ファミリア (4)

翌日、再び倉庫へと足を向けた鷹取は、そこに当然のように居座って文庫本を広げている当麻を見て呆れた声をあげた。
「お前、ここんとこ毎日来てんじゃねえか?」
「悪いかよ」
拗ねた口調で言い放つ当麻は、本から顔をあげようともしない。ただ、視線の先を見るとあまり真剣に読んでいるふうでもないのが見て取れた。
「別に悪くはないけどさ。わざわざこんなところで読んでないで、読書なら図書室にでも行けよ」
「……図書室は嫌だ」
「なんで? 最近、毛利は毎日放課後図書室で勉強してるって聞いたぞ」
「……だから嫌なんだよ」
「何? 喧嘩でもしたか?」
「してねえよ。しいて言うなら見解の相違があっただけだ」
「見解の相違ねえ……」
からかい口調の鷹取の様子にカチンときたのか、当麻はギッと音がするほどの目付きで鷹取を睨みつけ、持っていた文庫本を脇に置いた。
「誰のせいだと思ってんだ。だいたいてめえが征にあんなこと……」
「だからそれはオレがお前に謝る筋の話じゃないっつってんだろうが」
「……わかってるよ。んなこと」
意外にも素直に非を認めた当麻に鷹取は戸惑って首をかしげた。
「どうしたよ。やけにしおらしい」
「うるせえ」
拗ねた口調で言い捨てると、当麻は鷹取に背を向け、再び読みもしない文庫本を手に取った。
そんな当麻を見て鷹取は呆れたように肩をすくめると、そのまま当麻のそばへとやって来て、その場に一緒になってしゃがみこんだ。
「何、読んでたんだ?」
「なんでもいいだろ」
「教えろよ。別に減るもんじゃなし」
「あんたに知られたらなんか減るような気がする」
「なんだそりゃ」
鷹取から隠すように当麻は文庫本を背中にまわす。当麻のほうは、これ以上話をすることはないといったふうなのに、鷹取はまだその場を動こうとせず、しゃがんだ姿勢のままじっと当麻を見つめていた。
そして、しばらくの沈黙の後、さっきより少しだけ真剣な口調で鷹取が聞いた。
「……なあ、見解の相違って、具体的に何?」
「はあ?」
「お前と毛利の間で、どういった相違があったんだよ」
「どうって…そんなの……」
「…………」
やけに鷹取の目が真剣に見えて、当麻は渋々口を開いた。
「伸は、征士はてめえのことが好きなんだろうって言っただけだ」
「うん。で、お前さんの意見は?」
「は?」
「お前は伊達はオレのことを嫌ってると思ってるのか?」
「そ…そんなわけあるか!」
さすがに当麻はおもわず叫んでいた。
「あいつが…征があんたのこと本気で慕ってるのくらい見ればわかるよ」
「でも、相違してんだろ?」
「…………」
「それってオレはお前らにとって他人だから?」
「…………!」
ギクリと、当麻の顔が強張った。だが鷹取は反対ににやりと笑みまで浮かべながら当麻の頭に手を乗せ、くしゃりとその髪を掻き回した。
「だとしたら、オレもお前のほうの意見に賛成だ」
「……え?」
「オレもそう思ってるよ。どんなに好きでも所詮オレとあいつは他人なんだ。だからオレはあいつの相手としてはふさわしくない」
「……な……」
ごくりと当麻が唾を飲み込んだ。
「なん…で……そんなふうに」
「思うかって? なんでだろうなあ。なんとなく…かな」
「…………」
「なんてな。お前らの過去の話を聞いた時、オレなりに理解しようと色々考えたんだ。んでその結果、お前らにとってお互い以外は全部他人なんだなあって思っただけだよ」
「それ…は……」
「一番顕著にそう思ったのはオレが事故った時」
「…………」
当麻の目が探るような光を帯びた。
「毛利にしても他の奴にしても、オレのことを心配しながらも、やっぱり一番に考えてたのは伊達のことだった」
「……!」
「僻んでんじゃないんだ。友人として毛利がちゃんと心底オレのことを考えてくれてるのは痛いほどわかったし、感謝もしてる。でも、それでもやっぱり何かが違う」
「…………」
「お前らの間で一番重要なのは、どんな場合でも仲間だろう。そこに他人が踏み込む余地はない。だから月に必要なのは太陽であってオレじゃない。そういうことだろう。お前の意見は」
「…………」
言葉が出なかった。
「だからお前さんが反発するのも、相手がオレだからっていうんじゃない。結局、オレだろうと誰だろうと、お前は自分達仲間以外は全部嫌なんじゃないのか?」
否定はしない。出来ない。
そうなのだ。決して鷹取自身を当麻は嫌っていない。剣士としての強さも認めているし、人として尊敬もしている。
ただ、それでも嫌なのは。
征士の相手として考えただけで、背筋がぞわりとしたのは。心の底の底で嫌だと思ったのは。
それは。
どうして他人に征士を取られなくてはいけないのか、と。
あの男は他人なんだと。
どこかでそう思っていたのだろう。
「お前らの絆って、どんだけ太いんだよ。すげえな」
まだ当麻の頭に手を置いたまま、鷹取が笑った。
初めて、ズキンっと当麻の胸が痛んだ。

