夢の跡地 (3)![]()
夢を見ている。
誰かが私に向かって手を振っている。
誰だろう。
ああ、そうだ。
あれは、彼だ。
私の家の隣に住んでいた幼馴染みの。
私と同い年の彼だ。
そう、確か名前は。
名前……は……?
おかしい。
思い出せない。
あんなに一緒に遊んでいたのに。
どうして私は彼の名前を思い出せないんだろう。
”僕のこと忘れたの?”
そうではない。ちゃんと覚えている。
”じゃあ、僕の名前を呼んでよ”
分かった。呼ぶ。呼ぶから。
”はやく”
少し……待ってくれ。今。今思いだすから。
”やっぱり忘れたんだ”
そうじゃない。
”嘘つかなくていいよ。偽証は嫌いだ”
違う。私は。
”違わないよ。君は僕を忘れたんだ”
違う。
”違わない。君は僕を忘れたかったんだ”
違う。
”違わない。君は僕の思い出を消したかったんだ。
違う。
”違わない。だって”
だって……?
”だって、君は眠ろうとしなかった”
…………
”君は僕に……僕達に会いたくなかったから眠ろうとしなかったんだ”
そんなことはない。
”夢を見たくなかったんだ。僕達に会いたくなかったから。”
そうじゃない。
”僕達のことをはやく忘れたかったから。風化したかったから”
そうじゃない。違う!
”違わない”
違う!!
”違わない”
私は……
”違わないよ。クラピカ”
眠れない。眠りたくない。
眠れない。眠りたくない。
眠りたくない。
楽しかったことも。哀しかったことも。嬉しかったことも。辛かったことも。
何もかも苦しくて。
苦しくて。
眠りたくない…………。
あれから、クラピカは、ほとんどの時間懇々と眠り続けていた。
たまにふと意識が戻っても、すぐにまた落ちる。
そんな感じで、症状は良くもならず悪くもならずといった進退を繰り返していた。
「じゃあ、報告も兼ねて一旦戻るわね。明日の朝、また来るわ」
すっかり日も暮れた真夜中。そう言ってセンリツが帰り支度を始めた。
「ホントにありがとな。あんたがいて助かったよ」
「いいえ、どういたしまして」
「あ、その……センリツ」
スタスタと部屋を出ていこうとしたセンリツにオレは慌てて声をかけた。
そういえば、今は真夜中。
ここからクラピカ達のボスであるノストラードファミリーの人達が泊まっているホテルまで帰るには、そうとう距離があるはずだ。
「夜道の女性の一人歩きは物騒だから、本来は送っていくべきなんだろうが……」
「大丈夫。これでもハンターですもの。心配しないで。それよりもあなたはクラピカに付いていてあげて」
オレの言葉を遮って、センリツはにっこりと微笑んだ。
言外に、分かってるわよ。あなたはクラピカのそばを一時たりとも離れたくないんでしょう?
と言われたような気がした。
「じゃ、明日。またね」
そう言ってセンリツは静かにドアを閉じた。
しんとした部屋の中。
センリツはとても物静かな人だったのに、それでも居るのと居ないのとでは、静寂感がやっぱり違う。
耳が痛くなるような静けさの中、クラピカの苦しげな呼吸がさっきより大きく響いたような気がした。
思わずため息が口をついて出る。
相変わらず、クラピカの意識は戻らない。
こうやって見てると、こいつの睫毛って長かったんだなあとか、妙なところに気が付いちまう。
ってか、こんなに長い間こいつの顔、しかも目を閉じた顔を見ることなんてなかったからな。
こいつは、いつも眠りが浅くて。
ハンター試験の最中なんか、ずっと受験生みんなで雑魚寝状態だったし、オレとクラピカは一緒に行動することが多かったから、隣で眠ることも多かった。
それなのに。
飛行船の中でも、トリックタワーの中でも、軍艦島の寝室でも。
必ずと言っていいほど、オレの方が先に寝て、あいつのほうが先に起きていた。
目を閉じて休むことはあっても、あいつが眠っていないことは分かった。神経がピリピリしているのが伝わって来ていたから。
「いや、違う……」
思わずオレは独り言を呟いていた。
一度。
たった一度だけだけど、オレはあいつが眠っているところを見た。
安心したような健やかな顔で、ぐっすり。
