光の欠片 (7)

次の日の早朝、征士は大学病院へ搬送された。
そのまま手術室へと入り、視神経管解放手術が執刀される。
当麻は、ほとんど誰とも口をきかないまま、じっと征士が運ばれていった手術室の扉を睨みつけていた。
コチコチコチ。
耳障りな時計の秒針の音を聞いていたくなくて、当麻は再び屋上へと逃げ出した。
ちらりと伸が心配気な視線をよこしたが、当麻はそれに答えることすら出来なかった。
誰もいない屋上はやけに風が強くて、当麻は渦を巻いてカサカサとなる木の葉を眺めながら、膝を抱えてうずくまった。
時間がないことは解っている。
夜光の力が最大限に活かされるのはきっと今日。この満月が天上にある間だろう。
解っている。
そんなことは充分解っているのだ。
だけど。
「…………」
天城だった頃、見あげるほどの長身の夜光の背中を見るのが好きだった。
さらさらの長い髪が風に舞うのを見るのが好きだった。
苦しくて、しがみついて泣き出した時、支えてくれた手の温もりが好きだった。
「コウ……」
その時、遠慮がちなドアの開閉音がして伸が伺うように顔を出した。
「当麻……手術終わったよ」
「…………」
伸の声に当麻は顔をあげた。
もうそんなに時間が経ったのだろうか。
「結果は……?」
「出来るだけの事はしたが、あとは包帯が取れるのを待つしかないって」
「包帯はいつ取れる?」
「明日の昼頃かな」
「…………」
「……当麻?」
「どう思う? お前は」
「えっ?」
フェンスにつかまりながら立ち上がり、当麻はじっと真剣な顔で伸を見下ろした。
「征士の目。治ると思うか?」
「…………」
伸は戸惑ったように当麻を見返した。
やれるだけの事はやった。先生達は最大限の努力をしてくれたのだ。
手術をしても完全に治る確率はかなり低いという視神経管解放手術。しかも完全に失明していた場合は、ほとんど絶望的だという事を聞いた。
時間をかけて、多少の回復は望めたとしても、以前の視力に戻ることはないだろう。
通常生活に支障をきたさないほどの回復が見込めるかさえ微妙なのだ。
不安で不安でしかたない。
それこそ黙って時間が過ぎていくのが耐えられないほどには。
「…………」
伸は黙ってうつむいた。
「なあ、伸」
「何?」
「確実に治す方法があれば、お前はどんな犠牲を払ってでも試してみようと思うか?」
「……!?」
伸の目が僅かに見開かれる。
「当麻……?」
探るように伸は当麻を見た。
「当麻……それって……征士の目はこのままじゃ治らないっていうこと?君はそう思ってるの?」
「オレじゃない。夜光がそう言ってるんだ」
「…………」
何を言い出すんだといった表情で、伸はまじまじと当麻を見上げた。
「……何? 夜光? 当麻? 夜光って……どういうこと?」
「夜光は夜光だ。烈火と親友だった光輪の戦士だ」
「いや、それは……解ってる。夜光って征士の前身だろう。その彼が……」
「夜光は光輪の戦士だが、征士の前身じゃない」
「…………」
かなり長い間、黙って当麻を見つめた後、伸がぼそりと言った。
「頼む、当麻。もう少し解るように話してくれない?」
「…………」
当麻は言い淀むように軽く唇を噛み、小さくため息をついた。
「…………」
昨夜、きちんと話すと約束をしただろう。
征士を助けると。
その為に力を貸すと言っただろう。
無言で夜光に責め立てられているような気がして、当麻はもう一度大きくため息をつき、すっと顔をあげた。
心を決めなければ。
決行は今日。出来れば月が天上にある真夜中。
今日しかないんだ。
「伸」
「……何?」
「これからオレが話すことを信じてくれるか?」
「…………」
「どんな意外な内容だったとしても信じてくれるか?」
「当麻?」
「信じてくれるか?」
伸は呆れたように肩をすくませた。
「僕を誰だと思ってるの?」
「…………」
「僕は信将だって、最初に言ったのは君だろう」
くすりと伸は笑った。
「信じるよ。君の言うことなら何でも信じるから」
「…………」
当麻は愛おしそうに目を細めてそっと伸の髪を梳いた。

