てて征士のベッドに腰掛けた。
「君は間違いなく、僕等の仲間だよ。それだけは変わらない。僕は、君に逢えて良かったって思ってるよ」
「…………」
「ごめんね、征士」
「…………」
「……僕はね、あまり夜光の事、覚えていないんだけど、いつも烈火の隣にいて、烈火を支えてくれていたことだけは覚えてる」
「…………」
「今の君も同じ。遼を支えてくれてる」
「…………」
「……夜光は優しかった。本当に、とてもとても優しい人だった。そして、君は間違いなくその夜光の優しさを受け継いでいると思うよ」
「……そう……なのか……?」
「そうだよ。僕はいつも君に感謝してた。君がいると安心できた。本当に、今になって改めて思うよ。こうやって僕等が僕等としてお互い出逢ったことは、とても素晴らしい、それこそ神に感謝するべき出逢いだったんだなって」
「……伸……」
「だから……僕は、君という大切な仲間を助けたい。僕に出来ることなら、どんなことでもしてあげたいって思ってる」
「…………」
「征士、少し息苦しいかもしれないけど、我慢してね」
そう言って伸はふっと柔らかく微笑みながら両手で征士の頭を抱え込んだ。
ゆらりと伸の身体から陽炎が立ち上る。
ほうっと息を吐き、征士は伸の胸にもたれかかり力を抜いた。
「暖かいな。伸は」
「そう?」
「当麻がそばに置いておきたがるのがよく解る」
「何言ってんの。バカ」
くすりと笑い、伸はそっと目をつぶった。
さあっとカーテンを揺らして夜の風が室内を駆ける。
伸の身体から立ち上る陽炎は段々と熱を持ち始め、やがて2人の周りの空気が発光したように白くなった。
「…………」
極度の集中の為か、伸の額に汗が滲んでくる。
部屋の中を覆い尽くすほどに巨大化した光の珠の中、ぼんやりと霞む髪の長い青年の姿が現れた。
青年はゆっくりと振り返り、伸を見つけてふっと笑みをこぼす。
「有り難う。斎の巫女」
「…………」
眩しい光の中、さらりと夜光の長い髪が揺れた。

征士の瞳。澄んだ紫水晶の瞳。
全ての光が君を護ってくれますように。
光の戦士である君を、大切な大切な君の瞳を護ってくれますように。
水の流れのような透明な力が征士に向かって流れだす。
熱くもなく寒くもない、柔らかな光が空間を満たしているのが感じられた。
大丈夫。
心の中でつぶやく。
きっと大丈夫。
何度も何度も、伸は心の中でつぶやいた。
遼、もう泣かなくていいからね。
秀、元気出してね。
征士は大丈夫だから。
征士の目はきっときっと治るから。
だから。
もう、あんな哀しい顔しないで。当麻。
「…………!?」
力の放出が収まった瞬間、伸ははっと目を見開いた。
「や……こう……?」
はっきりと夜光の姿が月の光の中に見えた。
夜光はさらさらの長い髪をゆらし、穏やかに伸に微笑みかけている。
「夜光……」
呼びかけようとして、伸は言葉を呑み込んだ。
夜光の微笑み。
それは何処かで見たことのある微笑みだった。
どこだろう。確かに知ってる。これと同じ表情を自分は知ってる。
伸はじっと食い入るように月明かりの中の夜光を見上げた。
“生きろ”
そっと夜光がそうつぶやいたような気がして、伸ははっとなった。
この表情。
これは。
あの時と同じだ。
そう、それは、忘れようとしても忘れられない、あの時の、彼の人の表情だ。
哀しい。哀しい微笑み。
遙か昔、これと同じ微笑みを見た。
炎の中で。
永遠に帰らぬ人となった。懐かしい彼の人の最期の微笑み。
哀しい哀しい最期の微笑み。
もう二度と逢うことのない、別れの微笑み。
「……烈火……」
低く伸はつぶやいた。
やっと解った。当麻が何故、あれほどに泣きそうな顔をしていたのか。
やっと解った。
「伸」
夜光がそっとささやいた。
「伸……征士と……征士と、当麻を頼む」
伸が微かに頷くと、夜光はようやく安心したように光の中へ消えていった。

 

