ファミリア (5)

「皆に相談があるのだが、いいだろうか」
征士がそんなことを言い出したのは、夕食後、まだ全員が居間にいる時間だった。
「相談? なんだ?」
ソファに寝そべっていた遼が顔をあげ、無邪気に征士のほうを振り返る。
伸が食器を片付けながら、思わずちらりと当麻を窺うと、当麻も一瞬はっとした表情で伸のほうに目を向けた。
「あ……じゃあ、珈琲でも淹れてくるよ。ちょっと待ってて」
伸がそう言ってトレイに食器を乗せ終え、キッチンへと引っ込むと、思ったとおり当麻が後を追ってきた。
「オレも手伝う」
「ありがと。じゃあ、洗い物のほう頼んでいい?」
「わかった」
カチャカチャと食器の触れ合う音と水音だけがやけに大きく耳に届く。
「…………」
征士の相談というのが何なのかはわからない。でも、その対象である者が誰なのかは見当がついている。
お互い何か言いたいはずなのに、なんとなく無言のまま作業が続く。
やがて当麻の洗い物は終わり、伸の方も、珈琲メーカーのコポコポという音が止まったと同時に珈琲が良い香りを放ちだした。
「……オレ」
五人分のカップに珈琲を注ぎ終えたのを見計らったかのように、ようやく当麻が口を開いた。
「オレ、征が何を言っても、もう反対はしない」
「……うん」
「……でも、秀は……」
伸の動きが止まる。
「秀は……どう思うんだろう」
「そんなこと、僕だってわからないよ。それは彼等の問題だから」
「…………」
カップを乗せたトレイを持ち上げ、伸は真っ直ぐに当麻を見つめた。
「でも、きっと大丈夫だよ。たとえどんな方向に進んだとしても、彼等の絆が切れることは絶対にないから」
「…………」
「ねえ、こう考えてみたらどうかな?」
そう言って伸は一度持ち上げたトレイを再びテーブルに置き、当麻の正面に立った。
「僕は、君のことが好きだよ。でも、ごめんね。だからといって僕が烈火のことを忘れることは永遠にない」
「……烈火……?」
「そう…烈火」
つぶやくように名前を呼ぶ。その中に溢れているのは愛おしい想いだ。
「でも……それで…いいんだよね?」
「…………」
「……ね?」
「……ああ、それでいい」
伸の踵が僅かに上がり、二人の唇が重なった。そして僅かの間を経て離れる。
烈火。
伸にとって、今でも一番譲れない場所を占めている男。
征士にとっての秀は、伸にとっての烈火と同じ位置にいるのだろうか。もしそうであれば、それは確かに永遠に切れることはない絆だろう。
「……さ、行こう」
伸の声を合図に当麻はドアを開け、促すように伸を先に行かせると、居間へと戻った。
居間では相変わらずソファに寝そべった姿勢のままでいた遼が、二人が姿を現したのを見て、身を起こして座りなおす。するとテーブルについていた秀もさっと立ち上がり、すとんと遼の隣に腰を下ろした。
結果、伸と当麻が並んでテーブルにつき、その正面に征士が座るという体勢になった。
「え…と、じゃあ、相談って何かな?」
なんとなく座った位置的に自分が言わなければいけない気になり、まず最初に伸が口火を切った。
「実は……昨晩、伸から聞いたことを踏まえて私なりに考えたのだが……」
その為、征士も皆への相談というより、伸に対して個人的な相談を持ちかけてでもいるような感じで話し始め、他の皆はそれを周りで聞いているという状況になった。
「昨日のって、鷹取の進路のこと?」
「そうだ。いや、正確に言うとその進路に付随して教えてくれたことに関する件なのだが」
昨夜、伸は征士に鷹取が希望している進路のこと、そして同時に警察学校の寮に入るため、今の部屋を引き払うことを考えているらしいということを話していた。
やはりその件か。
予想通りといえば予想通り。
伸が引っ掛かった同じ個所で、征士も止まったということなのだ。
「つまりそれって、彼がアパートを出てもうこっちには戻って来ないつもりだってことに関して?」
「そうだ」
ひとり行ってしまおうとしている鷹取を繋ぎ止めるために、征士はどんな答えを出したのか。
「何か、考えがあるの?」
「考えというか、それを実行するために、お前達とナスティの許可が欲しい」
「……ナスティの?」
「この家の名義は彼女のものだから、近々許可を取るために連絡しようと思っているが、まずお前たちと先輩に話を通しておこうと思って」
「……何を企んでるんだ? お前」
伸の隣でさすがに当麻が眉間にしわを寄せた。
「企むという言葉は適当ではない。ただ、私は此処に先輩の帰るべき居場所を作りたいのだ」
「……居場所って」
「具体的には?」
「この家にはまだ使用していない部屋がある。そこを確保して、先輩が今の部屋を引き払う時に捨てるつもりだと言っていた荷物をそちらへ移動したい」
「荷物?」
「いらないのなら私がもらって、ここに保管しておきたいのだ。服や書籍、大会の時もらわれた賞状やトロフィー。もちろん家具もすべて」
「それって、この家に鷹取の部屋をそのまま再現するってこと?」
「結果的にはそうなる。そしてもちろんそれらの荷物は先輩名義のままとしておくのでいつでも取りに来ていただいて構わない状態にしておきたい」
「それを理由に帰って来いって?」
「……そうだ」
「なんでそんな遠回りな方法を取るんだ? それって、こっちに引っ越して来いっていうのと何か違うのか?」
いつの間にか三人での話し合いになっていたところに、ソファのほうから遼が聞いてきた。征士は遼の方へと身体を向け、少し違うと言って首を振る。
「先輩は寮住まいをされるので、この家に住むわけではない。それにそういういい方をすればきっとあの人は断ってしまう」
「……そうなのか?」
「あの人は、すでに出来上がっている集団の中に後から加わることを良しとしない方だ。ご両親が亡くなられて、親戚の家に引き取られた時も、かなり精神的に疲弊された。家族のいない所へは、あの人は帰って来てくださらない」
遼が窺うように伸に目を向けてきたので、伸は征士の言葉に同意するようにうなづいた。
確かに、鷹取は頑ななまでに他人からの手を避けようとする。それは決して天邪鬼だからとかそういうわけではなく、本当に駄目なのだ。
頼れば頼った分だけ、愛すれば愛した分だけ、それを失った時のことを思い出して苦しくなる。
だから、どんなに親切にされても、所詮他人なのだと。そうどこかで割り切ってしまわないと、自分自身がもたないのだ。
鷹取を見ていると、傷ついた心はそう簡単には修復出来ないのだということを嫌というほどに思い知らされる。
「いいんじゃねえか?」
今までずっと無言だった秀が初めて口を開いた。
「うちに来い、って言うより、荷物置き場として提供しますって言った方が、おとなしく聞いてくれそうだしな、あの先輩は。それにそれでも抵抗したら、お前が奴の家族になってやればいい」
「……家族?」
「そうだ。さっきお前が言ったんじゃねえか。あの先輩は家族のいないところへは帰って来ないって。だったらまず、お前が奴の家族になればいい」
「いいのか? 秀」
征士が窺うように秀を見た。
「ああ、いいと思うぜ。お前にしては上出来の案だ」
秀がそう言って、ふっと笑った。

