不在という名の存在 (12)

「えっと……此処から大阪に出るにどう行けば早いんだろう……バスよりJRの方がいいのかな? だいたい枚方って大阪のどの辺りなんだっけ?」
部屋の床に小型のポケット時刻表と地図、大判の鉄道路線図を広げ、遼は頭を抱えた。
値段の事を考えるとバスが一番効率がいい気がするが、この場所から大阪駅に着くようなバスはあっただろうか。電車を乗り継いで行くとすると、何度乗り換えがあって、何時間かかるのだろう。
「何というか……本気で、訳分からないぞ。この路線図」
でも、行くと決めていた。
この一人旅を決めた時から。
桜の下でもう一度出逢いたいと思った時から。
「……急に行ったら驚くだろうなあ、当麻の奴」
当麻の帰省先の住所が書かれたメモを片手に、遼は再び鉄道路線図とにらめっこをした。
やはり電車を乗り継いで行くのが一番迷わないだろう。
まずは、どうにか新大阪か大阪駅かのどちらかに辿り着き、そこから在来線へ乗り換える。
当麻の住んでいる枚方市。、最寄りの駅は確か枚方市駅と言っていたから、JRではなく京阪本線になるはずだが、そこへ行くには、どう乗り換えればいいのだろう。
「都会の電車はややこしくて面倒だよなあ……」
遼の住んでいた山梨の田舎から考えれば、東京も大阪も同じように複雑怪奇な路線図に見えるのだろう。
「ま、いいか。当たってくだけろ。なんとか辿り着けるだろう」
広げていた路線図をたたんでバッグのポケットに入れ、撮り終えたフィルムをまとめ、もう一度カメラの手入れをして、きちんとしまい込むと、遼は大きく伸びをしてガラリと部屋の窓を開けた。
昼間の雨はすでに止んでおり、空には星空が広がっている。
子供の頃、山梨の家で見ていたのと同じくらいのたくさんの星々の数に満足気に微笑み、遼は、もう一度大きく深呼吸した。
上を見ると、満天の星空の中で動かない唯一の星、北極星が見える。
北半球に住んでいれば、何処にいても同じ北極星を見ることが出来るというのは、分かっていても不思議な気がする。
ただ、そう考えると、きっと大阪の当麻も、横浜の秀と伸も、小田原の征士も、みんな同じものをみているはずなのだ。
なんとなく、そんなことが嬉しい。
「よーし、明日は当麻に会って、うまくいけばそのまま一緒に横浜へ向かおう。そして、もう一度、みんなと出逢うんだ」
みんなと。
もう一度。
天空には春の大三角形であるしし座のデネボラとおとめ座のスピカ、うしかい座のアルクトゥルスが見事に輝いていた。

 

