夢の跡地 (4)

…………天に還り 地に宿り 我の身体は地を逃れて我の魂は空に舞いたつ
この日の光と月の光を一身に浴び、緑の恵みが我が身を潤す
この地を渡る風に我が身を委ね 今此処にいる奇跡をクルタの祖に感謝する
何時如何なる時も心健やかに 全ての同胞と喜びと悲しみを分かち合い
このクルタの民を永遠に讃えよう そして我の紅き一対の瞳とその命を
我の犯せし罪とともにクルタの血の最後の一滴となりて
我の悲願の成就のその時まで長らえんことを…………

クルタの祈りの言葉がこだまする。
あいつを。
ウボォーを倒してからずっと。
ずっとずっとずっと。
ずっとずっとずっと。
永遠に。
永遠に頭の中に響き続けている祈り。
もう、それは救いでも何でもない。
クルタの祈りは私を救ってくれない。

 

相変わらず心臓の鼓動は治まらない。
クラピカの頭の下で、腕が心地良い痺れを伝えてくる。
寄り添うように向き合って、クラピカは眠っている。
さっきよりクラピカの表情が楽になったように見えるのは、オレの気のせい……じゃないと信じたいんだけど。どうなんだろう。
空いている方の手でクラピカの額に触れてみる。
相変わらず熱は高い。なのに不思議と汗はかいていなかった。
熱が下がる前兆だろうか。だったらいいんだが。
「……ぅ……」
クラピカの口から微かな声が洩れた。
「クラピカ?」
慌ててクラピカの顔を覗き込む。
一瞬意識が戻りかけたのかと思ったが、そうではないようだ。
ただ、やはり熱の所為で苦しいのか、無意識にクラピカの手が自分の喉をさすっていた。
もしかして、これは苦しいというより、喉が渇いたという意思表示じゃないのか?
ということは。
これだけ高熱が続いているんだ。脱水症状を起こしかけてる可能性もある。
オレはもう一度クラピカの額に手を当てた。
いや、違う。
可能性どころの騒ぎじゃない。この症状は間違いなく脱水症状だ。
さっきまでかいていた汗が引いている。
これは、身体の中の水分が不足している証拠じゃねえか。くそっ。もっと早くに気付くべきだった。
オレは、そっとクラピカの首の下から腕を抜き去り、静かに起きあがった。
とりあえず、水を飲ませなくては。
出来ればミネラルが豊富にあるスポーツ飲料がいいんだが。
オレは手近に置いてあったミネラルウォーターの瓶を引き寄せた。
これなら大丈夫。
と、そこでオレの動きが止まった。
どうしよう。
クラピカは相変わらず意識不明の状態だ。無理矢理起こして水を飲ませるなんて出来るんだろうか。
とりあえず試しにクラピカの口元に瓶の口を寄せてみる。
これでうまく飲んでくれればもうけもの。
「って、やっぱ無理か……」
流し込んだ水は、ほとんど喉をとおらないまま、唇の端を伝って流れ落ちていった。
……って。やっぱあれっきゃないよな。
本当はどうするのが一番いいか分かってたくせに、オレは何を迷ってる。
何を尻込みしている。
オレは自分に気合いを入れるように両手で自分の頬を叩いた。
おし。
オレは意を決して手に持った瓶の中の水を口に含み、そのままそっとクラピカの頭を持ち上げた。
少し首をそらせ気味にして固定すると、僅かに唇が開く。
間近で見たクラピカの唇は、淡いピンク色だ。
そして、オレの腕の中でその唇が微かな吐息を吐き出した。
「…………!!」
ゴクリとクラピカではなく、オレの喉をさっき含んだ水が通りすぎていった。
「やべ。自分で飲んじまった」
何やってんだオレは。
慌ててもう一回水を口に含む。
心臓の音が壁に反射して跳ね返ってきているのかと思うくらいに大きく聞こえた。
ええい。くそったれ。静まれよ。オレの心臓。
だいたいこんなの医療実習でやった人工呼吸と同じじゃねえか。
心肺停止状態の患者に心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。
って、あれは人形だったからなあ。
人形と人間だと、やっぱり感覚が違うからさ。仕方ねえって。
「…………」
そうじゃない。
そうじゃないだろう。
人間だから、じゃねえよ。クラピカだから、だろうが。
今、オレの腕の中にいるのがクラピカだから、オレは。
オレは。
こんなにも。
「……ぅ……」
クラピカが苦しげな息を洩らす。