 

――――――「気分はどうだ? 征士」
「何だか身体がふわふわしているみたいだ」
「それって麻酔かけたからだろ」
「そうだな」
さんさんと陽の当たる暖かい個室が征士の為に用意された。
こじんまりとした清潔な部屋の白いベッドの上に横になって、征士はさわさわと鳴る木の葉の音を聞くようにそっと耳をすませている。
遼は征士の白い包帯を通しても伝わるようにと精一杯の笑顔を作り、征士に笑いかけた。
「早く包帯とれるといいな。征士」
「…………」
「オレ、信じてるから。信じることしか出来ないけど、オレ、心から信じてるから」
「遼……」
「絶対治る。明日には、征士の目は見えるようになってる」
「オレもそう思うよ」
じっと壁際にもたれて2人の会話を聞いていた秀が、初めて声を出した。
「オレも遼とおんなじ。信じてるぜ、征士。お前がそうそう簡単に妙なことになったりしないって。だってさ、お前には倖せになる権利があるんだから」
「秀」
「ちゃーんとオレ達がついててやるからさ」
そう言って、秀は軽くウィンクをして笑った。
「…………」
泣いてはいけない。苦しい顔も見せてはいけない。
それは征士の望むものではない。
だったら自分達に出来ることは、すべての不安を押し隠して、笑うことだ。
大丈夫だよって言って笑ってやることだ。
せめて、それくらいの強さはもっていようと、秀は遼と誓い合った。
「秀、当麻は何処だ」
突然、征士がそっと辺りを探るように顔を巡らした。
「先程から、いや、私がこの病院へ来てからずっと気配を感じない」
「ああ、当麻はきっと屋上だろうって、さっき伸が様子見に行ったけど」
「屋上?」
「なんか、月が見たいってさ。真っ昼間だぞ今、って言ったんだけど、昼間だって白い月が出てるんだぞ、知らないのかって言って、仏頂面のまま行っちまった」
「月を……?」
ふと、征士が顔を曇らせた。
「では、逢っているのだろうか」
「……えっ?」
「いや、何でもない」
征士は秀達の様子を気遣いながら、ふと窓の外に顔を向けた。
なんだか、妙な感じがする。
どんな事があっても耐えられる。自分は大丈夫なのだと、そう思っているのに、急に征士の心に不安が広がっていたのだ。
何か物足りない。何かが欠けているような気がする。
それが何なのか、解った。
いつも自分の中にいた夜光の気配が、どうしてだか感じられないのだ。
何処かに隠れて、何か他のことをしている。そんな気がする。
当麻は月を見に行ったと言った。
当麻の言う月は、夜光の事を指していることが多い。
当麻はいつも、夜光を月のような青年だと言っていたのだから。
では、当麻は夜光と逢って何をしているのだろう。
何を考えているのだろう。
「……征士、当麻を呼んでこようか?」
遼が征士の様子を気遣って声をかけると、征士は慌てて遼の方へ顔を向け、必要ないと首を振った。
大丈夫。
今は、あの深い宇宙色の瞳をした智将の事を信じていよう。
今までも、そしてこれからも、ずっと信じていよう。

 

――――――「えっ……それって……」
伸は、思わず息を呑んだ。
当麻は話すことそのものがとても苦しいのか、僅かに顔を歪めながら、すっと伸から視線を逸らした。
「征士は、本当の意味での光輪の戦士ではなかったんだ。夜光の魂を受け継ぐべき存在は、この現世には存在しない」
「…………」
「征士は……」
「…………」
「だから……夜光は自分の全存在を賭けて征士を救いたいと思っている。そして、お前にその手助けをして貰いたいと言っているんだ」
「手助け? 僕が? 僕に何が出来るの?」
「お前にしか出来ないんだ。お前にしか……」
「……当麻?」
「…………」
「……当麻……」
何だか、やけに当麻が苦しそうで、伸は不安気に眉をひそめた。

 

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