ファミリア (6)

鷹取が警察官になりたいなあと、漠然と考え出したのは、かなり昔のことだ。もともと身体を動かすことが好きだったということと、テレビのニュースで見た警察機動隊の姿が印象的だったからだ。
なので、希望はあくまでも刑事ではなく警察官。
「事件捜査がしたいっていうより、人命救助とか、要人警護とか、そういうのに憧れてたんだ。だから、最初は自衛隊でもいいんじゃないかって思ったんだけどさ」
「では、自衛隊ではなく警察を選んだのは……?」
「なんとなくぼんやりしたものだったのが、はっきりと形になったのは、親父に連れられて全国剣道大会の決勝戦を見に行った時なんだ」
「……それって……」
「案外単純だろ」
そう言ってにやりと鷹取は笑みを見せた。
確かに警察と剣道は切っても切れない関係にある。現在剣道をやっている者の多くに警察官の名前があることは周知の事実だ。
もちろんそれだけが理由ではない。前提として確たるものがあればこそではあったが、それでもいくつかある選択肢の中で、それを選んだのは。
「まだ、続けられるつもりなのですね」
ホッと安心したように征士が息を吐いた。
わかっていても、ずっと不安だったのだ。ようやく日常生活には支障なく動かせるようになったとはいえ、もう鷹取は剣道部にほとんど顔を出しておらず、竹刀も握っていない。三年生なのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それでももう、はかま姿の鷹取を見る機会は訪れないのだろうか、と、ずっと征士は不安だったのだ。
「まあ、そうは言っても剣道は野球やサッカーみたいにプロリーグがあって年俸何億とかそういう世界とは違うから、何をもって止めるとか続けるとかって言えばいいのかわからないけどな。ただ……」
「……ただ?」
「もう一度、全国へ行けたらいいな…とは思ってる」
「………!」
続けるどころではない。鷹取はまだまだ諦めてはいないのだ。自分の剣道の可能性を。
「だったら私も……」
「……え?」
「私も、同じように、同じ場所を目指しても良いでしょうか」
そう言った征士の言葉に鷹取は僅かに目を丸くした。
「同じようにって、警察を…目指すのか? お前が?」
「駄目……でしょうか」
鷹取が探るような視線を征士へと向ける。
普段とても慎重なはずの征士が、こんなことを思い付きで言うだろうか。
でも、以前から考えていたとも思えない。
「あんまり勢いだけで発言するなよ。らしくないぞ」
呆れたように鷹取が言った。
「確かに以前から考えていたわけではありません。そういう意味であれば思い付きと言われても仕方ない状況かと思います」
僅かに視線を落とし、征士は言葉を続けた。
「今まで警察官という仕事を思い付きもしなかったのは私の不徳の致すところです」
「…………」
「だから、伸から話を聞いた時、私はただ驚くばかりで、他に何も考えられませんでした。でも同時に目からうろこが落ちたような気分でもあったのです。そして、そういう方向があるのであればこれから先の選択肢のひとつに加えてもいいのではないかと」
「…………」
鷹取の目に探るような色が見えだした。
「そう、思います。だから私はあなたに話を聞きたいと思います。先輩が目指すものがどんな所なのか、知りたいと思います。駄目でしょうか」
真っ直ぐに。これ以上ないくらい真っ直ぐな目をして征士は鷹取を見つめている。
「別に駄目じゃねえよ。オレに聞きたいことがあるならいくらでも話してやるよ」
「有難うございます」
再び深々と頭をさげた征士を見て、鷹取の目が眩しそうに細められる。
「……では、寮生活を始められた後も、こちらへ戻ってきて話を聞かせてくださいますか?」
「…………え?」
これでようやく本題に入ったとでも言いたげに、征士は先ほど伸達に話したことを鷹取にそのまま提案した。
ここにある荷物をほぼすべて柳生邸に移動すること。名義はそのままなので、いつでも取りに来てもらって構わないこと。
そして、その為に自分に会いに来て欲しいと思っていること。
折り畳み式の座卓を挟んで向かい合い、鷹取は心底困惑したように頭を抱えた。
「……つまり、それを言いたいがためにここへ?」
「そうです」
「警察官になりたいってのは?」
「それも本気です」
「オレと同じところを目指したいから?」
「はい」
「……お前、どんだけオレを好きなんだよ」
「そうですね。私は、貴方をお慕いしています」
「…………」
冗談めかして言ったはずの言葉なのに、あまりにも真正面から肯定され、さすがに鷹取が固まった。
視線が合う。
「伊達、お前……」
「ちゃんと告げていなくて申し訳ありません」
「…………」
「私は、貴方をお慕いしています」
もう一度。噛みしめるように征士は言った。その真剣さに鷹取が小さく息を呑む。
「……ただの先輩後輩ではなく、私は貴方と、会いたいという理由だけで会える間柄になりたいと望んでいます。だからそのために、此処に。この街に貴方が帰ってくるための場所を設けたいと考えました」
「帰る場所?」
「はい。私は貴方との繋がりを絶つ気はありません。他人同士のままでいたくありません。私は貴方に、いつでもこの街に、私の所に帰って来て欲しいと思ってます。その為に、私は貴方と家族になりたいと思っています」
「家族って……」
さすがに鷹取が困惑した顔を征士に向けた。
「……なんかプロポーズでもされてる気分になってきた」
「なっ……」
その言葉に征士の頬が朱に染まる。
「嘘嘘。冗談だよ」
表情を笑いに変換し、鷹取は軽く笑い声をあげた。すると征士はその笑いを打ち消すかのように、座卓の向かい側から身を乗り出してきた。
「冗談ではありません!」
「……伊達?」
あまりの勢いに鷹取の笑いが止まる。
「私は別に契約を交わしたいわけではありません。でも、心情的に言えば間違ってはいませんし、冗談でもありません。私は貴方と家族になりたい。これからもずっと貴方と共に生きたい。この感情の名称が恋愛感情というのであれば、間違いなくこれは恋愛感情です。私を貴方の家族にしてください」
「ちょ…ちょっとストップ。待て待て待て」
征士の言葉を慌てて鷹取が遮った。
「お前、普段は無口なくせに、なんでしゃべりだすと止まらないんだ。それ以上続けられたらオレの心臓がもたねえっつーの」
「だったら」
「……え?」
「だったら塞いでください。この前と同じように」
「…………」
「貴方の口唇で」
「…………」
「家族になりたいというのは、そういうことです」
鷹取が小さく息を吸い込んだ。そして座卓を越えて回り込むと、そのまま征士の腕を取り、自分の方へと引き寄せる。
「お前とりあえず黙れ。そしてそれ以上オレを煽るな」
「…………」
征士が何かを言おうと口を開きかけたが、宣言したとおり、征士の言葉はそのまま鷹取の唇によって遮られる。
「……んっ……」
そして、言葉の代わりに征士の口からは微かに甘い吐息が漏れた。

