ファミリア (2)

次の日、伸は放課後帰宅準備中のところを見計らったかのようなタイミングで鷹取の教室に姿を現した。
そして鷹取の目の前で、厳重に封を施された大きな荷物を掲げてみせる。
「……それは?」
「昨夜、おかず作りすぎちゃったので、おすそ分け」
「…………」
いくつものタッパに綺麗にまとめられたおかずたちは、きちんと保冷用の袋に並べて封がされている。しかも量としてはかなり大量の。
どう考えてもこれを“余った”とは言わないだろう。なんといってもあの家には今、食べ盛りの高校生が5人もいるのだ。
思わず鷹取は呆れた視線を伸へと向けた。
「それを信じろと?」
「まあ……突っ返されても困るのは事実だから、おとなしく受け取ってくれると有難いかな?」
以前のように押しかけ家政婦をしないだけマシだろうと言いたげな目で訴えられた鷹取は、ひとつ溜息をつくと諦めて手提げ袋に手を伸ばした。
おせっかいというかなんというか。
決して嬉しくないわけではないのだが、それでもやはりこういうことをされると、それが無くなった時、きっと最初から無い場合より心に堪えるのだ。
「ま、こういうことしてもらえるのもあと少しだろうしな。ありがたくもらっとくよ」
「……!!」
さりげないふうを装って発された鷹取の発言に伸の表情が強ばった。思ったとおりの反応に、鷹取が小さく肩をすくめる。
「どうした。妙な顔して。オレ間違ったこと言ってないよな?」
「それは……」
確かにそうなのだが。
「実際、来年早々でお前もオレもこの学校からもこの街からもいなくなるんだし」
伸は正人と一緒に東京へ。鷹取は警察学校の寮へ。
文字通り、この街からはいなくなる。
「だからって、そういう言い方しないでよ。これじゃあ、まるで……」
「もう会うこともないってふうに聞こえるか?」
「……!」
「オレだってこれが今生の別れだなんてまでは考えちゃいないよ。でも、今までより確実に会う頻度が落ちるのは間違いないだろう。それこそ360分の1くらいにはな」
「……360分の1?」
これは偶然だろうか。
昨日の正人との会話が蘇る。
これではまるで天秤だ。
片方と360倍会えるようになったら、もう片方とは360分の1になる。
どうしていつも片方にしか比重は傾かないのだろう。
「ったく。全然納得してねえって面だな」
「当たり前だろう」
言っていることは分かる。分かるけど、だからって理解などしたくない。
「確かに僕は来年ここを離れるよ。でも休みには何度だって帰って来ようと思ってるし、帰ってくるつもりだ。ここは…この街は僕にとって帰ってくるべき居場所だから」
「そりゃお前さんにはあのでっかい家があるんだから、いつだって帰って来られるさ。でもオレにはそんなものはない」
あまりにもさらりと鷹取はそう言った。
「別にこれは僻んで言ってるんじゃないぞ。事実として言ってるんだ。言っただろう。あのアパートはもう契約解除するんだ。だから、オレには物理的に帰って来られる場所がないんだよ」
「それは……」
言葉を続けられなくて、伸は絶句した。
「そんなの……泊まるところがないなら、うちに…柳生邸に来ればいい」
「お前らの? あの家にか?」
「そうだよ。そうすればいいじゃないか。そのほうが征士も……」
「なんでそこに伊達の名前が出てくるんだ?」
伸の言葉を遮るように鷹取は鋭く言い放った。そのきつい口調に伸が一瞬怯む。
「なんでって……だって…君と征士は……」
「ただの部活の先輩後輩だろ?」
「…………」
今度こそ、次の言葉が繋げられず、伸はおもわず口を開いたまま静止した。
「……それ、本気で言ってる?」
「じゃあ、他にうまい言い方があるとでも言うのか? オレ達を表す名称として」
ずばり切り返されて、伸はまた言葉に詰まってしまった。なんなのだ、これは。
まるでジリジリと追い詰められてでもいっているような感覚だ。
伸は無言で鷹取の顔を見上げた。
以前、鷹取は言った。幼馴染に“ただの”なんてものは存在しないと。
あの時、伸は、自分と正人の関係性を、あの言葉で救われたような気がしたのだ。あの言葉があったおかげで、今の自分達の状況が確立したような気がしたのだ。
確かに、征士と鷹取は、同じ剣道部の先輩と後輩である。
でも、それは“ただの”という言葉で括ってしまっていいものではない、と。少なくとも伸はそう思っている、
でも、そうであれば、ただの先輩後輩と、ただのではない先輩後輩というものが存在するのか。
するのであれば、いったいどこで線を引く。
ただの先輩後輩とそうでない先輩後輩。
征士にとって鷹取はもう、ただの先輩などという言葉では括れない人間になっているはずなのだ。でも、だからといって、ではこの二人にふさわしい名称というものは何だろう。
思いつかない。
幼馴染ではない。
親戚でもない。
もちろん恋人でもない。
友達。親友。
ちょっと違う。
そうなると。
「ほらな。オレとあいつは、単なる先輩後輩なんだよ。それ以上でも以下でもない」
鷹取の言い方に、伸はギリっと唇を噛み締めた。
先輩後輩。
確かに、そう表現するのが一番ふさわしい間柄なのは分かる。分かるけど。
でも。
「そういうこと言ってるんじゃないだろう!」
自分でも驚く程伸は声を張り上げていた。さすがに鷹取も固まったように目を見開いている。
「そうじゃなくて……」
「……お前はオレ達にどうなってほしいんだよ」
ついに鷹取が呆れたような声を出した。
「…………」
「なあ、毛利」
「それが分かれば苦労はしないよ」
俯き、鷹取と視線を合わせないまま、伸はまだ手に持ったままだった手提げ袋を鷹取の胸に押し付けるようにして手渡した。
「じゃあせめて、食べ終わったら、これは僕じゃなく征士に返しに行って」
「伊達に? それに何の意味があるんだ?」
「いいから」
捨て台詞のようにそう言い放つと、伸は珍しく相手の返事を待たないままに教室を飛び出していった。

