ファミリア (1)

秋の紅葉も終わり、風に木枯らしの冷たさが混じる季節になると、高校三年生のもっぱらの会話は進路のことに終始する。
伸もその例外ではなかったらしく、最近は気が付くと、友人たちと進路の話をすることが多くなった。
「じゃあ、崎谷は大学には進まないってこと?」
今日も放課後、教室に居残っていた伸は、真剣な顔でクラスメートの崎谷の相談に乗っているところである。
「そうそう。色々悩んだんだけどさ。映像作家目指すなら、そっち系の専門学校に行ったほうが早道って気がしないか?」
「それは、そうだろうけど……でも、そのこと、ご両親は納得してるの?」
伸の問いかけに大きくうなづきながら崎谷は微妙に眉を寄せた。
「それについては現在、徐々に懐柔中」
少々困ったように崎谷は頭を掻いた。
崎谷がゆくゆくは映像関係に進みたいというのは伸も以前から知っていたが、先日、例の人魚姫が、見事コンクールで映像美術賞を受賞したことで、どうやらはっきりと目標が定まったようだった。
大賞や優秀賞を逃したことは残念であったが、それでも海の中での映像の美しさをきちんと評価してもらえたことは、崎谷にとって何よりも嬉しかったらしく、また、そのおかげでかなりの自信を得ることが出来たようだ。
本気で映像系の仕事につきたいなら、安全パイを取ってとりあえずどこかの大学へ行くよりは、思いきって直接専門学校へ飛び込んでみたい。そう考えるほどには目標とするところがはっきりとしたのだろう。
「ほかの映研のみんなは、どうするの?」
「色々だなあ。CGに目覚めてコンピューター系に進みたいって言ってる奴もいるし、テレビ局に勤めたいとか言ってる奴もいる。あ、まどかは劇団の養成所に行くって言ってたぞ」
「養成所? 本格的に女優を目指すんだ」
「そういうこと」
まどかの演じた人魚姫の儚げな美しさは審査員にも好評だったと聞く。
「じゃあ、いつか海野さん主演の映画を崎谷が撮るなんて願いが叶うかもしれないんだね」
「おうよ。それが目標だからな。オレ達の」
おおっぴらに公表はしていないものの、いつの間にか崎谷もまどかとの仲を隠すようなことをしなくなっていた。
恋人関係にまで進展しているのかは、まだ微妙な感じではあったが、それでも幼馴染から始まった彼らの付き合いは、これからもずっと続いていくのだろう。この先もずっと。
ほんの少し羨ましそうに伸は目を細めた。
幼馴染。
そういえば、自分達はどうなのだろう。
自分は、それこそもう間もなく家を出て、幼馴染である正人と二人での生活を始めるのだ。
長い間離れていた幼馴染と、再び同じ時間を共有するようになり、逆に柳生邸に残る彼らとは距離が離れてしまう。まあ、だからといって彼らとの絆が切れるということはあり得ないだろうが。
ただ、それでも少しずつ何かは変わっていくのかもしれない。
彼らだけではない、聖や鷹取との関係はどうなっていくのだろう。
距離が離れれば会う機会は減るのだろうか。
「そういえば、毛利はどうするんだっけ?」
そんな伸の思考に沿うかのように、いきなり崎谷がそう聞いてきた。
「ぼ…僕?」
必要以上に焦った口調で、伸は戸惑ったように視線をそらせる。
考えていたことを読まれたわけではないことは承知しているが、それでも一瞬ドキリとしてしまう。
「なんか面白そうな話題してるな。オレも混ぜろよ」
その時、ガラリと扉を開けて鷹取が教室へ顔を覗かせた。そしてそのまま当然のように二人のそばに椅子を引き寄せて腰掛けると、伸のほうへと目を向け、口を開く。
「で、毛利は東京の大学に進むんだよな」
「あ……うん。そう」
鷹取の言葉に同意して伸がうなづくと、崎谷は意外そうに首をかしげてみせた。
「東京なんだ。オレ、てっきりお前は聖さんの行ってる大学目指してんのかと思ってた」
「それは……」
考えなかったわけではなかった。
偶然とはいえ、伸は三年前、萩にいた頃であれば聖の通っていた高校を目指していたのだし。
「それも悩んだんだけどね。でも希望学科があるところを探してたら、やっぱり東京に出たほうがいいのかなあと」
「希望学科って?」
「うん」
少しはにかんだような笑みを見せ、伸は小さく肩をすくめた。
「聖さんには話してるんだけど、出来れば将来養護教員になりたいなあって思ってて」
「養護って…保健室の先生?」
「そう」
「うわーめっちゃ似合いそう」
