ファミリア (3)

ガラリと扉を開けて倉庫へ入って来た当麻の目に飛び込んできたのは、唇を重ねている二人の姿だ。
「………!?」
とたん、考えるより先に手が伸びた。
「きさま……!」
振り上げた拳の先は鷹取の顔。鷹取はかばうように征士を脇に押しのけると、そのまま間一髪で当麻の攻撃を避けた。
ギリギリかすめて空を切った拳に鷹取の前髪が揺れる。
「……っと」
なんとか崩しかけたバランスを戻した鷹取に向かって当麻の二発目の拳が飛んできた。今度は最初よりは若干の余裕をもって避けられる。とはいえ、かなりきわどいのは変わらない。
二発目も空振りに終わった当麻は、そのまま右足を踏ん張って勢いを止めると振りかえり征士を見た。
「征士…お前……」
ヒュウッと音がするほど大きく息を吸い込み、当麻が声を張り上げた。
「征士!」
「…………!」
当麻の声に初めて反応を返し、征士がようやく当麻のほうへ目を向ける。
「……何やってんだ。お前」
「…………」
征士は答えない。
「征士!!」
「…………」
「そっちのてめえは、何か言うことはないのか」
いくら待っても、征士が声を発することはなさそうだと諦めて、当麻は今度は矛先を鷹取に向けた。鷹取は不思議なほどの無表情のまま、すっと当麻から視線をそらせた。
「別に、何もないが」
「言い訳もしないってことか」
「お前にしなくちゃならん言い訳などない」
「じゃあ、オレじゃなく秀にだったらどうだ」
「太陽に? あいつに言うことなんかもっとない」
「てめえ……!」
カッとなってまた繰り出された当麻の拳は、思ったとおり鷹取に軽くスルーされてしまう。
「来たのがオレでよかったと思え。もし秀に見つかってたらあんた今頃ボコボコにされてるぞ」
「別におとなしく殴られてやる気はない」
ようやくわずかに鷹取の唇の端に不敵な笑みが浮かんだ。
「確かに少々ズルいやりかただったことは認める。でも、お前にだけは言われたくないな」
「…………」
「それに……」
と、そこで一瞬だけ鷹取は次の言葉を出すのを躊躇した。
「どうせ、これで最後だ。それくらい見逃せ」
「……!?」
初めて征士が反応を見せた。
「先輩…それはどういう……」
征士の問いかけに鷹取は答えない。
「先輩!」
「もういい。いくぞ、征」
抵抗する征士の腕を掴み、当麻はそのまま倉庫を飛び出した。
足音も荒く駆け去っていく二人を、その姿が見えなくなるまで結局、鷹取は後を追うことも止めようとすることもしなかった。

 

