不在という名の存在 (17)

「じゃ、これが部屋の鍵。荷物はまとめて段ボールに入れておいた。他のゴミは出しておいたんで、あとは大きな家具が少し。今度の粗大ゴミで出すか、リサイクルを呼ぶかは父さんの判断に任せるよ」
そう言って、当麻はゲンイチローにマンションの鍵を渡した。
「で、まとめた荷物は、できればドイツに持って行って欲しい」
「……ドイツへ?」
すっきりとした顔で当麻は父親に笑いかけた。
「まとめた荷物ってさ、小田原に送ってもどうしようもないものばかりなんだ、実は。昔の思い出の品とかが中心だから。別に今使うものっていうのはないし。でも捨てたくないものだから」
なんだか自分の言葉を面白がっているふうな口調で当麻は言った。
「考えてみればさ、あの部屋に残ってたものって、押入に押し込んだ使わなくなったオモチャと同じなんだよ。もう遊ぶこともきっとないもの。でもいざ捨てますよって言われたら、惜しくなる。そんなもの。オレの未練のかたまり。だから、あんたに持っていて欲しい」
「…………」
「……ドイツにオレの未練を持って行ってくれたら、そうしたら、そこはオレにとって帰ってきていい場所になる」
「…………」
「そうだろ」
上目遣いに父親を見上げる当麻は、息子の顔をしていた。
ゲンイチローはそんな息子の顔を満足そうに見下ろし、ゆっくりと頷いた。
「そうだな。またいつでもドイツへ帰ってくると良い。お前の部屋にその荷物は放り込んでおこう」
「ん。よろしくな」
「ああ、わかった」
なんだか久し振りに本当の親子の会話をしたような気がした。
なんだかそれが嬉しくて、当麻はもう一度父親に向かって笑顔を見せる。
当麻の笑顔に小さく頷き、去っていく父親の後ろ姿を見送ると、当麻はうーんと伸びをして、遼を振り返った。
「さてと、それじゃ帰るか、遼。これから出発したら、夕方にはつけるかな?」
「そうだな。今からだと夕飯前には横浜に着けるから、ちょうどいいんじゃないか?」
時計を見ながら、遼が時刻表を取りだした。
当麻も一緒になって覗き見る。
「秀の家ならオレが場所知ってるし、すぐ辿り着けるよ」
「そか、当麻も行ったことあったんだっけ」
「ガキの時な」
「……久し振りに伸に逢えるな。当麻」
「…………」
無言で当麻は頷いた。
「……そう言えば、当麻。本当にいいのか? 先に伸に知らせないで」
「ああ」
遼の問いに当麻は短く頷く。
「いちおう、駅についたら秀に電話いれるし、奴の家だったら別にアポなしでも大丈夫だろう」
「いや、そういう事じゃなくって……」
「いいんだよ」
当麻はそう言って、くしゃりと顔を歪めた。
どうやら当麻は本気で何も告げずに突然押しかけたいらしい。
「当麻……」
「悪いな。先に声聞くより、顔を見たいんだ。でないと……」
「……?」
残ることを決めたこと、伸にはきちんと顔を見て告げたい。
何故なら、声だけだと、きっと伸は『行け』と言う。
あの電話口での言葉と同じように。
だから、そう言った伸の本心を見たい。
顔を見れば、伸の言葉と心がどれくらい同じで、どれくらい離れているのか分かる。
今はまだ。不安定だから。
自分の自信のなさ加減がとても不安定だから。
「これはオレの我が儘なんだ。悪いな、遼」
「いや……別に」
でも、いつか。
当麻はふと、澄み渡った青空を見上げた。
そう、いつか。
離れていても大丈夫だと感じられる日が来たら、その時は。
どんなに距離が離れていても、繋がっていられる自信がついたら。
その時は。
「遼……オレ、いつか、何処かへ行くかも知れない」
「…………」
「まだ、それは今じゃないけど。でも、いつか」
「……うん」
遼は静かに頷いた。
「もしその時が来たら、あいつは何て言うかな?」
「行ってらっしゃいって言うんじゃないか?」
さらっと遼は言った。
「きっと極上の笑顔を見せて、行ってらっしゃいって言ってくれる」
きっと。
遼の言うとおりなんだと、当麻は思った。

 

