光の欠片 (11)

それから数日後、ようやく征士の退院の日がやって来た。
術後の経過観察と、細かな検査などを無事終えた征士は、本日午後には病院をあとにする。
ちょうど土曜日だった事を幸いと、伸は退院祝いの為に特大のカボチャを買い込んで朝からキッチンに籠もっていた。
そして、昼前、伸は当麻を呼びつけて征士を迎えに行くようにと頼んだ。
「じゃあ、当麻、頼んだよ」
「本当にオレ1人で迎えに行くのか?」
「もちろん。何か不満でもあるの?」
「……いや……不満っていうか……」
「僕と秀は料理作るのに忙しいんだし、遼には部屋の掃除を頼んじゃったし、君が今、一番暇人なんだ。そこんところ理解してる?」
「…………」
「だいたい、君はまともに征士の見舞いにも行ってないじゃないか。最後くらいきちんと顔出さなきゃ」
「何言ってんだ。何度か行ったぞ」
「僕や秀の後にくっついてだろ。1人で行こうって言いだしたことはなかったよね、確か」
「…………」
「ほら、とっとと行っといで」
無理矢理背中を押されて、当麻は渋々、病院へ行くためバス停へと向かった。
ちらりと当麻の背中を見送り、伸は再びキッチンへと駆け戻る。
ほんの一瞬だけ伸の顔が不安に曇った。
当麻は征士と2人きりになるのを、少し恐れているのだろうか。
どうしても夜光がいた頃とは違って見える征士に、当麻自身まだまともに向き合えないのだろうか。
だが、家に戻ってきたら、どうしたって当麻は征士と2人の時間を過ごさなくてはいけなくなる。
当麻が夜光の事を忘れることは永遠にないとしても、今のままでいいわけはない。
ただ、自分達にはどうにも出来ない事実が心に痛くて。
「当麻、行ったか?」
キッチンへ戻ると、秀がにこりと伸に笑いかけた。
「うん」
「やっと戻ってくんだな。征士」
本当に嬉しそうに秀がしみじみとつぶやく。
「ねえ……秀」
「ん?」
「最近の征士って……秀はどう思う?」
「……は?」
秀が目をまん丸に見開いて顔をあげた。
「どうって?」
「いや……そのちょっと印象とか変わったかなって……」
「…………」
勘のいいこの男は、征士の変化に気付いているのだろうか。
ふと、伸の中にそんな疑問がわいたのだ。
「変わってねえよ。奴はなーんにも」
秀は意外にもそう断言した。
「変わってない……?」
「ああ、根本的なところで、奴は何にも変わってないよ。ただ……」
「……ただ?」
「変わったとすれば……目かな?」
「…………」
ギクリと伸の表情が強ばった。
「瞳の色が更に綺麗になった。」
だが、伸の変化に気付かず秀は言葉を続ける。
「前よりもっと、懐かしい色になった」
「秀……・」
「懐かしい……すみれ色の目だ」
そう言って、遙かな昔を懐かしむように、秀はそっと目を伏せた。

 

