其処にある未来(3)

平和で平穏な新学期が始まると思っていた伸が異変を察知したのは、鷹取を呼んでバーベキューを行ったその翌日のことだった。
放課後になって征士が伸のいる教室に姿を見せたのだ。
見ると征士は剣道着姿のままである。部活を途中で抜け出して来たのだろうか。
勢いよく教室のドアが開かれた瞬間、一瞬だけ教室内がざわりと騒がしくなった。
滅多に拝めない美丈夫の剣道着姿に教室内の女子生徒がはしゃいだのだ。
だが、征士はそんな視線には一向に構うことなく、ひどく慌てた様子で真っ直ぐに伸の元へと駆け寄ってきた。
「珍しいね、征士。3年生の教室に来るなんて。どうかしたの?」
「伸。鷹取先輩のクラスはどこか知っているか?」
「……え?」
征士にしては珍しく、相手の言葉を遮るように発された台詞に伸は眉をひそめた。
「鷹取……? どうしたの? 部活に顔出してないの?」
「ああ。今朝は朝練がなかったので気付かなかったのだが、部活に顔を出されていなくて。他の先輩方にも同じクラスの方がいなくて詳しい事情は知らないようなのだが、どうも今日、学校自体欠席をされているようなのだ」
「分かった。一緒に行こう」
最後まで語らせることなく、伸は椅子から立ちあがり、征士と共に教室を飛び出した。
昨夜。柳生邸でバーベキューをしたときの鷹取はいつもどおり元気そうだった。
体調が悪いのを誤魔化して無理をしていたようにも見えなかった。
ということは少なくとも風邪などひいてはいなかったはずだ。
であれば、急に休む理由など思い付かない。
何かあったのだろうか。
もちろん、夜遅くに突然体調を崩すということもあり得ない話ではないが。
駆け足で鷹取の教室へ向かい、伸が近くにいた男子生徒に声を掛けて聞いてみたところ、やはり鷹取は今日学校を休んでいたようだった。
だが、その生徒も鷹取の欠席理由までは知らなかったようだ。
「それがさ、オレも困ってんだよ。今日返してもらう約束してたものがあったんだけど、結局パーで。しかも何の連絡もないって先生もぼやいてたし。珍しいよな、あいつが無断欠席って。そういうとこキチッとした奴だったのに」
「……無断欠席?」
確かに鷹取に限って、たとえ何らかの理由があって休むにしても無断でというのは考えがたい。
「ひとつ伺いたいのですが、先輩はこのように欠席されることはよくあるのでしょうか?」
征士の問いかけに男子生徒は苦笑して肩をすくめた。
「ねえよ。お前も同じ剣道部員なら知ってるだろう? 少なくともこの一年間、あいつ皆勤賞だぜ」
やはり。
そうなると本当に何かあったとしか考えられない。
伸と征士はお互い顔を見合わせて、そのまま職員室へと直行することにした。
何かあった。
分からないが、絶対に何かがあったのだ。
そうでないと。
「鷹取? ああ、連絡はもらってないが欠席みたいだな」
鷹取のクラスの担任教師もそう言ってため息をついた。
「何の連絡もないのですか? こちらから電話してみるとか……」
「やったけど誰も出ねえんだよ。まあ、奴は独り暮らしだから風邪で寝てて電話に出られないってことも考えられるんだが……」
「……独り?」
伸が驚いて征士を見ると、征士もどうやら初耳だったらしく、小さく首を振っていた。
「独り暮らしって……ご両親は?」
遠慮がちに伸が聞くと、担任教師は少し言いにくそうに頭を掻いた。
「あんま生徒の家庭事情をベラベラしゃべるのも何なんだがなあ。あいつの両親は5年前に交通事故で死んでんだよ」
「……!?」
「で、しばらくは親戚の家を転々としてたらしいんだが、高校にあがる際に独り暮らしを始めたらしい。やっぱり居づらかったんじゃないか? 親戚とはいえ、他人の家庭に割り込むってのは……」
「…………」
「独り暮らしなんかしてて金は大丈夫なのかって聞いたら、今のところ生活はその事故んときの保険金で何とかなってるって言ってたよ。ただ、さすがに大学は諦めなきゃって、この間の進路指導でも……あ」
そこまで言ってしゃべりすぎたと気付いたのか、担任教師はバツが悪そうに口を閉じた。
ふと伸が隣を伺うと、征士は瞬きもせず、じっと足下を見つめていた。
青ざめた顔で、征士は静かに唇を噛んでいる。
昨夜、羨ましそうに自分達が騒ぐ姿を見ていた鷹取の横顔が、伸の頭の中を過ぎった。
まるで毎日が修学旅行のようだ。
そう言って、鷹取は眩しそうに目を細めていた。
あれは。
あの瞳は。
あの言葉は、そういう意味も込められていたのだ。
「先輩の……鷹取先輩の住所を教えていただけませんか? これから様子を見てきたいのですが」
思い詰めた目をして征士が担任教師に詰め寄った。
「もし、本当に独りで寝ておられるのでしたら……」
「お願いします」
征士の隣で、伸も頭を下げた。
風邪か、怪我か。
とにかく、もし鷹取が何処かで動けなくなっているのであれば、自分達で何とかしなければ。
「だがなあ……」
「お願いします」
「そうか? じゃあ、オレも帰りに寄ってみようとは思ってたんだが、お前等に頼んでいいか? 何かあったら連絡してくれ」
そう言って、担任教師は伸と征士に鷹取の家の住所と簡単な地図を書いて寄越してくれた。
奪い取るようにその紙を受取り、伸と征士はそのまま職員室を飛び出した。