――――――「マジで集客率高くねえか? 征士がいると」
忙しそうに店内を歩き回っている征士を眺めながら、秀が感心したようにつぶやいた。
「いつもより若い姉ちゃん達の客が多い気がするのは、気のせいじゃないよな、伸」
「うん。気のせいじゃない」
大まじめに伸も同意して頷く。
実際、何処の店に入ろうかと迷っている女子大生達の集団などは、必ずと言っていいほど店内の征士を見たとたん、わき目もふらず店内へと入ってきている。
しかも征士がデザートなどのオーダーを勧めると、勧められたままに頼んでさえくれている。
「……ったく、何が戦力にならないだ。征士はもっと自分のことを自覚するべきだよ」
「うんうん」
大袈裟に頷いて、秀は伸と目を合わせて笑いあった。
「本当、持つべきものは美形の友人と、料理のうまい友人だよなっっ。お前等とは永久に雇用契約結びたいくらいだぜ」
「それは却下」
「私もだ」
ようやくオーダーを取り終えて戻ってきた征士が、呆れ口調で伸に同意した。
「まったく……ここまで忙しいとは思わなかったぞ」
「お前の所為で忙しくなってんだってば」
「なんだそれは。意味がわからん」
「なんで分かんないんだよっ」
店内中の熱い視線を自分が集めているなどと、露ほどにも思っていない征士は、やれやれと首を鳴らしながら、再びテーブルに客を誘導する為にカウンターから離れていった。
伸もそれを見送って、くすりと笑みを浮かべる。
「まったく、相変わらず自覚がないというか、認識が薄いというか。征士って普段、鏡とか見ないのかな」
「……その言葉、そっくりそのままお前にも返すぜ」
「……?」
きょとんと首をかしげる伸を見て、秀が呆れたように肩をすくめる。
これだから、当麻が苦労するわけだ。
「……秀?」
「あー何でもないない。それよりさー、伸。お前、東京の大学探すって言ってたけど、調理関係に進む気はマジでないのか?」
少し真面目な表情に戻り、秀はそう伸に問いかけた。
「調理? 何で?」
不思議そうに問い返す伸に対し、秀は厨房の奥で忙しそうに動き回っている父親の姿を指差す。
「父ちゃんも言ってたんだけどさ、それだけの腕とセンスを持ってるのに勿体ないって」
「何? 僕に料理の鉄人目指せっていうの?」
「そうそう」
「そういうつもりは毛頭ないよ」
笑いながら伸は、秀の言葉を否定した。
「料理は趣味だからいいんであって、仕事にしちゃったら、きっと楽しくなくなる。僕は、僕が料理を食べて欲しいと思う人にだけ作りたい」
「一部限定ってわけか。んじゃあオレ達すげえラッキーだったんだな。お前と知り合えて」
「そう、一部限定の期間限定」
そう言った伸の頭に、ふと、昔聞いたふざけた当麻の台詞がよぎった。
『オレのために一生飯を作ってくれ』
何かの漫画から引用したその台詞は、伸を笑わせるためのプロポーズの言葉で。
ただ、それだけの言葉で。
それだけの。
「じゃあ、僕もそろそろ戻るね」
軽く手を振り、伸は厨房へと戻っていった。
まったく。突然自分は何を思いだしているのだろう。
一生なんて、そんなことあり得るわけないと。あの頃、気付かなかったわけはないのに。
それでも今は、ほんの少し、あの時の言葉が恋しく思う。

 

――――――「麗黄兄ちゃん、電話ー」
昼の混雑時が終わった頃の時間帯、秀の弟の永が店内へと駆け込んできた。
ちょうどカウンターに出ていた秀が、急いで弟のところへ駆け寄る。
「何? 電話? 誰だよ」
「当麻兄ちゃんから」
「とっっ!?」
思わず大声をだしかけて慌てて口を押さえると、秀は改めて弟に向き直った。
「当麻、何て言ってきたんだ?」
「うん、今、遼っていうお兄ちゃんと一緒に横浜駅に着いたって」
「……!?」
「それで、心配かけたろうけど大丈夫だからって伝えてくれって……」
「マジかよ、それっっ!?」
最後まで話を聞くのももどかしいといった様子で、秀はダッシュで店を飛び出した。
接客をしていた征士が何事だろうと顔を上げると、秀は窓越しに大きく腕で丸を描き、嬉しそうに合図を送ると、そのまま店の裏手にある自宅に向かって駆け去っていく。
伸は、ちょうど厨房の奥へ引っ込んでおり、永が来たことにも気付いていないようである。
外は暖かな春の陽気。
秀の表情から、何か良いことがあったのだろうと推測して、征士はふと笑みをこぼした。

 

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