――――――「ったく、何考えてんだよ、お前は」
渡り廊下の端まで来て、当麻はそのまま征士の身体を壁に叩きつけてようやく手を放した。
「あんなところで、あんなことする奴じゃなかったろうが。いったいどうしちまったんだ」
「……確かに場所をわきまえなかったことは謝る。あそこが校内であるということを失念していた」
「…………」
征士の返しに当麻はギリッと音がするほど唇を噛みしめた。
「それよりもお前は知っているのか。さきほどの先輩の言った言葉の意味を」
「さっきのって……」
「あれが最後だと……いったいどういうことだ」
「知らねえよ、んなの」
そっぽを向くように顔をそむけた当麻の目にちょうど廊下を通りかかった伸の姿が映る。
「伸……?」
「……!」
征士がハッとして当麻と同じ方向へ目を向けた。
「そうか…伸なら……伸!」
いつもの征士では考えられないような焦った声で名前を呼びながら、征士が伸のほうへ向かって駆け出した。一歩遅れて当麻も後を追う。
「あれ? 征士と…当麻?」
伸が驚いた顔で駆け寄ってきた二人に目を向けた。
「どうしたの、こんな所で。あ、それより征士、どうだった?」
「どう…とは」
「ちゃんと気付いてもらえた? かぼちゃの煮付け」
「…あ、ああ……」
こくりと征士がうなづく。
「そう、よかったじゃない。で、何か言ってくれた?」
「美味しかったと褒めていただいた」
「そっか……よかったね」
「…………」
「……征士?」
褒めてもらえたという嬉しい報告のはずなのに、どうも征士の表情が暗い。何かあったのだろうかと、伸は問いかけるように視線を当麻に向けた。
しかし何故か当麻は居心地悪そうに、伸から目をそらしてしまっている。
「…………?」
仕方がないので、視線を征士へと戻すと、征士はまだ暗い表情を崩さないまま、困ったように伸を見ていた。
「伸……聞いてもいいか?」
「いいよ、なに?」
なんとか口を開いたはいいが、その後の言葉をどう切り出せばいいのか迷っているふうに征士は視線を落とす。
やはりいつもの征士らしくない。
「征士……? どうかしたの?」
「…………」
「征士?」
「先輩は……」
ようやく決意したのか、征士がすっと顔をあげた。そして征士の口から飛び出した鷹取の名前に思わず身構えたのは、伸ではなく当麻のほうだった。
「鷹取が…なに?」
「いや…その……先輩は、卒業後の進路とかどうされるつもりなのか聞いているか?」
「え? 進路?」
予想外の言葉に一瞬伸は呆けたように征士を見た。そしてその視線を再び当麻へと向ける。
一体全体、どういうことなのか。
伸からの無言の問いかけに、とうとう当麻が苦虫をかみつぶしたような表情で口を開いた。
「こいつは、やっこさんが卒業したらこの街を出て行く気なのかってことが知りたいんだとさ」
「……え?」
「伸は、知っているのか?」
「え…と、少しは聞いてるけど……でも、どうしてそういう話に?」
「さっきこいつ、あの野郎にキスされてたんだよ。で、オレが何やってんだって怒鳴ったら、あの野郎、これが最後なんだから見逃せって」
最後。
「最後って……ってか、え? キ…」
一瞬遅れて当麻の言葉を理解したのか、かあっと伸の頬が朱に染まった。
「ちょ……征士、本当に?」
まさか征士がそんなことをするなんて信じられなくて、伸は驚いた目を征士へと向けた。
征士は困ったように口をつぐんだままである。でも即座に否定をしないということは、当麻が言ったことは本当なのだろう。
「驚いた……まさか征士が……」
「だろう。ホント何考えてんだ。あの野郎」
当麻が吐き捨てるように言った。征士がその言葉にピクリと眉をあげる。
「当麻。先ほどから聞き捨てならんぞ。何故お前はそうやって一方的に先輩のほうだけを悪者扱いするような言動をするのだ」
「なんでって……それは……だいたいさっきのあんなの、あの野郎が強引に迫ったから逃げられなかったんだろ?」
「…………」
「あいつだって言ってたぞ。ズルいやり方をしたって。あれはそういう意味だろうが」
「それは……」
征士が困ったように口を閉じる。
「強引に? 迫られたの?」
伸がちらりと征士を見ると、征士はやはりうまく答えられないようで、うつむいたまま、それでも小さく首を横に振った。
「違うって言ってるよ」
「違わねえよ。だいたい相手はこいつの先輩で元主将だ。強引じゃなくたって逆らえるわけないじゃねえか」
「逆らえるよ。もし征士が相手のことを好きじゃないならね」
鋭く言い切った伸の言葉に、さすがに当麻も口をつぐんだ。
「……ねえ、当麻」
「な…なんだよ」
「征士のことをそんなふうに言うってことは、君は僕もそうだって思ってるてこと? 僕が君に応えたのは、君が強引だったからでそれ以上の理由はないって」
「…………」
「君が言ってることは、そういうことだよ」
「…………」
「君が僕のことをそんなふうに思っていたんだとしたら、かなり心外だ。まして相手は征士だ。僕なんかよりもっと流されたりしない」
「…………」
「だよね、征士」
伸に詰問され、征士は多少戸惑いながらも小さくこくりとうなづいた。そして、先ほどの鷹取とのやりとりを思い出したのか、無意識に手を自身の唇に寄せる。
「少なくとも先輩は私に逃げ道を与えてくれた。嫌なら手を払いのけろと。でも……」
「……でも?」
「そんなこと思いつきもしなかった」
「じゃあ、間違いない。やっぱり君は鷹取のことが好きなんだ」
「……伸!!」
当麻が声を荒げかけたが、伸はそれを無視して征士の顔を覗き込んだ。
いつもより幼く見える征士はなんだかとても可愛らしい。
「征士」
「…………」
「君はそのままでいいよ。そのまま自分の気持ちに素直になればいい」
「……素直に…?」
「そう……」
素直になって。
そして。
そして、どうか。
彼を引き留めて欲しい。
ひとりで行ってしまおうとしている彼を自分達の傍に引き留めて欲しい。
伸は祈るような気持ちで、征士の端正な顔を見つめた。

 

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