 

――――――「…………」
玄関に佇む征士の姿を見て、まず鷹取がしたことは、部屋の時計を確認することだった。
「こんな時間にどうしたんだ? 片道切符しか持ってないよな、お前」
「はい」
時計はすでに夜の十時を回っている。
電車はともかく、柳生邸の近くまで行く路線バスの最終はそろそろ終わった頃だろう。征士はもちろんバイクの免許も持っていないし、見たところ自転車で来ている様子もない。
「家から駅前行きの最終バスに乗って来ました」
「帰る手段を考えないでこっちに来たってことか? よくあいつらが許したな」
「思い立ったら即行動しろと、秀に言われました」
「…………」
「今から行ったのでは帰りのバスがないと私が言ったら、伸が明日は学校も休みだから泊めてもらえば、と言いました」
「…………」
「そんなことをしたら先輩に迷惑をかけてしまうと私が言ったら、その程度は迷惑でもなんでもないし、むしろ喜ばれるはずだと、当麻が」
「…………」
「皆がそう言っている間に、遼が上着を取って来てくれました」
つまり、伸だけじゃなく、みんなが征士が出かける後押しをしたということか。
「……なんじゃそら」
ようやくそれだけつぶやくように言うと、鷹取はまだ玄関口から中に入ってこようとしない征士の頭をポンッと叩いた。
「で、オレにどんな用事? 夜這いに来てくれたのか?」
「……あ…いえ、そういうわけでは……」
言いながら征士の頬に僅かに朱が混じる。
「ま、いいや。とりあえずあがれば?」
そう言って鷹取は征士を部屋へと招き入れた。
「この部屋に人を入れることって滅多にないから、何ももてなせなくて悪いな」
「いえ、急に押しかけたのはこちらですので、お構いなく」
狭い一人暮らし用のアパート。ただ、あまり荷物が多くはないためか窮屈な印象はない。
この程度の荷物であれば、さほどの苦労もなく、柳生邸へ運び込めるだろう。そんなことを考えながら部屋の中を見回していた征士が最初に目を止めたのは、額縁に入った賞状だった。昨年鷹取が全国大会の個人戦で入賞した時のものだ。
「……これは、持っていかれるのですか?」
おもわずそうつぶやいた征士の言葉に、珈琲でも淹れようとキッチンに向かいかけた鷹取の足が止まった。
「持ってって……?」
「伸に聞きました。先輩がここを引き払って警察学校の寮へはいられるつもりなのだと」
「……ああ、なるほど。それで来たのか、お前」
ようやく納得したと、鷹取は小さくため息をついた。

 

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