 

――――――「じゃあ、校門で待ってるから」
「分かった。すまない。すぐに行く」
学校の校門の所での待ち合わせを約束し、伸は教室へ、征士は一旦剣道部部室へと走り去った。
状況からみて、恐らくもう学校へ戻ることはないだろうと考え、そのまま2人とも帰り支度をしてから改めて集合しようということになったのだ。
そして、着替えが必要な征士より一足先に校門へと着いた伸は、門柱に背中を預けるようにもたれかかると、先程渡された鷹取の家の住所が書かれたメモを取りだした。
鷹取の家はここから電車で3駅。駅からは歩いて10分程であろうか。
書かれているのは、恐らくアパートだと思われる建物名と、部屋番号。201号室、ということは二階の角部屋か。
知らず、伸は小さくため息をついていた。
たった1人。
アパートの一室で。
鷹取は誰にも頼らず、そこに1人で暮らしているのだ。
少しも知らなかった。
いや、知っていたからと言って何が出来るわけでもないが。それでも。
知ってさえいれば。
昨日の鷹取の視線の意味を、表情が語っていた言葉を、もう少しだけ正確に捉えることが出来ただろうに。
「伸? こんなところでどうしたんだ?」
聞き慣れた声に伸が顔をあげると、真正面で当麻が首を傾げて立っていた。
「誰と待ち合わせなんだ? 荷物持ち要員がいるなら付き合うぞ」
「あ……そうじゃなくて」
伸は手短に鷹取の事情を話し出した。とたんに当麻の表情が硬くなる。
「無断欠席で連絡も取れない? やっこさんらしくないんじゃないか?」
「だろう。だから征士が心配して」
「分かった。じゃあオレはちょっと遼んとこ行ってくるわ」
「……遼の?」
「新聞部。あそこ、いちおう毎日の新聞各紙が置いてあるじゃねえか。今朝の新聞調べてみるよ」
「……それって、事件の可能性があるってこと?」
「可能性としてはな。ゼロじゃないだろ。念のため」
「…………」
伸の顔が一瞬にして曇ったのを見て、当麻は駆け出しかけた足を止める。
「大丈夫。ゼロじゃないけど100でもないんだから。そんな心配そうな顔すんなよ」
俯いてしまった伸の顎に手をかけて上を向かせると、当麻は安心させるように笑いかけた。
「まだ何も分かんねえうちから、心配ばっかすることないよ。少なくとも征士の前でその顔はなしだからな」
「……うん」
鷹取に何かあった場合、一番落ち込むのは征士なのだ。
「なんか分かったら知らせる。とりあえずやっこさん家に着いた時点ですぐ連絡してくれ。それまでには調べとくから」
「……ごめん。お願い」
「じゃ」
必要以上に時間を取ることなく、当麻は真っ直ぐに新聞部の部室へ向かうため走り出した。
伸の手の中でメモ用紙がかさりと音を立てる。
そう。まだ事件だと決まったわけじゃない。
でも、何かがあったことは間違いない。
なのに、分からない。
何が起こったのか、或いは起こっていないのか、何も分からないことがもどかしい。
それこそ、これが自分達、正人も含めて6人のうちの誰かに何かが起きていたのなら、少なくとも、その場で何かを感じ取っていた可能性が高いというのに。良くも悪くも。
「これじゃ、何の役にも立たない」
「……伸!」
校舎から征士が飛び出してくるのが見えた。
鞄を脇に抱えて走ってくるその表情は、普段の冷静沈着な征士とは思えないものだ。
「しっかりしなくちゃ」
伸は自分自身に言い聞かせるようにそうつぶやき、征士と並んで校門から外へと走り出した。

 

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