夢の跡地 (2)![]()
夢を見ている。
夢を見ている。キルアの夢だ。
珍しい。彼が私の夢の中に出てくるなんて。
キルアは夢の中で私を見つけ、困ったように首を振った。
”こっちへ来るなよ”
口の動きで、キルアがそう言ったのが分かった。
来るな?
こっちへ?
何故?
私がそう聞くと、キルアは呆れたように肩をすくめて見せた。
”あんたの行く方向はあっちだろ”
あっちとは?
何処のことを言っているのだ?
”あっちはあっち。ゴンとおっさんが待ってる、あっちの岸辺だ”
キルアが指差した方角を見ると、背の高い男の影と、敏捷そうな子供の影が見えた。
ああ、彼等もいたんだ。
そうか。
あの方向が私が行くべき方向なのか。
では、お前も行こう。キルア。
私はキルアに手を差しだした。
するとキルアは私の手から逃れるように身を竦ませた。
”俺は駄目だよ。もう手遅れだから。でもあんたはまだ間に合う。だから行きなよ”
どういうことだ?
手遅れ、とは?
何を言ってる。一緒に行こう。
”だから。オレと一緒にいたら駄目なんだって。なんで分かんないかなあ”
それはわかれという方が無理な話だ。
我々は、試験の最中も一緒にいただろう。
このヨークシンでも。
お前は私の大切な仲間だ。
”……ホント頑固だよな。あんたって”
キルアが苦笑した。
今更だろう?
私が頑固なのは、今に始まったことではない。
キルアは私の言葉にやはり困ったように首を振るだけで、近づいてこようとしなかった
ふと見ると、キルアの後ろには闇が広がっていた。
何処までも何処までも続く闇。
キルアはまるで私と闇との間に立ち、通せんぼをしているかのように見えた。
キルア……?
微かにキルアが笑っているように見えた。
そうなのだ。闇の淵に立ち、キルアは笑っていた。
それは、どうしようもないくらい寂しそうな笑顔だった。
「クラピカの具合はどう?」
買ってきた食料を両手いっぱいに抱えたゴンが、クラピカの眠ってる部屋に顔を覗かせた。
クラピカは眠っている、というか意識昏倒、と言った方がいいか。
あれからはまだ一度も目を覚ましていない。
「さっきちょっとだけ目を覚ましたけど、また昏睡状態だな」
「……そっか」
言いながらゴンはスタスタと部屋の中に入ってきて、クラピカのそばに腰を降ろした。
入ってきたのは、ゴンひとり。
当然そのあとに続いてくると思った影がなく、オレはふと入り口に目を向けた。
「キルア? お前も入れば?」
「……オレはいいよ」
そう言ってプイッとキルアはそっぽを向いた。
なんだ、なんだ。友達甲斐の無い奴だな。顔くらい出してやればいいのに。
文句がてらそう言ってやろうかと思って、そのまま部屋を出てみると、キルアは不自然なくらい壁際に身を寄せたまま、廊下の隅に立ってオレを迎えた。
なんだか、わざと部屋から距離を置いてるみたいだ。
「キルア。お前、なんで部屋に入らねえんだよ」
「……いいじゃん、別に」
「良かねえよ。顔ぐらい見てやれよ。冷たい奴だなあ……」
「…………」
半分は嫌味だったが、半分は冗談のつもりだった。
なのにキルアは反撃もせず、すっとオレから目を逸らしやがった。
「…………?」
暗い瞳。
感情の見えない横顔。なんだろう。
少しだけ妙な違和感を覚えたが、オレは深く追求することはせず、そのまま壁に背を預けて廊下へ座り込んだ。
なんだか、色々考えること自体億劫になってきちまってるのかもしれない。
悪い傾向だ。
オレは、懐から煙草を取りだして火を付けた。
別にスモーカーになったつもりはないが、たまーに吸いたくなる。
そう。ごくたまに。
疲労困憊した時。
支えがないと立てないと思えた時。
そんなふうに、心が弱っている時、ふと吸いたくなる。
一口吸ってふーっと煙を吐き出すと、キルアがそっとオレに近づいてきて手を差しだした。
「……ん?」
「オレにもちょーだい」
「なっ!?」
思わずむせる。
「おまっ、ガキが何言ってんだ。身体に悪いだろうが」
「吸ってるおっさんに言われたくねえよ。いいじゃん。ちょっとだけ」
そう言って、キルアはオレの手から吸いかけの煙草を取り上げると、口にくわえてオレの隣にストンと座り込んだ。
「……おいおい」
そのまま深く吸い、煙を吐く。
口の中だけで吹かしてるんじゃなく、ちゃんと肺まで入れているようだ。
ガキのくせに。なんなんだ。この慣れた感じは。
こいつ、もしかして初めてじゃねえってことか?
