不在という名の存在 (11)

「おや? 珍しい……」
ちょっと疲れたから先に部屋に戻ってるねと言って伸が二階の秀の部屋に上がっていったのは、夕食後すぐのことだった。
秀は、そのまましばらく階下で弟たちと遊び、風呂につき合ってから部屋に戻ったので、時間はすでに11時を過ぎてはいたのだが、まさか部屋の中央で伸が布団もかけずにうたた寝しているとは思いもよらず、どうしたのだろうと小首をかしげた。
「確かに疲れてるっつーか、元気は無かったけど、これじゃあまるで、部屋に戻った途端ぶっ倒れたような状態じゃないか」
いつもの伸らしくない。
というか、本当にこの間の当麻からの電話の後から、伸の様子はずっとおかしいままだ。
少々不安になり、秀は眠っている伸のそばに膝をついて、その寝顔を覗き込んだ。
「…………」
伸の表情は何だか苦しげで、安眠しているとは言い難い様子だ。
「おい、こりゃ、起こした方がよさそうだよな……」
いくらなんでもこのままの状態で朝を迎えるわけにはいかないだろう。
「……伸? おい、寝るんならちゃんと布団敷けってば。おい、伸!」
軽く揺すってみたが、伸は起きる気配がない。
それどころか、更に伸の表情が苦しげに歪んできたように見えた。
「おいっ、伸!!」
「……うっ……」
伸の口から小さな呻きが洩れる。これはうなされているということだろう。
「伸!!」
今度こそ本気で秀は伸の肩を掴み、揺さぶり起こした。
「……!?」
ようやく伸が目を明け、ゆっくりと身体を起こす。
秀がホッとして掴んでいた手を離すと、そのとたん、大きく見開いた伸の目からポロリと涙がこぼれ落ちた。
「し……伸!?」
突然の伸の涙に焦り、秀が思わず顔を覗き込むと、伸は秀の服の袖をきつく掴んで俯いた。肩が僅かに震えている。
「伸!? どうした!? 大丈夫か?」
伸は何かに耐えるように、きつく唇を噛みしめている。
「伸? 伸!」
「……どうして……」
つぶやくように伸が何かしゃべっていた。
「え? 何だ?」
口元に耳を寄せる。
「……どうして……烈火……」
「…………!?」
「置いていかないで……帰ってきて……」
秀の顔色がさあっと青ざめた。
「伸!?」
「……どうし…て…」
「伸! おい、伸!!」
肩を掴んでゆさぶると、伸は嫌々をするように首を振った。
「伸!!」
「……だい……丈夫……」
ようやく伸が微かに秀の呼びかけに答えた。
「ごめん……何でもない……ごめん……」
ポタリとカーペットの上に再び涙の雫が落ちた。
「……伸? 大丈夫か?」
そっとそっと宥めるように秀が呼びかけると、伸は俯いたまま乱暴に腕で涙を拭い、小さな声でつぶやいた。
「ねえ……どうして?」
「どうしてって……何がだよ?」
恐る恐る秀は伸の顔を覗き込む。
伸はまだ、小刻みに震えながら、じっと自分の両の拳を見つめていた。
「どうして、何度転生しても同じなの?」
「…………?」
「どんな行いをしようが、どれだけ悔い改めようとしようが、結局人はいつもいつも同じ運命を辿っていく」
「…………」
どういうことか解らず、秀は眉間に皺を寄せたまま、伸の正面に回り込んだ。
「伸? どういうことだよ。もっと分かりやすく説明してくれ」
「烈火は、あれが最後の戦いだなんてひとことも言わなかったのに、僕の目の前で鎧珠を手放した」
秀の表情が硬く強ばった。伸は秀の様子に気付かず、言葉を続けている。
「柳は、斎のことを護るって言ったその日のうちに散っていった」
「…………」
「僕の父さんもだ。いつものように『行ってくる』って言って、そのまま帰らぬ人となった」
「伸……」
「正人だってそうだ。こっちが気付かなきゃ、あいつ、何も言わずに行って、帰ってこないつもりだったんだ。いつも、いつもだ。そうやって、僕の周りの人は、僕に別れの言葉も言わせないまま僕の周りから突然いなくなる」
「…………」
「いなくなるんだ」
自分の膝に顔を埋めて、伸は苦しげにため息をついた。
どうしていいか分からなくて、秀はそっとそんな伸の肩を抱き寄せた。

 

