光の欠片 (3)

「毛利君、真田君、どこ行ってたのよ。心配するじゃない」
汚れた袖口を洗面所で洗い終え、伸達がロビーに戻ってくると、浩子先生はもう治療室から出てきていた。
「すいません、ちょっと。先生、征士は?」
慌てて伸が駆け寄ると、浩子先生は目で先程灯っていた治療中の赤ランプが消えている集中治療室を指し示した。
「さっき処置は終わったわ。細かい傷がかなり沢山あったけど、命に関わるような事はなさそうよ。骨折もしてないみたいだし、脳挫傷の心配もないだろうって。とりあえず、まだ意識が戻らないから、個室に移して経過を見るっておっしゃてたわ」
「征士は大丈夫なんですか?」
「ええ。まだ安心は出来ないけど、意識さえ戻れば問題ないだろうって」
「そうですか……」
「伊達君の事はこちらの先生方に任せて、私はちょっと一旦学校へ戻らなきゃいけないんだけど、あなた達はどうする?」
浩子先生に尋ねられて、伸は一瞬困ったように遼を見た。
本来なら、征士の無事を確かめたら、先生と一緒に戻るべきなのだろうが、遼は恐らく此処に残りたいと断言するだろう。
そんな伸の考えが伝わったのか、くすりと笑みをもらして浩子先生が言った。
「伊達君についていてあげたいなら、学校にはそう報告しておくわ。私も伊達君1人残して行くより、毛利君達が残ってくれた方が安心できるしね。彼が目を覚ました時、そばに居てあげてくれるかしら」
「いいんですか?」
「もちろん。本当なら、伊達君が目を覚ますまで、私がついててあげたいんだけど、そうもいかないらしくて。一教師としては、上の指令には逆らえないって事」
伸達を元気づけようとしてか、明るくそう言って、浩子先生はバッグを手に立ち上がった。
「じゃあ、私は戻るから、何かあったらすぐ連絡ちょうだいね」
「はい」
「あ、そうだ、毛利君」
背を向け、歩きだそうとした浩子先生がふと振り返って伸を見た。
「羽柴君と秀麗黄君、学校を無断で抜け出したらしいのよ」
「……!?」
「きっとこっちへ向かってるんだと思うから、一応2人が来たら学校に知らせてね」
「あ……はい」
まったく何をやってるんだ。あの2人は。
伸が呆れた表情で申し訳なさそうに頭を下げると、浩子先生はおかしそうに肩をすくめて笑った。
「2人とも、伊達君の事、本当に心配してるのね。安在先生がおっしゃってたわ。あれじゃ、何を言っても無駄だって」
「すいません。本当に。2人が来たら直接電話いれさせますんで」
「お願いね。じゃあ」
今度こそ踵を返し、浩子先生は病院を出て行った。
バスに乗り込む浩子先生を見送った後、やれやれと天を仰ぎ、伸が小さく息を吐いた。
「当麻達にも困ったものだね。無断で抜け出すことはないだろうに」
「オレがあいつらでもそうしたよ」
ぽつりと遼が言った。
「……遼?」
「わかんないけど、嫌な感じがするんだ。浩子先生はああ言ったけど、なんか安心できない。オレでさえこうなんだから、征士の様子を見てないあいつ等が心配するのは当たり前だ。安在先生に何言われようと、オレだって学校抜け出したさ」
「まあ、それは僕だって否定できないけど」
言われてみれば、その通り。
自分が当麻達の立場だったら、門の一つや二つ飛び越えた可能性はある。
「…………」
そうなのだ。
どうしてだか解らないが、何か未だに胸騒ぎがおさまらない。
何故だろう。
伸は心に沸き上がってくる不安をうち消すようにぶんぶんと激しく頭を振って気を取り直そうと顔をあげた。
と、その時、ちょうど1人の青年医師と目があって、伸は小さく声をあげた。
「……あっ……」
「…………?」
青年医師の目が伸の姿を捉え、一瞬眉を寄せる。
次いで、その表情がパッと明るくなり、青年医師はいそいそと伸達のもとへ駆け寄ってきた。
「伸君! ああ、やっぱり、毛利伸君だね」
「お久しぶりです。霧島先生」
伸は、久し振りに会う霧島医師に深々と頭をさげた。

 