 

――――――「姫……あれ」
そう言いながら、聖がそっと図書室の入り口のドアを指さした。
つられて振り返った伸の目に戸口のドアの向こう側に誰かが立っているシルエットが映る。
「あれ…当麻……?」
ドアのガラス越しなのではっきりとは見えないが、それでもその人物が当麻であることは伸にはすぐにわかった。
確かに当麻はこの図書室の常連なのだから、放課後ここに姿を現すこと自体に違和感はない。ただ、図書室に用事があって来たのだったら、そのまま入ってくればいいはずなのに、何故か当麻はドアの前から動かず入ってくる気配もないのだ。
「どうかしたのかな?」
聖と目を合わせうなづき合うと、伸は広げていたノートや参考書をパタンと閉じ入口のドアへと向かった。
「当麻?」
少しだけドアを開けて名前を呼ぶと、当麻がビクリと肩をすくめた。
「やっぱり当麻だ。どうしたの?」
「……伸」
恐る恐るといったふうに当麻は振り返り、すぐに視線を落としてうなだれた。
「……当麻?」
「悪い。失敗した」
伸のほうを見ようとせず、うつむいたまま当麻が苦しげな声をだした。
「失敗? 何? どうしたの?」
「…………」
「当麻?」
「あ…いや……」
少し大き目に声を掛けられてようやく当麻は顔をあげた。そしてその視線が伸の後ろに立って同じように心配気な目を向けていた聖の方へ向けられる。
「……聖さん? ……なんでここに?」
教育実習期間であるならまだしも、いちおう聖はこの学校では部外者に類するはずだ。当麻の問いに苦笑しながら聖は半開だったドアを最後まで開き、伸と一緒に廊下に出て来た。
「大丈夫。学校側の許可は取ってあるよ。センター試験に向けての勉強会の監督を頼まれたんだ」
言われて図書室の中を覗くと、そこには聖と伸だけではない、他にも数名の三年生の姿があった。
「で、どうかしたのかい?」
聖が聞くと、当麻は言いにくそうに口を閉じた。だが、それではいけないと思ったのか、再び顔をあげる。伸はそんな当麻を覗き込むようにして近づいた。
「当麻……何があったの?」
「失敗したんだ」
「それはさっき聞いたよ。何を失敗したの?」
「失念してた。オレは……」
「…………?」
伸の首が微妙に傾げられる。
「あんなことになるなんて思ってなかった。悪かったと思ってる。あの男にあんなことを言わせるつもりなんてなかったのに」
「……あの男?」
「オレは、あいつがひとりで…誰とも繋がっていないってこと忘れてた」
「……まさか」
伸がハッとなって当麻の肩をつかんだ。
「鷹取と? 何かあった?」
「よしわかった」
鷹取の名前を聞いたとたん、聖が突然そう言った。
「……え?」
伸と当麻が同時に探るように顔を向ける。だが聖はそんな二人の様子を気に掛けることもなく、図書室のドアを開けると中にいる生徒に向かって本日は終了という合図を送った。
「聖さん……?」
そして手早く自分の分の荷物をまとめて図書室から出てくると、にこりと笑って伸と当麻の顔を見比べた。
「鷹取の所にはオレが行くから、やつが行きそうな場所、教えて」
「え……でも」
「大丈夫。たぶん今の彼には君達では駄目だ。そういうことだろ?」
そう言って聖は真っ直ぐに当麻に目を向けた。
「……あ」
一瞬の戸惑いの後、当麻がこくりとうなづく。
「だと思った」
そう言って聖はにこりと笑った。

 