あれは、そうだ。確か第4次試験のゼビル島でのことだ。
クラピカが同盟を組もうって持ち出してきたおかげで、オレ達は数日間、二人っきりで行動を共にした。
そして、その間もあいつはオレの前でまともに眠ろうとしなかったんだ。
交代で見張りをするとか言いながら結局オレだけが寝ちまって、起こさなかったこともあった。あいつの性格からしたら、絶対、いい加減にしろとか言って叩き起こしそうなのに。
あいつはそれをしなかった。
だから。
――――――「お前、もしかして眠れないんじゃなく、眠りたくないのか?」
何の気なしに聞いた言葉だったのに、あいつはあの時やけに脅えた目をしてオレを見たんだ。
図星か? と思ったその直後、ヤバイと思った。
たぶんオレは地雷を踏んだのだ。聞いてはいけないことを聞いちまった。
「どうして、そう思った?」
クラピカの声が震えていた。
声だけじゃない。僅かに伏せられた睫毛までが微かに震えていた。
なんて答えればいいんだろう。オレは迷ったあげく、誤魔化すように頭を掻いてみせた。
「いや……何となく」
クラピカはピクリと肩を震わせオレを見た。
「何となく……か。まったくお前という男は鋭いのか鈍いのか分からないな」
「なんだ? てめえ、その言い草は」
「別に……バカにしているわけではない」
そう言ってクラピカは再び視線をそらせて俯いた。頬に金糸の髪がさらりと被る。
ああ、そうだ。
あの時も思ったんだ。長い睫毛だなあって。
男にしとくにゃもったいないくらいの美人なんだよなあ、なんて考えて。
「クラピカ、ちょっとこっちに来いよ」
「……?」
クラピカがオレを見る。
明らかに寝不足だと分かる疲れた目をしていた。
どうしよう。どうすべきか。
言って聞く相手じゃないだろうし。やっぱここは実力行使か。
オレは一瞬の隙をついてクラピカの腕を取り、引き寄せた。
「なっ……!?」
「腕枕してやるよ」
「……はぁぁ!?」
クラピカが珍しく素っ頓狂な声をあげた。まあ、分からなくもないが。
オレは苦笑して、クラピカを腕に抱え込んだまま奴の背中をトントンと叩いた。
「言っとくが別に変な意味じゃないぞ。ほら、眠れない時って心臓の音を聞かせたら安心して眠れるようになるっていうじゃねえか」
「それは……確かに……私も聞いたことは……ある」
それでもクラピカはまだ不満そうな表情のままだ。
なんとなく引っ込みがつかなくなって、オレは更に熱弁をふるってみせた。
「心臓のリズムを聞くと安心するっていうのは医学的にも立証されてるんだぞ。ぐずってる赤ん坊に一定のリズムを聴かせて眠らせるっての聞いたことあるだろう?」
「私は赤ん坊か」
「まあ、まあ。たとえだってば。もし眠れねえってんなら、試してみる価値はあるだろう?」
にっこりと笑ってみせてやると、クラピカは戸惑ったようにオレを見あげた。
瞳の色はいつもの碧だったが、頬が月の僅かな明かりでもはっきり分かるくらいに赤く染まっていた。
何故か心臓がドキリと鼓動を早めた。
「ほ……ほら、ものは試し。ちゃんと休むことも必要だって、いつもお前言ってんじゃねえか」
「そ……そうだ…な……」
普段のクラピカからは考えられないくらい小さくてか細い声。しかもオレの腕にはまったく重みが感じられない。
こいつはどんだけ首に力入れてんだよ。これじゃ意味ねえだろうが。
「そんな堅くなるなよ。ビクついてちゃ余計眠れねえぞ」
「…………」
「ほら、ちゃんと体重かけて。お前の頭程度、重くもなんともないから」
子供をあやすように言ってやると、クラピカがようやく小さく頷いた。
「…………分かった」
なんだか父親にでもなった気分だ。
ってちょっと待て。こいつがオレの子供だとしたら、いったいいくつの時の子供だよ。
オレだってまだ10代だっての。
なんてくだらねえことを考えていると、ゆっくりと遠慮しながら、クラピカが身体の力を抜きだした。
腕に重みがかかる。クラピカの重みだ。
とたんに再びオレの心臓が跳ね上がった。
やべえ。
安心させるために心臓の音聞かそうって思ったのに、オレの心臓が早鐘打ってりゃ世話ねえぞ。
オレは頭の中で羊の数を数えながら、心を落ち着けさせた。