――――――「伸。伸、大丈夫か? どうしたんだ?」
やさしく肩を揺さぶられ、伸は目を覚ました。
窓からは爽やかな朝の光が差し込んでおり、もう月は何処にも見えなくなっている。
「……痛っ……」
頭がガンガンと痛み、手足が鉛のように重く感じる。
「伸? どうしたんだ?」
「……遼……」
ようやく伸が顔をあげると、遼がほっと安堵の吐息をもらした。
「よかった。ビックリしたぞ。ほんとにどうしたんだよ、伸」
「あ……征士は……?」
「まだ眠ってるよ。何? 夕べは征士と話し込んででもいたのか?」
「え……あ……うん。そんなとこ」
「へえ……」
見ると征士はベッドの上で規則正しい寝息をたてている。
伸はそっと征士の目を覆っている白い包帯に触れた。
「…………」
やるだけのことはやった。と思う。その証拠に掌が熱い。
酷く疲れていて、座っていることさえ億劫に感じる。
この身体の疲れが、伸にあれが夢ではなかったのだと実感させた。
「遼……当麻は何処?」
おもわず伸は病室を見回し、当麻の姿を探した。
「当麻はこっちには戻ってきてない。用意して貰った簡易ベッドも使われた形跡がない」
遼の代わりに秀がそう答えてくれた。
「…………」
「伸……?」
支えようとのばされた遼の手を軽く押し戻し、伸は自力で立ち上がろうとしたが、まだ身体がふらふらしてて上手く立ち上がれない。
「おい!」
思わず秀が走り寄ってきて、伸の身体を支えた。
「お前、熱あんじゃねえか!?」
「伸!?」
「大丈夫。なんでもないよ」
力を放出しすぎた名残だろうか。目眩のする頭を抱えながら、伸は秀の手を振り払ってドアへと向かった。
「おい、そんなふらふらで何処行くんだよ」
秀が呼び止めると、伸は、ドアノブに手をかけたまま振り向いた。
「大丈夫。ちょっと寝不足なだけで体調が悪い訳じゃない。すぐ回復するから心配しないで」
「伸……!」
「秀、征士のこと、しばらく頼むね。僕はちょっと屋上へ行って来る」
「何言ってんだよ、伸! しばらく横になったほうがいいんじゃないか?」
慌てて遼が伸の行く手を遮ると、伸は微かに微笑んでじっと遼を見つめた。
「遼。もう泣かなくていいからね。征士の目は治るよ」
「…………!?」
「包帯取る頃には戻ってくるから。征士についててあげて」
「伸……?」
「お願いだよ」
「…………」
そう言ってゆっくりとドアノブを回し出ていく伸を、もう2人は止めなかった。

 

――――――「当麻」
屋上に座りこんでいる当麻の背にそっと伸は声をかけた。
「当麻。夜光に逢ったよ」
「…………」
無言で当麻は頷いた。
「当麻……夜光は……」
言いながら伸は、言葉を濁し、うつむいた。
昨日は見えていた真昼の真っ白な月も、今日はもう見えない。
後ろを振り返ろうともしない当麻の背が何だかとても哀しそうで、伸はかける言葉を失ったまましばらくじっと当麻の背中を見つめていた。
もういない夜光。
もう何処にもいない夜光。
水凪だった頃の、天城だった頃の、同じ時代を生きていた光輪の戦士は、本当にもう何処にもいないのだろうか。
そう思って伸ははっとした。
そうだ。
昨日当麻が言っていたあの言葉。
『夜光にとっては唯一あの頃の事を話せる相手だったんだろう、オレは』
あの言葉。
あれはそっくりそのまま当麻にも当てはまる言葉ではないか。
記憶バンクである当麻の膨大な記憶。
自分達の記憶はあくまでも断片的なものでしかなく、当麻も自分達に必要以上に辛い記憶を思い出させないようにと話す言葉に気を付けていたことを思い出す。
繰り返す戦いも。
辛い辛い歴史も。
どんなに頑張っても、自分達が当麻と同じだけの記憶を持っていない限り、当麻の苦しみも何も本当に理解することなどあり得ない。
何て事だ。
こんなことになって初めて気付く。
誰にも、夜光の代わりなど出来るわけはない。
自分どころか、征士にさえ、本当の意味で夜光の代わりは出来ないのだ。
重い、重い記憶。
「…………」
伸はきつく唇を噛みしめた。
悔しくてしかたない。
解ったようなつもりになっていた。理解してあげているんだと思っていた。
とんだ思い違いだ。
自惚れも甚だしい。
自分はきっと当麻の記憶の半分も理解してあげてなどいなかったのだ。
何もかもを拒否しているようにずっと背を向けている当麻。
伸は心の中で小さく舌打ちをする。
自分自身を過信していた。
本当に何て事だ。
こんなにも非力なくせに。何をしてあげることも出来ないくせに。
当麻にとって夜光はかけがえのない人で。
大切な人で。
それなのに、彼はその大切な人を永遠に失ってしまったのだ。
もう、慰めることなど出来はしないのだ。
永遠に。
永遠に。
伸はきつく唇を噛みしめてその場に立ち尽くしていた。

 

前へ  次へ