其処にある未来(4)

鷹取の家は、学校から電車に乗って3駅。距離的には伸達の柳生邸から学校を挟んでちょうど反対側の位置にあった。
普段来ない場所なので多少迷いながら2人がようやく鷹取の住むアパートに辿り着いたのは、学校を出てから30分ほどした頃。
そこは、いかにも学生の独り暮らしと呼ぶような、こじんまりとした小さなアパートだった。
少し錆びた階段を上り、2階の角部屋の前に立つと、伸はひとつ深呼吸してインターフォンを押した。
隣では征士が緊張した面もちでまるで睨み付けるようにドアを見つめている。
「…………」
返事はなかった。
もう一度、今度は少し長めに押してみる。
やはり返事がない。
部屋の中で何かが動いた気配もなかった。
「部屋にはいないってこと……かな?」
「では、何処へ行かれたのだ?」
「……それは……」
答えに詰まる。
昨夜別れてから鷹取が家以外の場所へ向かったとは考えがたい。
一旦家に戻ってから、何かがあって外出したのだろうか。それとも、昨夜は家へ戻らなかったのか。
「とにかく一旦学校へ電話してみよう」
そう言って伸と征士は近くの公衆電話へと向かうことにした。
一度連絡をいれると担任教師に約束したのと、もしかしたら当麻が何かつかんでいるかもしれないということを期待してだ。
鷹取の家から一番近い場所の公衆電話からダイヤルする。コール音2つですぐに受話器の上がる音がした。
「伸か? 良かった。入れ違いにならなくて。もうちょっと連絡遅かったら先に行ってるとこだったぞ」
予想に反し、担任教師をすっとばして電話に出てきたのは遼だった。
「……遼? どうして?」
「当麻は一足先に行っちゃったんだ。オレもすぐに追いかけるつもりで……」
「行くって何処へ?」
「ああ、ごめん。病院。病院だよ」
「……!?」
「どういうことだ!? それは」
ひったくるように伸から受話器を奪い取って征士が大声をあげた。
「それが……今朝の新聞の中に載ってた小さい記事なんだけど、いつもオレ達が乗ってるバス路線で事故があったらしいんだ」
「……事故!?」
遼の説明によると、昨夜遅く、バス事故があったということだった。
道を横切ろうとした動物(恐らく猫か狸か)を避けようと急ブレーキを切ったところ、道を外れて道路脇の大木に激突したらしい。
幸い対向車線にも車はなく、人通りもなかったので大惨事には至らなかったのだが、乗客数名が近くの病院へ搬送されたというものだ。
死者はなし。ただ衝撃による転倒や打ち身などが多く、乗客の中には頭を打った者もいたらしい。
ただ、幸いなことに他に巻き込まれた車も人もいなかったおかげで、今朝はバスも通常どおりの運行となっており、誰も昨夜の出来事に気付かなかったのだ。
「で、あの場所から搬送されたんなら、あの病院だ、って言って当麻が飛び出して行っちまって」
あの病院とは、恐らく以前当麻自身が入院をした例の病院だろう。
確かに位置的にも規模的にも、その病院に搬送されている可能性は高いだろう。
そして、そのバスに鷹取が乗っていた可能性も。
「わかった。じゃあ僕等もすぐに病院の方へ行ってみるよ。遼は悪いけどそのまま学校に残っててくれる?」
伸がそう言うと遼は少し不満そうに口を尖らせた。電話口からも明らかに不満気な息が洩れる音がする。
「仕方ないだろ。まだはっきりと分かってないんだから。きっともうすぐ、先に行った当麻から連絡が入るだろうし、そうしたら剣道部の人達にも事情教えてあげなきゃ」
「そっか。そうだよな。分かった」
「もうそろそろいいか? 真田。ったくお前等、学校の電話を私物化するなよな」
大人しく頷いた遼の隣から鷹取の担任教師らしい声が割って入ってきた。そして、そのまま電話を替わる。
「毛利、頼んだぞ。その事故ってのに本当に鷹取が巻き込まれてたんなら、オレ達もすぐ駆けつけるから」
「分かりました。よろしくお願いします」
最後に軽く挨拶を交わし、伸が電話を切ると、征士は公衆電話の扉を半分開けた状態のまま扉にもたれ、真っ青な顔色をしていた。
何か支えがないと、今にも倒れてしまいそうな程の顔色の悪さだ。
「征士、大丈夫?」
「…………」
伸の問いかけに征士は小さく頭を振った。