って、何やってんだオレ。
ふと見ると、クラピカが眠っていた。
規則正しい寝息を立てているところを見ると、ちゃんと眠りに入っているんだろう。
少し身体を丸めて、赤ん坊のように眠るクラピカなんて初めて見た。
こうやって寝てると、なんか妙に可愛らしい。
オレは、クラピカの身体が腕の中からずり落ちないようにと、そっと引き寄せた。
「……あれ?」
とたんに違和感が走る。
「……ちょっと待て」
まさか。という考えがオレの頭を過ぎる。
そんなことが。
そんなことがあるのだろうか。
オレはもう一度腕の中にいるクラピカの寝顔を見つめた。
閉じられた瞳。長い睫毛。さらさらの金糸の髪。滑らかそうな肌。
まさか……じゃない。
間違いない。
曲がりなりにもオレはこれでも医者の卵だ。男性と女性の身体の違いくらい分かる。
そりゃ中には男性であっても皮下脂肪が多くて柔らかい奴もいる。
でも、クラピカはどう見ても標準体型だ。
この身長とこの体型で、この柔らかさはおかしい。どう考えても男性の骨格じゃない。
滑らかな肩。背中から腰へと渡る曲線。さすがに胸を触るわけにはいかねえだろうけど、そんなの触らなくても分かる。
どう考えてもこれは男のものでなんかあり得ない。
「……嘘だろ」
でも、そう考えたら辻褄の合うことが確かに多い。
あの時も、あの時も、あの時も。
もしかして、こいつは、必死で自分の性別を隠していたんだろうか。
だとしたら。
「……オレも気付いてないふり、したほうがいいんだろうなあ」
いつか。
いつか、こいつが話してくれるまで。
オレは気付かないままでいたほうがいいんだろう。
そんなことを考えながら、オレは一晩中、あいつの背中を撫でてやっていた。
少しでも安心して眠れるように。
嫌な夢を見なくてすむように。
――――――「……って、そんなこともあったなあ」
ほんの1年程前のことなのに、あれから随分と時間が経っちまったような気がする。
見おろすとクラピカはまた苦しそうに眉間に皺を寄せていた。
センリツが笛を吹いてくれていた時はまだ治まっていたのに、再び悪夢がぶり返したんだろうか。
クラピカの額に汗が滲む。
寝苦しい、なんてもんじゃない。
息をすることすら辛くなるほどの悪夢。
苦しくて、辛くて。
二度と眠りたくないと思えるような、そんな夢。
こいつは、いつもいつも、眠る度、そんな夢の中にいたんだ。
「…………」
オレはクラピカが眠るシーツの端をそっと持ち上げた。
今は真夜中。
センリツは帰っていった。
ゴンとキルア。二人のお子様達は隣の部屋で高いびきだろう。
この部屋にはオレとクラピカの二人きり。
「…………」
言っとくが、これは別に何もやましい下心なんかないんだぞ。
あの時、確かにオレの心臓の音でクラピカの眠りは楽になった。
だから、もう一度それをしてみたらどうだろうと。
そう思っただけなんだからな。
って、オレは誰に対して言い訳をしてるんだよ。
静かにシーツをまくり、オレはクラピカの隣に潜り込んだ。そして、起こさないように頭を持ち上げ、自分の腕をクラピカの首の下に滑り込ませる。
別に何をしたわけでもないのに、心臓がドキドキした。
あの時と同じクラピカの頭の重み。それを感じるだけで音を立てて心臓が跳ね上がりそうになるのを無理矢理押さえつける。
何だってんだよ。こんちくしょう。
同じように羊の数を数えてみたが無駄だった。
心臓の鼓動は早まるばかりで一向に落ち着こうとしない。
って、それもまあ仕方ないって言えば仕方ないか。
考えてみりゃ無理な相談だろう。
好きな女が腕の中で眠ってるってのに、ドキドキしないほうがおかしいっての。
「…………!?」
好きな女って。
なんだそりゃ。
オレ、今、何を考えた。
かあっとオレの頬が熱くなった。
そうなのか?
やっぱりオレは、こいつに惚れてしまったんだろうか。
このレオリオ様ともあろう男が?
こんな、男か女かわからねえような堅物野郎に?
いくら否定しようとしても、オレの心臓の鼓動は治まらなかった。
いい加減、観念しろよ。
自分の心臓がそう言ってるような気がした。