不在という名の存在 (7)

「秀のおふくろさんが入院!?」
電話口で大声をだす当麻に、征士はやれやれと頭を抱えた。
「私はきちんとお前の家の留守電に伝言を吹き込んでおいたはずだぞ」
「留守電……?」
当麻がきょとんと首をかしげる。
「そうだ。いくらかけても出ないから、仕方ないと、今回の秀の一件と、何かあった時は、秀の実家かこの寺へ連絡するようにと連絡先をだな」
「…………」
「やはり、聞いていなかったのだな。まったく。どうせ、ずっと研究所に籠もっていて、ろくに部屋に戻ってもいないのだろう。こうなることが分かっていたから、きちんと連絡は欠かすなと言っておいたのだ。それを無下にして、お前は一体何を考えているのだ。そういうところが常識無しだと言われる所以なのだぞ」
「わかった。わかったから、そうガミガミ怒鳴るなよ」
征士の畳み掛ける口調にさすがに辟易して、当麻はようやく征士のお小言を制止した。
「連絡しなかったことは謝るよ。んで、秀のおふくろさんが入院したってんで、秀が家にいない事情は分かった。他はどうしたんだよ」
「……遼は予定通り撮影旅行に出かけた」
「ああ、そっか」
結局一人で出かけることになった遼。悪いことをしてしまったなあと、少し心が痛む。
「それで、伸は、秀の家の店を手伝うために駆り出されたのだ」
「店? あの中華街の?」
「そうだ」
ああ、そういうことか。
ようやくすべての事情が飲み込めて、当麻はほっと息をついた。
「まったく。きちんと連絡してきていればいらぬ心配もする必要なかったのだぞ。反省しろ。それに、遼などお前のために取っていた宿をキャンセルして、今日まで待っていたはずだ」
「そうなのか?」
「本当なら私と一緒に昨日出発するはずだったのが、お前が連絡をしてこないから、これはまずいだろうと、出発日を一日ずらしたんだ」
では、本当にすれ違いで連絡が取れなかったと言うことなのだろう。
遼が諦めて出発した直後に、自分は受話器を上げた、というところだろうか。
タイミングが悪いというか、なんというか。
「遼は、自分は一人旅だから、どうにでも都合がつくと言ってな。それもこれもお前がきちんと連絡先を言っていかないから悪いのだぞ。いくら自宅の留守電に入れていてもお前が聞いていないんじゃ意味ないではないか。お前はそういうところ馬鹿だというのだ」
「馬鹿馬鹿言うなよ」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」
放っておけばいつまでも続きそうな電話口での言い争いを聞き付け、ついに鷹取が失笑しながら顔を出した。
「……不毛な言い争いすんのいい加減やめれば? 電話代もバカにならんぞ」
「…………!!」
思わず真っ赤になって受話器を離し、鷹取の方を振り返って、征士は言葉を詰まらせた。
「もしかして、お前等、オレが戻ってくるまでずっとそうやって無駄に言い争いしてたのか? いちおうここは間借りしている場所なんで、部長としては黙って見逃すことは出来ないな。私用電話は簡潔に、だ」
「失礼しました。すぐ終わらせます」
ニヤリと笑って言ってきた鷹取に一礼し、征士は再び受話器を口元に運んだ。
「お前とこれ以上不毛な会話をする気はないので、あとは用件だけ述べさせてもらう」
「…………」
とたんに無機質な口調になった征士に、当麻が受話器の向側で不満気に口を尖らせた。
「とりあえず、そちらの研究所の電話番号を教えておいてくれ」
「ああ……」
「じゃあ、また何かあったら連絡する」
当麻が告げた研究所の電話番号をメモ用紙に記入し、征士は早々に電話を切った。
「なんか色々大変そうだな。お前等」
「別に私達が大変なのではなく、一人の馬鹿のおかげで多少混乱していただけです。もう大丈夫」
「一人の馬鹿って……それ羽柴のことか?」
「そうですが……?」
奇妙な顔をした鷹取を見て、征士が首をかしげた。
「何か……?」
「いや、先生方も一目置いてる天才児を掴まえて馬鹿呼ばわりできる関係ってのもすげえなあと思ってさ」
「頭がよくても常識がない奴は馬鹿でいいんです」
「やっぱりお前等の関係って面白い」
クスクスと可笑しそうに笑って、鷹取はくるりと征士に背を向けた。

