不在という名の存在 (6)

「ったく……余計な心配したくないから、すぐに連絡入れろとか言っといて、誰も電話に出ないってのはどういう了見だよ」
受話器を握りしめて、当麻が愚痴った。
出発前、征士に言われたその言いつけに、はいはいと上の空で返事を返し、その通りのいい加減さで連絡が遅れたことは悪いと思う。
大阪に帰った途端、父親に引きずられるように研究室のラボに連れて行かれ、なかば監禁状態で手伝わされていたことも、連絡をしなかった理由にはならないだろう。
そして、自宅はともかくこの研究室の電話番号を教えず、その所為で向こうから連絡が取れないようにしてしまったことも、今考えると悪いことをしたと思う。
こういう態度をとっているから、いい加減にしろとの雷が落ちるのだ。征士から。
でも、だからといって。
「いったいこれはどういう事なんだろう……」
そう。
永遠にコール音を続けそうな受話器を置き、当麻はがっくりと肩を落とした。
本当に。誰も電話に出ないと言うのはどういうことなのだろう。
連絡が遅れた自分に対する、意地悪だろうか。
いや、自分ならともかく、他の連中がそんな卑怯な手段で報復を考えるとは思いがたい。
「やりそう……っつったら、伸くらいで、少なくとも遼がそんな方法を考えることはあり得ない。あいつは、そういう曲がったことは大嫌いだからなあ……ということは、だ」
色々と電話にでない理由を考える。
今の時間帯からすると、夕食の買い出しか。全員で?
それもまあ、妙な気はするが、あり得ない事ではないだろう。
うん、きっとそうだ。そうに違いない。
無理矢理そういう結論を出し、当麻は時間を見計らって、二時間後に再び電話をかけ直すことにした。
二時間経てば、誰かは戻って来ているはずだ。
きっと。
「………………」
きっちり二時間後。当麻は再び、電話機の前で頭を抱えた。
「おいおい。これは本格的におかしくないか?」
誰も出ない。コール音が虚しく響き渡るだけ。
どう考えても、これは異常な事態である。
「うーん。もしかして、何かあったのかな?」
何か。何かが起こったのかもしれない。
そう思ったとたん、当麻の心にどっと後悔の念が頭をもたげた。
「…………」
こんな事なら、昨日も一昨日もちゃんと電話すればよかった。
意地を張って、連絡しなかった為に、こんなことになるなんて。
「意地……だよな、確かに」
そうなのだ、今日まで電話をしなかったのは、単なる意地だったのだ。
「……伸」
なるべく思い出さないようにとしていたのに、名前を呼んだとたん、何かが押し寄せてくる。
「やべぇ……だから連絡したくなかったのに」
つぶやきつつ、当麻はそっと受話器を置いた。
きっと、声を聞いたら逢いたくなる。
逢いたくなって逢いたくなって仕方なくなる。だから、なるべく声を聞かないで過ごそうと考えていたのに。
だから、連絡するのも最小限に留めようと考えていたのに。
今は、もう駄目だ。
声が聞きたい。無事を確かめたい。
今、何処で何をしているのか知りたい。
逢いたい。
逢いたい。
逢いたい。
「マジ、どうしようもないな。オレって奴は……」
多少自嘲気味に当麻は前髪を掻き上げた。
とにかく、今しなければならないことは、どうやったら小田原の仲間達と連絡がとれるかを考えることだ。
もし、誰かに何かあったのなら、何処かに連絡が取れる所を確保しているはずだ。
では、それは何処だ。
「……うーん。伝言残すって言ってもなあ……」
誰がいるだろう。
「……学校……かなあ……浩子先生にでも聞いてみるか?」
以前、征士が入院した時も、保健医の浩子先生には随分世話になった。
あの先生なら、何か知ってるかもしれない。
「……っつーかちょっと待てよ。学校?」
そこまで考えを巡らせて、はたと当麻は思考を停止した。
「学校……学校……何か、思い出しそうな気が……」
何か。誰かが、学校に関係する何かを言っていたような気がする。
「……なんだっけ? 学校で……」
『春休み、私は剣道部の合宿がある』
「そうだ! 合宿!」
確か、征士は春休み合宿に出かけると言っていた。なら、家に居ないのも分かる。そういえば出発日は昨日あたりだったはずだ。
「おいおい、すーっかり忘れてたぜ。オレとしたことが……」
『お前、本当にIQ250もあるのか?』
そう言う秀の顔が目に浮かび、当麻は慌てて目の前の秀の幻をかき消すために手をひらひらと振った。
「あーうるさいうるさい。オレだって思ってるよ」
いくら気が動転していたからと言って、この結論に達するまでに費やした時間を考えると情けないことこの上ない。
まったく、ここまで冷静に物事を考えられなくなるなんてどうかしている。
如何に自分が焦って我を忘れていたか知れようというものだ。
「我を忘れて……?」
それほどに。思い出しただけで。
逢いたくて。
逢いたくて。
逢いたくて。
「つくづく、オレはまだまだガキだなあ……」
先程から何度も繰り返している自分への叱咤を繰り返しながら、当麻はようやく受話器を上げてダイヤルを押した。

 

――――――竹林の中は澄んだ空気が漂っている。
これは神の居る神社等と共通する空気かもしれない。
大きく深呼吸して、征士は生い茂る竹林の高い背を見上げた。すると、さわさわと鳴る葉の陰から月の姿が覗いているのが見える。
征士はなんとなしにその場に立ち止まった。
竹の葉の隙間から月の光が降ってくる。
満月には少し欠けた月。月の光。吸い込まれそうな月の光。
全身に月の光を浴びる。
「もしかして、帰りたいとか思ってるか? かぐや姫」
突然後ろから声をかけられ、征士は驚いて振り返った。
「た、鷹取先輩?」
「よう」
唇の端を少し上げる独特の笑顔で、鷹取が征士に向かって手を振った。
「先輩も竹林散策ですか?」
「竹林っつーか、伊達散策」
「…………?」
「にしても、お前って、そうやって立ってると、マジで月に帰っていきそうに見えるな。帰りたいなら輿に乗るのを止めはしないけど、着物着換えさせられても忘れないでくれよ」
「……あの……」
また、この人はわけのわからないことを。
眉間に皺を寄せた征士を見て、鷹取は可笑しそうに笑った。
「そう不審そうな顔するなよ。別に他意はない……というのは冗談で、実はお前を呼びに来た」
「……?」
「お前に電話がかかってるそうだ。寺の住職に呼んできて欲しいと頼まれた」
「電話……?」
何かあったのだろうか。秀の母上の身に。
「言っておくが相手は太陽君じゃないぞ」
「……えっ」
思わず走り出そうとしていた征士の足がピタリと止まった。
電話イコール秀からだと、そんなふうに何の迷いもなく思っていた。
ということは、それほどまでに自分は秀の事ばかりを考えていたのだろうか。
「……あ……そ、そうですか……」
僅かに焦った口調の征士を見て、微妙に鷹取が唇の端を歪めた。
「相手は、あれだ、D組の天才児」
「当麻?」
「そう、それ」
「…………」
「ほら、早く行けよ。電話」
「あ、はいっ」
慌てて再び駆け出した征士を見送り、鷹取は小さくため息をついた。
「ったく……あんな顔するから……」
月が雲に隠れ、影が薄くなる。
「……マジになりそうになる」
ぽつりとつぶやき、鷹取は皮肉な笑みを浮かべた。

 

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