 

――――――「なあ、本当によかったのか?」
結局そのまま書斎へこもることもなく居間に残ったままでいた当麻は、同じく居間に残ってソファでぼんやりテレビを見ている秀に向かって口を開いた。
「良いも悪いも、奴の提案にはみんな賛成したじゃねーか」
顔をテレビの画面に向けたまま秀がつぶやくように答える。
「それはそうだけどさ、だからって何もこんな時間に行かせることはなかったんじゃないかと」
「お前も反対しなかったよな」
「それは……言いだしっぺがお前だったからであって……」
「鉄は熱いうちに打てって言うだろ。また来週学校で…なんてことになったら、色々鈍ってくんだよ」
「…………」
「何事にもタイミングってのがあんだろ」
そう言いつつも秀は視線を当麻の方へ向けようとはしない。
もしかして表情を読まれたくないのだろうか。
横目で秀の様子を窺いながら、当麻は小さくため息をついた。
恐らく秀は、征士本人より先に征士の気持ちに気付いていたのかもしれない。こいつは、誰よりも勘の鋭い男なのだ。
気付いていて、それでも征士の提案に賛成し、さらに鷹取のもとへ征士を送り出した。
自分には到底できないことだ。
本当に、どれだけ強いのだろう。この男は。
「……当麻」
「……なんだ?」
「お前も知ってると思うけどさ。オレの夢は、実家の店を継ぐことなんだ。そんで父ちゃんや母ちゃんに孫の顔を見せてやること」
「…………」
「だから、いつかオレは可愛い嫁さんをもらうんだ」
「嫁さんって、それ結婚するってことか?」
「当然だろ。でなきゃ後継ぎ作れねえじゃん」
「そ……」
考えなかったわけではない。
「それ言われたら……オレはどうすりゃいいんだよ」
当麻がそう言うと、秀はまだ正面を向いたまま微かに笑った。
「お前等はいいんだよ。伸のところは義理の兄貴が家継いでくれるんだろ。甥っ子か姪っ子もすぐに生まれるだろうし、お前ん家もそういう束縛はないみたいだし」
「それを言うならお前んとこだって妹たちがいるじゃねえか」
「妹は関係ない。オレがオレの意思で店を継ぎたいって思ってんだから」
「…………」
「だから、オレはあいつの家族にはなれないんだ」
仲間。家族。親友。恋人。幼馴染。同級生。先輩。後輩。
大切な人を現す単語はそれこそ星の数ほどある。
でも、そのすべてがどれも大事で、どれもが同じように大切で。
だから。それが答え。
秀の横顔を見つめ、当麻はフッと息を吐き出した。
いつか、自分も秀のように思える時が来るのだろうか。
当麻が扉の向こう、見えるはずもない位置に立つ人に目を向ける。すると、当麻の視線を追いかけるように、秀もふとキッチンの方角を振り返った。
「けどさ」
ぽつりとつぶやくように秀が口を開く。
「……それでも、あいつを一番愛してるのはオレだ」
「……秀」
「絶対に譲らない。今も昔もこれからも、オレが誰よりも一番、あいつを……」
「…………」
「あいつのことを愛してる」
「…………」
「だから、もう、それでいいんじゃねえの?」
そう言って初めて秀は当麻のほうを見た。
誰よりも。誰よりも。大切な人。
どうか倖せであれ。
そう言った秀は、今までで一番男らしく見えた。

FIN.     

2017.10.14 脱稿   

 

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