不在という名の存在 (18)

「元町公園へ? 人を迎えに?」
ちょっと頼み事があるんで抜けてきてくれと言う秀について店の外へ出てきた伸は、どういうことだと言いたげに自分に向かって、拝むように両手を合わせている秀を見た。
「実はさ、うちの親戚の知り合いが来るんだけど、今、オレはちょっと手が離せなくてさ。悪いけど迎えに行ってやってくれるか?」
「い、いいけど、でも僕、相手の顔とか分かんないし……」
「大丈夫。向こうはお前の顔知ってるから」
「知ってる? 何で?」
「えーっと、以前、写真見せたことがあるんだよ」
「…………」
奇妙な顔をした伸の肩をポンポンと叩き、秀はもう一度済まなさそうに頭を下げた。
「本来はオレが行くべきなんだけどさ、これから来る予約客ってのがうちの常連さんで、オレ、挨拶しなきゃなんなくてさ。ホント、悪いんだけどお前にしか頼めないんだ。頼むよ」
「…………」
「元町公園に入った所の桜の木の下で待ってるはずなんだ。すぐ分かると思うから……頼むっ!」
ここまで必死に頼み込まれて嫌といえるわけもなく、伸は仕方ないなあといった風に肩をすくめて頷いた。
「ったく、わかったよ。行けばいいんだろ」
「悪いな。よろしく」
「了解」
いまいち納得できないまま、それでも伸は仕方なしに着けていたエプロンを取り、代わりに秀から上着を受け取った。
「じゃ、ちょっと行ってくるね」
「おうっ、よろしくなー!」
「はいはい」
大通りに向かって歩き去っていく伸を見送り、秀は満足気な笑みを浮かべた。
先程からずっと店内から様子を窺っていた征士が店の外へと出てきて、コツンっと秀の腕を小突く。
「誰が親戚の知り合いなんだ?」
「別に嘘じゃないぜ。あいつはオレのじっちゃんを知ってんだから」
「……そういうことか」
「そういうことだ」
にやっと秀が笑った。
確かに、当麻は秀の祖父を知っている。
だから厳密に言えば、秀は別に嘘は言っていないのだ。とはいえ、何となく納得できない様子で、征士は呆れたように秀の横顔を見下ろした。
「それで、奴は何と?」
「詳しくは聞いてないけどさ、当麻の奴、残ることに決めたらしい」
「では、ドイツへは行かないのだな?」
「ああ。ちゃんと遼と一緒に戻ってきたぜ」
秀が嬉しそうに頷いた。
「遼と一緒? では、遼が止めたということなのか?」
「さあな、どうだろう」
言いながら秀はククッと笑って肩をすくめる。
遼が止めたのかどうかは分からないが、遼の登場が当麻の決心を後押ししたことは間違いないだろう。
征士はもう一度走り去っていく伸の後ろ姿を見ようと顔を上げた。
「……驚くだろうか? 伸は」
「驚いてくれなきゃこっちが困る。奴が伸の顔見て直接言いたいなんて我が儘言うから、こっちだって協力してやったんだからさ。オレ、さっきも伸の顔見てたら言いたくて言いたくて仕方なかったんだぜ。どんだけ我慢したと思ってるんだ」
「確かに、お前は隠し事が苦手だからな」
どう考えても不自然だった先程の秀の態度。もしかしたら伸も何かあると勘づいているのではないだろうか。
征士の危惧を感じているのかいないのか、秀は相変わらず嬉しそうに頬をゆるめて大きく頷いた。
「まあ、終わりよければすべて良し。オレ、今日は伸の味方だから」
当麻のではなく、伸の、と、秀は言った。
「だから、伸が元気になるんなら今は何でもいいよ」
秀がちらりと征士を見上げた。
「もうしばらくはこのままでいいよな。征士」
「ああ」
「……なあ、征士」
突然、きりっと唇をひき結んで、秀は征士の名を呼び、次いで自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。
「征士……オレは、いつか此処に還る」
「…………」
征士は知っているとでも言いたげにゆっくりと頷いた。
「オレは高校出たら、こっちに戻ってくる。専門学校通いながら店の手伝いして、経営の勉強もする。だから……あと二年、めいっぱい高校生活楽しんで、これでもかってくらい思い出作って、そんで戻ってくる」
「…………」
「離れてても大丈夫なくらい。抱えきれないくらい思い出作って、それで……」
「…………」
昨夜、伸が言っていた通り、自分達が全員一緒にいられるのは、あと一年が限界だろう。
でも、だからこそ、その一年をきちんと納得のいく形で過ごしていきたい。
ただ、やはり、少し寂しい。
どんなに分かっていても、それでも寂しい。
「大丈夫だ。秀」
静かに征士が言った。
「大事なのは時間の長さじゃない。深さだ」
「…………」
思わず秀は征士の端正な横顔を見あげた。
「だから、大丈夫だ」
「そっか……そうだな。そうなんだよな」
深く深く。想いを込めよう。
どんなに離れてても大丈夫なように。
逢えなくても、そばに感じていられるように。
「……そういえば、遼は?」
ふと、思い出したように、征士が訊いた。
「遼は先にこちらに来るのか?」
「ああ。今、当麻の荷物と自分の荷物抱えてこっちに向かってる。全員集合は桜の木の下でしたいっていったのはあいつなんだ。で、当麻に場所取りやらせて、自分は荷物置きにこっちに寄るってさ」
「なる程。だから、伸を先に行かせたというわけか……」
「ああ。いちおう遼も納得づくだ」
誰よりも早く、伸に当麻を逢わせる為に。
それが最善だと考えたのだ。秀も、遼も。
ふと、征士はもう一度、角を曲がって姿の見えなくなっている伸の背中を追うように目線を上げた。
いつ頃からなのだろう。伸にとって当麻が特別になったのは。
当麻にとって伸が特別なのは、最初から分かっていた。
でも、伸のほうは。
出逢った当初。伸は遼を見ていた。正確に言えば、それは烈火を見ていたのかも知れないが。
それでも伸の目に映っていたのは遼だったはずだ。
それが、いったいいつ頃から、伸にとっての特別が変わってきたのだろう。
それぞれに対しての、それぞれの特別。
皆で一緒に居たときは、ここまで意識したことはなかったというのに。
やはり、出逢った頃からしたら、自分達は間違いなく変化しているのだろう。
それが良いことなのか、悪いことなのか。答えがでるのは、もしかしたらずっと先のことなのかも知れないが。
「遼は……長距離ランナーを目指したいと言っていた……」
ぽつりと征士が言った。
「長距離ねえ……似合ってんじゃねえか? あいつには」
ニッと笑って、秀は征士を見上げた。