 

――――――「と、お前らの姫に言われたんで、お前に返すぞ」
翌日の放課後、鷹取は終了間際の剣道部に顔を出すと、征士を呼び出し、いつもの倉庫まで連れてきた。
場所をこの倉庫にしたのは、わざわざ下級生の教室に出向くのも、剣道部の後輩連中の視線にさらされながら返すのもはばかられた為の苦肉の策である。
「伸が、そんなことを言ったのですか?」
朝、登校してここに隠しておいたのであろうか。簡単に整頓されたマットやボール籠の脇から鷹取が取り出した空のタッパの入った大きめの手提げ袋を不思議そうな表情をしながらも征士は素直に受け取った。そして、伺うように目をあげる。
「で、どうでした?」
「どうって…何が」
「いえ……その…味はどうだったかと、思いまして」
「味? そんなの、あいつが作ったものが不味いわけないだろうが」
「あ……ああ、ええ、そうなんですが。いちおう……」
「……?」
どうもいつもの征士にしては歯切れが悪い。うつむき加減の端正なその顔も、わざと鷹取から目をそらしているように見える。
いったいなんだ。
「…………」
もしかして。
鷹取は心の中でポンと手を打った。
「そうだな。どれも美味かったが、俺はかぼちゃの煮つけが一番気に入ったかな」
「本当ですか? 不味くはなかったですか?」
「美味しかったよ」
わずかに征士の表情が明るくなった。鷹取はそれを見て、自分の考えが合っていたことを確信する。
昨日、伸にもらったおかず達は、どれもおなじくらい美味しく統一された味付けだったのだが、あえていうなら唯一かぼちゃだけが微妙に何か違う気がしたのだ。
決して不味いというわけではないが、一言でいうとこなれていない。
切り口ひとつにしても、なんだかとてもとても丁寧にゆっくりと時間をかけて切ったような。
いわゆる、先生ではなく先生に付いてもらって生徒が作ったかのような印象と言えばいいだろうか。
ということは。
それの意味するところはひとつ。
「かぼちゃって案外難しいんだって? 煮方が足りないと皮が硬いままだし、煮すぎると煮崩れるし、火加減とかも見ながらずっとついてなきゃいけないし」
「そうなんです。伸にもそこを注意するように言われて……」
「やっぱあれ、お前さんが作ったんだ」
「……!」
かける必要もないかまをかけてみると、思った通り征士は真っ赤になった状態で絶句した。
本当に、征士は変わった。陶器のようにいつも変化のない表情だったのに、それがこんなにまで豊かに変わるようになった。
いや、もしかしたら、変わったのは征士ではなく、鷹取のほうの目なのかもしれないが。
最初のころは読めなかった微妙な表情の変化。それを見逃したくなくて、ずっと見ていた。
気が付くと、ずっとずっと。目で追っていた。
まるで恋に落ちたかのように。
恋。
しているのだろう。恐らく。いや、確実に。
「……ったく。まんまと罠にはまった気分だ」
「え?」
征士が何のことかと顔をあげた瞬間、ふわりと鷹取の腕が征士の背に回された。そして、そのままギュッと抱きしめる。
離れたくない、と思う。
離したくない、と思う。
卒業したらもう会うことのない、ただの先輩後輩では物足りない。
理由もなく、会える立場になりたい。
用事があったから。
借りてたものを返すから。
そんな理由じゃなく、ただ、会いたいから会いに来る。
そんな間柄になりたい。
だが、そうなるには自分達はどうすればいいのだろう。
どうなればいいのだろう。
ただの先輩後輩ではない何か。
それは、どのような名称で呼ばれるべきものなのだろう。
わかってる。高望みだ。そんなことは考えても詮無いことなのだ。
「先輩? どうかされたのですか……?」
征士が戸惑った視線を向ける。
鷹取は微かな笑みを浮かべ征士の頬に手を添えた。
「嫌だったらオレの手を払いのけていい。でももし嫌じゃないんだったら、ほんの少しでいいから応えてくれ」
「え……?」
ゆっくりと鷹取の顔が征士に近づいていく。ゆっくりゆっくり。まるで焦らすように。
でも、そのスピードは、まさに征士に抵抗する余裕を与えようとしてのことなのだ。
いつでも逃げられる。
いつでもその手を払いのけて。
ほんの少し、その身体を押しのけさえすれば、鷹取の動きは止まる。
そしてもう、手を伸ばしてはこない。
追いかけてはこない。
「…………」
征士は逃げない代わりに静かに目をつぶった。

 

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