 

――――――「君達の知り合いだったんだね。そうか……身元が分かってよかったよ」
ほっと息をついて白衣の青年医師、霧島が手に持っていたカルテに何かを書き込んだ。
「年齢的に高校生だろうとは思ったんだけど、生徒手帳とかも持ってないし、詳しいことが分からなくてね」
「……詳しいことが分からないって……そんな重症だったってことなんですか?」
もしかして頭でも打って意識混濁して目覚めていないとでもいうのだろうか。
「いや、意識はすぐ戻ったよ。でも連絡先とか教えてくれないんだ」
「…………え?」
「混乱してるんだと思うけどね。さすがにこちらとしてもそんな根ほり葉ほりすぐには聴けないだろう。落ち着いてから少しずつって思ってて。でも、ご両親には早く伝えてあげたいから、それなりに焦ってはいたんだ」
霧島の説明に、当麻は軽く唇を噛んだ。
両親のことや、自宅の住所、連絡先をすぐに告げなかったのは、きっと言っても無駄だと知っていたからだ。
独り暮らしの電話に掛けても誰も出ない。
事故のことを告げて、すぐに駆けつけてくれる両親もいない。
独り、というのはつまりはそういうことだ。
死別ではないにしろ、長い間独り暮らしのような生活をしていた当麻には、その気持ちが痛いほど分かった。
「で、怪我の具合は?」
「念のため精密検査はしなくちゃいけないけど、頭は打ってないようだから大丈夫。ただ、バスの中でかなり激しく転倒したようで、腕が……ね」
「……え?」
運動神経の塊のような男だと思っていたのに。
「そばにいたご老人を庇ったみたいだよ。その所為で自分の方が疎かになったと。立派な青年だね」
「…………」
なんとなく光景が目に浮かぶ。
当麻自身は実際に鷹取と言葉を交わしたことはほとんどないが、征士達から話を聞く限り、鷹取のその行動は、如何にも彼らしいと思えた。
だが。
「腕って……」
ほんの少しだけ悪い予感がする。
霧島は当麻の心を読んだかのように、少し表情を引き締めてカルテから目を離した。
「腕神経叢損傷って言えば、分かるかい?」
「腕神経……」
当麻の表情からその単語を知っていると判断した霧島は、もう一度カルテに視線を落とし小さく頷いた。
「少々嫌な形で転倒したって事だろうね」
「部位は? まさか全型じゃ……」
「大丈夫。上位型だ。しかも左腕だったから。それが救いだね」
「鷹取先輩の利き腕は左です。救いでも何でもない」
「……!?」
霧島と当麻の会話に切羽詰まった声が割り込んできた。
驚いて振り返った2人の目に映ったのは、眩い黄金色の髪の少年。
もちろん征士だった。
急いで走ってきたのだろう。征士にしては珍しく息が上がっている。
当麻が伺うように奥に視線を向けると、伸は征士の後ろで、やはり気遣わしげな視線を向けていた。
「左利きってホント?」
「はい」
霧島の問いに征士がコクリと頷いた。
「……それより、腕神経……というのは……」
征士は真っ青な顔色のまま、霧島と当麻の間に立ち、すがるような目を向けた。
「腕神経叢損傷。簡単に言えば、主にバイク事故などの際、腕の神経がすごい力で引っ張られる等が原因で神経が傷つくことだ」
当麻が感情を押し殺したような口調で説明を始めた。
「で、上位型というのは、腕の肘から先のみの損傷の事を言う。症状の中では軽い方だ。握力はそうとう落ちるだろうが、リハビリ次第では日常生活に支障をきたさない程度の回復は見込めることが多い。で、いいんですよね?」
最後は確認を取るように当麻は視線を横に立つ医師に向けた。
「そうだね。当麻君の言ったことでほぼ正解かな。少しは安心した?」
症状の中では軽度。リハビリで回復は見込める。
そう言われて、征士の隣にいた伸はほっと息を洩らした。