 

――――――「……ったく、言ってることは理解できるけど、なんか不自然なんだよね、秀の態度……」
パタパタと大通りを駆け抜けながら、伸は小さな声で多少の不満を洩らした。
何が何でも行って欲しいという多少強引な物言いは、最近の秀の行動とは微妙に食い違う。
もしかしたら、根を詰めすぎている自分に対して、散歩がてら息抜きをしろと言いたいのかもしれないが、それにしては顔つきがどうもおかしい。
そう、先程の秀は何故かとても嬉しそうだった。
済まないなあと手を合わせて拝んでいても、何だか嬉しそうだったのだ。
ようやく元町公園の桜が微かに見えだした頃、伸は歩き続けていた足を止め、大きく深呼吸した。
まだ、咲き誇ると言うには少し早いが、桜の花は今ちょうど6分咲きで、かなり見頃の時期と言える。
「桜の……木か……」
桜の木はとても好きだが、好きな分、少し寂しい感じがする。
桜の木の下でいくつもの出逢いがあった。
桜の木の下でいくつもの別れがあった。
あらゆることの分岐点が此処にあるのかも知れない。
桜を見ると思い出す。届かないあの人への想い。
桜を見ると思い出す。逢いたくて逢えない大切な人。
届かなかった想い。受け止めきれなかった想い。
その全ての想いが此処にある。この場所に。
「…………!?」
目線を上げた伸の思考回路が止まった。
「……あ……まさ…か……」
桜の木の下で、こちらを見つめている2つの瞳。
どこまでも深い、宇宙色の瞳。
「……当麻……?」
小さくつぶやき、伸はようやく桜の木の下に佇んでいる男の元へと走り出した。

 

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