光の欠片 (10)

「ごめん」
ひくく伸はつぶやいた。
「考えなしだったよ、僕。君は独りで居たいんだろうに。ごめんね、邪魔しちゃって」
「…………」
「戻るよ」
「…………」
当麻は伸の言葉にも反応を示さず、背中を向けたままじっとしていた。
「……ごめん……」
もう一度そう言って伸がゆっくりその場を去りかけた時、初めて当麻が動いた。
「待ってくれ」
「……?」
背を向けたまま当麻が伸の腕を掴む。
「……当麻?」
「……此処に……居てくれ」
「…………」
「何もしなくていい。何も言わなくていいから」
「…………」
「ただ、オレのそばにいてくれ」
「…………」
「そばにいてくれ。伸」
「…………」
「……伸……」
「……わかった」
そっと頷き、伸は当麻と背中合わせになったままゆっくりと地面に腰をおろした。
トンっと当麻が伸にもたれかかる。
背中越しに伝わってきた当麻の体温に、ぎゅっと膝を抱えて伸は大きく息を吸い込んだ。
自分が此処にいることが、どれだけの慰めになるか解らないけど。
それでも、ほんの少しでも自分が此処に居ることで哀しみがやわらぐなら。
ほんの少しでも楽になれるのなら。
そばにいる。
ずっとずっとそばにいる。
哀しみを分かち合うことは出来なくても、どうか、支えることくらいはできますように。
他の誰でもない、自分が、この哀しい運命を必死で乗り越えようと頑張っている大切な仲間を、支えることができますように。
どうか。
それから長い間、ふたりは一言も言葉を交わさないまま、ただじっと背中合わせにうずくまっていた。

 

