其処にある未来(10)

玄関の扉が開く音がし、同時に「ただいま」という伸の声が聞こえた。
居間で雑誌を読んでいた秀は、ばさりと放り投げるように雑誌を閉じ、走るように玄関へと飛び出す。
「伸…!」
「あ、秀、ただいま」
にこりと微笑んだ伸の後ろから、顔をのぞかせて鷹取が軽く頭を下げた。
「悪い。ちょっとわけありで今日もお邪魔することになった」
「あ、ああ…分かってる。いいよ。いらっしゃい」
鷹取の学生カバンを征士から受け取り、秀は鷹取を居間まで促した。
今日、鷹取が来るということはもちろん初耳ではあったが、伸が鷹取の押しかけ家政婦を申し出たと聞いた時から、こうなる予感はしていたのだ。
「あ、やっぱり来たんだ。先輩。飯多めに炊いといてよかったー」
居間でテレビを見ていた遼がソファから腰を浮かせてにこりと会釈した。
皆で食事の準備をして、皆でテーブルを囲む。
この家での夕飯は、いつも随分にぎやかなのだなあと改めて思い、鷹取は僅かに苦笑した。
「カバン、ここに置いとけばいいか?」
一番大きなソファの脇にカバンを立掛けるように置きながら秀が尋ねると、遼が不思議そうに小首をかしげた。
「今日は泊まってけばいいんじゃないのか?」
「……え?」
「また夜一人で帰すのって、征士だって嫌だろ? オレの部屋の空いてるベッド使ってもいいし、なんなら当麻を追い出して征士の部屋に……」
「いいんじゃねえか? オレは書斎でも何処でも寝れるし」
遼の提案に当麻までもが乗ってくる。
思わず鷹取は、後ろに立っていた征士と伸を振り返った。
伸は、にこりと微笑み、”ほらね。みんなもそう言うと思ってた”とでも言いたげな顔を鷹取に向けている。
「いいのか?」
「かまいません」
征士も伸の隣で大きく頷いている。
「……じゃあ、お言葉に甘えて今夜はお前のベッドに潜り込ませてもらうか」
「……!?」
眩しい黄金色の髪に手を伸ばし、鷹取がにやりと笑みを見せた瞬間、征士の頬が朱に染まった。
「……ちょ……ちょっと待……」
慌てて秀が二人の間に割って入り、鷹取を睨み付ける
「なんだよ、それは」
「冗談だよ。ってか、なに? お前、焼きもちやくくらいなら、ちゃんと捉まえとけっつったよな」
「…………!?」
「言っとくが、オレは嫌われてるわけでもないのに身を引く気はないからな。覚えとけ」
「…………」
あまりにもきっぱりとした、気味のいい宣言に、秀は返す言葉もなく絶句する。
ついに鷹取はおかしそうに笑い出した。
「ったく……大丈夫。今日は飯ごちそうになったら帰るよ。着替えも何も用意してないのに、突然来て泊まれるかって。心配だったらバスで下まで送ってくれ」
さっきの言葉のどこまでが冗談でどこまでが本気だったのか、鷹取の表情からは伺えない。
「了解。じゃ、あまり遅くならないほうがいいよね。待ってて。すぐ支度するから」
「あ、毛利、オレも手伝うよ。せめてそれくらいはしないとな」
そう言うと、鷹取は、キッチンへ向かおうとした伸の後を追って居間を出た。
「オ…オレも手伝う!」
慌てて秀も二人の後を追ってくる。
結局、今日の夕飯の支度は三人で行うことに決まったようだ。

 