――――――「伸、もし疲れてなければなんだけどさ、ちょっと外に出るか?」
飲み終えたスープのカップを洗い終え、部屋に戻ってきた秀は、そう言って伸に笑いかけた。
「外? 構わないけど、何処へ?」
「何処っつーか、散歩。ちょっと遠いから自転車使ってだけど、いいか?」
「…………?」
さすがに夜はまだ冷え込むので、トレーナーの上にジャケットを羽織り、伸は秀と一緒に外へと出かけた。
すっかり人通りもなくなった夜の街を自転車の2人乗りで駆け抜ける。
秀は慣れた調子でペダルを漕ぎ、中華街の大通りを抜けて行った。
「秀? 何処まで行くの?」
「もうじき着くから」
空気の中に微かに海の匂いがしだした頃、秀がようやくペダルを漕ぐ足を止めた。
「ほら、此処だ。降りて」
「あ……うん」
荷台から降り、伸は僅かに明かりの灯る高台の公園の中を見回した。
「ほら、あっち」
「……へぇ……」
秀が指差した先に横浜の港が見えた。
「有名な観光スポットからはちょっとはずれてるけど、此処からの眺めも綺麗だろう。夏によく此処から花火大会とか見てたんだ」
懐かしそうな目をして、秀は辺りを見回しながら自転車のスタンドを立てた。
空には星。右手には山下公園。向側は住宅地だろうか。夜景が綺麗だ。
そして、海。
光が反射して、ほんの僅かだがキラキラと波が光って見えた。
懐かしい萩の海には及ばないが、やはり潮の香りはとても心地良い。
「夜の散歩っていうのも、なかなか良いね」
「だろう。こっから見える海が一番お前が気に入るかなあって思ってさ。そのうち連れてこようとは考えてたんだけど……」
嬉しそうに秀がニッと笑った。
「何をすれば一番お前が楽になるかなって考えたんだ。んで、とりあえず海のそばに連れてくるのが、今は一番良いかと思った」
「秀………」
いつもいつも、さりげなく秀はその人にとって何をすれば一番良いか考えてくれている。
それは決して押しつけでも何でもなくて。
「……ごめんね、秀」
心配かけて。
秀は照れたように笑顔を浮かべてポリポリと頭を掻いた。
「別に。気にすんなよ。オレも、ちょっとだけお前の気持ちが分かったからさ」
「……えっ……?」
「昨日、オレ……征士に電話したんだ」
「征士に?」
「ああ、電話した理由っちゃあ、ほら、お前が何も教えてくれないからさ、当麻のこと。征士んとこになら何か連絡あったかなあって思って聞きたかったから……」
と、途中で言葉を途切れさせ、秀はちょっと照れたように赤くなってにこりと笑った。
「……っていうのは大義名分。本当は声が聞きたかった」
はっとなって、伸は思わず秀を見つめた。
「なんか、すんげえ声が聞きたくなったから電話した。おかげで、よけい寂しくなっちまったけどな。そんで、征士だけじゃねえ。遼や当麻、みんなに会いたくなった」
「…………」
秀はいつも素直だ。どんなときも自分に正直で、真っ直ぐで。羨ましいくらい。
逢いたくて。ずっとそばにいたくて。
ずっとずっとずっと。
ほんの少し寂しそうに、伸はくしゃりと顔を歪ませた。
「なあ、伸」
「……ん?」
思い詰めた表情で秀は伸に言った。
「家のことはもういいから、お前、大阪へ行くか?」
「……え……?」
伸が驚いて目を見張った。
「し……秀? 何言って……」
「オレん家のこと気にしてる所為でお前が動けないなら、もう気にしなくていいから、今までので充分助かってるから、だから、お前……」
「何バカなこと言ってんの、秀。僕が大阪に行ってどうするんだよ」
「どうっていうか……」
だって。
逢いたくないのか。お前は。当麻に。
最悪の場合、このまま行ってしまうかもしれない当麻に、逢いに行きたくはないのか。
秀はじっと黙ったまま伸の顔を見つめていた。
そんな秀の視線を真っ直ぐに受け止めて、伸は微かに微笑んだ。
「僕は此処にいるよ」
「……伸……」
「此処に、いるよ」
伸の言い方が、なんだかとても寂しくて哀しくて、秀は俯いてギュッと唇を噛みしめた。
何故だろう。悔しくて仕方なかった。
「……だから、秀、何もしないでね」
「……何もって何だよ」
不満そうに秀が口を尖らせる。
「当麻に電話しようとか、征士達に当麻の様子を探らせようとか……色々」
「しねえよ、別に。オレはお前みたいに策士じゃねえし」
「そ、ならいいけど」
ほっと安心したように伸は肩を落とす。そんな仕草が、ほんの少し秀の勘に障る。
「……伸!」
ついにぶっきらぼうな口調で秀は伸に向き直った。
「お前、それで本当にいいのか?」
「……いいって?」
わざとなのかどうなのか、伸は硬い表情で秀を見つめ返している。
「このまま当麻が行っちまってもお前は良いのか? 本当にいいのか?」
「良いもなにも、それは当麻が決めることだ。僕等に彼を止める権利はない」
「権利とか何だとか、そんなこと言ってんじゃねえよ、オレは……!」
「タイムリミットはあと1年だと思ってたんだ、僕は。それが多少早くなったからって、今更焦るのはおかしいと思う」
秀の言葉を遮って、伸がそう言った。秀はおもわず口を閉じてまじまじと伸を見つめる。
「……タイム……リミット……?」
伸は何も答えずゆっくりと頷いた。

 

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