其処にある未来(1)

…………これは夢だ。
夢の中で夢であることを自覚する。
そんな夢だ。
夢の中で、僕はじっと目の前にいる優しげな顔の老婆を見つめていた。
「たったひとつ、願いをかなえてくれる神様ってのがおってな……」
老婆……曾婆ちゃんの言葉を少年達が息を呑んで聞き入っている。
やっぱり、これは夢だ。
夢の世界。
確か、昼間読んだ児童書の世界だ。何てタイトルだったっけ。思い出せない。
「ひとつだけ。なんでも。どんな願いでも叶えてくれる神様なんじゃ。ただ死んじまった人を生き返らせることだけは出来んのじゃけんどな」
この先は、確か、少年達2人で神様の所に向かうんだ。
願いを叶えてもらうために。
「さあ、お前さんの願いはなんじゃ?」
曾婆ちゃんが少年達を……違う、僕を見てる。
「さあ、お前さんの願いはなんじゃ?」
僕の、願い?
死んだ人間を生き返らせること以外。それ以外なら何でも叶う。
そんなこと言っても。
僕の。
僕の願いは。
やはり、僕の願いは。
「烈火を……」

 

――――――「…………!?」
突然飛び起きると、伸はそれ以上言葉を発しないように手で口を覆い隠した。
そして、ゆっくりゆっくり慎重に息を吐く。
何だ。今の夢は。
自分は何を言おうとした。
背中を冷や汗が伝っている。
願い事。
そういうことを口に出すのは好きじゃない。
自分の強欲さが今にも顔を出しそうで。怖い。それなのに。
自分は。
夢の中で、自分は何を言おうとした?
何を口走った?
自分は、烈火を?
烈火をどうして欲しいのだろう。
烈火を、自分はどうしたいと思ったんだろう。
烈火を生き返らせて欲しい?
いや、その願いは叶わない。
さっき言われたはずだ。
死んだ人間を生き返らせること以外の願いだと。
では。
他に何が。
何があるだろう。
自分は。
自分はいったい何を望んでいたんだろうか。
「どした? 伸」
見ると、隣で秀がゴソッとシーツを払いのけて、半身を起こしていた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「……まあ……な」
「ごめん」
「いや、謝んなくていいから。それよか大丈夫か? 何か具合悪そうだけど」
「……そう?」
「顔色悪いぜ」
「そんなこと……大丈夫。何ともないよ」
「…………お前ってホントに嘘つきだよな」
「え?」
今度こそ、シーツをお腹までまくりあげて起きあがると、秀はベッドの上に胡座をかいた。
「お前が大丈夫って言う場合って、ほぼ間違いなく大丈夫じゃない時だかんなぁぁ…」
呆れたように言い放ち、秀は膝頭を軸にして頬杖をつく。
伸は困ったように肩をすくめた。
「…………」
「嘘つかれるのは好きじゃないぞ。どんなことでも」
「……ごめん」
「そこ、謝るとこじゃねえって」
「ごめん」
「だから……」
手でストップと伸の口を塞ぎ、秀はじろりと伸を睨み付けた。
もしかしなくても、これ以上同じ言葉を繰り返すと、更に秀の機嫌が悪くなるだろう。
伸は慌てて小さく頭を振った。
「ちょっと夢を見て……さ」
「夢? なんの?」
「うーん。何のって言われると……よく覚えてないんだけどさ。えっと……おばあさんが出てきて」
「日本昔話か?」
「……似たようなものかな?」
苦笑いをして、伸は秀に身体を向けた。
「ねえ、秀、一つ質問」
「何だ?」
「もし、ひとつだけ願いを叶えてくださる神様が目の前にいたとしたら、何を願う?」
「願い事? 何、お前、そんな夢みたのか?」
「うん。それで秀だったら何て答えるのかなぁって」
「願い事ねえ……改めて言われるととっさには思いつかないなぁ」
「……だよねえ」
「あ! ひとつだけっていうなら」
「何?」
「今、目の前にいる奴を笑顔にして欲しい」
「…………!!」
「オレなら、そう願うよ」
にっこり笑って秀はそう言った。
「今、目の前に?」
「そう」
「…………」
「…んだよ。単純だって言いたいんだろ。どーせ」
「そんなことないよ」
慌てて伸は顔の前で両手を振った。
意外。ではない。
秀ならそんなふうに言うのかもしれない。
聞く前からそう思っていたような気がしたのだ。
「別に……秀らしいなあって思っただけだから」
「それってやっぱ単純だって思ったってことだろ」
「違うって」
言いながらなんだか笑いがこみあげる。
「どーせオレは単純で単細胞だよ」
「だから違うってば」
単純で単細胞。
でも、きっとそれって、一番の核心ってことと同意なのではないだろうか。
だから、ほら。やっぱり秀らしい。
いつのまにかこみあげる笑いが止まらなくなってきた伸は、ひとつ整えるよう息を吐くと、少し早いけどと言いながら、朝食の準備にと立ちあがった。
今日から新学期。
色々なことがありすぎて、終わらないのではないかと思った夏休みも昨日で終わったのだ。
階下に降りると、一足先に起きていた征士が、庭で恒例の素振りを開始していた。