伸の答えを聞いて崎谷が満面の笑みを浮かべた。そしてそれがふっと戸惑ったような表情に変わる。
「あれ? てことは伊達達と住んでるあの家、出るんだ。もしかして初めての一人暮らし?」
そう崎谷が問いかけると、鷹取は待ってましたとばかりににやりと唇の端をあげた。
「いんにゃ。家は出るけど、一人じゃないよな。彼氏と同棲だから」
「タカ!!」
反応すればするほど面白がられるのだということは理解していたが、それでもたまらず伸は大声を上げて鷹取の言葉を遮った。
そしてどうすればこの男の口を閉じさせることが出来るのだろうと、必死で睨みつける。
「何度も言ってるけど、同棲じゃなくてシェア。でなきゃせめて同居って言ってよ」
「はいはい」
どっちの言い方でもたいして変わらないだろうに、と小さな声で続けながら、鷹取はわざとらしく肩をすくめてみせた。まったく反省する気はないらしい。
「ったく…人のことグダグダ言う前に、君はどうなんだよ」
「……オレ?」
なんとか反撃する隙はないものかと思い、伸が矛先を向けると、鷹取は自分の鼻を自分で指差し、僅かに苦笑した。
そして、一瞬だけ迷うように視線を動かしたあと、軽く息を吐く。
「オレも、卒業したらこの街を出て行くよ。警察学校に入るんだ」
「……え?」
「警察…学校?」
「そ。オレ、警察官になるんだ」
とんでもなく軽い、でも驚く程はっきりとした口調で、鷹取はそう宣言した。
「警察官かあ……それって相棒みたいな刑事になりたいってこと?」
「違う違う」
崎谷の問いかけに鷹取は大げさに首を振った。
「刑事じゃなくって警官。駐在所のおまわりさんか、でなきゃ機動隊とかSPのほうがイメージ近い」
「おお、頭じゃなく身体で考える方か」
崎谷が感心したようにそうつぶやいたその隣で、伸は、不安そうな、心配気な視線を鷹取に向けた。
「警察学校って……確か全寮制じゃなかったっけ?」
「そうだけど。よく知ってるな」
気にしていなければ、あまり広くは知られていない情報ではないだろうか。
そう思い、鷹取は不思議そうに伸の顔を覗き込んだ。
「もしかして調べたりした?」
「そうじゃないけど……以前見たドラマで、そんなのがあった気がして」
そう答えると、伸はその時の知識を総動員したのか、警察学校の寮はどこも規律が厳しく、最初のころは休みもなく、帰省もあまり出来ないのではなかったかと続けた。
「それはそのとおりだけど、別に問題ないだろ。だいたいオレ、帰省も何も実家ないし」
「……ってことは」
崎谷が微妙に首をかしげた。
「今、お前一人暮らしだよな」
「そ、だから今住んでるアパートは解約するつもりなんだ」
「荷物は?」
「持っていけるものは寮に持っていくし、他は捨てるんじゃないかな? つってもそんな荷物持ちじゃねえし」
そういうことか。
実家から通っている者や、そうでなくても地方に家族が住んでいる者であればともかく、鷹取は文字通り天涯孤独な身の上なのだ。
予想はついたが、いざはっきりそう言われてしまうと、受ける衝撃は半端なかったのか、鷹取を見る伸と崎谷の表情が完全に曇った。
「こっちにはもう戻って来ない気なのか?」
「そりゃ遊びにくらいは来るだろうけど、家も何もないんだし。戻ってのんびりなんてことはないな」
「正月とか、夏休みとか……」
「寮に残れるなら居残り組だろう。わざわざこっちに来てホテルで正月迎えるなんて逆にぞっとするだろ」
あっさりと鷹取はそう告げた。
考えてみれば確かにそうとしかやりようはないのだろう。
険悪というわけでもないだろうが、鷹取と親戚の絆はあまり深くはない。両親が亡くなってからしばらくは世話になっていたのに、高校に進学したとたん一人暮らしを始めたことからもそれは容易に想像できることだった。
「…………」
伸が何か言おうとして口を開きかけたが、結局何も言わないまま閉じる。
鷹取はちらりとそんな伸に目を向け、ほんの一瞬だけ目を細めた。
伸が言いたいことはなんとなく分かる。
分かるけど、どうしようもない。
どうすることも出来ない。
「ということでお前らともあとちょっとの付き合いだ。達者で暮らせよ」
「いやいやいや、永遠の別れみたいな言い方すんなよ」
崎谷がなんとかおどけて冗談にしようとするが、うまくいかない。
鷹取はにやりと唇の端をあげ、そのまま教室を出て行った。
なんだか取り残されたような気分になり、伸と崎谷は思わずお互い顔を見合わせた。