――――――伸が教えてくれた場所は、鷹取のクラスの教室、旧校舎の倉庫、剣道部の部室、剣道場、非常階段、そして屋上。
旧校舎の倉庫に関しては、もういないはずという当麻の言葉があったので、そこは最後にまわすことにして、いそうな場所を順番にたどり、最後に向かった屋上でようやく鷹取の姿を見つけた聖は、ホッと安堵の吐息を洩らした。
「ここにいたのか……ったく、逆にたどればよかった」
「聖センセ? どうしたんだよ」
鷹取が驚いて顔を上げる。
「何? オレを探してたのか?」
「君が行きそうな場所、姫に聞いて下の階から順に回って来たんだよ。まさか最後の屋上にいるなんて」
「それはそれは……でも、いい運動になったろ」
結果的に学校中をぐるりと歩きまわる羽目になった聖に鷹取がからかいの目を向ける。
聖は苦笑しながら並ぶように鷹取の隣に腰を下ろした。
「最近、運動不足なのは認めるけどね。君も部活引退してから身体なまってるんじゃないの?」
「まさか。オレは今でも日ごろの鍛錬は欠かしてない。毛利と違ってそこまでの試験勉強は必要じゃないからな」
「大学に行かないっていうのは本当なんだ」
「そ、だからセンター試験も関係ないし」
「なるほどね」
鷹取が大学進学をしないということは伸から聞いていた。
そしてその時、目指す進路のことも聞いて、随分とこの男らしい道を選んだものだと感心したのだ。
「で、何かあった?」
そう聞いてきたのは、聖ではなく鷹取の方だった。先を越された感じになってしまい、どう答えようかと思案しながら聖は鷹取の横顔に目を向けた。
「お前さんさ、さっき泣かせたろ」
「泣かせ…? 誰を?」
「天才児くんが珍しく泣きついてきたぞ。こっちに」
「…………」
そう言って聖がにやりと笑うと、鷹取は困ったようにくしゃりと前髪を掻きまわした。
「あのガキ…直接センセの所に行ったのか?」
「いや、オレがちょうど姫と一緒にいたってだけ」
「じゃあ、毛利の所に……?」
泣きついたというのは大げさだろうが、確かにさっき、当麻は酷く傷ついた顔をしていた。いや、正確に言うと傷つけてしまったことを後悔している顔か。
あの表情のまま当麻が伸の元に行ったのであれば、彼らがここに誰かを寄越そうと考えるのは妥当なのだろう。彼らはそういう奴だ。
「なるほどね。状況はだいたい理解した。ただ、それでなんであんたがここに来てんだよ」
「それはオレが一番お前さんに近い位置にいる人間だから」
「…………」
「彼もホッとしたんじゃないかな。偶然とはいえ、オレが居て」
「なんだよ、それは」
「だって彼らの前じゃ、泣けないだろ」
「……は?」
鷹取が挑むような目をして下から聖を睨みあげた。
「本来であれば、ちゃんと彼らに対して泣いて助けを乞うてくれれば、問題ないんだろうけど、そこんところ天邪鬼だしね。君は」
「なんだそれは」
「助けたいのに、弱みを見せてくれない。それもまた苦しくなる原因なんだ」
「…………」
「彼らも傷ついてるんだよ。大切な人を助けられない痛みに」
「…………」
ゆっくりと鷹取が聖から視線を外す。それを追いかけるように見つめながら、聖が小さくささやいた。
「……この街を離れるって本当?」
「本当だよ」
「寂しくない?」
「……別…に……」
「素直じゃないなあ」
くすりと聖が笑う。
「認めた方が楽になるぞ」
「うっせえ」
低くつぶやき、鷹取は小さくため息をついた。
「オレはこの街で生まれた。だからずっと此処に居た。でも、もう此処にはオレを繋ぎ止めるものは何もないんだ。だから寂しいとかそういうことを言う次元の話じゃない」
数年前、鷹取の両親が事故で亡くなっている話は聖も聞いていた。そしてそれからずっとひとりだったということも。
「両親もいない。帰るべき部屋ももうなくなる。戻ってくる理由も場所もなくなるってことだ」
「そうかな? 場所はともかく、理由はあるだろう」
「……どこに?」
「簡単だよ。会いたい人に会いに帰ってくればいい。それは充分な理由になる」
「…………」
「大丈夫。少なくともあの王子は、理由なんかなくても、君に会いたいと思っているよ」
「…………」
鷹取が驚いた目を聖に向けた。
会いたい。
ただ、単純に会いたい。
理由などなくてもいいから会いたい。
鷹取が征士に対してそんなことを思ったのは、つい昨日のことだ。
「やっぱあんた、何か聞いてんだろ。でなきゃテレパシストか?」
「だったらどうする?」
「言ってろ」
ようやくくすりとした笑みが鷹取の唇に浮かんだ。
「ったく……どう聞いてんのか知らねえけど、あいつはオレの」
「大切な人だろ」
「…………!!」
さすがに次の言葉が出てこず、鷹取が絶句した。
「心配しなくても彼は強いよ。君が望みさえすれば、ずっとそばにいてくれる。突然消えたりはしないはずだ」
「……よく言うよ。自分は早々にリタイヤしたくせに」
「それを言われるとどうしようもないなあ」
困ったように聖は肩をすくめる。
「オレの場合は、仕方ないさ。ようやく再会できた時にはすでに手遅れだったんだから」
小さなつぶやきと同時に、聖の心の中に萩で出逢った人魚姫の姿が浮かぶ。
あの時、一目惚れした人魚姫は、次に再会した時にはもう他の男のものになっていた。
いや、きっと最初から姫はあの男のものだった。彼等の間にあるのは、長い長い時をかけて育んできた絆だったのだから。
でも。
もしかしたら。
「オレは、君を応援してるよ」
「……?」
「君はオレとは違う。だからきっと信じてみる価値はある」
そして、見せて欲しい。
過去からの絆じゃなく、新たに出逢った絆であっても、ちゃんと繋がっていけるのだということを。
それを見ることが出来れば、そうすれば。その時はじめて自分は開放される。そんな気がする。
そんなことを本気で願っている自分を、聖は改めて感じていた。

 

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