其処にある未来(2)

「タカ〜美人が呼んでるぞ〜」
始業式が終わり、皆が帰り支度を始めてすぐの時間帯。
クラスメイトに呼ばれて、鷹取が教室の入り口まで出向くと、そこに立っていたのは伸だった。
今日だけはどこの部も部活動は中止なので、鷹取もまっすぐ帰る予定だったのだ。恐らく、帰る前に捕まえようと、ホームルームが終わって急いでやって来たのだろう。少し伸の息が上がっているように見えた。
「おお、そっちだったか」
ニッコリ笑って、鷹取は人の出入りの激しい入り口から、廊下の隅へと伸を誘導した。
「そっちって、何?」
一緒に廊下の端まで行きながら、伸が不審気に首を傾げる。
「いや、美人が呼んでるっていうから、どっちかなあと思ってたんだけど、お前の方だったんだな」
「だからそのどっちって」
「んなのオレを名指しで指名してくれる美人っつったら伊達か毛利だろ?」
軽く片目をつぶりながら、当たり前のように言って、鷹取は指を立てた。
「指名って……ここはキャバクラか」
「もちろん、同伴もアフターもOKだぞ」
「…………おい」
思わず伸は下から見あげるような形で鷹取を睨み付けた。
自分達の中でも背の高い方である征士より更に頭一つ分も高い鷹取と伸では、身長にかなり差がある。
鷹取はわざとのように、背をかがめて目の高さを合わせ、伸の顔を覗き込んだ。
「また眉間がコイル巻きになってる。お前、ホント面白いな」
「……バカにしてる?」
「いえいえまさか。こんな美人と友達になれて光栄だと思ってるよ。伊達の見舞いに行って本当に良かったと感動してるところだったんだ」
「どうだか」
いくら征士が世話になっている剣道部の主将だとはいえ、あまり接点がなかった自分達が、今では当たり前のように自然に会話を弾ませている。
これも人の縁ということなのだろう。
「で、何の用だ?」
先に話題を妙な方向へ進めたのも鷹取だったが、本筋に戻したのも鷹取の方だった。
自然と会話の主導権を握るところとか、それが全然嫌味でないところとか、いろんな意味で鷹取は出来た男なのだろう。
「あ、そうそう。冗談ばっか言ってる場合じゃない。今晩暇?」
伸の言葉に、鷹取が微妙な表情をした。
「……って、夜?」
「そう、もし予定とかないならうちに来ない?」
「…………それは……どういう意味のお誘いと考えればいいんだ?」
「別に妖しい誘いじゃないよ」
軽く笑い声をたて、伸はようやく当初の目的を話しだした。
「いちおう征士の快気祝いっていう名目なんだけど、今日、ちょっと庭でバーベキューをしようよってことになったんだ」
「快気祝い?」
「名目はね。ちょっと時期はずれだけど暑気払いを兼ねて騒ごうってことだよ。で、そしたら征士がお世話になってるから鷹取も呼んで欲しいって言いだして。まあ、お世話にっていうより、今回のことで、ずいぶん心配かけたからってことなんだろうけど、よかったら如何?」
「バーベキューねぇ」
「もし苦手な食材とかあったら先に言ってくれれば大丈夫だし」
「それは平気だ。肉も野菜も好きだし」
「そうだと思った。じゃあ、OKってことだね」
「ああ。喜んでお呼ばれに預かるとする」
「良かった。じゃあ、夕方に。直接来てくれればいいから」
「了解。にしても、なんだ。そういうことだったのか。もうちょっと色っぽい誘いかと期待したのに」
「何だよ、色っぽい誘いっていうのは」
「んなの、美人から今夜暇? なんて夜の誘い受けたら、期待するだろうが」
「いい加減にしろ」
軽口を叩きつつ、伸は鷹取と別れて自分の教室へと戻っていった。
これから途中でスーパーに寄って食材を買い込まなくてはならない。
帰り支度をすませ鞄を肩にかけたところで、ほんの一瞬だけ、伸は鷹取がいる教室の方向へと目を向けた。
本当は少しだけ分かっていた。
自分達の輪の中に入っていっていいのだろうかと、鷹取が一瞬遠慮しそうになっていたこと。
言葉には出さなくても、自分達と鷹取は違う場所にいるのだと。鷹取がそう感じていることも。
でも、だから余計に来て欲しかった。
招待してよかったと思えた。

 

