夢の跡地 (6)

「隠し事は……なしか。その言葉に二言はないな。レオリオ」
「…………!?」
そう言って探るような視線を向けたクラピカの一言で、再びオレの心臓は凍り付いた。
「それはお互いに……ということだと考えていいんだろうな」
「お……互い…に……?」
クラピカが頷いた。
まさか。
というより、やっぱり。
覚えてたのか?
「ごめんなさい。すいません。二度としません!」
考えるより先に言葉が口をついて出ていた。
オレはほとんど土下座するような勢いで頭を床にこすりつける。
「……レオリオ?」
「弱ってるところにつけ込むなんて、オレは最低の野郎ですっっ!」
「ちょっと待て。レオリオ、お前、何を言ってるんだ?」
「…………へ?」
思わず顔をあげると、クラピカがキョトンとした顔をしてオレを見おろしていた。
あれ?
もしかして、昨夜のことじゃない?
「……覚えて……ない?」
「何をだ?」
不思議そうな表情でクラピカはまだ土下座状態にあったオレの顔を覗き込んでいる。
「レオリオ? お前、さっきから少しおかしいぞ?」
「え……いや……その……」
オレは拍子抜けして、安心して、気が抜けて、哀しくて、ガックリと肩を落とした。
「……なんだ……」
「まったく。何を言っているのか知らないが、別に私はお前が私に隠し事をしているなどと思ったわけではない。ただ……」
「ただ?」
「あ……いや……その」
何故かクラピカの頬がうっすらと赤くなった。
「さっきお前、言っただろう。その……わ……私のことを……好……」
「好きだぜ」
ボッと音がするくらい今度は完全にクラピカの頬が朱に染まった。
こうしてみると、やっぱこいつって可愛いのかもしれない。
普段のすました顔とのギャップが激しいと、そういうふうに思えるんだな。
「い……いつから……だ?」
まだ頬を染めた状態のままクラピカが聞いてきた。
オレは腕組みをして考える。
「いつ? うーん。そうだな。やっぱり、港街でお前を見かけた時から、かな?」
「は?」
クラピカの目が点になる。
「……み…港街? それは、試験会場に向かう船に乗る前の?」
「ああ。お前と初めての決闘をしたあの船に乗った港。まあ、いわゆる一目惚れってやつだけど」
「ちょ……ちょっと待て。レオリオ。お前、私が女だと気付いたのは試験の最中だと言っていたではないか。つまり初めて会った時は男だと思っていたのではないのか?」
「ああ、そうだぜ」
「…………」
「だからあん時はホント困った。趣旨替えしたつもりなんかなかったのに、オレ、どうしちまったんだろうって思ってさ。マジでどっか悪いんじゃねえかと心配した」
「……お前という奴は……」
呆れたようにそう呟き、ついにクラピカは吹き出して笑い出した。
「お前はバカか?」
人のことをバカ呼ばわりしながらもクラピカは笑い続ける。
なんだか久しぶりにクラピカの笑顔を見たような気がして、オレは腹を立てることを忘れていた。
なのに。
「クラピカ……?」
クラピカの笑い声に違うものが混じりだし、オレは慌ててクラピカの肩を掴み、顔を覗き込んだ。
「クラピカ? お前、いったい……」
いつの間にかクラピカが泣いていた。
笑い声は嗚咽に変わり、クラピカの瞳からは涙の雫がこぼれ落ちている。
「ど……どうしたんだよ」
「なん……でも…な」
「なくないだろうがっ! なんで泣くんだよ」
「…………」
こいつは滅多なことでは泣いたりしない。
それこそ、ハンター試験の最中だって、オレは一度もこいつの泣き顔なんか見なかったのに。
それなのに。いったいどうしちまったってんだよ。
「レオリオ」
ようやく波が治まったのか、クラピカの肩の震えが止まった。
「私は、明日ここを発つ」
「え? あ、ああ……」
出ていく前にセンリツと話していたとおり、オレもクラピカがそう言い出すだろう事は覚悟していたから、その言葉自体には驚いたりはしなかった。
「ま、まあ、お前が行くってんなら止めはしねえが。あんま無理すんなよ」
「分かっている」
そう言いながら、クラピカは肩に添えられたままになっていたオレの腕を引きはがした。
「だから、明日でさよならだ。レオリオ」
「……え?」
「私はもうお前に会うつもりはない」
「…………」
「お別れだ」
頭の中が真っ白になった。
何を言い出すんだ。こいつは。
そんな涼しげな顔で、いったい何て事を言い出すんだ。
「どういうことだ。クラピカ」
「お前は私の秘密に気付いた。これ以上一緒にいるわけにはいかない」
「なんだそれは。オレがお前のことを誰かに話すとでも思ってるってのか?」
「そうじゃない」
「じゃあ、何なんだよ!!」
「危険なんだ! 私といると!!」
悲鳴のような叫びだった。
その迫力に気圧されて、オレは思わず黙り込む。
「ただでさえ、お前の面は蜘蛛のメンバーに割れてしまっている。私と近しいことが分かったら、真っ先に狙われるのはお前なんだぞ。それを自覚しろ」
「…………」
「今ならまだ間に合う」
なんだそれは。
なんだそれは。
なんなんだ。それは。
「納得できねえ」
「納得しろ」
「出来ねえっつってんだろ!」
ビクリとクラピカの肩が震えた。そして、すがるような視線が向けられる。