口唇が乾燥して、上手く空気が通らないんだろう。何かに引っかかったような耳障りな音がした。
迷ってる場合じゃない。
こんなことで尻込みするなんて馬鹿げてる。
オレはギュッと目をつぶってクラピカの唇に自分の唇を重ねると、口に含んだ水を流し込んだ。
コクリとクラピカの喉が鳴る。
こぼれ落ちた水は僅か。ほとんど全部の水がクラピカの喉を通って身体の中へ吸い込まれていった。
「……良かった」
ほっと安心し、オレは再び口に水を含んで、口移しでクラピカへと渡す。
冷たい水が、オレの口からクラピカの中へと流れ込む。
触れた唇は思った通り柔らかくて。
最後の一滴まで流し込んでからそっと唇を離すと、少しだけクラピカが身じろぎをした。
なんだか名残惜しい。
「……み……ず……」
ほとんど聞き取れないほど微かな声でクラピカが呟いた。
「……もう少し、飲みたいのか?」
そっと尋ねてみると、クラピカが小さく頷いた。
まだ意識は朦朧としているみたいだが、水が欲しいということだけは間違いないようだ。
「分かった」
オレはもう一回、さっきより多めに水を口に含んだ。
そして、クラピカの顎に手をかけ、同じように口移しで水を流し込む。
一気にやるとむせちまうかもしれないんで、舌でコントロールしながら少しずつ。
口に含んだ時は冷たかった水が、オレとクラピカの体温が混ざり合い温くなっていく。
最初に比べ、触れあった唇がなんだか意識的に吸い付いて来るように思えるのは、気のせいか。
それともオレの願望なのか。
ただ、離れたくないと思った。
もう少し、このまま。このままでいたい。
その時。
あと少しで口に含んだ水が無くなると思ったその時、オレの舌がクラピカの舌の先に触れた。
「……!」
ピクリとクラピカが反応した。
やばっ!
思ったとたん、オレの方も、ジンっと身体が熱くなった。
さっきの腕枕なんか比じゃないくらいの勢いで心臓が跳ね上がる。
自分の意志とは無関係に、身体が火照ってくるのが分かった。
駄目だ。もう。
「……んっ……」
クラピカが苦しげに息を洩らした。
オレは慌てて重なっていた唇を離し、クラピカの顔を覗き込んだ。
クラピカが目を開けた。
碧い空の色の瞳が僅かに潤んでいる。
「……レオ……リオ?」
掠れた声でクラピカがオレの名前を呼んだ。
熱の所為で潤んだ瞳。濡れた唇。
それだけでもう、オレの中でタガが外れるには充分だった。
「…………」
今度こそ。
水を飲ませるなんて口実じゃなく。
ただ、唇を重ねたくてオレはクラピカを抱きしめ、その唇を奪った。
突然の行為にクラピカの身体がビクリと跳ね上がる。
何をやっているんだ。
オレの脳の一部が喚きだしたが、そんな事で止まるなら最初からやってない。
深く重ねた唇を吸い上げる。
さっきは軽く触れただけだった舌を、今度は意識して絡ませる。
「……んっ……」
ジンっと身体の芯が熱くなった。
心が暴走して止まらない。
「……レ……ォ」
クラピカの手がオレの服の裾を掴んで無意識に引きはがそうとしていた。
苦しかったんだろうか。
重なっていた唇を離し、オレはクラピカの瞳を見つめた。すると、そこにあったのはさっきと変わらない碧い空の色だった。
緋色になっていない。
怒りの感情はないのだと、そう思ってもいいんだろうか。
「レオ……リオ……」
さっきより更にはっきりとクラピカがオレの名前を呼んだ。
「悪い。我慢出来なくて……」
オレがそう言うと、クラピカは驚いたように僅かに目を見開いた。
オレの言った言葉の意味が分かったんだろうか。もしかしたら意識が覚醒してきているのかもしれない。
「わ……悪かった。ホントに……」
「……いい」
「……え?」
「謝らなくて……いい……」
そう言ってクラピカはオレの服をキュッと掴んだ。
「……クラピカ……」
好きだという言葉を呑みこんで、オレはもう一度クラピカにキスをした。
柔らかくて甘い唇。
最初脅えたように引っ込んだ舌を追いかけて絡め取ると、僅かにクラピカが反応を返してきた。
吐息が洩れる。今まで聞いたことのないような吐息。
身体の中心が熱い。
やっぱりオレはもう、どうしようもないくらい、こいつに惚れているみたいだ。
頭の中で、オレはとうとう観念した。

 

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