――――――「どうだ? ちょっとは落ち着いたか?」
温かいカップスープを伸に手渡して秀が伺うようにそう訪ねると、伸は一口スープを飲んで、小さく頷いた。
「うん。もう大丈夫。ごめんね」
「いいから、もっとちゃんと飲め。身体の中から暖めると、楽になるから」
「うん」
素直に頷き、伸はもう一口スープを飲む。
ほうっと一息ついて、伸はようやく秀に真っ直ぐ顔を向けた。
「本当、ごめん。僕、何か妙なこと口走ったろう?」
「ま、まあな」
先程の言葉は、やはり多少混乱している中で口走ったものであったようで、伸はよく覚えていないようだった。
そのほうが都合が良いと、秀は胸をなで下ろし、伸に向かってニッと笑いかけた。
「別に何でもないぜ、お前、寝ぼけてたみたいだし、オレもよく聞き取れなかったし。でも、どうしたんだよ。何か変な夢でも見たのか?」
「夢……ね。うん、そうだね」
ぽつりと言って、伸は再び俯いた。
「伸……?」
「烈火の夢を見たんだ。きっと」
「きっとって……?」
「よく覚えてないんだよ。でもあの人の夢を見た時っていつも、こんなふうに胸が苦しくなる。ここまで酷いのは久し振りだけど」
そんなに何度も。
伸は烈火の夢を見て、胸を痛めているのだろうか。今でも。ずっと。
「……お前は、いつもどんな夢を見てるんだよ」
秀が訊くと、伸はくしゃりと顔を歪めて、もう一口スープを飲んだ。
「……よく見るのは……そうだね……いつもいつも誰かを待っている夢を見る。それは烈火達であったり、柳達であったり、時代はバラバラなんだけど、でも、それはみんなもう帰らない人達で、もう二度と逢えない人達で……」
「…………」
「斎だった時代は、唯一の女で、戦いには参加できなくて、僕は皆の無事を祈りながら、いつも待っていた。水凪だったときもそうだ。僕は一番年下で足手まといで……そんな夢を見た時は、いつも思う。これが僕に科せられた運命なのかなって……」
運命。
それが、さっき伸が言っていた『どうして』の意味。
帰らぬ人を待って待って待ち続けた、心の記憶。
「伸」
改まった口調で秀は伸の目を見据えた。
「何?」
「冗談抜きで真面目に答えろ。当麻からの電話って、何だったんだ?」
「…………!?」
顔を上げた伸の目は少し脅えているようだった。
「言わないと、本気で怒るぞ。何の電話だったんだ? 奴からの電話は」
「…………」
やはり伸は口を開こうとしない。秀は忌々しげに舌打ちをして伸の肩を掴んだ。
「伸………寒かったら、ちゃんと寒いって言えよ」
伸の表情がビクリと強ばる。
「意地張る必要なんかねえよ。そばに居て欲しかったらちゃんと言えばいいんだ。言わなくったって分かるなんて思うのは傲慢だ。言わなきゃいけない時は、ちゃんと声に出して言えよ」
「秀……」
「寒いときは、ちゃんと寒いって言っていいんだ。お前、いつもいつも遠慮しすぎなんだよ」
「…………」
「遠慮しないで、ちゃんと伝えろよ」
「…………」
「ちゃんと、訊いてやるから」
秀の言葉に小さく頷き、ようやく伸は重い口を開いた。

 

――――――ポツリと大粒の雨が木の葉を揺らした。
「……雨?」
遼は慌てて構えていたカメラを濡れないようにバッグにしまい、上からビニールをかぶせて抱え込む。
「珍しいな……ずっと良い天気だったのに……」
さっきまでは雨の降る気配など何処にもなかったというのに、どうしたのだろう。
確かに山の天気は変わりやすいとは言われているが、それにしてもこんな突然。
遼はどんよりと雲が覆っている空を見上げた。
雨が降ると、少し心が重くなる。
それは、何だか何処かで伸が泣いているような気がするからだろうか。
「……って、自然現象が全部自分の所為だってなったら、さすがの伸も困るだろうな」
自分で自分の言葉に苦笑して、遼は再び空を見上げた。
「やっぱ無理か。移動しよう」
しばらくは降り続きそうな空模様に、遼は諦めて簡易合羽を羽織ると、バッグを抱え込んだまま歩きだした。
とりあえず雨をしのげるところまで下山しなければまずいだろう。
山の峰々や澄んだ空気。水の流れ。
当初の目的であった自然の姿は、かなりの数、フィルムに収まっている。
それに、そろそろ人恋しくなってもきた。
「しばらく続いた良好な天気も終わったし、撮影も明日で終了かな」
撮ったフィルムの数を頭の中で数えながら、遼は他に取りこぼしたものや行っていない場所はあったかなあと首をひねる。
「うん、大丈夫」
少し見晴らしのいい場所までたどり着き、遼はぐるっと周りを見回して、大きく深呼吸した。
大粒だった雨も小降りに変わってきており、遥か向こうには雲の切れ間も見える。
ただ、風がほとんどないので雨雲の移動はかなり遅い様子だし、雨が上がるのはまだ先だろう。
「よし、じゃあ、今日は早めに宿に戻って、明日は次の計画を実行に移さなきゃ」
悪戯を思いついた子供のような笑顔を浮かべ、遼は軽い足取りで山を降りだした。

 

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