想像していた最悪の事態ではなかったと考えていいのだろうか。
だが、征士はその言葉で安心はしなかったようで、まだ青ざめた顔色のまま真っ直ぐに霧島を見つめていた。
「リハビリにかかる時間は?」
問いかける征士の声は硬い。
「それは本人の努力にもよるけど、数ヶ月……半年もすればたいていの事は普通に出来るようになるよ」
「竹刀は握れますか?」
「…………!?」
征士の言葉に初めて霧島の顔色が変わった。
「竹刀……? もしかして彼……」
「剣道をやっています。恐らくこの先もずっと続けていくおつもりだったと思います」
「…………」
思わず当麻と伸が顔を見合わせた。
霧島も次の言葉が出てこないようだ。
「鷹取先輩は、私達剣道部の主将です。実力は全国クラス。昨年度の全国大会ではベスト8に残りました」
「……それは……」
霧島が絶句した。
征士は挑むような視線を霧島に向ける。
その紫水晶の瞳を直視できず、霧島はつと目を逸らしてしまった。
征士が低く息を吸いこむ。
つまり。
そういうことだ。
その沈黙が答えなのだ。
当然と言えば当然だろう。
握力のない剣士など存在価値はない。
ギリッと唇を噛みしめ、突然征士は走り出した。
「征……何処へ!?」
「先輩の病室は何処だ。当麻」
慌てて後を追った当麻はそのまま征士を追い越すようにして鷹取のいる病室まで先導した。
遅れて伸と霧島も駆けつける。
「駄目だよ、征士君。まだ……」
霧島の制止を振り切るように征士はガラリと病室の扉を開けた。
「…………」
6つほど並んだベッドの一番奥に鷹取は眠っていた。
「……さっき眠ったばかりだから、今は話せないよ。この後精密検査も受けなきゃいけないしね」
「…………」
征士は無言でベッドの端に立つと、じっと鷹取の顔を見下ろした。
肘から先の腕全体に真っ白い包帯が巻かれている。
その白さが痛々しくて、伸は思わず目を伏せた。
こんなことになってるなんて、思ってもみなかった。
昨夜、皆で食べて騒いでいた時は。
ただ、楽しくて。楽しくて。
それだけで。
何の予感もしなかった。
バス停へ向かう鷹取を見て、何の予兆も感じなかった。
それが、こんな。
「……伸」
征士の声に伸が顔をあげると、征士は、ひどく苦しげな表情で伸に向かって頭をさげた。
「せ……征士?」
「お前にこんなことを頼むのは筋違いだと分かっている」
ギクリと伸の身体が強ばった。
「分かっているが、他に何も思いつかない」
「……征……」
「頼む」
「…………」
「頼む。伸。先輩を……」
「やめろ。征士」
伸の前に立ちはだかり、当麻が鋭い声をあげた。
「当麻……あの」
「お前は何も言わなくていい。伸」
当麻は伸の言葉を遮り、そのまま庇うかのように自分の背中に伸の姿を隠した。
「当麻。そこを退いてくれ。私も筋違いなことを頼んでいるということは重々承知しているのだ。だが……」
「そういう問題じゃねえ」
頭をさげた体勢のまま征士の動きがピタリと止まった。
「お前にだって分かってるはずだ。伸の癒しの力は万人に効くわけではない」
「…………」
「その人は……オレ達とは根本的に違う」
「…………」
「その人は、他人なんだ」
当麻の後ろで伸が目を伏せる。征士も俯いたまま固まったように動かない。
その時、当麻が驚いたように息を呑む音が聞こえた。
ハッとして顔をあげ、伸が当麻を見あげる。
「……!?」
当麻の視線は征士を通り越し、後ろのベッドの上へと注がれていた。
一瞬遅れて気付いた征士も顔をあげ振り返る。
見たくなかった。
気付きたくなかった。
ベッドの上で、鷹取は、はっきりと目を開けていた。

 

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