「お前、もしかして普段から吸ってんのか?」
「まさか。ゴンと一緒にいるのに、吸えるわけないじゃん。それにオレ、煙草なんかよりお菓子食ってる方が好きだし」
「だったら……」
言いかけて、ついついオレは言葉を呑みこんだ。
好きじゃないと言いつつ吸いたくなる。
それは、やっぱり、キルアも今、心が弱ってるという事なんだろうか。
何かにすがりたいと思えるほど。
キルアの表情は、さっきと同じ、感情の見えない横顔だ。
大人びた表情。
暗い瞳。
さっき感じた違和感が確信に変わる。
この表情は。確か。そうだ。最終試験の頃のこいつの顔だ。
あの頃、たまに見せた殺し屋としての表情を彷彿とさせるんだ。今のこいつの顔。
闇と対面しているような。
キルアの何かが、あの頃に戻っている証拠なんだろうか。
「おっさん」
声を潜めてキルアがささやくように言った。
「クラピカから絶対離れんなよ」
「……え?」
そんなこと、言われなくても分かってる。
そう言おうと口を開きかけた瞬間、キルアは素早い動作でオレの手に吸いかけの煙草を戻し、立ちあがった。
見ると、ちょうどゴンが部屋から出てきたところだった。
「キルア、ここにいたんだ。一緒に来れば良かったのに」
「いいよ。見舞いなんて柄じゃねえし」
「えー、そう?」
「それより、オレ、腹減った」
「うん。あっちで食べよ」
「チョコボ食おうぜ。いっぱい仕入れたから」
「駄目。お菓子じゃ、お腹ふくれないよ〜」
さっきまでの表情が嘘だったように、キルアの態度はいつも通りに戻ってる。
飄々とした明るい笑顔。
そのまま自分達の部屋へと戻っていく二人の背中を見送って、オレはもう一度煙草の煙を吸い込んだ。
なんだか、苦い味がした。
そして、1本の煙草をゆっくりと吸い終えてから、再び部屋に戻る。
部屋の中は薄暗く、空気も重い。
「あれ?」
さっきまでそこに眠っていたはずのクラピカの姿が見えず、オレは慌てて部屋の中を見回した。
するとセンリツが困ったような顔で部屋の隅を指差した。
明かりもついていない部屋の更に一番暗い場所。壁際に蹲ったクラピカがいた。
「こうしてるほうが落ち着くみたいなの」
「…………」
瞳の色が緋色だ。
オレがそっとクラピカに近づくと、クラピカはビクリと身体を震わせ、ぴたりと壁に背中を押しつけた。
”クラピカから絶対離れんなよ”
さっきのキルアの言葉が頭をかすめた。
分かってる。
オレだってそばにいたい。
離れたくなんかない。
でも。
「クラピカ……」
そっと名前を呼んでみる。
クラピカが顔をあげた。
でも視線はオレを素通りして、何処か別のところを見ている。
オレは、どうすればクラピカのそばに居てやれるんだろう。
そばにいて、こいつの傷を癒してやれるんだろう。
どうも、オレの伸ばした手は見当違いの方向に行っちまってるようで、全然こいつの支えになれてないような気がする。
悔しいなあ。
「なあ、あんたたちの所にいた時のクラピカって、どんな奴だったか聞いてもいいか?」
オレのうしろで同じように心配気な視線を向けているセンリツにオレは話しかけた。
センリツは少しだけ驚いたような目をして、すぐに小さく頷いてくれた。
「そうね。とても優秀なハンターだと思えたわ」
穏やかな口調でセンリツはそう言った。
「私が初めてクラピカに会ったのは、今のボスの屋敷に向かう列車の中だったの。もちろんその時はまさか目的地が一緒だとは思わなかったんだけどね」
「…………」
「その時からずっと、クラピカの心音は、硝子のように硬質で儚げだった」
硝子。
透明で綺麗で、でも壊れやすい。
「でもね。その心音が一度だけ変化した瞬間があったの。列車から降りた別れ際だったかしら。私言ったのよ。旅は道連れって。そうしたら、クラピカ、一瞬驚いて、何だか泣きそうな目をしたわ」
「……え?」
オレは振り返ってセンリツを見た。
「ああ、泣きそうって言っても、哀しいとか苦しいとか、そんなんじゃないの。きっと愛おしくて懐かしい何かを思いだしたんじゃないかしら。そんな感じの心音だったから」
旅は道連れ。列車の旅。
そう言われて思いだすのは、あの小旅行だ。
飛行船で3日。列車で2日。
オレとゴンとクラピカでゾルディック家へ向かった時。
キルアを連れ戻すためという目的ではあったが、道中なんだかとても楽しかった。
試験も無事終えた後の小休止。
あの5日間。クラピカは今までで一番穏やかな顔をして笑っていた。
もう、ずいぶん前の事のように思えるのに。
旅は道連れ。
その言葉を聞いてクラピカが思いだしたのは、あの時の記憶だろうか。
あの列車の。
最後の日の夜。
クラピカは憶えていてくれたんだろうか。
クラピカ。
クラピカ。クラピカ。クラピカ。
オレは目の前で震えているクラピカの瞳を覗き込むようにして身体をかがめた。
「クラピカ。オレだ」
ピクリとクラピカが反応した。
「オレだ」
ゆっくりとクラピカの視線がオレの所に戻る。
「…………」
「クラピカ。オレだ。此処にいるぞ」
緋色の瞳に、微かに空の碧が混じり出す。
こんなふうに間近でクラピカの瞳の色の変化を見るのは初めてのことだった。
「クラピカ」
一瞬、クラピカの表情が和らいだと思った瞬間、クラピカはそのまま意識を手放した。
そして、オレの腕の中に倒れ込む。
抱き留めた身体は、思った通り細くて柔らかくて。
完全に意識を失ったクラピカを抱え上げ、オレはもう一度床に寝かせた。
感情の見えない横顔。
さっきのキルアに少しだけ似ている。
「なあ、よかったら、また笛の音、聴かせてやってくれねえか。こいつに」
センリツは、少し困ったように首を傾げた。
「聴かせるのは一向に構わないんだけど、クラピカの症状はさっきも言ったとおり単純な疲労や病気の所為じゃないから、効くかどうか分からないわよ」
「それでも良いんだ。あんたの笛を聴いてると、身体だけじゃなく心も休まるからさ。今のこいつには、それも充分に必要なことだ」
「そう……ね」
頷いて懐から笛を取りだしたセンリツは、笛を吹き始めた。
心に染みる旋律。静かで優しいメロディ。
ふと目を閉じてみる。
音の波に身を委ねてみるのも案外心地良いんだと、オレは初めて知った。