 

――――――「話は終わったのか?」
受話器を置くのを待っていたように、当麻の父親、羽柴ゲンイチローが当麻に声をかけた。
「ああ、いちおうね。あんたの所為で怒られちまったよ」
「何故、オレの所為なんだ?」
心外だと言わんばかりの顔をしてゲンイチローは眉根を寄せ、腕を組んだ。
「オレは何もしておらんぞ」
「ほとんど拉致状態で、此処に連れてきたのはあんただろうが。おかげでオレは自分の部屋にも戻れず、奴等との連絡手段を絶っちまう羽目になったんだ」
「部屋に戻らなかったのはお前自身だろうが。オレは此処に居ろとは強制しとらんぞ」
「…………」
そう言われると返す言葉がない。
当麻は更に不満気に口を尖らせた。
確かに、部屋に戻るなと言われたわけではない。
帰る時間を逃してしまって、面倒くさいからと、このラボに寝泊まりを決めたのは当麻の意志だ。
「はいはい。オレが悪うございました」
口をへの字に曲げ、肩をすぼませる息子を見て、ゲンイチローは可笑しそうにくすりと笑った。
「まあ、それだけ此処の研究に興味を持てたということだと解釈していいんだろうな、当麻」
「…………」
当麻は何も答えず、軽く眉をあげて目だけで同意の意志を示した。
ゲンイチローの言うとおり、当麻にとって、この研究所での環境は決して居心地の悪いものではなかったのだ。
初めて本格的に関わった父親の研究は確かに面白かった。
周り中、知識豊富な大人ばかりというのも、気が楽だった。
こういう人達と一緒に研究に没頭するのは、案外自分の天職なのかも知れないとさえ思った。
そうして思う。
やはり自分はこの父親の血を間違いなく受け継いでいるのだろうと。
これは、脳の記憶を司る部分だけが、その人物の人格を支配するのではないという証拠だ。
過去から続く記憶の渦とは別の所に、間違いなく羽柴当麻の、羽柴ゲンイチローの息子としての揺るぎない意識があるのだ。それは繋がっている血のなせる技なのか。
人間の脳というものは不思議なものだ。
探せば探すほど、色々な未知のものが出てくる。
不可思議で、神秘的で。
「オレ、結構楽しんでる。それは事実だ。ガキの頃は何も分からなかったけど、あんたは、いつもこんなことをしてたんだな。面白いよ、ホント」
「…………」
「だからって、家庭をないがしろにしていいとは言わないけどさ、でも、以前より、あんた達が離婚を決めた意味、理解できるような気はした」
『自由になって』
そういった言葉通り、自分達家族はそれぞれの自由の為に、バラバラになった。
いつか、あの頃の事も笑って思い出せるようになる日がくるのだろう。
「そうか……」
安心したようにほっと息を吐き、ゲンイチローは真っ直ぐに息子を見つめた。
「それを聞いて安心した。実はお前に渡そうと思っていたものがあるんだ。」
「渡そうと? 何?」
「ちょっと所長室へきてくれ」
そう言ってゲンイチローはスタスタと歩きだした。
慌てて後を追い、当麻も所長室へと向かう。
そこは、研究所の1階の中庭に面した小さな個室だった。
隣には仮眠用の寝室があり、当麻もその仮眠室で何度か仮眠をとったことはあったが、所長室へ入るのは初めてだった。
遮光性のカーテンがかけられたその部屋は、乱雑に置かれた書類の束と大量のフロッピー、MO、古びた感じの書物が散乱しており、なんだか柳生邸の書斎を思い出させた。
「……こんなところまで似てんのか? まったく……」
もしかして、これは、ものの片付けかたの基本が同じという事なのだろうか。
おもわず苦笑した当麻の目の前に、ゲンイチローはおもむろに小さな冊子を差しだした。
「お前の分だ」
「…………?」
何だろうと手を伸ばした当麻の表情がすっと強ばる。
「……これ……何」
「知らないわけじゃないだろう。パスポートだ」
「…………」
パスポート。
「……どういうことだよ。これ……」
震える声で当麻はようやくそれだけ言った。

 

前へ  次へ