――――――相変わらずの長身に白衣を羽織って立つその医師は、以前当麻と伸が交通事故に遭った時、手術に立ち会い、当麻の入院時の担当医となってくれた医師である。
切れ長の鋭い目に、医者にしては少々長めの髪をざっくばらんに後ろで一つにまとめて、霧島は懐かしそうに伸を見て笑いかけた。
「いやぁ、本当に久しぶりだ。元気にしてたかい? あれから当麻君の様子はどう?」
「おかげさまで元気です。にしてもよく僕達の事、覚えていらっしゃいましたね。患者さんなんて大勢いるでしょうに」
「そりゃあ、君達は印象的な患者だったからね。色々と」
そう言って霧島は伸に向かって軽く片目をつぶってみせた。
本当に、事故の状況からは考えられない程、無傷だった伸と、異常な回復力の早さを見せた当麻。
出血多量で生死の境を彷徨っていたはずの当麻を救ったのは伸の力だと、あの時霧島は言ってくれた。
何だか遠い昔の出来事のようで、あの頃の事を笑って話せる自分に多少驚きながら、伸は霧島の言葉に耳を傾けた。
「どうしてるかなって、たまに思いだしてたんだよ、君達の事。結局あれきり顔を見せなかったしね」
「すみません。当麻があまり病院へ行きたがらなかったものですから」
「そうなんだ。元気なら構わないんだけどね。まあ、病院が好きな子供もそんないないだろうし、元気なら特にこんな所、来ない方がいいものね。……あ、ところで、今日はどうしたんだい?」
「あの……さっきの地震で……」
「あ、そうか。彼だ」
ようやく気がついたように霧島は先程赤ランプがついていた集中治療室を振り返った。
「地震で怪我をして運び込まれて来た子。伊達君だっけ? あの時当麻君のお見舞いに花束持って現れた綺麗な少年だよね。どうりで何処かで見た顔だと思った」
伸や当麻はともかく、征士の顔まで覚えているとは、この医師の記憶力も相当なものだ。
感心して伸は霧島の端正な顔を見あげた。
「ええ、そうです。よく覚えてますね」
「いや、随分綺麗な瞳をした子だなって印象に残ってたんだ」
所在なげに花束を抱え、病院に現れた征士。
腕に抱えた花束よりももっと綺麗な、紫水晶をそのままはめ込んだような征士の瞳。
あの瞳は一度見たら忘れられないよと、霧島は笑ってそう言った。
「にしても、今回は災難だったね。運が悪いというか」
「ええ、とりあえずもう大丈夫だとは訊いたんですけど」
伸の隣で遼がピクリと顔をあげ、じっと霧島を見た。
「ああ、大丈夫だよ。私は直接立ち会ってはいないので詳しいことは解らないが、問題はなかったと言っていたはずだ。あ、ちょっと待ってて」
「…………?」
ちょうど治療室から出てきた中年の医師に気づき、霧島がさっと医師の元へ駆け寄って行った。
恐らくその医師が征士を診た医師なのだろう、二言三言言葉を交わし、カルテを覗き込んでから、霧島は再び伸達の元へ戻ってきた。
「大丈夫。幸いにも後に残るような大きな傷もなかったようだし、それは安心していいそうだ。彼の意識が戻ったら、様子を見に行くと言ってるよ。それで問題がなければ特に入院の必要もないんじゃないかな」
「ホントですか?」
「ああ、安心していい。君や当麻君といい、彼といい、本当に常識では考えられないくらい丈夫な良い身体をしてるよ。オリンピック目指してる運動選手にもひけはとらないんじゃないかな。って、これはいくらなんでも言い過ぎか」
冗談なのか本気なのか、可笑しそうに笑って霧島は言った。
霧島の笑顔は良い。本当に安心できる。
ようやくほっと息をつき、伸の顔にも笑顔が戻った。
「じゃあ、征士君の病室へ行こうか。顔を見たらもっと安心出来るだろう」
「はい」
霧島に促され、伸と遼は征士が移された病室へと向かった。

 

――――――「征士の様子はどうだ?」
浩子先生と入れ違いに病院に到着した当麻と秀は、真っ直ぐに征士の病室へと顔を出した。
「2人とも、征士はまだ目を覚ましてないから、とりあえず学校へ連絡入れてきてよ」
浩子先生からの言いつけ通り、とにかく学校へ連絡してこいと、すぐさま伸に病室を追い出されロビーの公衆電話へ走った2人は、学校側にかなりお小言を貰ったにもかかわらず、反省心の欠片もない様子で早々に電話を切り上げ、病室へ舞い戻ってきた。
「目、覚ましたか?」
「だからまだだって言ってるだろ。あんまり病室で騒ぐな」
「わかったわかった静かにしてるから」
ちっとも静かでない大きさの声でそう言って、秀は伸を押しのけるように征士の眠るベッドのそばの椅子に腰を下ろした。
「やっぱ来て正解。顔見ねえと安心できない」
「そんな焦らなくても、入れ違いに浩子先生が戻ったんだから、詳しい話も訊けたろうに」
「訊くと見るとじゃ大違いなの」
「そりゃそうだろうけど」
素直に心配を顔に現す秀の様子を微笑ましく見下ろし、伸がくすりと笑った。
「大丈夫。もうすぐ目を覚ますよ、征士」
「うん」
「征士もびっくりするだろうね。目を覚ましたら全員が自分の顔覗き込んでるんだから」
「早く目覚まさないかなあ」
じれったそうにつぶやいた秀の一言は、そのまま皆の気持ちだった。
そして、皆の見守る中、ようやく征士の意識が戻ったのかピクリと瞼が動いた。
「お、ようやっとお目覚めか?」
当麻が嬉しそうに秀の後ろから覗き込んだ。
「征士、どうだ? 具合は」
勢い込んで遼も身を乗り出す。
「まったく心配させやがって。早く目を開けろよ」
「……秀……?」
秀の声につられるように、征士がゆっくりと目を開けた。
光を反射して征士の薄紫の瞳がキラリと光る。
いつもと変わらない澄んだ瞳に秀がほっと息をもらすと、征士が一瞬戸惑ったように表情を曇らせた。
「……?」
「どうした、征士?」
征士の様子に当麻が不審気な目を向ける。
「征士?」
「やけに暗いな。もう夜中なのか?何故電気をつけない」
「…………!?」
煌々と照らされた電灯の元、秀が思わず眉をひそめた。
「何……言ってる……征士」
「そこにいるのか? 秀。よく見えない」
「…………」
「目が、見えないんだ。秀」
ガタンっと秀が座っていた丸椅子が派手な音を立てて床へ倒れた。

 

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