――――――「お前がこっち来てくれて助かった。ちょっと聞きたいことがあったからな。どうやって呼び出そうか悩んでたんだが手間が省けたよ」
伸に命じられて、二人でジャガイモの皮むきと、サヤエンドウの筋取りをすることになった鷹取は、隣で一緒に作業をしている秀にちらりと目を向けた。
「聞きたいこと?」
秀は一瞬だけ鷹取を見たが、すぐに視線を戻し、そのまま再びじゃがいもと格闘しだす。
「なんだよ。オレ、別に何も知らねえぞ。料理のことだったら伸に聞けよ」
「なんでオレがわざわざお前に料理のこと聞くんだよ。頭使え、バーカ」
「なんだと!?」
「こら、包丁持ったまま喧嘩しない。秀」
慌てて仲裁に入った伸は、探るような視線を鷹取に向けた。
「秀に聞きたいことって何? 僕が一緒にいても大丈夫な内容?」
「大丈夫、大丈夫。ってか、お前でもいいんだけど、どっちが詳しいか判断つかなかったんでな。ただ、毛利が言ってたから、こいつのほうがよく覚えてるのかなあって思ってさ」
「……僕が、言ってた?」
「この間、お前言ってたろ。こいつが一番伊達に触れないって」
「…………!?」
「そのことの意味を聞きたくてな」
「……それ…は……」
「聞いたときは、単純にピリピリしてる相手には近づけないってことかなあって思ってたんだけど、それだけじゃないよな」
「…………」
秀がジャガイモの皮をむく手を止め、持っていた包丁をテーブルに置いた。
「それってやっぱ、原因はアレなのか? 伊達が昔、男相手に身体を売ったことがあるってい……」
ガタンっと、最後まで言葉を聞かないうちに、秀が蹴り上げるように椅子を倒して立ち上がった。
「……誰に聞いた」
秀の視線を真っ直ぐに受け止め、鷹取は答える。
「本人」
「……あいつが、そんなこと言うはず……」
「言ったよ」
「嘘だ」
「だったらなんでオレが知ってる?」
「…………」
鷹取の視線に耐え切れず、秀は目をそらした。
「……あの…鷹取……」
「悪い。別に興味本位で聞いてるとは思われたくないんだが、そうとられても仕方ないよな」
「そんなことは思ってないけど……でも、どうして?」
こんな話題を片手間に聞いていていいのだろうかと、伸も困った表情を向けた。
秀はギリッと唇を噛み締めて下を向いている。
「話せる範囲でいいから教えてくれないか。あいつに何があったのか」
「…………」
「頼む」
「……知ってどうする。知ったらあいつを見る目が変わるとでも言うのか?」
ようやく秀が口を開いた。
「まさか。そんなこと……」
言いながら鷹取は苦笑したが、すぐにその言葉を否定するように首を振った。
「いや、あるな。たぶん、見る目は変わる」
「……!?」
秀が驚いて振り返り、鋭い目で鷹取を睨み付けた。
「待てよ。早合点するな。そういう意味じゃない」
「……じゃあ…」
「見る目は変わるよ。たぶん。きっともっと、あいつのことが愛おしくなる」
「………!!」
「知らないままでいるよりも、知った後のほうが、きっとずっとずっと愛おしくなる。そういうもんだろ?」
にやりと鷹取が笑った。
そうなのだ。
いつもいつも冗談で誤魔化してはいるが、この男の征士へ向かう気持ちは本物なのだ。
「……あいつと……」
ぽつりと秀が呟くように言った。
「あいつと…紅と出逢ってから、死ぬまでの数年間。オレ達はずっと一緒にいた。でも、オレはその数年間の間、一度もあいつに触れたことはなかった」
「……一度も?」
「もちろんニアミスはあるよ。偶然肩が触れたり、手が触れたり。ごくごくたまに、あいつが手を伸ばしてきてくれたこともあった。でも、そんなの数えるほどしかない」
「……どうして」
「…吐くんだよ。あいつ。人と直に触れただけで、気分が悪くなって吐いちまうんだ」
「…………」
「あいつが吐いても、オレは背中すらさすってやれない。逆効果だから。オレに出来るのは、ただ黙ってそばに立ってることだけだった。近づくことも、離れることも出来なくて。ただ……」
「…………」
「ただ、何も出来なくて……」
「何も……か。で、今でもお前はその頃のことを引きずってるってわけだ」
ふーっとため息をつき、鷹取はくしゃりと自分の前髪を掻き回した。
「これは…奴よりお前のほうが重症なのかもな……」
独り言のようにそうつぶやき、鷹取はじっと隣でじゃがいもの芽を取っている秀を伺った。
伸も困ったようにそんな二人を見つめている。
やがて鷹取はふーっと息を吐くと、意を決したように顔を上げた。
「あのさ……黙ってるのも何なんで言っちまうが……」
「……なんだよ?」
「オレ……あいつと…伊達とキスした」
「…なっ!?」
秀が持っていたじゃがいもを取り落とす。さすがの伸も思わず顔を赤らめて息を飲んだ。
「た……タカ……?」
「だから、大丈夫だよ。あいつは、もう」
硬直している二人の様子とは裏腹に、鷹取は笑みを浮かべたまま、サヤエンドウの筋取り作業を続けている。
「……だ………大丈夫……って?」
「だから、今度あいつが倒れそうになったら、お前も遠慮せず力いっぱい抱きしめてやれ」
「………」
「大丈夫だから」
にこりと笑って鷹取はそう宣言した。
毒気を抜かれたのか、秀は鷹取のその言葉に、ただ黙って頷いた。

 

――――――「びっくりしたよ、もう。さっきは何を言い出すのかと思った」
鷹取を送るため、一緒にバスに乗り込んだ伸は、開口一番そう言って呆れたように肩をすくめた。
「何って、キスのことか? あれは、黙ってるのもなんか抜け駆けしたみたいで気が引けたからな。ほら、オレってフェアプレイ精神旺盛だから」
「よく言うよ。確かに僕も、最初は秀に対して牽制でもするつもりなのかとヒヤヒヤしたんだけど」
「……けど?」
「本当に君ってやつは何を考えてるのかよく分からない男だね」
「ミステリアスな方が魅力あるだろ?」
「言ってろ」
呆れたように言い放ち、伸はくすりと笑った。
「……でも、ありがと」
「何が?」
「君は、征士だけじゃなく、秀も救ってくれようとした。感謝してる」
「…………」
「わざと煽って。上手いやり方かどうかはともかく…ね」
「仕方ないだろ。太陽がなきゃ、月は輝けないんだからな。オレは、ずっと輝いてる月を見ていたいんだ」
いつもの不敵な笑みで、鷹取は伸を見る。伸は肘でコツンと鷹取を突くとふっと息を吐いた。
「君もきっともう僕らの仲間だよ」
「…………」
「君に何かあったら、僕等は……僕も征士も秀も、みんなも必ず何処からでも駆けつける」
「……仲間…か」
「そう」
「同じ過去を過ごしてなくても…か?」
「当たり前。僕達は過去を生きてるんじゃないんだから」
伸の言葉に、一瞬鷹取が声を詰まらせた。
「君の未来に幸多からんことを、祈ってるよ」
未来に。
今度こそ、鷹取は本当に嬉しそうな笑みを見せた。

FIN.      

2014.06・21 脱稿    

 

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