「頼む。レオリオ」
オレは答えなかった。
こんな理不尽なことあるわけねえ。
ずっと好きだった奴にやっと告白して。その日のうちにもう会わないだと。
あっさり振られた方がまだマシだ。
オレが睨み付けるような視線を向けたまま何も言おうとしないので、とうとうクラピカが諦めたようなため息をついた。
肩を落としたクラピカは随分と小さく、華奢に見える。
「……夢をみた」
ポツリとクラピカが呟くように言った。
「この二日間のあいだ。私はずっと夢を見ていた」
「…………」
「いつも見ている同胞の夢。一族が殺される場面」
緋色の海の夢。
「名前も思い出せない幼馴染みも出てきた。それから……キルアも」
キルア?
なんでここで奴の名前が出る。
「私は以前、キルアに聞いたことがある。人を殺すとき、どんな気持ちなのか、と」
「…………」
「今思うと本当に酷い質問だ」
「…………」
オレは無言のまま視線を床に落とした。
「……闇を……見たことがあるか? レオリオ」
「…………」
「私がこれから歩いてゆくのは闇の中だ。私はもう、手足どころか頭の先まで闇に飲まれてしまっている。お前はもう、これ以上私に付き合って闇に落ちる必要はないと言ってるんだ」
「何だよ。闇ってのは。んな抽象的な言葉で誤魔化しても説得なんかされてやらねえぞ」
オレの精一杯の反撃にクラピカは疲れたような息を吐いた。
「お前も知っているだろう。私はもう人殺しなんだ」
キリ……っと、心が軋んだ。
「そして、蜘蛛が生きている限り、私は、これからも人殺しであり続けなくてはならない」
だから、私ももう手遅れなのだよ。
最後のその言葉は、恐らくオレじゃなくキルアに向けていった言葉だったんだろう。
消え入るような声でクラピカはそう締めくくった。
人の命を奪ったことのある者と、そうでない者。
つまり、キルアとクラピカは同じ側に立ってて、オレはそこにはいない。
闇の中。
そう言えばキルアも同じようなことを言ってたような気がする。
「……あいつ。キルアの奴。ずっとお前のそばに寄ろうとしなかったんだ。オレがお前を抱えて此処に連れてきた時も手を貸そうとしなかったし、この部屋にも一度も足を踏み入れてない。それって、つまり……そういうことだったのかよ?」
「…………」
なんだろう。
無性に腹が立った。
「やっぱ無理だ。納得できねえ」
「レオリオ」
「オレより、あんなガキの方がお前の側にいるなんてオレのプライドが許せねえんだよ!」
言いながらオレは無理矢理クラピカの腕を掴み引き寄せると、その華奢な身体を力一杯抱きしめた。
「……!?」
クラピカが必死で腕を突っ張ってオレの身体を引き離そうとする。
ったく、病み上がりの体力でオレに敵うとでも思ってんのか。
オレはますますクラピカを抱きしめる腕に力を込めた。
「止め……レオリオ。離せ」
「嫌だ」
「レオリオ……!」
「前にも言ったろう。絶対離さねえって」
「……レオリオ。何度言えば分かるんだ。お前はこちら側に来てはいけない」
「行かねえよ。そっちになんか」
クラピカの身体がオレの腕の中で硬直する。
「オレはそっちには行かねえ。代わりにお前を。お前達をこちら側へ引きずり込んでやる」
「…………」
クラピカが息を呑んでオレを見あげた。
「お前もキルアも、二人ともだ。ちゃんとこっち側へ引っ張ってやるから。まあ、キルアのことはゴンに任せときゃ安心だから、オレはお前担当な」
そう言ってニヤリと笑ってやると、ようやくクラピカの身体から力が抜けていった。
「だから安心してお前はオレに引っ張られろ」
「…………」
「オレのことは心配すんな。無理矢理縁切ろうとなんかしやがったら、地獄の底まで追いかけてやるから」
「レオリオ……」
呆れているのか、単に諦めたのか、クラピカが微かに笑った。
「……まったく……お前と言う奴は……」
クラピカの頭が、トンっとオレの肩口にもたれかかって来る。心地良い重み。
昨夜のクラピカの頭の重みと同じ。
腕に伝わる温もりも、抱きしめている華奢な身体も。
昨夜と同じだ。
「……そういえば、他にも夢を見た」
思いついたようにクラピカが呟いた。
一瞬心臓がギクリと竦む。
さっきまでと違い、クラピカは少し探るように視線を宙に向け、思案顔をしていた。
「……レオリオ。お前が出てきた……ような……」
そう言って、クラピカは自分の唇にそっと指を這わせた。
「確か……水を……」
「…………」
「水を……飲ませてくれて……そして……」
「それは夢じゃねえぜ」
「…………」
ほんの少し驚いた顔をしてクラピカがオレを見つめた。
「夢じゃ……ない?」
「ああ」
「では……あれは……」
少しずつ、クラピカの頬が赤く染まっていく。
瞳は碧い空の色。昨夜と同じ。
大丈夫。
オレはそっとクラピカの金糸の髪を撫で、そのままその細い顎に手をかける。
「クラピカ」
「…………」
「……夢の続きをしてもいいか?」
クラピカが答えるよりも先に、オレはそっとその唇を塞いだ。
昨夜よりもっと甘い香りがした。

 

FIN.  

2013.02.16 脱稿

 

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