――――――「用意出来たか?」
「ああ」
「じゃあ、帰ろうか」
病院へ到着し、伸に言われたとおり退院手続きをしたあと、当麻が征士の病室へ行くと、征士はすでに荷物をまとめており、着替えの入ったナイロン製のボストンバックを抱え上げながら振り向いた。
「悪いな。わざわざ迎えに来てもらって」
「おいおい、荷物はオレが持つよ」
征士が抱え上げたバックを慌てて取り上げ、当麻が呆れたように肩をすくめる。
「お前に荷物持たせたまま帰ったら、家にいる3人にオレは袋だたきに合っちまうよ」
「そうなのか」
「そうに決まってるだろ」
くすりと笑って征士は当麻に荷物を預けたままシーツの皺をそっと直した。
「当麻」
「……ん?」
「ひとつ訊いていいか」
「何だ?」
「何故、私の目を見ようとしない」
「…………!!」
あまりにもさりげなく言った征士の言葉の内容に当麻のほうがギクリとなった。
「せ……征士……・?」
「気付かない程、私は間抜けではないぞ」
「…………」
「当麻……?」
「悪い」
素直に当麻は謝った。
「当麻、私はお前に謝って欲しいのではない」
「……わかってる」
「当麻、私の目を見てくれないか」
「…………」
当麻は多少怯えたように視線をそらした。
「…………」
「…………」
「……当麻……」
「悪い、征士……オレは……」
「大丈夫だから。当麻」
「…………?」
「お前が不安になることはない。兄者は此処にいる」
「……!?」
バッと弾かれたように当麻が征士を見た。
「せ……征……」
「夜光は消えてなどいない。ちゃんと此処に存在しているから」
そう言って征士は自分の目を指差した。
「…………」
「たとえ以前のように直接話が出来なくなっても、夜光が此処に居ることにかわりはない。心配しなくても、夜光はちゃんとお前を見てくれているはずだ」
「…………」
「安心しろ、当麻。夜光はこれからも私と共にある」
「……征……」
当麻は声を詰まらせて征士の目をじっと見つめた。
「…………」
長い睫毛の奥に見える見慣れた征士の瞳。
綺麗な瞳。
紫水晶をそのままはめ込んだかのような、澄んだ澄んだ綺麗な瞳。
「…………」
当麻ははっと息を呑んだ。
見慣れていたはずの征士の瞳の僅かな変化。
それは、間違いなく夜光の瞳だ。
永遠に忘れることのない、夜光の瞳だ。
「……あ……」
「…………」
「……居るのか……そこに……?」
当麻の手がすっと征士の瞳にのばされる。
静かに閉じた征士の瞼の上を優しくなぞるように当麻は指を滑らせた。
「…………」
再び征士が瞳を開ける。
当麻の視線の先で、夜光が涼やかに笑ったような気がした。
「……コウ……」
「……まったく何て顔をしているんだ。お前は」
「コウ……!」
まるで子供のように、当麻は征士に抱きついた。
ふっと表情を和らげて、征士も当麻をあやすように抱きしめ返す。
「本当に……伸には見せられないな。いい加減にしろ。当麻」
「…………」
「ほら、私の話はまだ終わってないぞ」
征士はそう言いながら、静かに当麻の腕から逃れた。
「当麻」
「…………」
「夜光からの伝言だ。心して訊け」
「…………」
「遙かなる時を隔て、いつか再び相見えよう」
「いつか……再び……?」
「ああ、いつか再び」
征士が夜光と同じ瞳で涼やかに笑った。
「いつか再び、相見えよう」

 

――――――「おかえり!征士!!」
家中に響き渡る遼の声を合図に征士復活パーティが開始された。
テーブルに並んだのは、伸と秀が腕をふるったカボチャを中心とした数々の豪勢な料理達。
美味しい美味しいと言って普段より多めに箸を動かす征士の様子を見て、秀がいたずらっぽく伸に笑いかけた。
「な、ちっとも変わってないだろ。征士」
「……うん」
「大丈夫だよ。きっと。何もかも」
「そうだね」
伸も秀の言葉に力強く頷いた。
大丈夫。
2人並んで帰ってきた当麻と征士を見て、伸もそう思った。
何故そう思ったのか理由なんて解らなかったが、なんだかやけに2人とも倖せそうで、伸はそれだけでもう充分だったのだ。
大丈夫。
大丈夫。
きっとこれは夜光の起こした奇跡だ。
きっと夜光は、今でも何処かで見ているのだ。
烈火と同じように。
「…………」
烈火。
なんだか、とてもとても烈火に逢いたくなった。
なんて言ったら、また当麻が拗ねるかな。
そんなことを思いながら、伸がくすりと笑った。
外では少し欠けた三日月がゆっくりと宇宙へ昇っていく所だった。

FIN.      

2000.9 脱稿 ・ 2002.08.04 改訂    

 

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