――――――肉と野菜が鉄板の上で美味しそうな音を立てているのを眺めながら、鷹取は烏龍茶を一気に飲み干した。
「ただの烏龍茶なのに、こんなふうに飲むとやけに美味いな」
「そう? それは良かった。気に入ってくれて光栄至極」
隣で伸が軽く笑い声をあげた。
「にしてもさ、毛利。お前等ってホント毎日修学旅行みたいだな」
「なんだよそれ」
「いや、兄弟でもない同い年の奴らと、こんなふうに毎日過ごすなんて、修学旅行くらいしかないじゃないか」
伸と鷹取の目の前では、当麻と秀の壮絶な肉の奪い合いバトルが繰り広げられている。
呆れて仲裁に入る征士と、それを見て笑い転げる遼。
言ってみれば、いつもどおりの光景だ。
「そんないいもんじゃないと思うけど」
呆れた口調で伸が肩をすくめた。
「毎日喧嘩が絶えないよ。実際のところ。それもくだらないことばっかりで」
「へぇ、どんな?」
「肉の数がそっちの皿の方が多かったとか、大事にキープしてたプリンを勝手に食べたとか、当番がゴミ出し忘れたとか……」
次々出てくる伸の愚痴に鷹取は大口を開けて笑い出した。
「やっぱ面白いじゃねえか」
「面白いかどうかは当事者には皆目分からないんですけど?」
「いやいや……面白いって。羨ましいよ」
ふと鷹取の目が本当に羨ましそうに細められた。
「本当……お前等っていつも一緒にいるんだよな」
さわっと木の葉が揺れる音がした。
ほんの一瞬、懐かしい匂いがする。
「そうだね。確かに僕等はいつも5人一緒だ」
「そっか……」
頷きかけた鷹取の動きがふいに止まった。
「あれ? 5人って…じゃあ、あいつは?」
「あいつ?」
鷹取は腕を組んで首をひねっている。
「ほら、あいつ。そういえばあいつは呼んでないのか? なんてったっけ。木村……ま」
「正人?」
「そうそう」
「ああ、正人ね」
そう言えば、先日鷹取が家に来たときは、正人も居たのだ。
「さすがに正人は呼べないよ。何度も海を越えさせるわけにはいかないし」
「……海?」
予想外の伸の言葉に鷹取はキョトンとした目をして伸を見た。
「海って……何だ? それ」
「……え?」
そういえば、正人が何処から来ていたのか話してなかったのだと、その時ようやく伸は気付いた。
「そっか。言ってなかった。正人は今、イギリスにいるんだよ。この間は急遽帰国してくれただけで」
「イギリス? マジ?」
「うん。ただいま絶賛留学中ってこと」
「って……じゃあ何か。あいつ、お前の呼び出しにわざわざ海を渡って飛んで来たってのか?」
「まあ、そういうこと……になるかな」
飛んできた。
そう。確かに文字通り正人は海を越えて飛んできてくれたのだ。
「愛されてるなあ。お前」
「そんなんじゃないって」
「まあまあ。謙遜するなよ」
「……違うってば。正人は、征士と、征士のことを心配して不安定になってる僕等全員の為に戻ってきたんだ。それにだいたい正人を呼び戻したのは僕じゃなく当麻だし」
「……ふ〜ん」
少々予測が外れたというような表情で、鷹取は炎の向こうにいる当麻に視線を移した。
「あの天才児が人を頼るとは。そういう性格だとは思わなかった」
「……正人は特別だからね」
自分にとっても、当麻にとっても。他のみんなにとっても。
「なるほど……ね」
「先輩、早く来ないと肉がなくなってしまいます。おいっ、当麻、いい加減にしろ」
征士が焼き上がった肉を当麻の手から奪い取り、鷹取用に用意したのであろう小皿へと移す。
「ほら、可愛い後輩が呼んでるよ」
「そうだな。ちょっくら行ってくる」
伸に送り出され、鷹取は征士の元へと走って行った。
空は綺麗な満天の星。
不安も不満も何もない、倖せな空気がそこにあった。

 

――――――「今日は有り難うございました」
鷹取をバス停まで見送りに来て、征士は深々と頭を下げた。
礼儀正しいと言えば聞こえは良いが、いつも少々やりすぎの気がある律儀さに苦笑しつつ、鷹取は軽く肩をすくめる。
「御礼を言うのはこっちの方だってのに。お前さんは……」
「いえ、先輩に来ていただきたいと我が侭を言ったのは自分ですから」
「そーいうのは我が侭とは言わないの」
言いつつ、鷹取はさっと手を伸ばして征士の黄金色の髪をくしゃりと掻き回した。思いの外柔らかい髪が指の間をすり抜ける。
端から見ていた頃は、もっと堅い髪質だと、何となくそう思っていた。
ふと手を止め、鷹取は征士を見つめた。
「もう完全に大丈夫なのか?」
「はい」
乱れた髪を手櫛で梳きながら征士が顔をあげる。
真っ直ぐに見あげる視線に、鷹取はふっと微笑み返した。
「もし重すぎる記憶なら、無くしたって誰も責めたりしないぞ」
「…………!」
僅かに征士の瞳が大きくなった。
外灯の明かりに反射して紫水晶がチカリと瞬いたように見えた。
「……先輩……?」
「オレが言える義理でもないだろうけど、1人で持てないような荷物は持つな。お前はいつも黙って無理をするから」
「……無理……ではないです。今回のことは必要なことでしたから」
「必要なこと?」
鷹取の視線に応えるように征士ははっきりと頷いた。
「はい。私は、ただ選んだだけです。何も知らない苦しみと、知ってしまった苦しみのどちらを取るべきか」
「…………」
「それに」
「それに?」
「皆が支えてくれていますから。私の負担など微々たるものです」
「…………」
そっと。
今度は髪を乱さないように、鷹取は征士の黄金色の髪を梳いた。
征士が鷹取を見あげる。
「みんなが、じゃなくて、太陽が照らしてくれてるから、だろう? かぐや姫」
「……!?」
「じゃ、おやすみ」
「あ……おやすみ……なさい」
軽く手を振り、まるで計算していたかのように、鷹取はちょうど来たバスに飛び乗った。
月明かりの中。
征士はそのバスが見えなくなるまでじっとその場を動こうとしなかった。

 

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