 

――――――そして、新学期が始まった。
夏休みの間にあった、数多くの出来事などまるで夢だったかのように、いつもの平常な日々が始まる。
ただ、あの出来事は確かにあったのだという証拠のように、学校の掲示板に貼られている人魚姫の撮影スナップショットを見あげ、伸は大袈裟にため息をついた。
「……ちょっと聞きたいんだけど」
「何かな? 毛利君」
映研部の崎谷は、伸の隣ですっとぼけた調子でにやりと笑っている。
「これは……何?」
「いい収入源なんだよな、これが。夏休みの間は、部活で学校来てる奴だけだったにも関わらず、すげえ売れ行きだったわけだし、これで新学期になったら一般生徒の購入がこう、どどーっと」
「僕は許可した覚えはないぞ!!」
掴みかからんばかりの迫力で伸が迫っても、崎谷は平気な顔をしてするりとかわす。
「色々資金繰りが大変なんだ。わかれよ。だってお前、毛利オンリー版のDVD製作はやらせてくんなかったじゃん。あれがあればスナップショットなんかの何十倍も稼げたのに」
「この外道」
「だったらお前が資金提供してくれんのか?」
「うっ……」
「ほらみろ」
ニヤニヤと崎谷が手を振るそばで、1人の生徒が購入希望の用紙を注文箱に投げ入れた。
「おっ! まいどあり〜」
「よろしくな♪」
見ると隣のクラスの男子生徒だった。お互い顔は知っているが、ほとんど話などしたことはない相手である。
「目が高いねえ……数少ない、お前と伊達のツーショットだ。希望してるの」
「なっ!?」
慌てて伸が覗き込むと、確かに書かれている数字のスナップは自分と征士の2人が映っている海辺でのショットだった。
「これ、アングルが最高に良かったんだよな。しかも本編では差し替えられてる箇所だからスナップオンリーのやつだし」
掲示板に貼られている写真達は、実際の作品に使われたもの以外もたくさんあった。
というか、むしろその方がメインなのではないだろうかと思われるほど、目に付く写真は、自分と征士が中心のように思える。
「……なんで海野さんの写真は少ないの?」
「少なくはないだろう? 数で言えばお前と同じくらいあるはずだぞ」
「数だけで言えばそうだけど、実際の作品は彼女メインなんだから、それがスタントの僕と同じ枚数って事自体、どっかおかしくないか?」
「いや〜相変わらず賢いなあ、毛利は。まどかにはどれを出して良いか選んでもらったから厳選されてんだよ」
「…………」
いや、違う。
もちろん彼女が選んだというのは嘘ではないだろうが、それにしても数が少なすぎる。
これはつまり。
「独占欲ってこういう所に出てくるんだね」
「……は?」
幼馴染みに”ただの”というものは存在しない。
先日聞いた鷹取の言葉が思いだされた。
つきあってるの?
そんなことを聞いても崎谷は否定するだろう。
でも、一番大事なものは他の奴には渡したくない。そう思うほどには大事なのだろう。恐らく。
とはいえ、その所為で矛先を自分達に向けるのは本気で止めてもらいたいのだけれど。
「……っていうか、そう言えば、征士の許可は取ってあるの?」
数で言えば、圧倒的に多いのは自分よりむしろ征士だ。
写真の販売に反対していたのは征士も同じだったはずだから、絶対に征士も伸と同様、このスナップの販売は嫌がったはずである。
なのに、崎谷は自慢気にふふんと鼻を鳴らし、自信満々に言い切った。
「大丈夫。伊達の許可はばっちりとってある」
「嘘。まさか」
「そのまさかなんだよ。なんなら本人に聞いてみな」
「でも、どうやって許可とったんだよ。上級生が下級生を脅すのは脅迫であって許可じゃないよ」
「お前、顔に似合わず人聞きの悪いこと言うなよ」
さすがに口をへの字に曲げて崎谷はふくれっ面をした。
「オレ等っつーより、鷹取が超乗り気でさぁ。この写真に関しては、オレ達、剣道部まで話しに行ったんだけど、思った通り伊達の奴めちゃくちゃ渋ってて、これはもう駄目かと思った時、突然あいつが話に割り込んできてオレが許可するって断言したんだ」
「…………」
「とたんに、伊達の奴、口ぱくぱくさせながらも抵抗を止めた」
あのお調子者。
家まで征士を見舞いに来た時は、良い奴だと思った。
今でも思ってる。
だがしかし。それとこれとは話が別だ。
「鷹取の影響力ってすげえよな。思わず尊敬したよ。あの一瞬だけだけど」
「言ってろ」
捨て台詞を残して、伸はさっさと廊下を歩きだした。
相変わらずの日常の始まりだと、その時は思った。

 

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