 

――――――「じゃ、次に会うのは年末ってことだね」
両手で包み込むように受話器を持ち、伸は嬉しそうにつぶやいた。通話先は海外。相手はもちろん正人である。
「そ、一足先に帰ってるから、お前も今年は早めに帰省しろよ」
「了解」
この年末に正人は長い留学生活を終え日本に戻ってくる。そして、伸と共に東京の大学を受験するのだ。
今後の予定としては、正月に地元の萩で合流し、そのまま年が明けたら一緒に小田原に来て柳生邸での生活をしばらく続け、一月のセンター試験を受けた後、無事志望校に受かれば春に東京へと向かう。
そして。
「それからは、ずっと一緒なんだ」
遥か以前、二人でした約束。
いつか。
いつか。争いのない平和な地で、お前と二人、暮らす夢。
遥かな夢。遠い夢。
「なんかそう考えたらすげえな。オレ達。今までの360倍一緒にいられるんだぜ」
「360倍? 何それ」
正人の言い方が面白かったのか、伸は目を丸くして小首をかしげた。
「だってそうじゃねえか。今まではそれこそ一年のうち一日会えたらいいってな程度だったのが、これからは毎日顔合わせて暮らせるんだ」
それが、つまり360倍。
「確かに……」
一年に一度。それこそ七夕の織姫と彦星のような頻度だったものが、これからはその360倍。毎日出逢う。
文法的には“出逢う”というのは正しくないのだろうが、ついそう表現してしまいたくなる。
「そう考えると楽しいね」
「だろ?」
「……だね」
「お前ら、いつまで電話してんだよ」
なんとか自制していたのだろう当麻が、とうとうしびれを切らしたのか伸の手から電話を取り上げ、口をとがらせた。
そしてそのまま受話器に向かって話しだす。
「おい、正人。だいたい国際電話は高いんだぞ。用事があるならメールで寄越せ。そのほうが安上がりだろうが」
「ふざけるな。そっちのパソコンはお前が管理してんだろう。送ったメールを最初にお前に読まれるなんて願い下げ」
「ってことは何か? オレに読まれたらまずい内容を送る気なのか?」
「それはご想像にお任せしますな」
当麻の表情がどんどん険しくなる。
伸は慌てて奪い取るように当麻から受話器をひったくると、そのまま正人に向かって簡単な挨拶を告げ、通話を終えた。そして、半分は呆れて、半分は拗ねたような表情で軽く当麻を睨み付ける。
「……ったく。子供じゃないんだから。いちいちそうやって噛み付かないでくれる?」
「やーい、ガキ。怒られてやんの」
ずっと会話を聞いていたのか、居間のほうから面白がって秀が顔を出した。
見ると、秀の後ろには征士と、そして遼までがそろっているようだ。
遼の表情は秀と同様に、面白がっているような呆れているような、そんな表情である。
当麻は軽く舌打ちをして、遼に目を向けた。
「悪かったな。ガキで。ってかお前はどうなんだよ」
「……オレ?」
「お前だって、何かしら思うところはあるだろうが。何もないってのは嘘だよな」
怒ったように言い放った当麻につられるように伸もふと遼に目を向けた。
そういえば。
家を出ること。正人と一緒に暮らすこと。そういった話をした時、遼もいたはずなのに、不思議とその時の遼の反応を思い出せない。
もちろん反対はしていなかった。当麻のように分かりやすい反応もなかった。でも、だからといって何も思っていないということは有りえないだろう。
「お前だって寂しいとか、悔しいとか、あるだろう」
「寂しいとは思うけど、悔しくはないぜ。少なくとも正人が一緒だってことでどっちかっていうと安心したし」
「…………」
当麻の眉が不満気に寄せられる。
「オレだって出来れば伸にはずっとこの家に居てほしいよ。でもそれは無理なんだし。だったら、伸一人で出て行かれるより、正人と一緒だってほうが、ずっといい」
「……ずっと……いいのか?」
「ああ……だって、そのほうが伸だって寂しくないだろうし、こっちだって伸に何かあった時、そばに正人がいてくれるって思ったほうが単純に安心出来るし、なによりこれでようやく約束が果たせるんだから……」
「約束って?」
「あ……なんでもない」
遼が慌てて誤魔化すように頭を振る。
伸の視線がふっと和らいだ。
ああ、そういうことか。
なんとなく分かったような気がした。
当麻と違い、遼が伸と正人の仲を勘ぐらないのは、遼もまた“烈火”だからなのだ。
遥か昔。烈火と水凪が交わした約束は、遼の中にも確かに存在している。
存在しているのだ。
「これは一本取られたな。当麻。お前の負けだ。遼のほうがずっと大人じゃねえか」
秀が楽しそうに宣言した。さすがの当麻も言い返したりはしない。
「だが……それでも卒業というのは、寂しいものだな」
秀の言葉にうなづきつつ、それでも思わずという感じで征士がぽつりとつぶやいた。
伸の目が征士へと向けられる。
今、征士の心に浮かんでいる者。卒業していくというその対象者。
恐らくそれは伸ではない。
そうだった。
彼は伸とは違い。一人で行ってしまうのだ。
この街を出て。
何一つ残さず。
すべて捨てて。
彼は本当に行ってしまう気なのだろうか。
伸と目が合うと、征士はほんの少し寂しげに笑みを浮かべた。

 

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