――――――「伸、当麻! 早く来い! 征士の包帯取るぞ!」
「……!?」
秀の大声にぱっと顔をあげて、2人は初めてお互いの顔を見合わせた。
いつの間にか太陽すでに天空高くのぼっている。
「……あ…………」
伸が一瞬戸惑ったような瞳を当麻へ向けると、当麻は大きく息を吸い込んで勢いよく立ち上がった。
「いよいよだな、秀」
「ああ」
「征士の様子は?」
「すげえ落ち着いてるよ。オレ達のほうがあたふたしてる。でさ、征士が、お前等2人が来てからじゃないと包帯は取りたくないって言ってるから、今、お前等待ちの状態なんだよ。早く行こうぜ」
「そっか」
「ほら、行くぞ!!」
「あ、うん」
秀に引っ張られるように病室へ駆けつけると、2人の到着を待っていた医師は、ようやく征士の目の包帯を解きだした。
「…………」
皆の見守る中、真っ白な包帯がするっと征士の顔から滑り落ちていく。
当麻は多少青ざめた表情でじっと征士の顔を見つめていた。
「さあ、ゆっくり目を開けてごらん」
中年の医師が優しく声をかける。
「はい」
コクリと頷き、征士がそーっと目を開いていった。
「……征士……」
征士のすぐそばで遼が祈るように両手を合わせた。
秀もゴクリと唾を飲み込んで、じっと征士の瞳を見つめる。
伸はちらりと当麻を見てから、視線を征士へと向けた。
ゆっくりゆっくりと、征士の瞼が持ち上がる。
長い睫毛の奥に見慣れた紫水晶の瞳が現れ、征士はひどく眩しそうに瞬きをしながら室内を見回した。
「征士……どうだ?」
恐る恐る遼が声をかけると、征士は遼のほうへ顔を向け、嬉しそうに目を細めた。
「遼……」
「征士……」
「遼……目が赤いぞ。また泣いていたのか?」
「……!!」
「もう泣かなくていい。大丈夫だから」
「せ……征士……」
「やはり実際にお前の顔が見えた方が何倍も倖せだな」
「…………」
遼の目に涙が溢れ出す。
「遼……泣かなくていいと言ったろう」
「だって……征士……征士……オレ……」
「…………」
「征士……!!」
感極まって遼が征士の首筋に飛びついた。
笑みをこぼしながら征士はしっかりと両腕で遼の身体を抱き留める。
秀がようやくほっと息をもらしてズルズルと床へ座りこんだ。
「…………」
征士がそんな秀に気付き視線を向けると、秀は何も言わずくしゃりと顔を歪めてぐっと親指を前に突きだした。
征士もふっと微笑んで頷く。
更に泣きそうに顔を歪めて、秀が大きく頷き返した。
「大丈夫かね?どれくらい見える?」
中年の医師が征士の目を覗き込む。
「はい。以前と同じようによく見えます」
「同じように?」
征士の返答に意外そうに目を丸くして、医師は白衣からペンライトを取り出し、征士の目の瞳孔を照らした。
「うむ……瞳孔の収縮も異常はないな。本当に問題なく見えるんだね」
「ええ」
「これは驚いた。完全な失明からここまで回復するとは」
「じゃあ、もう心配ないんですか!? 先生!!」
遼が勢い込んで尋ねると医師は安心させるように頷いた。
「しばらくは様子を見てみないといかんがな。失明の危機は免れたと考えて問題ないだろう。では、詳しく視力検査をしたいのでちょっと来てもらえるかな」
「あ、はい」
先生に促されてベッドから降りようとした征士が一瞬ふらりとよろめいた。
「征士!」
慌てて隣にいた遼が征士の身体を支える。
「すまない、遼。やはりずっと見えないままベッドにいたから身体の平衡感覚がおかしくなってるようだな」
「大丈夫か? オレが支えててやるよ」
「迷惑をかけるな」
「何言ってんだよ」
くすりと笑い、遼はしっかりと征士の身体を支えながら医師の後について病室を出た。
嬉しくて嬉しくて自然と笑みがこぼれてしかたない様子の遼の態度を見て、伸はほっと息をつく。
結果良好。良かったのだ。自分がしたことは。
間違いなく良いことだったのだ。
「……なあ、当麻」
征士と遼が病室を出ていったあと、床に座りこんだままポツリと秀が言った。
「オレは何も訊かない方がいいか?」
「…………?」
はっとして、伸は当麻を見上げた。
「オレさ、お前に訊きたいことが山程ある。でも、それは訊かないほうが良いことなのか?」
「秀……」
ぎくりとして伸は再び秀に視線を落とした。
「……なあ、当麻」
「そうだな」
「…………」
「出来ることなら何も訊かないでいてくれると有り難い」
「…………」
「お前は何も知らないまま元気に笑っていて欲しい」
「…………」
「すまん。無茶な事を言ってるな。オレは」
くすりと自嘲気味に当麻は笑った。
「……解ったよ。当麻。オレは何も訊かない」
「秀……?」
くしゃりと髪を掻きながら秀が立ち上がった。
「オレ、何にも訊かないから。ただ、これだけは言わせてくれよ」
「…………?」
「ありがとな、当麻。それに伸」
「秀……!」
にっと笑って秀は伸を振り返った。
「ホント、ありがとな。オレ、すんげえ感謝してる」
「…………」
この男は、勘づいているのだろうか。自分達がしたことを。
伸は信じられないといった表情でじっと秀を見返した。
「んなビックリした目で見んなよ、伸。オレは素直にお礼を言いたいだけなんだからさ。」
「…………」
「ありがとな」
もう一度そう言って、秀は征士を追って病室を出ていった。
パタンとドアが閉じられると同時に、伸はそっと当麻を振り返る。
「……当麻……」
「…………」
「秀は……知ってるの……?」
「いや。あいつは何も知らないよ」
「…………」
「知らなくても解るんだよ。きっとあいつには」
「…………」
それ以上何も言わないで当麻はそっと征士が眠っていたベッドのそばに立った。
「…………」
まるで、まだそこに征士が眠っているのではないかと思うほど、じっと白いシーツを見下ろし、当麻はゆっくりとシーツを指で辿ると、真っ白な枕に手を添えた。
「……良かった……」
微かに当麻がつぶやいた。
「……良かったな……征士……」
「…………」
「本当に……良かったな……」
それは、当麻の本心からでた言葉だった。

 

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